二年生(6)——夏期休暇
王国の中央にある王都から南西部のトランタに行くのは二つのルートがある。
細かく言えばもっとたくさんのルートがあるけれど、大きな街道が通っているのは二つのルートだ。
一つは王国の中心部を突っ切って南西まで行くルート。もう一つは王都から真っ直ぐ西に進み、ソヴァッツェ山脈の山裾に沿って南下していくルート。どちらも一長一短があるが、今回私たちが通るのは後者のルートだ。理由は途中にマリアとオリバー(私は全く記憶にないけれど実の父親はオリバーという名前らしい)が育った孤児院があるレーベンのすぐ近くを通るからだ。
王都を発って二日目、今日はマーゲルという町に宿泊する。山間の小さな田舎町だ。レーベンのあるロットナー伯爵領の東部の町でレーベンはここから峠を一つ越えた先にあるが、今から峠越えをするには遅い時刻なので早めにここで宿泊することになった。
宿に荷を下ろし夕食をとるために町の中心部にある唯一の商店街まで足を伸ばした。
宿の亭主にお勧めされたのは『野うさぎ亭』という食堂で商店街の西の端の一角にあった。この一角は古い鄙びた建物が多いが『野うさぎ亭』は看板や入り口周りは新しく改装されており店内も壁紙や装飾など素朴で温かい雰囲気に改装されていた。
そんな店内の雰囲気に相反して味は……
「あんまり美味くなかったな」
食事を済ませた帰り、店を出て最初の角を曲がったところでエル兄様が呟いた。太陽が山の頂にかかり辺りを赤く染めている時刻。
「まあね、偶にはハズレもあるさ」
ジークが肩をすくめた。私も同じ感想だ。エル兄様もジークも王都の高級店のような味と比較したわけではない。私たちは王都と学院を行き来する途中で小さい町の食堂に寄ることもあったし、領地の田舎のお店にも行ったことがある。素朴なお店には素朴なりに素材を生かした美味しさがあったし、その地方の特産を使った料理は温かくてじんわり沁みた。
でもお勧めされた食堂は何というか、全てが粗雑だった。味も店員の態度も。
「ねえ、マリアは——きゃ!」
話題を変えようとマリアを振り返った私は急ぎ足で歩いてきた男の人とぶつかった。背の低い私が男の人の顎のあたりに頭突きをするような形になってしまい、男の人はウッ! と呻いて蹲った。
「まあ! 大丈夫ですか?」
急いで男の人の顔を覗き込むと男の人は涙目になりながら口元を押さえて立ち上がった。
「ふが......だ……いじょぶです」
そのまま足早に私たちが来た方向に去って行く。その後ろをなんとなく見送っているとジークに頭をポンと叩かれた。
「ヴィヴィ、大丈夫?」
「ホントお前はよく人にぶつかったり転んだりするなあ」
エル兄様の呆れたような声が聞こえる。いやいやいや、ぶつかったり転んだりしたのはもっと小さな頃だ。最近は淑女らしい所作が身についてあんまり転んだりぶつかったりしていない。……よね? していない筈。私だって成長したのだ。
それにぶつかった男の人はなんか変だった。似合わない付け髭が取れかかっていたのを必死で押さえてたし。だけど別に付け髭をしている人が全部何か企んでいるわけでもないし。
なんとなく男の人が去って行った方向を目で追っていて私は「……え?」と呟いた。
「あ、ちょっと知り合いを見かけたみたい。 確かめてくるからここで待ってて」
言うなり私は踵を返した。
「え? ヴィヴィ、待って、僕も一緒に——」
「大丈夫、すぐ戻ってくるから」
早くしないと見失っちゃう。ジークの言葉におざなりに返事をすると私は小走りに角を曲がる。
ガッと腕を引っ張られた。
え? 何? 確かめる間もなく目の前に刃物が突きつけられた。
「ああ怪しい奴め! こっちに来い!」
いや、怪しいのはあなたの方でしょ、とは言わなかった。怖かったわけじゃない。去年誘拐された時より私も成長して今は自在に魔術障壁を張れる。魔力を飛ばせば目の前の男のナイフなんて吹き飛ばせる。
もっとも吹き飛ばすまでもなく目の前の男の手はブルブル震えていてチョンと触るだけでナイフを落としてしまいそうだった。
「おおお前、兄さんをつけていたな?」
兄さんって誰よ? ディオ......じゃないわよね?
