ジークハルトの報告
「黒竜だ!」
誰かが空を見上げて叫んだ。
「黒竜が帰って来たぞ!」
皆が空を見上げる。
晴れ渡った王都の空を悠々と飛ぶ一頭の黒竜。
その竜が王宮の上空を旋回し王宮の広場に向かって降下して行く様を見て人々は叫んだ。
「ヴェルヴァルム王国万歳!!」
「国王陛下万歳!!」
「王太子殿下万歳!!」
その叫びは王都中を駆け巡った。
人々が待っていた瞬間だった。
ヴェルヴァルムの王家を黒竜が守護する。
それは王家が竜神の子孫であることの証でありこの国が竜神に守られていることの象徴である。
現在の王に国民が具体的な不満を持っているわけではない。多少の貧富の差はあれど人々は重税にあえぐこともなく福祉は行き渡り外敵からは王国騎士団や竜騎士団が守ってくれる。国王は善政を敷いていると言ってよいだろう。しかし国民から見ればそれが国王の功績であるかどうかなどわからないのだ。人々は王家に不満は無いが不安はあった。国王の竜が赤竜だからである。建国以来続いていた竜神の血筋が絶えてしまうことへの不安。
もちろん現在の王は先々代の国王の孫であり王家の血を引いていることは周知の事実である。しかし人々にとって黒竜こそが王家の象徴であった。
黒竜が王宮の前庭に下り立つ。
王宮中の全ての人が集まったのではないかと思えるような出迎えの人数だった。
黒竜の背から降りて来たジークは人々の中心に立つ人物、国王ヘンドリックに視線を向けるとくしゃりと笑った。ヘンドリックも泣き笑いの表情で息子を迎えた。
ジークはヘンドリックに歩み寄り挨拶する。
「国王陛下、私ジークハルトは本日無事竜との契約を終えることが出来ました。これなるは私の契約竜、名をイグナーツと申します。まずはご報告申し上げます」
ジークの挨拶に対しヘンドリックは深く頷くと「大儀であった」と声をかけた。
もちろんそんな言葉では表せないほどの様々な思いが二人の胸のうちにはあったがこの場ではそれで報告は終わりジークは学院に引き返すはずだった。
しかしジークは言葉を続けた。
「少々相談したき事があります。お時間を頂戴してよろしいでしょうか」
「もちろんだ。では執務室で待っている」
ヘンドリックの返事を聞いてジークは踵を返した。イグナーツを王宮の北にある竜場で休ませ自身は国王の執務室に向かうためだ。今日は学院に戻らないつもりなので竜場の職員にその旨を話しイグナーツの世話を頼まなくてはならない。
イグナーツの元へ戻り顔を寄せてきたイグナーツの首を抱いて頭を撫でた後イグナーツに乗ろうとした時に上空に一頭の竜が現れた。
その赤竜は見る見るうちに降りて来てイグナーツと少し離れた場所に着地した。
赤竜から降りてきたのは
「エルヴィン!」
「ジーク!! 黒竜か! やったな! おめでとう」
走ってジークに近づいたエルヴィンはジークの背をバンバン叩いた。
それから小声でジークに言った。
「父上に挨拶をしてくるが報告したいことがあるんだ。付き合ってくれないか?」
「偶然だな、私もだ。今から竜を竜場で休息させてから国王の執務室に行くんだ」
ジークが素早く言うとエルヴィンは頷いた。
「わかった。俺も同席させてくれ」
そう言いおいてエルヴィンはルードルフに挨拶をしに向かった。
国王の執務室にジークとエルヴィンはそろって入室した。
室内にいたのは国王ヘンドリック、宰相ルードルフ、王国騎士団団長のフーベルトゥス、それと筆頭侍従のノルベルトの四名だ。
ジークは父が既に人払いをしてくれていたことを感謝した。
執務スペースの奥にある応接スペースのソファーに皆が腰かける。
ノルベルトが皆にお茶を入れ腰掛けるのを待ってジークが口を開こうとすると先にルードルフが口を開いた。
「殿下、黒竜との契約おめでとうございます」
ノルベルトとフーベルトゥスもお祝いの言葉を述べた。
「王都の人々は王宮に舞い降りた黒竜を見て狂喜乱舞しております。王室に対する不安も払拭されることでしょう」
ルードルフがそう述べるとジークは面映ゆそうな顔をした。
「私が黒竜と契約できたのは父上のおかげだと思っているんだ。父上が努力してこの国に善政を敷いていたからこそ竜神様が認めてくださったのだと思う」
ジークの言葉にヘンドリックは吃驚したような顔をしたがノルベルトやフーベルトゥスの「そうかもしれませんね」「私もそう思います」との言葉を受けて嬉しそうに礼を言った。
