竜の森の演習(1)
それは次の日の早朝に起こった。
寝る時は簡易テントの周りに障壁を張る。一年の時に最初に習う魔術で、ウォンドを与えられた私たちには容易い魔術だ。
早朝に起き出し、携帯食料で朝食を済ませ、沢の水で顔を洗った時にそれは起こった。
ウォンドから水を出して顔を洗うこともできるけれど、沢の水が気持ちよさそうで、私は荷物を置いて沢に下り、バシャバシャと顔を洗ってスッキリしたときに、頭の上から何かが降ってきたのだ。
投網のような何か。
「え? え? え? 何?」
すっぽりと私を包んだ網に絡まりながら顔を上げると三人の男が近づいてくる。
その人たちが騎士服を着ているのを見て私はホッと息を吐いた。多分巡回の騎士だろう。
「すみません、私はヴァルム魔術学院 の生徒です。この網をどけてください」
だけど男たちはニヤニヤ笑うばかり。
私が抗議の声を上げようとした時に男の一人が口を開いた。
「ヒュウ! 簡単に捕まえたぜ」
「若様冴えてんなあ! ははっ! さっき捕まえた竜みたいに藻掻いてらあ!」
「その女は魔術が使えるんだからねえ、これが一番確実でしょ」
嘲るような嫌な目つきの騎士たちの後ろからもう一人の声。ちょっと甘えたような皮肉気な口調は聞き覚えがある。私の予想通り騎士の後ろから姿を現したのは———
「ディオ!! どうしてここに!?」
ここは竜の森だ、余所者は入れない。だから私たちは安心して演習も竜との契約もすることが出来る。
私が二年の時に二回侵入を許してしまったけれど、それは是正され、騎士の再配属も行われた筈なのに。ちょっと待って、男たちは騎士服を着ている。という事は彼らは王国騎士団の騎士なの? 再配属の時に身元調査や素行調査は厳格に実施されたのに?
混乱する私をあざ笑うようにディオはわざとらしく首を傾げた。
「どうしてって、うーーん、ヴィヴィに会いたかったから?」
ふざけた返答にカッとなってウォンドを取り出そうとしたけれど、しまった! 顔を洗うだけだったから荷物は簡易テントのところだ。ウォンドも危険を知らせる信号筒も。
「苦労したんだよー。ヴィヴィは王女様になっちゃったから学院にいた時みたいに簡単に会えないしさあ。それにほら、怖い顔の騎士がいつも一緒じゃん? 一人になるのはここしかないかなあって」
そう言いながらディオは何かを弄びながら私に近づいてくる。何かじゃない、私のウォンドだ。
「ふふ……これ欲しい? でもあーげない」
「あ……」
楽しそうに笑ってディオはウォンドを川に投げ込んだ。
ああそうか、ディオは魔力が無いからウォンドは使えない。ディオにとってはウォンドなんてただの棒きれだ。
網に絡まりながらもなんとか手を伸ばし、障壁を張ろうとする。あああ、ウォンドがあれば水球を飛ばしたり光線を飛ばしたり反撃できるのに。しょうがないから障壁を張って防戦しながら対策を考えなくちゃ。
でも障壁を張ろうとしたその直前、網を横から勢いよく引っ張られて私は縺れながら地面に倒れた。
「キャ!! いっ!」
「若様、油断しないでください。ヴィヴィ様はウォンドが無くても魔術を使えるんですよ」
「あはは、そうだったねえ、ウーゴ。さあ、お前たち、ヴィヴィを縛って。そうしたらこんなところ直ぐにおさらばだよ」
ウーゴさんに押さえつけられながら私はディオを睨んだ。
「私をどうしようっていうの? 言っておくけど、どこにも逃げられないわよ!」
「やだなあ、竜の森は入るのは門からしか入れないけれど、出るのはどこからでも出られるんだよ。巡回が緩いところなんて調べているに決まってるだろ。っていうかさあ、こいつらの制服見たらわかるでしょ、僕たちがどうしてここに入れたか。さあお前たち、早くヴィヴィを縛ってよ」
騎士服の男たちの一人が縄で私の身体を縛る。手も後ろ手に縛られて何かがカチャンと両手首にはめられた。え? まさかこれって魔力封印の魔道具?