私は刃物をブルブルしながら私の腕をグイグイ引っ張る男を眺めた。
そう、何気なく目をやった先に私はディオとウーゴさんを見たのだ。え? と思った。まさか学院から遠いこんな田舎町で見かけると思わなかったから。うん、辺りは薄暗くなっていたけど間違いないと思う。まあ、この町にどっちかの親戚がいるとかそんな偶然もあるかもしれない。だけど気になったのは二人の立ち位置だった。店主のウーゴさんの後ろをディオが付き従っているのではなく、ディオの後ろを従者のようにウーゴさんが付き従っているように見えた。
見かけた時はそこまで深く考えていなくて、こんなところで見かけて吃驚したのと漠然と違和感を感じただけだったけど。
まあ結局見失っちゃったから今度学院であったら聞いてみよう、と私は目の前の男の人に意識を戻した。
男は私を拘束してどこかへ連れていきたいようだけど縄や紐なんて持っている筈も無く仕方なく刃物で脅しながら私の手を引っ張っている。
まじまじと見て見ると、あら、思ったより若いみたい。体格はエル兄様くらい大きいけれど、そばかすの中に浮かぶどんぐりのようなつぶらな瞳が私を見下ろしていた。
その瞳は不安げに揺れ動いて私に刃物を突き付けていることを後悔しているようにも、悲壮な決意を固めているようにも見える。
目の前の男の人から逃げ出すことは簡単だ、でも私は彼の事情が気になってしまった。どんな事情があって彼はこんなことを仕出かしているのだろう、彼について行けばわかるのだろうか?
「あ、ちょっと待って、靴紐が......」
私がしゃがみこむと私をどこかに連れて行こうとした男は腕を離した。
「そ、そうか。転んだら大変だもんな」
いやいやいやダメでしょ、とは誘拐されかかっている身としては言えない。
靴紐を結ぶふりをしながらポケットに入れていたハンカチを出す。取り敢えず私がどちらの方角に連れ去られたかの手がかりと、うーん、私は大丈夫と伝えたい。日の射さない裏通りは道が少しぬかるんでいる。私は指に泥をつけてハンカチに矢印とその横に丸を書いた。丸の中にニコニコしているような目と口も書き足しておく。それを地面に置いて石を乗せ私は立ちあがった。
辺りをキョロキョロ見回していた男は私が立ち上がると腕を引っ張って歩き出す。
私は一定の間隔を置いてボタンやら小物などを道に落としておいた。
それにも一向に気がつかない目の前の男はダメダメだ。誘拐犯に向いていない。転職をお勧めする。
男は角を二つ曲がったところにあるあばら家に私を連れ込んで扉をバタンと閉めた。
商店街の西の端の更に裏通りには人も住んでいないような壊れかけのあばら家が何軒かかろうじて建っていた。
あばら家と言ったけどここは本当にあばら家中のあばら家だ。建っているのが不思議なくらい、あばら家界のレジェンドだ。男が扉をバタンと閉めただけで屋根や壁がぎしぎしと軋み、そうっと歩かないと床が抜けそうだ。そっちの方がよっぽど怖かった。夕暮れの時刻、家の中は外よりずっと暗い。
男は私を苦労してガタガタする椅子に縛り付け......ってもう縄の結び目がほどけかかっているんですけど。
「怪しい奴め、なんで兄さんの後をつけた!?」
男は私を睨みながらもう一度怪しい奴って繰り返すけど、だからあなたの方が怪しいんだって。
それに、
「兄さん? 誰?」
私が質問すると男は苛立ったように叫んだ。
「だから僕の兄さんのトビアスだよ! 兄さんにぶつかった時から怪しいと思っていたんだ」
「ぶつかった? ってああ、さっきの付け髭の人?」
「ほらやっぱり! 兄さんの変装を見破っていたんだな。お前はライマーの回し者か? 一緒に居たのはフォクト商会の奴らか? 洗いざらい吐かないと痛い目を見るぜ!」
何というか……突っ込みどころがあり過ぎるんだけど私はひとまず誤解を解くことにした。事情を聞くにしてもまず誤解を解かなくちゃね。
「ライマーって誰? フォクト商会? 私はディオとウーゴさんを見かけたから追いかけただけなんだけど……」