「皆ありがとう。そう言ってもらえると私が歩いてきた道は間違っていないと思うことができる」
ヘンドリックは遠い眼差しをした。今は亡き妻、王妃ユリアーネに思いを馳せているヘンドリックを皆が静かに見守っていた。
国王にならなければ失うこともなかった最愛の妻だった。妻を失った後もヘンドリックは歯を食いしばって国王の責務を果たしてきたのだった。そしてそれはルードルフも同じ思いであり、ジークとエルヴィンは幼くして母を失うという寂しさを乗り越えてきたのだった。
国王と王太子、筆頭侯爵家の当主とその息子という高い身分でありながら愛する妻を、母を失いそれでも必死に辛さに耐え国のために尽くして来たこの人たちの力になりたい、最大限の助力をしようとノルベルトとフーベルトゥスは目を見かわした。
「それで、殿下のお話とは?」
「気のせいかもしれないが」と前置きしてジークが伝えたのは竜の森で生徒とは違う野営の跡を発見したという事だった。
ヘンドリック以下四人に緊張が走る。
「ジーク、それは間違いないのか?」
ヘンドリックの問いかけにジークは少し考えこんだ。
「先ほども申しました通り気のせいかもしれません。野営の跡は一応隠されていました。焚火の跡も狩りをして獣をさばいた跡も隠されていましたが後始末が杜撰だったのですぐ気が付きました。私たち生徒はこの三日間は携帯食料を所持し狩りは行いませんから違和感を感じました。私たちは全員個人行動ですから生徒の中で携帯食料でなく狩りをして食料を調達した者がいる可能性もありますが」
そこまでジークが話した時にエルヴィンも言葉を挟んだ。
「陛下、私も野営の跡を発見したんです。気のせいかと思いましたが一応父に報告しようと思っていたのですが……ジーク、殿下も発見したとなると気のせいとは思えなくなってきました」
「三か月ほど前に竜の森に侵入者がいて捕えられただろう。その時の痕跡ではないのか?」
ルードルフがエルヴィンに訊ねるがエルヴィンはかぶりを振った。
「いえ、もっと新しいものです。一週間は経っていないと思います」
「それについては私が責任もって調査をしよう」
騎士団長のフーベルトゥスが力強く言った。
「しかし……三か月前の事件で門を守る騎士たちに調査の手が入ったはずなのだが……今回も侵入を許したとなると大々的に警備のあり方を見直さなくてはならないな」
フーベルトゥスは難しい顔で呟いた。
「さて、ジークの黒竜との契約の発表に加えて今の報告も明朝の会議の議題に乗せなくてはならないが……」
「明日の会議が荒れることは必至ですからな」
何やら目配せをするヘンドリックとルードルフ。
「荒れるとは? 父上、何か問題が起こっているのでしょうか?」
問いかけるジークにヘンドリックはニヤリと笑った。
「ちょっとトシュタイン王国に行ってこようと思ってな」
吃驚してしばらく無言になった後ジークとエルヴィンは叫んだ。
「「どういうことですか!?」」
フーベルトゥスが二人に説明する。ジークたちが見つけたマーベルの町の隠れ家の調査が終わった。そして第三王子ガスパレが密命を下した動かぬ証拠が出て来たこと。その旨を書いた抗議文を隣国に送ったがのらりくらりと言い逃れをしていること。
「そういう訳で竜騎士団第一隊を連れてトシュタイン王国の王宮に殴り込みをかけるつもりなんだ。トシュタインの王は十二年前のことを忘れてしまったようなのでな」
軽い口調で言っているがヘンドリックの瞳は暗かった。十二年前に最愛の妻を亡くしたこと、その時の怒りや悲しみは忘れることなど出来ないのだ。
「竜騎士隊とトシュタインの王宮に乗り込んで第三王子にきっちり責任を取らせるつもりだ」
ヘンドリックの言葉を聞いてジークは暫く考え込んだ。
「父上、その役目は私に譲って下さいませんか?」
おもむろにジークが口を開く。エルヴィンは呆気にとられた。
「おい、ジーク、本気か?」
「ああ」
短く返事をしてヘンドリックに向き直る。
「私が竜騎士隊とトシュタイン王国に行って第三王子の身柄を拘束します。私が黒竜に乗って竜騎士隊を率いてトシュタイン王国の上空を飛んで行けばいい示威行動になると思うんです。トシュタイン王国にも竜神信仰は残っていますよね」
「ああ。竜神に対する信仰がこの大陸からなくなることはないだろう。トシュタインの王家は無くしたいようだがな」