「あ、わかった? ヴィヴィは縄で縛ったくらいじゃ大人しく捕まってくれないでしょ。それを盗み出すのも苦労したんだよー」
ディオの得意げな声が聞こえる。ちょっと待って、これは今までの中で最大のピンチかも。
なんとか男たちを振り切れないかとなけなしの抵抗をする。
唯一自由な足で私を縛っている男のすねを蹴った。
「いてえな!」
バシッ!!
返ってきたのは強烈な平手打ちで私はその場に倒れ込んだ。
ああ、魔術が使えなければ私は何て非力なんだろう......
「ちょっと!! ヴィヴィの顔に傷をつけないでよ!! 僕のお嫁さんにするんだから!」
ディオから抗議の声が上がると三人の男たちは下卑た笑い声をあげた。
「あっはははは、若様、それは無理ってもんだぜ」
「そうそう、この王女サマはサロモネ殿下の獲物だからなあ」
「はあ? お前たちは僕の手下だろ? どうしてここでサロモネの名前が出てくるのさ!」
顔色が変わるディオを三人はますます嘲笑う。
「ぷっ! 若様、お前はサロモネ殿下の掌で踊っていたってことだよ」
「だいだい俺たちがどうして王子でもないガキの言う事を聞くと思ったんだ? お前はサロモネ殿下の犬だろ? サロモネ殿下だけじゃなくて他の王子からも残飯みたいな餌を貰って生き延びたんだってなあ」
「ガスパレが死んだ後はすり寄る奴がいなくなって、使い勝手のいい犬に育ったってサロモネ殿下が言っていたぜ。ぎゃははは」
ディオが唇を噛んで俯く。
「犬はそこで見てな。大人しく尻尾を丸めてな」
「おい、早くこの薬を打っちまおうぜ。サロモネ殿下は薬漬けにして大人しくして連れて来いって命令だろ」
「ああ。廃人になっても使い道はあるらしいからな。この女はこの国の王太子の弱点なんだとよ、この女の面を見せれば王太子は抵抗できないって言ってたぜ」
会話から分かったのは騎士服を着た男たちもトシュタイン王国の人間らしいという事。それも第一王子のサロモネの手下だ。こいつらに掴まるわけにはいかない。私が捕まるとジークや他の人にまで迷惑がかかる。一年後のトシュタイン王国の大規模侵攻はサロモネが指揮を執るらしいと聞いている。私がサロモネの手に落ちればそれを迎え撃つ作戦に齟齬が生じるかもしれない。そんな事はさせない。
私はじりじりと後ずさる。川に飛び込んだら? 縛られて自由が利かない身体だと死ぬかもしれないけれど、いえ、多分死ぬだろうけど、こいつらに利用されてジークに迷惑かけるくらいなら……
「おっと、動くなよ、王女サマ」
私の腕をつかんだ男が、気を取られた一瞬だった。
弾かれたようにディオが地面を蹴った。
ピシャ! 赤い液体が私の身体に降りかかる。
喉を切られた男が私の腕を離してのけ反る。
「あっ! てめえ!! ぐあっ!」
「や、やめ———」
残りの二人の内一人の胸をウーゴさんが剣で刺すと、逃げようとしたもう一人に素早くディオが駆け寄り、またしても喉を切り裂いた。
真っ赤な返り血を浴びてディオが振り返った。
「ヴィヴィは誰にも渡すもんか。ねえ、ヴィヴィ、僕と一緒に行くよね」
にっこり笑ったディオが恐ろしい。私の足はガクガク震えている。
だけど、こんなところで気絶する訳にはいかない。私はディオの手に落ちる訳にはいかないのだ。
震える足を踏ん張って私は叫んだ。
「行かない! 絶対に行かないわ! ジーク、助けてーー!!!」
竜の森のど真ん中で叫んだってジークに届かないのはわかってる。ジークどころか私の声が聞こえる範囲にきっと人はいない。縺れる足を必死に川に向かって動かす。
笑顔を強張らせてディオが近づいてくる。
「ジーク? なんでだよ! 何であんな奴がいい? 魔力が多いから?」
「ま、魔力は関係ないわ。ジークだから......」
「あいつは何でも持ってるじゃないかっ!! 魔力だって地位だって! それなのにヴィヴィもなんて贅沢なんだよっ!! ねえ、ヴィヴィ、僕と一緒に行こうよ。大切に大切にしてあげる。僕が———」
