私の望み
お母様が旅立って数か月、私は変わらぬ日々を送っている。
東の離宮は今住んでいるのが私だけになりなんとなく寂しい。お母様とお茶をすることがなくなって私は足繁く北の離宮に通っている。
ディーは変わらずに遊びに来てくれるのでとっても癒される。
お母様がいなくなり一月後にビュシュケンス侯爵夫人もリードヴァルム王国に旅立ったのでエミーリア側妃様がゴルトベルグ公爵夫人と共に社交を頑張っている。私もそこに偶に混ぜてもらう。
心を入れ替えたらしい(?)ハンクシュタイン侯爵夫人とゲルトルート様も協力してくれるらしいが
「悪い人ではないのよ……多分」
「そうね。高飛車で嫌みでうざ……コホン、悪い人ではないのよ……きっと」
と微妙な評価だ。
わかります。ジモーネ様を見れば。
お母様が計画していた国民学校は概ね軌道に乗り先日王国北東部の山間地、リッケルト男爵領に第一校が開設した。山間ののどかな地で農業や酪農、狩りで生計を立てている領民は識字率が低い。大人も子供もこの学校に通うそうだ。ただ、生活もあるので毎日は通えない。地道に教えていくことになるようで最初のケースとしては難しいがここで成功すれば他の領でも手を上げるところが増えるだろう。
リッケルト男爵領に決定したのは男爵子息のエーリクが私の元のクラスメイトだからだ。竜の森の研修で学院に行っている時に国民学校の話をしたらすごく乗り気になってお父様にすぐ手紙を書いたそうだ。
リッケルト男爵からアプローチがあり第一校に決定した。
開校の日はジークとリッケルト男爵領を訪れ歓待を受けた。
エーリク様は学院に行っているので不在だったが彼のお父様やお母様とエーリクの話で盛り上がったりした。
そしてお母様と手紙のやり取りをしながら日々を過ごし私は自分の中にある欲求が生まれてきたのを感じた。
日々を過ごす中でその欲求は日増しに膨らんでいく。
とうとうその気持ちを持て余した私は国王陛下に面談の申し入れをした。
本当は一番にジークに相談にのって欲しかった。
でもなぜかこのところジークに会えないのだ。自分の気持ちが膨れ上がりそれでもまだ形をとる前だった十日ほど前までは頻繁にジークに会っていた。
ジークはお母様が旅立って以来私が寂しくないようにと事あるごとに離宮を訪れ私と時を過ごしていた。フィル兄様も顔負けなほど甘い言葉を囁き「早く結婚したい。秋に僕たちも一緒に結婚式を上げようか」などと言うので困ってしまう。でも不思議なことにフィル兄様が「僕のヴィヴィ、今日も可愛いね」などと言って私とハグをするのを止めないのだ。今までは必死で引きはがしていたのに。
結局引きはがすのはレーベッカの役目でレーベッカは「とっても格好いいフィリップ様、外聞がございますからヴィヴィアーネ殿下から離れてくださいませ」と言って「才気あふれるが抜けてる」と指摘され眉を吊り上げている。
そんな日常だったのに十日ほど前からぱったりジークに会えなくなった。
私の気持ちがかたまってジークに相談しようとした矢先のことだった。
それから一週間、なかなかジークに会えないので私は陛下に面談を申し入れた。面談の際にはお父様も同席して欲しい事を伝えた。
そして長い時間陛下と話し合った。お父様に助言も貰った。
ジークとよく話し合ってからという条件付きだが了承の返事を貰って陛下の元を辞す。
廊下をアロイスと歩いているとその先にジークが立っているのが見えた。
あんなに会えなかったのにこのタイミングで会うなんて! と駆け寄るとフィル兄様が先にハグをして私に言った。
「ヴィヴィ、会いたかったよ。この拗ね王子がヴィヴィを避けるから僕までヴィヴィと会えなかった」
え? 私避けられていたの? タイミングが悪いだけだと思っていた。
「私何かした? 知らないうちにジークに嫌われるような事したのかしら?」