「ディオ? ウーゴ? それこそ誰だ? まだ仲間がいるのか?」
物わかりの悪い男の人にもう一度説明する。
「ディオは私の友達。そもそも私たちは旅行者で今日の午後にこの町に着いたばかりよ。偶々旅行で訪れたこの町で偶然友達を見つけたから追いかけようとしただけなの。あなたのお兄さんの事なんて知らないわ」
「……え? だだだってお前たちは『野うさぎ亭』から出てきたじゃないか」
「それは宿屋のおじさんに勧められて食事をしたからでしょ」
「兄さんにぶつかった」
『偶然よ、むしろあなたのお兄さんの方がぶつかってきたんじゃない? よそ見していた私も悪いけど」
「ライマーの手先じゃ......」
「だからそのライマーって誰?」
男の人は真っ青になって慌てて私の縄をほどいた。結び目がほどけかけていたから縛られた振りをするのも大変だったのよ。
男の人が縄をほどくのと同時ぐらいに扉がギシギシ開いて付け髭の男の人が入ってきた。
「ヴィム、やったぞ! ライマーは明日からニ三日留守にするみたいだ。その隙に『野うさぎ亭』に忍び込んで——え?」
付け髭の、ああ、トビアスって言ったっけ。トビアスは部屋の中に私がいるのを見てギョッとしたようだった。小さいランタンに灯を入れるともう一度私を見て今度は唖然としている。
「ああ、兄さんお帰り」
「ただいまヴィム、この女の子は誰だ? なんで小さな女の子がこんなとこに?」
もうすぐ十三歳の私に向かって小さなとは失礼だけど、そうよね、こんなあばら家に美少女がいたらびっくりするわよね。
青い顔で迎えるヴィムさんはそれでも律儀に挨拶をしてトビアスを部屋の隅に引っ張っていく。
お帰りって言う事はこの壊れかけたあばら家は二人の家なの?
二人はごにょごにょと部屋の隅で話しているけれど狭いから言葉が漏れ聞こえてくる。
「え? 誤解で誘拐?」「ライマーの話を?」なんて声が聞こえた後に、二人は意を決したように私の前に戻ってきた。
「その、ヴィムがすみません。誤解とはいえあなたのようなお嬢さんを誘拐するなんて……」
「怖がらせて......ごめんなさい......」
「しかしヴィムはあなたにいろいろな事を話してしまったようだ......今夜の計画とか」
「それに僕たちの名前も知られてしまった......」
「もうこれしか手段は無い......」
今夜の計画? 忍び込むってヤツ? それを言ったのはヴィムじゃなくてトビアスよね。
待って、どうして二人でじりじりと寄ってくるの?
障壁を張るべきか? と呪文を唱えかけた時、二人はバッ!! と———
「ええええ?」
私の前で床に這いつくばる二人。あ、これってはるか西の国の土下座ってヤツ? ちょっと違うかもしれないけれど二人は私の前で床に頭を擦り付けていた。
「「お願いです! 見逃してください!!」」
二人は頭を擦り付けながら必死に頼み込む。
「お願いです! 一日二日でいいんです! 僕たちがここに居たことと忍び込むことを黙っていてください!」
うーん、忍び込むっていうのは穏やかじゃない。でもなんとなく憎めない二人に私は同情的な気分になっていた。だいだい誘拐したっていうより私が自主的について来たって感じだし。
私は椅子に座ったまま腕組みをして目の前の二人を見下ろした。
「詳しい事情を聞かせてもらえない?」
ガッターーン!! バゴッ!! と物凄い音がした。
入り口のガタガタ扉が物凄い勢いで蹴破られ、中になだれ込んできたのは———
「ヴィヴィ!! 助けに来たよ!」
「ジーク!」
「ヴィヴィ! 無事か?———だな」
最初に飛び込んできたのはジーク。続いて飛び込んできたエル兄様は椅子に座る私と目の前に這いつくばるヴィムとトビアスを見て目を丸くした。
そしてその後ろから「殿下、エルヴィン様、先に行かないでください!」と叫びながらなだれ込んでくるハーゲン達護衛騎士。
あああ、そんなに大の男の人達が押し寄せたら……
バキッ! ガコッ!
