二年生(12)——夏期休暇
フェルザー伯爵のお屋敷の門をくぐるとお屋敷が騒然とした雰囲気に包まれていることが感じられた。
馬車を降りたつとお屋敷のエントランス前にはずらりと人が並んでいる。
一応私やジークは馬車を降りる前に鬘や眼鏡を外した。
気障男は様子の変わった私たちや屋敷前でずらっと出迎えた人々を見て今にも気絶しそうな雰囲気だ。
フェルザー伯爵が進み出てジークに最上級の礼をする。
「王太子殿下にご挨拶申し上げます。この度は我が屋敷を訪問いただける名誉に預かり伯爵家一同誠心誠意おもてなしさせていただく所存でございます。しかしながら急な事でもあり至らない部分も多々あることと存じます。その点は何分ご容赦いただきたい」
「フェルザー伯爵、こちらこそ急な訪問になってしまって済まない。此度は非公式での訪問である故もてなしに関しては遠慮したい。話し合いの場を設けてくれるか?」
ジークの言葉を聞いて気障男がその場にへたり込んだ。
「お、お、お、おう、おう、おうたたたたいししし殿下……」
従者の二人は地面に頭を擦り付けている。
フェルザー伯爵は気障男たちをチラッと一瞥すると私たちを応接室に誘導した。
気障男はこそこそと逃げ出そうとしたがエル兄様が逃さなかった。
「おや? どこに行くんだ? ご領主様に俺たちを牢屋に入れてもらうんだろう?」
エル兄様、さすがにちょっと意地が悪いです……
部屋に入った途端、気障男は床にひれ伏した。
「お、お、王太子殿下に対する数々の無礼、平に、平にご容赦を!!」
フェルザー伯爵は目をパチクリさせている。
ジークが苦笑しながら事の顛末を説明した。
「なるほど、承知いたしました」
フェルザー伯爵は頷くと気障男に向き直った。
「エーゴン・ビュクナー、お前が執着している女性はアウフミュラー侯爵家の上級メイドで侯爵家の方で、手放すつもりは無いそうだ。潔く諦めなさい」
「こ、侯爵家……ひえっ……は、はい……諦めますでございます」
気障男……敬語も怪しくなってきた。
「それからお前の態度だが、力のない者たちに対し居丈高で無理難題を押し付けると苦情が上がっている。後ほど詳しく聞き取る故別室で待っていなさい」
気障男はがっくり肩を落として別室に連れられて行った。
気障男が去るとフェルザー伯爵はもう一度私たちに頭を下げた。
「領内の者がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
「いや、頭を上げてくれフェルザー伯爵」
ジークに引き続きエル兄様が言った。
「我が家のメイドのことでお手数をおかけしました」
フェルザー伯爵はエル兄様、そして私に向かって微笑んだ。
「ヴィヴィアーネ嬢には娘がお世話になっております。ヴィヴィアーネ嬢のおかげで娘は楽しい学院生活が送れているようで。親として感謝しております」
私は急いで言った。
「こちらこそ! パウリーネ様にはいつもお世話になっておりますわ。パウリーネ様のおかげでどれだけ勇気を貰えたか、笑って過ごせたか……私パウリーネ様とお友達になれてとっても感謝しています」
「それは光栄ですな」とフェルザー伯爵は笑った後ジークに向き直った。
「それで……殿下は何故お忍びで我が領にいらっしゃったのですか?」
探るような視線を見て私は慌てていった。
「殿下は私について来てくださっただけなんですの。あの、私がおか……マリアの故郷の話を聞いてとても素敵なところみたいだったので一度観光に行ってみたいとお父様におねだりしたので……その……」
言っていてだんだん恥ずかしくなってきた。
「ほお……殿下は付き添いですか。ということは娘の言っていた通り殿下のお相手は……」
「いいえ!」
「そう思ってくれて構わない」
私の否定とジークの肯定はほぼ同時だった。
