夢のツインタワー(38) 勝訴の期待
勝訴の期待
7月になった。株主総会を終えてまだ数日、取締役たちのふざけた対応への憤りが収まらない頃だった。快哉を叫ぶようなプレゼントが届いた。といっても発注したのは自分自身であったが、とにかく喜ばしいことであった。
私はすぐに佐々木に電話した。
「佐々木さん、今年度版の地価図が届きましたよ。」
「いくらでしたか。」
私の弾んだ声を聞いた佐々木が、電話の向こうで期待しているのがわかった。
私はわざと代引きで支払った地価図の値段を口にした。
「いや、そうじゃなくてですね、・・・」
「ははっ、冗談ですよ。3.3㎡で5500万、㎡で1667万円です。」
「本当ですか、やった、やった・・・」
佐々木とは、地価図の価額がいくらになるだろうかと何度も議論を交わしていた。
取引値から算出される評価額が㎡当り1298万円、我々が適正と主張し、損害賠償額算定の根拠とした価額が㎡1524万円だった。まず適正と主張した価額を下回るようでは話にならない。地価図の1667万円という価額を見て、まず安心した。
また、取引決定は前年の7月であったため、その時点での価額を類推する必要があった。地価図は、3月1日時点での相場価額を発表することになっている。2005年3月1日で1667万円、2003年3月1日が1303万円である。この2年間に毎月均等に上昇したものとすれば、2004年7月1日時点での評価額は㎡当り1545.5万円である。これも我々の主張する評価額㎡当り1524万円を上回っている。
期待以上の結果であった。地価図の信頼性に賭ける試みは成功であった。
一方の被告側は、果たして裁判官から指示された地価相場水準を示す資料を提出して、取引価額の正当性を立証することができるだろうか。おそらく無理であろう。
被告側が資料提出すらできないのであれば、地価図に賭けた勝負は完全な勝ちである。これなら本当に勝訴できるかもしれない。
株主代表訴訟に精通した弁護士ですら、「東京地裁は、取締役会の権限範囲を広く認める傾向が強い。勝訴は極めて困難である。」と説明した案件である。
実は私が相談した弁護士は一人や二人ではない。他には、翡翠不動産の子会社相手の株主代表訴訟という概要を話しただけで逃げ腰になった弁護士、話をろくに聞こうともしなかった弁護士もいた。この熾烈な戦いで、弁護士をつけない素人が、一流法律事務所の4名の弁護士を相手に戦い、勝訴できれば快挙ではないか。
勝ちたかった。勝ったからといって、大きな経済的利益が得られるわけではない。理屈抜きで、とにかく勝ちたかった。
この地価図を武器に、3通目の準備書面作成にかかった。
地価図の数字が予想以上だったからといって、喜んでばかりはいられない。逆に言えば、翡翠不動産は、この地価上昇の動向を知っていたからこそ、観光センターの資産を収奪したのである。収奪された資産は、我々の想定以上に大きかったのである。
それから数日後、被告側代理人である常盤門法律事務所の4名の弁護士から、2000年の取引の根拠とした不動産鑑定評価書の提出命令申立に強硬に反対する意見書が届いた。
この場合は、準備書面とは言わず、意見書になるらしい。
先に私が作成・提出した、文書提出命令申立書の不備・欠点を見事に指摘している部分もあった。
具体的には、私が証すべき事実として「本件借地権取引が不当に低い価額で行われた事実、及び同取引が被告らの忠実義務・善管注意義務に違背してなされた事実」としていたが、この記載が抽象的であり、不適当というわけである。
もし、この提出命令に当事者が従わない場合、申立人(今回の場合、我々)の主張が事実と認められるわけだから、そのためには真実と認める申立人の主張「証明すべき事実」が特定されている必要があるというわけである。
要するに、取引価額が高すぎる、被告たちが任務に違背したというのではなく、論点を絞れということらしい。
また、取締役会の議事録を要求したことについても、被告のうち、佐藤、河内、北川が取締役会に出席して議案に賛成してい事実は被告たちが争っておらず、また取締役会に田中が出席していない事実について、我々は疑念を主張していないため、議事録を確認する必要はないではないかというわけである。
「なるほど・・・。」確かにその通りかもしれない。
私は、訴状や準備書面は、過去に経験した裁判において、依頼した弁護士が作成した書類を手本として作成していたが、この申立書は適当な手本がなく、文献を一応の参考としたという程度だった。
ここは、自分が法律の専門家・弁護士でない弱みを逆にメリットとして活かすべきと考えた。すなわち、相手方弁護士が、私の文書の添削指導をしてくれていると考えればいいのである。
プロの弁護士なら、相手方に指摘されて、そのように変更するのは恥ずかしいことかも知れない。しかし、私は何も恥ずることはない。専門家がせっかく教えてくれているのだから、そのように書けばいいのである。
また相手方弁護士は、民事訴訟法第220条の解釈について、私に反論していた。
私は、不動産鑑定書は同条4号ニに定められた「本来他人に見せることを予定していない文書」には該当しないと主張していたが、鑑定書は、観光センターの内部資料として作成されたものであり、「本来他人に見せることを予定していない文書」に該当するというわけである。これには再反論できそうだ。
さらに、今度は日本観光センターの3名の顧問弁護士から、やはり反対の意見書が届いた。