あああああ。ハーゲンと騎士二人が床を踏み抜いた。壁が揺れ天井から埃がパラパラと落ちる。
「とりあえず、ここを出ましょう。天井が落ちてきそう」
私が提案するとみんな上を見上げて頷いた。
外へ出てホッと一息、エル兄様が護衛騎士に捉えられて青い顔をしているヴィムとトビアスを見て言った。
「あーー......とりあえずこいつらを役人のところに連れていくか?」
王都や大きい町には衛兵がいるが、こんな小さな町にはいない。罪人を捉えるのは町役場の役人と自警団、商会などの私設警備員などだ。
ヴィムとトビアスの顔色は真っ青を通り越して土気色になっていた。
エル兄様の言葉に私は待ったをかけた。二人の話を聞きたいのだ。その為にここまでついてきたのだし、事情を聞く前にジークたちがなだれ込んできてしまった。
「ねえ、ヴィム、トビアスさん、私はあなたたちが悪い人には見えないの。何か事情があるなら聞かせてもらえないかしら」
私が話しかけるとトビアスが怯えた眼をエル兄様に向ける。
「あのう……お役人には......」
エル兄様が渋い顔をしながら答える。
「事情を聞いてからだな」
「うん、事情を聞いたら私たちも力になれることがあるかもしれないわ」
私が言い添えるとヴィムのどんぐり眼に大粒の涙が浮かんだ。
「に......兄さん......僕たちの話を聞いてくれる人が......初めて......」
トビアスもうっすら涙を浮かべている。
「お願いします! 僕たちを助けてください!」
「それは、あくまで事情を聞いてからよ」
私の言葉に二人は大きく頷いた。
エル兄様も呆れた顔をしながらもしょうがない、という雰囲気。ハーゲンの後ろでジークの護衛たちが「面倒な......」という顔で私を見ていた。
「ヴィヴィ様! ご無事で......」
涙目のマリアに迎えられて私はごめんなさい、と素直に謝った。
私がいなくなり、私のハンカチを発見してみんな騒然となったらしい。ジーク、エル兄様、護衛騎士たちは私の捜索に当たったが、マリアは足手まといになるからと宿に待機することになったそうだ。大分やきもきしていたらしい。
「私は無事」のメッセージをハンカチに書いておいたのに伝わらなかったのかしら。
「え? 泥で書かれた奇怪な絵の事か?」
エル兄様、失礼です。
ハンカチの模様については色々な意見があったらしい。呪いの文様だとか、皿の上のミミズだとか、未知の魔獣、割れた風船......意味がわからない。そんなものを私が書くってどんなメッセージだと思ったの?
みんな失礼です。
天井から落ちてきた埃やゴミなどで薄汚れた私たちを見て、マリアはお湯やタオルなどを用意するために宿のおかみさんのところにすっ飛んで行った。
お風呂に入りたかったけど、小さな町の平民向けの宿にそんなものは無いので今日は諦めることにする。
「お? 久しぶりだな、ヴィムにトビアスじゃねえか! どうしたんだ? 今日は仕事はもう終りか?」
マリアと一緒に湯桶を抱えてきた宿の亭主が、護衛騎士の間でシュンとしている二人に声を掛けた。
「お客さん『野うさぎ亭』は美味かったでしょう? 親父さんの料理も美味かったがトビアスも頑張って修行して俺に負けねえ腕になったって親父さんが自慢してたからな。だから俺はこの宿に泊まった客には『野うさぎ亭』をお勧めすることに決めたんだ」
宿の亭主の言葉に私たちは首を傾げた。
「その……すまないおじさん、『野うさぎ亭』は僕たちの店じゃなくなっちまったんだ」
トビアスの言葉に宿の亭主は目を丸くした。




