三年生(2)
パルミロの部下に突き飛ばされてアンゲリカは倒れた。
土や下草が頬や腕を擦る。それでもアンゲリカはパルミロを追おうとした。しかし顔を上げた時パルミロの姿は見えなくなっていた。
「あいつのせいだ……あの女のせいだ……あの女が邪魔をした……」
アンゲリカは立ち上がるとブツブツと呪詛をまき散らす。ゆっくりとウォンドを取り出した。狙いを憎いあの女に定める。あの女は空を見上げていた。
自身の最大の魔力を込めてアンゲリカはヴィヴィに向かって光線を放った。
マリアはパルミロの部下に倒されたところを騎士に助けられた。手を借りて立ち上がる。辺りはもう暗くなっていたが、騎士の持つランタンの灯りでこの周辺だけはぼんやりと明るい。突き飛ばされた衝撃でだて眼鏡は吹っ飛んでしまっている。そのランタンの光がマリアの顔を照らすと騎士は思わず顔を赤らめた。
苦笑しながらふとアンゲリカを見る。
アンゲリカがウォンドを構えるのが見えた。その先にいるのはヴィヴィ。
考えるまでもなかった。マリアは走ってヴィヴィを抱きしめた。
直後に何かが光った。
「いや! いやーー! おかあさん!!」
泣き叫ぶヴィヴィを抱き留めながらジークが指示を飛ばす。
「その女を捕えろ! マリアに応急処置を!」
ジークの指示が飛ぶ前にアンゲリカは騎士によってウォンドを取り上げられ後ろ手に拘束されていた。
もう一人の騎士がマリアに駆け寄り応急処置を施そうとする。
ジークはマリアに縋りつこうとするヴィヴィを必死で止めていた。
マリアは俯せに倒れている。
アンゲリカの放った光線は背中に当たった筈だ。
マリアに駆け寄った騎士から戸惑ったような声が聞こえた。
「殿下……傷が……見当たりません」
マリアは倒れている。確かに光線が当たったのをジークは見た。そして辺りが白く光って……
ジークも駆け寄ってみるが衣服に穴さえ開いていなかった。
「どういうことだ?」
衣服に焦げや破れは見られないが内臓が損傷しているかもしれない。
マリアは学院の医務室に運び込まれた。
ジークが医師に説明する。医師は難しい顔をした。
「とりあえず診察します。殿下や他の方々は廊下でお待ちください」
廊下で青い顔をしたヴィヴィを抱きしめるが大した時間も待たず医師はすぐに顔を出した。
「殿下は中へ——」
「私も入れてください!」
ヴィヴィがすかさず言った。ヴィヴィと一緒に中に入る。マリアは俯せに寝かされていた。
「彼女は怪我をしておりません。ショックで気を失っているだけです」
え? ジークは耳を疑った。
「多分光線は当たらずすんでのところで逸れたのでしょう」
いや、僕はこの目でしっかり見た。ジークが反論する前に医師は言葉を続けた。
「それより気になる事があります。本当は女性の肌を見せるのは気が引けますが……これを見ていただきたい」
医師が他の個所が見えないように注意してマリアの背中だけを服を捲って見せた。
「これ……は……」
「さよう、私には封印の印に見えます。どこの家の紋かはわかりませんが」
「そ……ん……な……」
ジークはショックを受けていた。まさか……そんな……でもそう考えればつじつまが合う。光線が当たったのに傷一つない身体。当たった時の白い光。見覚えのある紋章……
ヴィヴィもまたショックを受けていた。
おかあさんの身体に封印の印。おかあさんには魔力があった……
遠い昔、幼いころに一緒にお風呂に入った時に私はこの印を目にしていた。
「おかあさん、おかあさんのせなかになんかへんなもようがあるよ」
「ああ、なんか変な痣があるって人に言われたことがあるわ。自分では見えないんだけどね」
「いたくないの?」
「ぜーんぜん。何にも痛くないわよ」
「じゃあよかったぁ」
痣じゃなくて魔力封印の印だった。私も自分の背中は見えないから自分の封印の印がどんななのかは実際に見たことがなかった。だから気が付かなかったし幼いころの会話を思い出しもしなかった。
ジークが震える声でこの部屋にいた医師と看護師に言った。
「このことは他言無用だ。誰にも一切話してはいけない。王太子命令だ。急ぎ王宮に手紙を書く。この患者、マリアはあなたたちだけで責任もって看護してくれ。王宮から人が来るまで」
そうしてジークは手紙を書くと部屋の外に行き騎士たちに指示をした。
「急ぎ王宮に行ってこの手紙を渡してくれ。必ずアウフミュラー宰相か国王陛下に直接手渡しすること。この指輪を持たせる。これを見せればばどちらでも直接渡すことが可能だ。一人、いや二人で行ってくれ。……それから学院長と魔術のアルブレヒト先生を呼んできてくれ」
ジークが何をしているのか私には理解できなかった。陛下かお父様に手紙? どうしてアルブレヒト先生を呼んでくるの?