ギャオーーーー
ディオの血にまみれた手が私に触れようとしたその時、私の呼びかけに答えてくれたのは竜だ。
契約竜じゃない、野生の竜。
契約竜より一回り小さい、それでも大人の男の人の三倍以上の大きさの竜が、一頭、二頭、三頭......次々に空から下りてくる。
私に伸ばした手を竜の鋭い爪に引っかかれそうになってディオは慌てて身を翻す。
竜たちは私を守るように私とディオの間に割り込み、ディオに襲い掛かった。
「うわあ! 何だよ! あっち行けよ!」
ディオがナイフを振り回す。
「若様! こっちへ!」
ウーゴさんがディオの腕を引っ張って剣で竜を威嚇しながら逃げる。
「ヴィヴィが!」
「若様、無理です! 今は引きましょう!」
ディオとウーゴさんの言い争う声が遠のいて、少しして馬の蹄の音が聞こえた。
近くに馬を繋いでいたらしいディオとウーゴさんは多分馬で逃げたんだと思う。
蹄の音が遠ざかると、竜たちは私の危険が去ったと思ったのか何事もなかったように飛び去って行く。
飛び去る竜たちに「ありがとう!」と声をかけホッと息をつく。どうしてかわからないけれど竜たちが私を助けてくれた。
安心したと同時に地面で倒れている三人の男が目に入った。
喉を切り裂かれた二人の男はピクリとも動かなかった。胸を刺された男は地面を這って逃げようとしたらしいけどもうほとんど虫の息だった。
私にできることは何もない。
涙を流し、こみ上げてくる吐き気に耐えながら私は苦労して荷物のところに戻った。
後ろ手に縛られているせいでバランスがとりにくく、三回ほど転んで荷物にたどり着いた時にはさっき浴びた血と転んでついた泥で惨憺たる有様だった。魔力を飛ばして手の縄を外せればよかったけれど、魔力封印の魔道具の所為で魔力は私の身体の中でグルグル渦巻くだけだ。気を失いかけては頭を振って、後ろ手で探りながら信号筒を取り出す。
空に打ち上げ、その煙を見て安心したせいか、私はその場で意識を手放した。
「ヴィヴィ様、気がつかれましたか?」
目を開けると目の前にアロイスの心配そうな顔があった。
「……ここは?」
「学院の医務室です」
どのくらい気を失っていたんだろう? アロイスに聞くと、私の信号筒の煙で巡回中の騎士たちが駆け付け、私はここに担ぎ込まれた。今はもう夕方で私は半日ほど眠っていたらしい。私の手足は包帯でグルグル巻かれ、殴られた頬には大きな湿布が貼られている。ちょっとじんじんと痛むけれど、大きな怪我は無さそうだ。
私が血だらけで縛られて倒れており、付近には三名の騎士の遺体。そこここに争った跡があり、駆けつけた騎士たちも学院も騒然となったそうだ。まあそうだよね。私が一生徒でも類を見ないほどの大事件なのに、私は今は王女という身分だ。私が過去、学院を抜け出した時にしきりに頭を撫でつけていた学院長の頭髪が心配になった。あの時はふさふさしていたけれど。
もちろんアロイスたち護衛も私のもとに駆け付け、私はアロイスの竜でここまで運ばれたとのことだ。私が気を失っていたので詳細はわからないものの、既に護衛騎士の一人が竜で王宮に知らせに向かったと聞いて、またジークに心配かけてしまったとがっくりした。
「ヴィヴィ様何が——いえ、まずは医師の診察を」
アロイスの目配せですぐ近くに医師が控えていたことが分かった。
だけど診察より優先することがある。
「ごめんなさい、ちょっと離れていてくれる?」
診察をしようとした医師を遠ざけて私はアロイスを呼んだ。
「私を襲ったのは第八王子のアメディオなの。従者と二人で逃げているわ。もう遅いかもしれないけれど手配を」
小声で告げるとアロイスが息をのんで頷いた。
「それから私の近くで倒れていた人なんだけど」
「……騎士が三人死んでいました。現在身元を調査中です」
「彼らは多分トシュタイン王国の人間だわ。私、急いで王宮に戻らなくちゃ」
