シーン1
前世の記憶というのは、案外あっさり受け入れられるものだ。
少なくとも、俺の場合はそうだった。
気づいたら赤ん坊になっていて、見知らぬ夫婦に育てられて、気づいたら剣と魔法が存在する世界で二十年近く生きていた。パニックになる暇もなかった、というのが正直なところだ。最初の数年は言葉も体も思い通りにならなくて、前世の記憶があっても何もできなかった。ただ泣いて、寝て、食べて。そうしているうちに体が育って、気づいたら馴染んでいた。
人間というのは、環境に適応するようにできているらしい。
前世の俺は、どこにでもいる社会人だった。毎朝同じ時間に起きて、同じ道を歩いて、同じ仕事をこなして、同じ時間に眠る。特別なことは何もなかった。悪いことも、特別良いことも。上司に怒鳴られることもなかったし、同僚と飲みに行って笑い合うこともあった。可もなく不可もなく、ただ静かに、日々が過ぎていった。
誰かに必要とされた、という実感だけが、ずっと薄かった。
いや、そんな大げさな話でもない。ただ、気づいたら死んでいた。原因もよく覚えていない。アパートの天井を見上げながら「そういえば今日も誰とも話さなかったな」と思ったのが最後の記憶で、次に気づいたら赤ん坊だった。
まあ、それが俺という人間だった。
今世でも、大して変わっていない。
「おい、ヴァン。その荷物、奥まで運んでくれ」
「はい」
俺——ヴァン——は、積み上げられた木箱を抱えて倉庫の奥へ向かった。
今の職場は、街の中ほどにある中規模の商会だ。雑貨から食料品まで幅広く扱っていて、荷運びや在庫管理、ときには配達まで、俺はなんでもこなす。雇い主のガルドは五十がらみの小太りの男で、声は大きいが気性は穏やかだ。仕事の文句を言わず、給金もきちんと払ってくれる。俺みたいな素性の知れない若者を雇ってくれるあたり、人を見る目があるのか、単に人手が足りないのかは分からないが、ともかく文句のない職場だった。
目立たない仕事。目立たない住まい。目立たない生き方。
この世界で転生者として生きるには、それが一番だと俺は知っていた。
この世界には「転生者」というものが存在する。俺のように、別の世界から魂ごとやってきた人間だ。なぜそういう存在がいるのか、どういう仕組みでそうなるのかは俺にも分からない。分かっているのは、この世界では転生者は迫害の対象だということだ。
歴史的な経緯があるらしい。かつて転生者が引き起こした大きな事件があって、それ以来「異世界からの来訪者」は危険視されるようになった、とかなんとか。詳しく調べようとは思わなかった。下手に情報を集めると、自分が転生者だと疑われかねない。
大事なのは、正体がバレれば最悪の場合は命を奪われる、ということだ。
だから俺は今日も、木箱を運ぶ。
余計なことは考えない。余計な目立ち方もしない。ここに来て二年、それで十分うまくいっていた。
「ヴァン、終わったら帳簿の確認も頼む。最近数字が合わなくて困ってるんだ」
「分かりました」
ガルドが面倒そうに頭を掻きながら去っていく背中を見送りながら、俺は木箱を棚に収めた。
帳簿の確認、荷の仕分け、在庫の整理。今日もやることは山積みだ。
——まあ、悪くない。
誰に言うでもなく、そう思った。