ジークが私を見て優しく言った。
「ヴィヴィはマリアの傍にいる?」
もちろん今はおかあさんの傍を離れたくない。
「わかったよ」
ジークはおかあさんのベッドの横に椅子を持ってきてくれた。私はそこに座っておかあさんの手を握っていた。
少し経つと学院長が急ぎ足でやってきた。
ジークはある事件の重要参考人を捕えてあるので王都から引き取りが来るまで監禁場所を提供して欲しい事。騎士と自分たちは暫く学院に滞在すること等を説明した。
学院長は青い顔をしていたがジークたちがこの学院に入るときにある程度は説明していたようでしっかりと頷いていた。
それから暫くしてようやくアルブレヒト先生がやってきた。
「ジーク! どうしたんだ? 急に学院に来て私を呼び出すなんて」
「伯父上、来たのはある事件を追ってですが……とりあえず中に入って下さい。そしてこれを見ていただけませんか?」
おかあさんの封印の印をアルブレヒト先生に見せる。
私は背中とは言えおかあさんの肌を複数の男の人が見るのは嫌だったがあまりにもジークが真剣で深刻な顔をしているのでとても言い出せなかった。
その印を見た後、ジークとアルブレヒト先生は部屋の隅で話し合っていた。彼らの周囲に防音の結界が張られていたので話の内容はわからない。
結局その日は私はおかあさんの横にベッドを用意してもらって同じ部屋で寝た。
ジークたちは部屋を用意してもらったようだけど私たちのいる病室の前には騎士が二人護衛で立っていた。
次の日にはおかあさんはすっかり回復した。
もともとショックで気絶していただけなので怪我は無いと聞いていた。私は光線を放たれた瞬間は見ていないので(ああ、すんでのところで当たらなかったのね。おかあさんが無事で良かった)と胸をなでおろしていた。
おかあさんもそれは同様なようで「当たらなかったのに気絶なんかして恥ずかしいわ」なんて言っていた。
医師の「もう大丈夫ですよ」というお墨付きをもらって私とおかあさんは支度を整え部屋の外で護衛してくれている騎士に話しかけた。
「あの、もうすっかり元気になったので部屋に戻りたいのですが……」
おかあさんがと言うべきかマリアがと言うべきか……なんて変なところで私は悩んでいた。対外的にはメイドのマリアがと言うべきなんだろうけど私は昨日は動揺してずっとおかあさんと呼んでしまっている。
私が話しかけると騎士の方は動揺して「王太子殿下に確認を取ってまいります」と一人が駆け出して行った。
程なくジークが来て私たちは病室を出ることができた。
でも連れていかれたのは貴賓室。学院に王族が来た時に滞在する部屋だ。
ジークは昨年までは寮に住んでいたが今回は貴賓室に滞在している。私たちが連れていかれたのはその隣の部屋だった。
「え? ジーク、私は寮の自分の部屋に戻るわ」
「うん、まあゆくゆくは戻るだろうけど数日はここに滞在して欲しい」
まだ昨日の犯人たちが逃げているのだろうか? 私たちが襲われる危険があるの?