文書提出命令は、それを保有する日本観光センターに対して出されるため、この場合、会社は利害関係者となり、「提出することは会社機密の漏洩となり、不利益となる。」という理屈で反対してきたわけである。
「素人相手に弁護士7人がかりか。」
私は半ば呆れていた。仕方がない。戦いは楽ではないが、自分の可能性への挑戦だと考えればいい。
私は、相手方弁護士の指摘を参考にしながら、申立内容を一部修正し、さらに民事訴訟法第220条の解釈、判例を調べ直し、反論の文書を完成させた。
『 第1 文書の表示及び文書の趣旨について
1 訴外日本観光センター平成16年7月30日取締役会議事録」の提出
命令申立を取下げます。
同文書は、商法260条ノ4第6項に基づき、閲覧・謄写手続をすることとします。 』
まず、取締役会議事録の提出命令を取下げることにした。後にどうしても必要になれば、商法の規定で閲覧・謄写できるので、そちらで行けばいい。
『 第2 「第3 証すべき事実」の変更
証すべき事実として下記の通り主張します。
「 平成12年に訴外日本観光センターと訴外翡翠不動産が実施した東京都千代田区丸の内1丁目1-44及び同中央区八重洲1丁目208-5の借地権取引の価額決定において、甲第22号証「東京都地価図」における本件土地と同程度の地価とされる場所に所在するビル賃貸料が算定基準とされている事実、及び乙第1号証「不動産調査書」における収益還元価額算定において、より地価の低い場所に所在する収益ビルを比較対象として選定している事実。」 』
これならいいだろう。相手方弁護士の主張に従ったわけである。これで彼らは、反論ができないだろう。
仮に観光センター側が提出命令を拒んだ場合、「より地価の低い場所に所在する収益ビルを比較対象として収益還元価格を算出した」と認定されるわけである。
さらに、被告側弁護士の主張への反論を行なうことができた。
『 第3 被申立人側「意見書」への反論
1 民事訴訟法220条4号の文書に該当する。
被申立人らは文書1が「本来他人に見せることを予定していない文書」の性格を有し、民事訴訟法220条4号の文書には該当しないとすると主張しているが、同主張は明らかに失当である。
民事訴訟法220条4号ニに定められた「本来他人に見せることを予定していない文書」とは「個人の作成したメモ・備忘録」などのことを示している(参考文献 自由国民社発行「口語民事訴訟法」193ページ、著者染野義信外2名)。
つまり作成者(執筆者)自身が他者に見せることを想定していない場合を示すものである。文書1の直接の作成者(執筆者)は、株式会社日本観光センターから依頼を受けた不動産鑑定会社(鑑定士)である。当然ながら株式会社日本観光センターに提出することを前提に作成・執筆されたものであり、「個人的な日記やメモ」「他人に見せることを予定していない文書」に該当しないことは明白である。」 』
相手方弁護士は、鑑定書は他人に見せることを予定していない観光センターの内部文書であり、民事訴訟法が提出命令できないと主張していたわけだが、それに真っ向から反論したわけである。
民事訴訟法第220譲4号ニの解釈について、何とか反論できたのではないだろうか。
『 2 証拠調べの必要性がある。
被申立人らは、「文書1は平成12年における本件借地権の価額を評価したものであるから、平成16年における本件借地権取引とは関係がない」と主張している。しかしながら、不動産取引の価額算定においては過去の取引事例を参考にすることは常識であり、被告らも平成17年3月17日付「答弁書」第4ページにおいて「周辺の取引事例価格(中略)等に照らしても妥当である。」と主張し、周辺の土地ですら取引事例が参考になることを認めている。平成12年の取引は4年間という時間差はあるものの、同じ当事者による同じ土地借地権の取引であり、参考にならないとする主張は明らかに失当であり、先の被告側の主張とも整合性を欠いている。
平成12年の取引価額は公正妥当なものであることは、同「答弁書」第2ページにおいて被告らも認めるところであり、その公正妥当な取引価額算定の根拠となった資料の提出を拒まなければならない合理的な根拠は存在しないはずである。
被告らが、文書1の提示を頑なに拒もうとする理由は、本件土地周辺に所在し平成12年において比較対象とした収益ビルは、その多くが平成16年においても存在しているのに、それら収益ビルを比較対象から外し、遥かに収益性の劣ったビルを比較対象としていることが明確になってしまうからである。
平成12年の取引において、収益性の算定根拠となった収益ビルが、平成16年の取引において参考にされていないならば、被告らの「恣意性」はより明確に立証されることになる。
以上のとおり、文書1は証拠調べの必要性がある。 以上』
相手方弁護士が、2000年の取引は本件と関係がない、4年前の資料を参考にする必要はないと主張したことに反論したのである。
そもそも、被告側も以前の主張で、「取引事例価格に比較しても適正である」と主張しているのだ。同じ場所、同じ当事者間による取引が参考にならないわけがない。相手方が先にしていた主張をうまく利用できたのではないだろうか。
さあ、これで裁判官がどのような判断を示すのか。次回公判で明らかになるだろう。
本案の判決はもう少し先だが、まずこの争いの決着が楽しみになってきた。