アロイスはその言葉にも驚いたようだった。だけどそれ以上詳しいことは聞かず、「承知しました。しかしもう日が暮れます。明日の早朝に発ちましょう。まずは診察を」と足早に医務室を出ていった。
もちろん医師に私の診察を頼むと同時に部屋の隅に控えていたリーゼロッテに護衛を託して。
アロイスは必要以上の事は聞かない。私が王宮に戻らなくちゃと言ったことで、私が襲われた件に関して迂闊にこの場で聞くべきではないと判断したんだろう。
私もどこまで話すべきかわからない。第八王子、アメディオの存在は末端の騎士には知らされていないと思う。そしてもう半年後に迫ったトシュタイン王国の侵攻を私たちが掴んでいることは極秘案件だ。アロイスたち護衛騎士にもまだ知らされていない。私が今回襲われたことがそれに関係しているのか、それとも全く無関係なのかわからない。だから私は一旦王宮に帰ってお父様やジークに相談しようと思ったのだ。
だけど、ディオとウーゴさんの指名手配や、あの騎士もどきの身元の洗い出しは早い方がいいだろうと、アロイスに頼んだ。
う......騎士もどきの事を考えたら彼らの凄惨な姿が蘇って吐き気がこみ上げてきた。
「ヴィヴィアーネ殿下、頭を打ったりしておりませんか?」
吐き気を我慢する私を見て、医師が私の手足や瞳を診察しながら聞くので私は首を横に振った。
「いいえ、頭は打っていないわ。それより早急に王宮に帰りたいの」
案の定、医師は渋い顔をした。
擦り傷、打撲、殴られた時に口の中を切ったけど、大きな怪我は無い。だけど精神的なダメージも大きいので、まずはゆっくり休養する必要があるらしい。傷の所為で発熱するかもとも言われた。
結局私が引かないので、医師は今日ゆっくり休むことを条件に王都に帰ることを許可してくれた。
私がアロイスの竜に乗って帰ることができるからこその許可だ。
馬車だったら一週間は許可を出せないとブツブツ言っていた。
診察を終え休んでいると控えめなノックの音がした。
リーゼロッテが応対して、アリーたちが来たことを知らせてくれる。みんな無事に竜の森から帰ってきたらしい。私以外の人は何の問題もなくゴール地点までたどり着いたと聞いた。
他の人達に被害が無かったと聞いてひとまず安心した。
「ヴィヴィ、大丈夫? 足を滑らせて崖から落ちたって聞いたわ?」
そうっと入ってきたアリーとリーネに微笑む。
「うん、失敗しちゃったわ。ごめんね、みんな心配してる?」
「ゴール地点にいらっしゃらなかったから何かあったのではないかと憂慮しましたわ」
「カールなんてヴィヴィが崖から落ちたって聞いて『ヴィヴィは自分の運動神経を冷静に認識するべきだ、まあヴィヴィらしいけどな』って言ってたのよ。拳骨をくれてやったけど」
アリーが憤慨するとリーネが笑った。
「ふふっ、あれは大した怪我は無かったって聞いて安心した反動ですわ。なんてわたくしが言わなくてもアリーはカールの事はよく分かってらっしゃるでしょうけど」
アリーは顔を赤くしてそっぽを向いた。
やっぱりクラスのみんなはいいな。アリーとリーネと話して、ディオの毒気に当てられて軋んでいた心が和んだ。
「……クラス会参加したかったな」
ポツリと呟くと二人が驚いた顔をする。
「参加できないほど酷い怪我なの?」
涙目のアリーにそうじゃなくて明日の朝一番に王宮に帰らなくてはいけない用事が出来たと告げる。
「そうね、ヴィヴィは忙しい身だものね」
残念そうなアリーをリーネが慰め、そして残念そうな私の手を握ってリーネが言った。
「立場は違ってもわたくし達は友達ですわ。わたくし達に出来ることがあったら遠慮せず頼ってくださいな。それとクラス会は落ち着いたらまたやりましょうね」
私はうんうんと頷いた。私の事件は伏せられていたけれど、リーネは何か気がついたのかもしれない。だけどそんなことはおくびにも出さず、その後はクラスメイトの近況などを話して二人は帰って行った。