「昨日の犯人たちだが……二人は取り押さえて拘束中だがパルミロはまたしても逃してしまった。学院の敷地内をくまなく捜索中だが見つかっていない。もういないということも考えられる。僕の勘だが」
「でしたら私だけでも戻りますわ。お部屋に帰ってしなければいけない仕事もありますし」
「いや!! 駄目だ! あなたもここにいてください。着替えや必要なものは急遽揃えましたが不足があれば私やドアの外の騎士に仰ってください」
おかあさんの申し出はジークに強く却下されてしまった。それにジークの丁寧な物言いがなんか引っ掛かる。私はおかあさんと顔を見合わせた。
結局その日は二人で室内で過ごした。
そして次の日、思いがけない訪問者が訪れた。
ノックの音がして返事をするとドアが開いた。
私とおかあさんは二人でお茶をしていたのだが入ってきた人物を見て吃驚した。
ジークが来たとばかり思っていたのだ。
いや、ジークも来たんだけど……
部屋に入ってきたのは七名。
ジークに続いて入ってきた人を見て私は急いで最上級の礼をした。
私の姿を見て察したのだろう。おかあさんも深々と頭を下げた。
「頭を上げてくれ」
国王陛下はそう言うとおかあさんの前に歩いてきた。
「これは……よく似ている……」
驚いたように言って後ろのお父様を振り返る。
そう、この部屋に入ってきたのはジーク、国王陛下、お父様、アルブレヒト先生と護衛のフーベルトゥス騎士団長、そして黒のローブの人物。たぶん彼女は魔術院の鑑定士だ。一番後ろに学院長が青い顔をして控えていた。
「私も……少々混乱しています。マリアは長い間私の家で働いていた。しかし眼鏡を外したところは一度たりとも見たことは無かったのです。もっと早く眼鏡を外したマリアに会うべきでした」
お父様の言葉で私はお父様が眼鏡を外したおかあさんに会うのが初めてだと思い至った。
そういえば夏期休暇の時にジークに頼まれておかあさんは眼鏡を渡した。その眼鏡はまだ返って来ていない。その後はおかあさんは私と一緒にトランタから学院に戻ったし、冬期休暇の時は私はイグナーツに乗せてもらってタウンハウスに帰ったけど、おかあさんは馬車で、それも途中、領地のお屋敷にも寄ったからタウンハウスに戻ってきたのはかなり遅かった。そしてその頃お父様は仕事が忙しく、タウンハウスに帰ってくる時間はかなり遅かったから、私付きのメイドであるおかあさんと顔を合わせる機会が無かった。
でもお父様の言葉で不可解なこともある。いったい誰に似ているんだろう? 私じゃないよね。レーベンの孤児院の院長には私もおかあさんに似ているところがあるって言ってもらったけど、おかあさん曰く私はどちらかというとおとうさんに似ているらしいし。でもそれ以外で私はおかあさんに似た人に会ったことは無い。
私が物思いに耽っている間におかあさんは別室に連れていかれた。鑑定士の人と共に。
あ、おかあさんがどこの家の人か鑑定するのか。封印の印は各貴族家特有の紋が描かれていると聞いている。
もしどこの家かわかったらどうするのだろう? 私ごとその家に引き取られる? それともおかあさんだけ? でもおかあさんは結婚しているし……おとうさんはいないけど……
私がうーんと悩んでいる間に鑑定は終わったようだった。
ジークが心配そうに私を見ていた。
おかあさんが鑑定士の人と一緒に戻っていた。
鑑定士の「間違いありません」と言う言葉を聞いて国王陛下がおかあさんに歩み寄った。
国王陛下はおかあさんの前でいきなり跪いた。
私は驚きを通り越して脳が見たものを拒否した。え? 何が起きているの? 国王陛下が平民の前で跪くなんてことある? いやいやないでしょ。という事はこれは幻覚?