ジークはわずかに目を見開き私を一瞬見た後に硬い表情でフェルザー伯爵に聞いた。
「フェルザー伯爵はそれについて意見はあるか?」
「娘の親友が王太子妃というのは我が家にとっては嬉しい事ですな」
ジークはふっと息を吐き出した。
「そうか。では助力を頼む」
「かしこまりました」
私は反論しなくちゃと口を開きかけたけど、エル兄様に「今は黙っていろ」と耳元で囁かれて口を噤んだ。
「フェルザー伯爵、もう一つお願いがあるのだが」
ジークの願いは九年前のトシュタイン王国の侵攻に関する資料を見せて欲しいというものだった。
もちろん王宮内の資料は目を通して来たのだが現地の資料も見たいというもので、フェルザー伯爵は快諾していた。
ジークとエル兄様はフェルザー伯爵と執務室に向かい私とおかあさんは応接室に残ったが程なくしてノックと共に入室してきたのはリーネだった。
「ヴィヴィ! 驚きましたわ」
「リーネ! 突然来てしまってごめんなさいね」
私たちは手を取り合って再会を喜んだ。
その後の数日間はジークやエル兄様はフェルザー伯爵の執務室や役場の資料室に入り浸り、私はリーネとお茶をしたり街に買い物に出かけたりして過ごした。もちろんリーネにレーベンでのヘンデルス様の様子も伝えて、お返しに惚気をたっぷり聞かされたし、お父様やフィル兄様のお土産を見繕ったりアルバおばさんのところにおかあさんと出かけて手作りのジャムをいただいたりした。
そうして残り少ない夏期休暇を楽しんだ私たちは学院に向かって出発した。
お父様とフィル兄様のお土産はハーゲンに託す。彼らは私たちを学院に送った後王都に帰るからだ。今回の旅で起こった出来事は既にお父様やフィル兄様に手紙を書いてあるがハーゲン達もお父様に報告するだろう。
学院に旅立つ数日前、私はエル兄様にジークのことを聞いた。
ジークが偶に思いつめたような瞳をしているのが不安だったからだ。
「ジークはお前と婚約を結びたいと言ったんだろう?」
エル兄様はまず私にそのことを確かめた。
「お父様にもお伝えした通り、卒業パーティーまでに返事を聞きたいと言われたわ」
エル兄様は頷いて、ジークにこの旅の途中で打ち明けられたんだけど、と教えてくれた。
当初王家はというかジークは私に言った通り卒業まではこの話は伏せておくつもりだったらしい。しかし私の噂が王都で流れ王太子妃には相応しくないのでは? と取りざたされる事態になった。
それでも、私が平民出身だから王太子妃には相応しくないという風評は王家と筆頭侯爵家であるアウフミュラー家の力があれば抑えることができるとジークは考えていた。
ところが、この旅に出発する前、まさに私が王都のアウフミュラー侯爵邸でマリアが本当のお母さんだと教えてもらっていた頃、ジークは二人の高位貴族に面会を求められた。
国王陛下の実家のゴルトベルグ公爵家当主のアウグストと序列第二位のビュシュケンス侯爵家当主のアルブレヒトだ。
「その二家がヴィヴィとの婚約には反対だと言ったらしい」
青い顔の私を見て落ち着かせるようにエル兄様は続けた。
「いいか、二家ともお前の人柄や資質で相応しくないと言ったわけではない。そこのところは自信を持っていいんだ」
エル兄様はそう言った。
「ビュシュケンス侯爵がアルブレヒト先生だっていうのは知ってるか?」
「え?」
「やっぱり知らなかったか。アルブレヒト先生は諸事情でジークの魔術の先生をやっていたんだけど、魔力量や人柄を考えたらヴィヴィがジークの妃でも問題ない、むしろ賛成だ、とジークに告げたそうなんだ」
でもビュシュケンス侯爵としては反対したのでしょう、とは私は口に出さなかった。
今の王様は元々ゴルトベルグ公爵家の人間で先王陛下の甥にあたられる。王家の血筋が絶え養子として国王になったヘンドリック国王陛下だが契約竜は赤竜であり国王の竜が黒竜でないことから竜神様の加護がなくなるのではないかと不安を感じている王国民は多い。
