父との対面(1)
マリアレーテ王女のお披露目の夜会当日、ルードルフは王族の登場の扉前で眼の前に立つ国王ヘンドリックとマリアレーテ王女を見ていた。
今日は陛下がマリアレーテ王女をエスコートするため二人は並んで立っている。
マリアレーテ王女はいささか緊張は見られるものの落ち着いた様子で背筋を伸ばして優雅に立っていた。
もともと平民にしては立ち居振る舞いが綺麗だった。それはヴィヴィもそうだが。我がアウフミュラー侯爵家で下働きのメイドとして雇われて数年で上級メイドになりヴィヴィの専属メイドになった。夫に失踪され幼い子供を抱え、その子供も取り上げられてメイドとして仕えることになった。彼女はその過酷な運命を意志の強さとたゆまぬ努力で乗り切ってきた。
そして突然王女だと言われ王宮生活が始まった。今までとは全く違う環境でも彼女はたゆまぬ努力を続け王女としての振る舞いを身に着けた。
今日ここで彼女は王女としてデビューする。夏にお披露目の会があったがそれは壇上で皆に披露をしただけだ。今日初めて彼女はこの国の王女として皆に接することになる。話をしたりダンスをしたりその一挙手一投足に皆が注目するだろう。
そのこともわかった上で彼女は優雅な微笑みを湛え静かに登場の時を待っている。
もちろん陛下も自分も彼女を最大限フォローするつもりではいるが彼女はそれさえ必要なさそうな気品と気高さを漂わせていた。
そしてもう一つの懸念、長年彼女が待っていた夫との再会。
再会ではあるが、今日はヴェルヴァルム王国の王女マリアレーテとその彼女を攫ったトシュタイン王国の王の手先、グラート・カルドッチとしての対面なのだ。
あの密会の後、ヴィヴィから話を聞いた彼女は静かに目を閉じ暫く俯いていたそうだ。そして目を開けヴィヴィをまっすぐ見て「ありがとうヴィヴィ」と抱きしめた。
抱きしめたその手が震えているのを心配してヴィヴィが声を掛けると「大丈夫、私はあの人を待つだけ。待つのには慣れているわ」と微笑んだそうだ。
そんなことは万に一つも無いと思うが、ルードルフはマリアレーテ王女が取り乱したり秘密がバレそうな行動をとろうとしたらすぐにフォローに入れるように彼女のすぐ後ろに控えた。
時間が来て国王ヘンドリックにエスコートされマリアレーテ王女は入場する。
ホールは歓声に包まれた。
ほとんどの貴族はマリアレーテ王女を歓迎している。それは年嵩の貴族ほど顕著だ。トシュタイン王国の陰謀にも負けず生きていたマリアレーテ王女。気高く美しい先王陛下の唯一の愛娘と言葉を一言でも交わしたいと思っている貴族は多いのだ。
国王陛下のお言葉に続き各国からの賓客が二人の前に進み出てお祝いを述べる。
賓客たちの挨拶の最後、トシュタイン王国の一行が進み出た。
ホールは剣呑な空気に包まれる。
参加した貴族たちは鋭い眼差しで、または侮蔑の眼差しでトシュタイン王国の一行を見据えている。
エリオ第七王子は無難なお祝いの言葉を述べた。それすらも貴族の反感を買い「どの口がお祝いを述べるのだ」「恥知らずな国がのこのこやってきて」と嘲笑する声がルードルフにまで届いた。
マリアレーテ王女は……
彼女はトシュタイン王国の一行が眼前に進み出た時、彼カルドッチ卿がエリオ第七王子の後ろに控えているのを目にし、目を見開いた。わずかに身体がふらつく。
咄嗟にルードルフは彼女を支えようとしたが彼女は自力で立て直した。
カルドッチ卿もまた彼女を見ていた。後ろに控えるルードルフが赤面するほどの熱い視線で。
表情そのものは変えずに二人は視線だけでお互いの思いが色褪せていないことを伝えあっていた。
ルードルフは亡き妻を思い出した。普段も忘れているわけではない。忙しい最中にもふと妻の仕草や言葉が蘇ることがある。でも妻をこんな瞳で見つめることはもうできない。思い出の中の妻はゆっくり風化していく。視線だけでも思いを伝えあえる二人を羨ましく思った。
賓客の挨拶が終わり国王とマリアレーテ王女は壇上を降りフロアの中心に進み出た。
二人がファーストダンスをそつなく終えると、途端に二人は多くの人に囲まれた。
彼らから話しかけることはできないが言葉をかけて欲しくてその顔は皆期待に弾んでいる。
近づいて来たゴルトベルグ公爵に陛下が声を掛け社交が始まったようだった。
———♦♦♦———
「お母様、おとうさんのダンスの申し込みを断ったって聞きましたわ」
夜会の次の日、私は馬車に揺られながらお母様に問いかけるとお母様は珍しくあたふたとしながら対面に座る国王陛下を睨んだ。
「いや、私ではない。私は何も喋っていない」
国王陛下が顔の前で手を振るとお母様はお父様(紛らわしいな)アウフミュラー侯爵を見る。
