32.朝練
翌日、まだ日も昇りきらない早朝。
私とリリアーナ、それからロシュカとシルキーは家の衛兵達に混じって朝のランニングに参加していた。
「はっ……うぇっ、ぐ……きっつ……」
「頑張って下さい! エルーシャ様!」
「あと1周ですよ!!」
前世の身体よりはだいぶマシだが、基本インドアで深窓の令嬢を5年間貫いてきた身体にいきなりの早朝ランニング5周は普通にキツい。
衛兵達や運動神経抜群のシルキー、リリアーナのために不眠不休で馬で駆けてくる体力オバケのロシュカに敵わないことは最初から分かっていたが、何よりショックだったのは、これだ。
「おねえしゃま! あとちょっとですよ!!」
私の走るほんの少し前を、馬の鼻先のニンジンよろしく私のペースに合わせて走ってくれているのは、既に個人のノルマである5周を走り終えたリリたんだ。
普段はおとなしいから忘れがちだが、リリたんはインドア派の私とは違い、以前のお屋敷では使用人の子供達と一緒に野山を駆け巡っていた、外遊び大好き木に登れる系令嬢だ。
走る前の準備運動でも抜群の柔軟性を見せつけており、今のところ運動関係は私の完敗状態である。
「お……、おわった〜……」
ノルマの5周を走り終え、剣の訓練をする衛兵達の邪魔にならない様、木陰で大の字に寝そべっていると、木の上からこちらの様子を伺っていた黒猫がチリチリと愛らしい鈴の音を立て、軽やかに枝から枝を伝って降り、オッドアイの瞳を緩ませながら全く愛らしくない笑顔をこちらへと向けてきた。
「お疲れ様です、エルーシャ様。あの赫焉の黒騎士に弟子入りを志願する素晴らしい向上心の持ち主に、生半可な指導は逆に失礼に当たると愚考致しましたが、初日から5周は少々厳しすぎたでしょうか?」
「……ねえ、このランニングって魔法の特訓とどんな関係があるの?」
「全くございません」
「あはは〜〜? 私、これくらい全然、何ともございませんのよ。だから早く魔法の使い方を教えて頂けないかしら? 主に、身体の持ち主を傷付けずに遠隔で操っている奴の精神のみを痛めつける魔法とか、早急に知りたい気分ですわね〜〜」
「ははは、具体的な目標があるのは大変よろしいですね」
私が芝生の上に這いつくばったまま、黒猫姿のラウルに一方的に火花を散らしていると、リリアーナが黒猫の身体をひょいと持ち上げ、自分の膝の上に置きながらムッとした顔でラウルを叱る。
「ルゥちゃん! おねえしゃまをいじめたら めっ!! ですよ!」
“ルゥちゃん”というのは、昨日リリアーナが猫姿のラウルに付けたあだ名のようなものだ。中身がラウルだとバレると諸々面倒なため好きに呼んでくれと言われ、リリアーナが考案したが、今のところリリアーナ以外の人物が、そう呼んでいる姿は見ていない。
というか、リリたんに抱き抱えられながらめっ!! て叱られるとか何そのご褒美羨まけしからんちょっとそこ代われ。
ちなみに黒猫の方の名前はクロと言う。お行儀も良い上に賢く、くりくりの金色の瞳と人懐っこい性格が、どこかの誰かさんとは違い大変愛らしい、まだ1歳になったばかりのオス猫だ。
昨日、ヒイラギ達が帰った後、ラウルからの突然の提案により私とリリアーナはラウルの弟子となった。
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「……弟子って一体どういうことよ?」
膝の上のリリアーナを守る様にギュッと抱きしめながら、訝しげに問えば、ラウルは事もなげに言葉を返す。
「エルーシャ様の仰る通り、お二人が自衛の手段を身に付けるというのは一理あると思いまして。僭越ながら、私がお二人に魔法の使い方をお教えしようかと考えた次第にございます」
「魔法って……この国では7歳になるまで魔法の使用は禁じられているでしょ?」
「建前上はそうなっておりますね」
国の取り決めを建前ってはっきり言ったぞコイツ。
「どんなものにも例外、特例というものは御座います。特にお二人は、女神様から祝福を授かった聖女様と、加護を授かった神子様です。強大な力は益ともなりますが、扱い方を間違えると、取り返しのつかない事態も巻き起こしかねません。力の扱い方は早いうちから学んでおいて損はないでしょう」
「……とか言って、さっさとリリアーナを聖女に仕立て上げたいだけなんじゃないの?」
ラウルは父と同じ皇帝派閥ではあるが、だからと言って全面的に信用は出来ない。
先程の話にあった通り、私が女神から加護を受けたと知れ渡った結果一番その恩恵を受けるのは皇帝派閥だ。
政治のことはよく分からないが、私が精霊と会話したり、リリアーナが早くから聖女として聖魔法を扱える様になれば、いくらでも皇帝陛下のご威光と結びつけることは容易いだろう。
ラウルは間違っても私達の味方ではない。皇帝派閥の手の者なのだ。
(可愛いリリアーナをこれ以上政治利用させてなるものか)
私の脳裏には、教会で見た歴代の聖女様の幼い肖像画が浮かび、リリアーナを抱きしめる腕に自然と力が入る。
そんな警戒心剥き出しの私の様子を見て、ラウルがスッと表情を消す。
「……このままではリリアーナ様が、17歳の満月の夜を超えられないとしてもですか?」
「え?」
「おい!!」
私達のやり取りを静かに見守っていた父が、声を荒げながら席を立つ。
17歳の満月の夜を超えられない?
「それって、どういう……」
「この話は終わりだ!! ロシュカ、シルキー! 2人を早く部屋へ!!」
「は、はい!!」
私が更にラウルを追求しようとすると、父がそれを遮る様に2人へ命令を下す。
「なぜ17歳の大神霊祭の前に聖女様の肖像画が描かれるのか、聡いエルーシャ様ならもうお分かりになるはずです!!」
「ラウル!!」
私は、半ばシルキーに抱えられるようになりながら、怒鳴り声を上げる父と同じくらい感情を露わにするラウルの表情をはっきりと見た。
「私は、その理不尽に抗いたい……」
その綺麗なオッドアイの瞳に滲むのは、怒り、哀しみ、そして祈りだろうか?
私の目の前で貴賓室の扉が閉められた後も、ラウルのその訴えかけるような瞳だけが、ずっと頭の中から離れないのだった。
次回更新:1月17日(金)7:00