だから王家の権威を保つためにも何も瑕疵のない王太子妃を選ぶことが、つまり、高貴な血を受け継いだ令嬢を選ぶことが重要であるとその二家は考えているようだとエル兄様は言った。
「国王陛下と王妃様のご実家だからね。王家が後ろ指を指されることが無いようにという老婆心なんだ」
「……私もそう思うの」
「ヴィヴィ?」
私はエル兄様に私の決心を打ち明けた。
「私、ジークの申し込みを断ろうと思って」
エル兄様はしばらく沈黙をしたのちに静かに聞いた。
「それは何故?」
「私も同じだから。私もジークはみんなに非難されない立派な御令嬢と結婚するべきだと思うから」
「でもジークはお前を望んでいるんだぞ」
それは嬉しい。涙が出るくらい嬉しい。だけど同じくらいジークが非難されるのは嫌だ。王太子として頑張っているジークに私の事で瑕疵をつけたくない。
「ヴィヴィ、もう一度よく考えろ。ジークはお前を婚約者にするために頑張っている。フェルザー伯爵のような味方を増やしたり、実績を積んで発言力を増そうと頑張っているんだ」
涙をぐっとこらえて私は軽い調子でエル兄様に言った。
「ええーー! 私が返事もしないうちにそんなに先走られても困っちゃうわ。そうよ、私には王太子妃なんてご立派な地位は無理なんだから。 あ、そうだ、それなら早いうちにジークにお断りの返事をしなきゃ!」
「…………ヴィヴィ、お前、演技が下手過ぎる」
「え、演技って何のこと?」
エル兄様は答えてくれなかった。
ただボソッと呟いた。
「ジークも竜神の子孫だ。知っているか? 竜神の子孫はつがい意識が強いんだ」
つがい意識?
ヴェルヴァルム王室は竜神の子孫だ。竜は生涯ただ一頭の伴侶しか持たない。これと決めた相手を生涯愛しぬくのだという。だから側室を持たないヴェルヴァルムの王家は後継者が少ないことで代々苦労をしてきた。今の王様は側室様がいらっしゃるけど、それは正妃であるジークのお母様と弟君が亡くなられて、後継者がジークしかいなかったからだという。
側室や愛妾が沢山いて王子も王女も沢山いて次期王の座を争っているトシュタイン王国とはえらい違いだ。
エル兄様はつがい意識について教えてくれて、だからジークはヴィヴィを簡単には諦めないと教えてくれたけど、つがい意識って何よ! と私はちょっとむかっ腹が立った。
竜神の末裔じゃなくっても私だって生涯愛する相手はジークだと決めた。
幼い頃、私を魔力暴走から救ってくれたのがジークのあの青い澄んだ瞳だとわかった時に、ストンとその気持ちが私の中に落ち着いた。もちろん助けてくれたから、というだけじゃなくて今までの様々な積み重ねがあるからなんだけど、はっきりジークを好きだと自覚したのは、その時だ。
そしてこの気持ちは揺らがない。先の事はわからないけれど、自分の気持ちはわかる。ジークは私の心の中の特別枠に納まった。
でもジークのお嫁さんになるかどうかはまた別の話。
あ、別の話じゃない。だってジークは私が愛する人だからこそジークが努力してきたことを否定されたくないし、人々に称賛される王様になって欲しい。
幸い、私は平民だから別に血を受け継ぐ子孫を残さなくてもいいし、フィル兄様がいてもいいって言ってくれたから、アウフミュラー家の領地の片隅でずっと暮らしてもいいし、なんならおかあさんと一緒に平民として暮らしてもいい。魔力がある以上身分的には厳密に言うと平民じゃないかもしれないけれど、結婚はしないつもりなので子供の魔力がどうとか悩むことも無い。
ジークはそんな訳に行かない。ジークは竜神様の血を、王家を継がなくちゃいけない人。そして、それを投げ出すような人じゃないと私は知っている。
近いうちにジークに話をしよう。
そんな決心をしている私をエル兄様は痛ましそうな目で見つめていた。