お父様も首を横に振ると横に座る私に視線を戻して諦めたように頷いた。
私たちは今、ペーレント伯のタウンハウスに向かっている。
そこにおとうさんがいるからだ。
グラート・カルドッチがトシュタインの王の密命を成功させたと思わせるようないわば二重スパイともいえる役割を、ルードルフは信頼できる貴族数家に打診した。この時点では詳しい事情は明かしていない。
その中でペーレント伯がスパイを引き受けてくれたのだ。つまりペーレント伯は現ヴェルヴァルム王家に不満を持ち、トシュタイン王国の甘言に乗った貴族として、今後トシュタイン王国側から接触があった時は密かに情報を流してくれる。
もちろん危険は伴うし、屋敷内にトシュタイン王国の間者を受け入れなければならないが、詳しい事情を聞いたペーレント伯はお任せくださいと胸を張ったそうだ。
「我が領地はソヴァッツェ山脈の山道の出口の一つです。我が家を陥落させたとなればオリ......カルドッチ卿の株も上がるでしょう。それに我が家がトシュタイン王国の甘言に乗るというのは不自然ではありませんからな。娘は王太子妃候補に名を連ねており、選ばれなかったという動機がある。パルミロというあのろくでなしとの繋がりもある。いやいや、娘は恨みなど抱いておりません。婚約者との仲も良好ですし、恨みどころか此度の事件で娘を助けてくださったヴィヴィアーネ殿下とカルドッチ卿にはいたく感謝をして、ヴィヴィアーネ殿下にお会いして直接お礼を申したいと言っております。立派にスパイの役目を果たして見せましょう」
そんな訳で今日グラート・カルドッチはペーレント伯のタウンハウスを訪れる予定だ。
私とお母様は極秘に王宮を出ておとうさんに会うべく、ペーレント伯爵家出入りの商人の馬車でペーレント伯邸に向かっているという訳だ。
おとうさんがトシュタイン王国に帰国してしまったら私たちはまたしばらくは会うことが出来ない。まして、おとうさんはこれから革命という過酷な戦いに身を投じるのだ。再び生きて会えるかもわからない私たちに少しでも夫婦、親子としての語らいの時間を、という国王陛下の温情で私とお母様はおとうさんと会えることになった。
その場にどうして国王陛下とお父様が同席するのかわからなかったけれど。
夜会の次の日で忙しいだろうに大丈夫なのだろうか? と思ったが明日からは帰国する賓客が挨拶に訪れるのでこのタイミングしかないそうだ。今は夜会の次の日の午前中なのでさすがにまだ帰国する人たちはいない。というか国内の出席した貴族たちも午前中はゆっくり寝ているだろう。
昨晩の夜会は大成功だったと聞いた。
外国からの賓客も、国内の貴族や有力者の面々もお母様の美しさ、堂々たる品格に感服したと聞いている。
そしてその中で一番の話題を攫ったのが、お母様がおとうさんのダンスの誘いを断った一幕だったとか。
ヴェルヴァルムの多くの貴族はトシュタイン王国に嫌悪の感情を持っている。厚顔無恥なトシュタイン王国の使者がお母様の美しさに目を奪われ、冷たく振られる様に胸がスッとした貴族も多かったと聞いた。
「お母様はおとうさんが疑われないようにそんなお芝居を?」
「違うわ」
「そんな公の場でお母様を誘うおとうさんもどうかと思いますけど、お母様も焦ったでしょう?」
「違うのよヴィヴィ、断ったのはもっと単純な理由なの」
お母様は両手で顔を覆ってしまった。
「私だってあの人と踊ってみたかった。だけど私が踊れるのは陛下と踊ったあの一曲だけなのよ......」
何と!! お母様のダンスの腕前は私と一緒だった。
夜会直前までお母様は必死にダンスの練習をした。そして陛下の足を踏みまくり、やっと一曲だけものになったそうだ。半分は陛下がお母様の足を避ける技術が身に付いたおかげだそうである。
うん、私のダンスの才能はお母様譲りだったのね、と改めて親子の絆を感じた私は遠い目をした。
ペーレント伯邸の裏口から(半年以上前にディオとウーゴさんを目撃した場所だ)入り、奥まった一室に通される。程なくノックの音がしてペーレント伯爵と共に入ってきた人物を見て私たちはソファーから立ち上がる。
思わず、というようにお母様が彼に近づくといきなり彼はお母様の前に膝をついた。
「長い間待たせてすまなかった! 帰れなくてすまなかった! 寂しい思いをさせてすまなかった!」
「あなた、おかえりなさい。ご無事で何よりでした」
お母様が微笑みながらおとうさんの手を取って立たせる。
そのまま二人は抱き合っているので、私は娘として物凄く気恥ずかしい思いだ。お母様、ここにお父様も陛下もいることを忘れていませんか?