ヘンドリックの返事を受けてジークは更に言い募った。
「でしたら黒竜を見せることは効果があると思います。トシュタインの国民に対しても王家に対しても。
そうして第三王子の罪を認めさせることが出来たらその功績を発表していただきたいのです」
「それはどういう......そうか、ヴィヴィアーネ嬢との婚約の為か?」
ヘンドリックの問いかけにジークはわずかに頷いた。
「という事は、ヴィヴィアーネはジークハルト殿下との婚約を了承したのでしょうか」
夏休みの初めに話した時は悩んでいたようだが、とルードルフがヴィヴィの様子を思い出しながら聞くとジークはあっさり答えた。
「いや、断られた」
「へっ?」
変な声をあげたのはフーベルトゥスだ。
「だから私は実績をつくりたい」
「どういうことだ?」
ヘンドリックの頭にも他の三人の大人たちの頭にも疑問符が浮かぶ。ただエルヴィンは呆れたような顔つきでジークを眺めていた。
「今回私は黒竜と契約することが出来ました。王都の空をゆっくり飛んだので民衆にはよく見えたと思います。そのうえトシュタインに乗り込んで王族の罪を暴いたとするなら民衆は私を支持してくれるでしょう。その私が選んだ婚約者も受け入れてくれると思います」
「ヴィヴィアーネ嬢には断られたのですよね、殿下は誰をお望みなのでしょう?」
ヴィヴィに続いて厄介な相手を望んでいるのだろうか、とノルベルトが心配げに聞くが、ジークはしれっと「ヴィヴィアーネ・アウフミュラー嬢だ」と答えた。
「えっと、殿下は先ほどヴィヴィアーネ嬢には断られたと仰いましたが……ん? 俺の耳がおかしいのか?」
フーベルトゥスの問いかけにもしれっとジークは答える。
「断られたのは一回目の申し込みだ。これから二回目をするつもりだから」
「二回目?」
「ああ、五十回くらいプロポーズすればヴィヴィも頷いてくれるだろうと思ってる」
「「「五十回............」」」
呆れたような顔をしたノルベルトとフーベルトゥスはプッと吹き出した。
「やっぱりヘンドリックの子だ!」
「ええ、諦めの悪さはピカイチですね」
「そんな昔の話を持ち出すな」
苦虫を嚙み潰したような顔をしているのはヘンドリックだ。今は亡き王妃、ユリアーネにアタックして三度ほど断られた末に粘りに粘ってやっと結婚にこぎつけた過去を持つからだった。もっとも三度の内二度はユリアーネの姉でルードルフの亡き妻、クラウディアに撃退されたのだが。当時ゴルトベルグ公爵家の嫡男だったヘンドリックは本人はいざ知らず社交界一のモテ男だったので。
そしてルードルフは密かにため息を付き、エルヴィンはやっぱり呆れたような顔でジークを眺めていた。ヴィヴィに対する執着の強さをエルヴィンはよく知っていたので、一度断られたくらいなら諦めないだろうというのは想定内だった。
「わかった! 俺はジークハルト殿下を応援する!!」
「私も応援しましょう」
フーベルトゥスとノルベルトはノリノリだ。
「ジーク、それからエルヴィン、明日の会議に君たちも出なさい。そこで了承を得られればジークをトシュタイン王国に派遣することにする」
ヘンドリックが宣言するとジークは「ありがとうございます」と頭を下げた。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
ジークとエルヴィンが退出しようとするともう一度ヘンドリックに引き止められる。
「ヴィヴィアーネ嬢の事だが」
「ヴィヴィが何か?」
「昨年の夏に誘拐されかかったことがあったな」
昨年の夏......ジャンたちの一味に誘拐された時の事だ。それが何か問題なのだろうか、とジークとエルヴィンは視線を交わした。
そしてそこで打ち明けられたのはトシュタイン王国第八王子の存在だった。
「ヴィヴィアーネ嬢がこの第八王子の事を見ている可能性もある。そこでもう一度誘拐されていた時の状況を聞きたいのだ」
「わかりました、それについては私が学院に戻ってヴィヴィに伝えます」
エルヴィンが答え、今度こそ二人は退出した。
王国の決め事は些細なものを除いては大抵が定例会議で決められる。それぞれの分野の大臣たちや公爵、侯爵家当主、騎士団長などこの国の政治の中枢を担っている者たちの会議だ。