おかあさんは物凄く動揺して後ずさりしている。
陛下が跪くと後ろのお父様たちも共に跪いた。
「生きてお目見えできる日が来るとは思いもよりませんでした。あなたの本当のお名前はマリアレーテ。先王の第一王女であらせられます」
は? 王女? マリアレーテって誰だっけ? 頭が上手く回らない。
暫くしてようやく脳がお父様の言葉を理解した。おかあさんが第一王女って……マリアレーテ王女は確か三十年くらい前に……
「ああああの国王陛下も旦那様もお立ち下さい。どうかお願いします!」
おかあさんの必死の願いで国王陛下もお父様も、それに続いて皆が立ち上がった。
「私は……混乱していて何が何だかわかりませんが……ああの……生意気なことを申すかもしれませんが……今の国王陛下はあなた様なので私に跪くのはおかしいと思います」
「そうか。では対等の立場で話をさせてもらおう」
国王陛下は笑っておかあさんをソファーに促した。
私たちが席に着くとお父様は外からメイドを呼び入れてお茶の支度をさせた。
全ての支度が整いメイドたちが全員退出するまで陛下は言葉を発しなかった。
その時間で私とおかあさんは少し頭の整理がついてものを考えられるようになった。
「今から三十年程前、先王陛下の第一王女がトシュタイン王国の手の者に誘拐された。誘拐された王女はその時生後十か月。トシュタインの手の者は乳母を抱き込んでいた。王女を乗せたと思われる馬車が見つかったのはソヴァッツェ山脈のトシュタイン王国に抜ける二つの山道のうち南側の山道だ。山道の入り口は封鎖されているが偽造の通行許可証を持っていた。それが発覚し急遽騎士団が後を追ったのだが馬車は谷底で見つかった。渓谷に掛けられていたつり橋が破壊されていたのだ。かなり年数がたったつり橋ではあるが馬車一台分は通れるぐらいの大きなもので簡単には壊れそうもないつり橋だった。つり橋が落下した原因はわからないが王女の生存は絶望視された。皆お亡くなりになったと思っていたんだ……さっき迄は」
国王陛下のお話は私は知っていたがおかあさんは初めて聞く話だったのだろう。震える声で問いかけた。
「その……第一王女様が……私だと言うのですか?」
「あなたの背中にあるのは痣ではなく魔力封印の印だ。それも王家の紋が入っている。鑑定士が確認した。それにあなたは二日前ウォンドによる攻撃を受けた。それなのに無傷だ。加護の力が働いたのだ」
「光線は……当たっていないのかと思っていました」
「当たっていたのだ。ジークがはっきり見ている。それにね、あなたはよく似ているのだ、王太后様の若い頃に」
「王太后様……」
「あなたのお母上だ」
おかあさんは衝撃を受けていた。私も受けているがおかあさんの比ではないと思う。おかあさんは孤児だと言っていた。今まで肉親がいるなんて考えもしなかったんだと思う。一緒に孤児院にいたおとうさんを唯一の家族だと思っていたんだと思う。
「私の……お母さん」
「ああ。離宮に引きこもっていらっしゃるがまだご存命だ」
おかあさんの眼からはらはらと涙が流れていた。私は隣に座っているおかあさんの手を握りしめていた。
暫く気持ちを落ち着かせる必要があるだろうと言って陛下たちは部屋を後にした。
お父様は複雑な表情をしていたが私が駆け寄って「お父様」と声を掛けると私の頭を撫でて言った。
「ヴィヴィ、いやこれからはヴィヴィアーネ様と呼ばなくてはいけないかもしれないが立場は変わっても私はヴィヴィの父親のつもりだよ」
その言葉に私はすごく安心することができた。お父様の「ヴィヴィ、マリアを支えてやってくれ」と言う言葉に強く頷いた。
ジークは少し部屋に残ってくれた。
おかあさんも私とジークだけになって少し気が緩んだようだった。
「ヴィヴィと殿下は従兄妹同士になるんですか?」
おかあさんの問いかけにジークは首を振った。
「父は——国王陛下は養子なのです。父の生家はゴルトベルグ公爵家です。あなたと父が従兄妹同士ですね」
「そうなんですか? 国王陛下と従兄妹同士なんて恐れ多いわ」
「それどころかあなたは先王陛下の唯一の子供になるのです。先王陛下は二人のお子様が居ました。あなたとあなたの兄上です。あなたが誘拐されて王太子が亡くなられて王家の血筋が絶えるという時に父が先王に望まれて養子になったのですから」
ジークの言葉は私たちに重くのしかかった。いえ、私よりおかあさんに重くのしかかっていると思う。
「私たちは……これからどうなってしまうのかしら……」
おかあさんの呟きはおかあさんの不安をよく表していた。
おかあさんはメイドのマリアとして今まで私を支えてくれた。私の立場が変わっても不安が少なくなるようにいつだって支えてくれた。今度は私が支える番だった。
「おかあさん、どうなってしまうかは私もわからないけれどわかっていることもあるわ! 私とおかあさんは親子だと言うことよ。立場が変わってもこれは変わらないわ。それにジークやお父様も私やおかあさんのことを考えてくれているわ」
私の言葉にジークも頷いた。
おかあさんは私を抱きしめ「そうね……そうね……」と呟いていた。
あまりの立場の急変に不安しかない私たちだけど、一つ良い事があった。
おかあさんはもうメイドのマリアとして私との親子関係を隠さなくて良くなった。だから私は九年ぶりにおかあさんと一緒のベッドで眠った。