なかなか二人が離れないので、お父様が「ん゛ん゛」と咳払いするとようやく二人は周りを見て、お母様が真っ赤になった。
「お二人の邪魔をするのは偲びませんが、とりあえず座って話をしませんか?」
「あっああ。申し訳ない」
お父様の提案におとうさんが頷いた後、この場にいるもう一人の人物、国王陛下に歩み寄った。
「改めてご挨拶を。オリヴェルト・ヴァイス・リードヴァルムと申します。此度の我ら革命軍へのご助力、感謝の念に堪えません。また、こうして我が妻と娘と語らう時間を設けていただいたことも望外の喜びであります」
「オリヴェルト殿、頭を上げて下され。私も貴殿とこうして忌憚のない話が出来る時間を持てたことを嬉しく思う。ペーレント伯にも感謝を。我が国は貴殿が率いる革命軍に全面的に協力しよう。そして目的が達成できた折には貴殿とは親密なる付き合いをしたいと思っている」
私たちがソファーに落ち着いた後、お父様が防音の結界を張った。
この部屋にはメイドも侍従も近づけていない。私たちを案内してくれた執事長もすぐに退出したし、先ほどペーレント伯も静かに部屋を出ていった。ティーセットは用意してくれてあったのでここは一番年少の私が、と席を立とうとすると私を制してお母様が立ち上がった。
「オリバーに私の入れたお茶を飲んでもらいたいの」
お母様の入れたお茶に口をつけて目を見張るおとうさんにお父様が説明した。
「マリアレーテ殿下がこの国の王女だとわかる前は我が屋敷でメイドとして働いていただいていたのですよ」
「お母様の入れるお茶は絶品でしょ」
私の言葉にうんうんと頷くおとうさんはポツリと言った。
「マリアもいろいろな事があったんだな。トランタで俺をただ待っている訳じゃなかった。辛いことも嬉しかったことも俺は寄り添えなかった......」
「それは私も一緒よ、オリバー。あなたは平民のオリバーだと思っていた。だけどあなたは違う名前で私の前に姿を現した。記憶よりちょっと歳をとってちょっと逞しくなって、髪の色まで変わったわ。私だって年を取ったの。あなたがいなくなった時はまだ二十代の若妻だったのにね」
「君は変わらない、いや、ますます綺麗になったよ」
また甘い雰囲気になりそうだったので私は急いで割り込んだ。
「変わったっていうなら私が一番変わったわ」
「そうだな、俺の記憶の中のヴィヴィは四歳のおしゃまな女の子だ」
おとうさんはくしゃりと微笑んだ後、顔を引き締めて続けた。
「長い間待たせてすまなかった……でももう少し待ってもらわなくてはならない……」
「ええ、あなたがやろうとしていることは聞きました。危険だからと止めても無駄なのもわかっています。ですから私は待っています。必ずあなたが帰って来てくれるのを信じて」
「そのことだが……少し訂正をしてもいいか? 必ず君たちを迎えに来る。待っていてくれ」
帰ってくる、ではなく迎えに来る。
「ええ、待っています、あなた。私は十五年も前に既にあなたの妻でした。そして物心ついた時からあなたと添い遂げると決めていたのですよ、あなたの居るところが私の居場所です」
お母様は言いながら遠い目をした。まるではるか昔、トランタの町での親子三人の生活を懐かしむように。
あの頃の生活にはもう戻れない。私もお母様も、そしておとうさんまで立場も境遇も変わってしまった。それでもお母様の幸せはおとうさんの傍にある。