もちろん国王の意見が一番強いが多数の臣下が反対を表明すれば国王とてごり押しは出来ない。定例会議で賛同を得る必要があるのだ。しかし会議は開かれたものであるので国として秘密を保持したいような事柄は議題には上げない。それゆえヘンドリックは信頼できる臣下と非公式な会議を設け、意見を聞いたり定例会議で議題にあげるべきものの選別や王家の方針を決めるための指針としていた。
前日、黒竜が王宮に降り立ったことにより、定例会議は異例の早朝から開始された。
本来は学院に戻るべきジークが出席したことにより、会議場は満場の拍手に包まれ、会議は賛辞の言葉から始まった。
しかし前回の会議で知らされていた竜の森の密猟者の隠れ家の調査内容、そして第八王子の存在が報告されるとざわざわと不穏な空気が渦巻く。
全員が同じ思いを抱えていると断言することはできない。しかし、ヴェルヴァルム王国の数多の者たちはトシュタイン王国によって何らかの被害を受けている。そんな事は考えたくも無いが、水面下でトシュタイン王国の甘言に乗せられた者がいたとしてもほとんどの者はトシュタイン王国を敵と認識しているので当然表に出すことは無い。
会議ではトシュタイン王国に対し強硬な措置をとるべきだとの意見が大半を占めた。
しかし国王が自らトシュタイン王国に乗り込むというヘンドリックの意見には反対意見が相次いだ。
国王の身の安全を危惧する声もあったが、会議に出ているほとんどの者は竜騎士隊を従えたヘンドリックが万が一にもトシュタインの者に負けるなどと考えてもいなかった。
それよりも国王自らが他国へ赴くなど、ましてやトシュタインになど威厳が損なわれる、軽くみられると言った意見が多かった。あちらが罪人なのだから我が国に謝罪に来て膝をついて許しを請うべきだと憤る者もいた。
と言ってもトシュタイン王国は未だ罪を認めていないし、たとえ謝罪に来ようとしてもこちらは入国許可を出さないのだが。
紛糾する中でジークが立ち上がる。
そしてジークの意見、国王の代わりにジークがトシュタイン王国に出向き、第三王子を断罪する、という提案が大半の出席者の賛同を得て採択された。
黒竜と契約を結ばれてジークハルト殿下は一段と大きくなられた、黒竜をトシュタイン王国の者どもに見せつけることは大きな効果があるだろう、そんな声がそこかしこから聞こえた。
会議も終盤に差し掛かり、他の議題もあらかた片付いた時に一人の大臣が懸念の声をあげた。
「トシュタイン王国の第八王子が我が国に潜伏しているかもしれないとの報告がありましたが、その人相風体などはわかっていないのでしょうか」
「一応年の頃は十二歳から十七歳、小柄。薄茶色の髪に薄緑の瞳まではわかっています」
「平民には多い色ですな」
ルードルフの答えに質問した大臣は落胆した声をあげた。
この国の王族のように目立つ色や容姿を持っていれば見つけるのに苦労しないが、相手も馬鹿では無いのだから極力目立たないようにするだろうとルードルフは内心で苦笑した。
人相書も作らせようとしているのだが、足元を見たジャンが罪の軽減や釈放を交渉しだしたのでもう少し時間がかかるだろう。
「今は事件にかかわった者にもう一度事情を聞いて何か気がついたことが無かったかの検証をしている最中です」
「ほう、それでは次回の会議はジークハルト殿下の凱旋報告と共にそちらの進展も期待したいですな」
愉快そうに声をあげたのはハンクシュタイン侯爵だ。
竜の森の門と竜の森を守る役割を担うハンクシュタイン家は竜の森に侵入を許した時点で対岸の火事ではないだろうに何を気楽な事を、とルードルフは苦い思いでハンクシュタイン侯爵のでっぷりと恰幅のいい腹を見つめた。ともあれヴィヴィの誘拐事件の際に突入した騎士たち、ジャンと行動を共にしていた曲芸団の者、そして誘拐されたヴィヴィにも至急話を聞く必要があるだろう。
会議室の片隅に控えたエルヴィンを見ると、エルヴィンは心得ていると言うように頷いた。
会議終了後、ジークは急いで出立の準備に取り掛かる。
「フーベルトゥス、ジークをよろしく頼む」
フーベルトゥスはヘンドリックに跪いた。
「かしこまりました、殿下。陛下、このフーベルトゥス必ずや殿下の身の安全を守り使命を果たしてまいります」
そうしてその次の日の朝、ジークはフーベルトゥス率いる竜騎士団と共にトシュタイン王国に旅立ったのだが、それを見送ることなくエルヴィンは会議の日の午後、学院へ報告のために二名の竜騎士と共に飛び立ったのであった。