「ちがっ!! 僕がヴィヴィを嫌いになる筈がないだろっ!!」
「こいつはね、ヴィヴィから決定的な言葉を聞くのが怖いんだ。決定的って言っても結局はこいつの元に戻ってくるのにな。『待て』が出来ない奴なんだ」
フィル兄様の言葉に私は息を呑む。気づかれていた。ジークだけでなくフィル兄様にも。
「とっても格好良くて才気溢れるフィリップ様、王太子殿下をこいつ呼ばわりするのは不敬ですわ」
レーベッカの苦言を受け流してフィル兄様は続ける。
「結局こいつが意気地なしだから陛下に相談に行ったんだろう? 今からこいつととことん話し合うといいよ。今日の公務はすべて終わりにしてきたから」
フィル兄様に促されジークは私の前に立つ。
「ごめんヴィヴィ、君の気持には気が付いていたんだ。でも僕ははっきりと告げられるのを避けた。君は僕に無断で事を推し進めたりはしないだろうからこのまま時が過ぎれば時機を逸して君の考えも変わるだろうと考えた。ごめん……」
「ここでいつまでも話していても人目もあるし落ち着かないだろ、東の離宮に行ったらどうだ?」
エル兄様が横から口を出し私たちは私の部屋に移動した。
そして久しぶりにジークと二人きりになり遅くまで話をした。フィル兄様も一緒に話をすると思ったらあっさり帰るという。
「僕のヴィヴィ、卒業のパーティーで僕が言ったこと覚えてる? 『僕も可愛い妹がいて幸せだ。君がどこに居ても僕は君の幸せを祈ってる』って。僕は君が望む事なら何でも全力で叶えるよ」
帰り際にそんな言葉を残しフィル兄様が帰るとレーベッカも部屋を後にした。
「君は反対すると思っていたよ」
愉快そうに帰りの廊下でフィル兄様がレーベッカに話しかけるとレーベッカがちょっと眉を吊り上げながら答える。
「認めたくはありませんが、私もとっても格好良くて才気溢れるフィリップ様と同じ意見ですわ。ヴィヴィ様が望まれたら私も叶えて差し上げたいと思います。私にできることなど何もありませんが」
「そんなことないだろう。ヴィヴィがあちらに行って不自由が無いように支度を整えられるのは君だけだ。君ならヴィヴィが何を大切にしていたか、持っていきたいかわかるだろう?」
フィル兄様の言葉にレーベッカがさも意外な事を言われた、というように顔を上げ、フィル兄様の悪戯っぽい眼差しに気がついてあたふたと顔を伏せる。
「それより認めたくありませんがってどういうこと?」
「べ、別に深い意味は......ただヘンタ.....とっても格好良くて才気溢れるフィリップ様と同じ意見なのが少々......」
「悔しいって顔に書いてある」
「そんなことは......! だ、大体ヴィヴィ様は私が何を申し上げても決めたことは押し通す方ですから反対したって無駄ですわ」
「違いない。それでも君が反対したら悲しんだと思うよ。ヴィヴィは君が好きだからね」
「私はヴィヴィ様に好意を持っていただけているのでしょうか」
「僕ほどじゃないけどね。僕は何て言ったってヴィヴィの最愛の兄だから」
「フィリ、とっても格好いいフィリップ様、そういうところが——」
「才気溢れるが抜けてる」
「…………」
レーベッカの悔しそうな顔を見てフィル兄様が楽しそうな笑い声をあげたそうだ。
もちろん私は二人がそんな話をしていたなんて知らなくて、これはもっともっとずっと後、三、四年ぐらい後にそう言えば、と教えてもらった話。二人と一緒に退出したメイドのベティーナからね。
喧嘩しながらも仲良さそうで私は空気になっていました。とベティーナが言っていた。
そんな事より今は私の話。ここが正念場。
私は欲張りだから私の望みを叶えたい。だけど最愛の人の手も離したくない。だからその為にこれから愛する人に無理難題を言う。自己満足の為に。
エル兄様やアロイス、護衛騎士の人達は部屋の外で警護をしている。私とジークは婚約者同士、二人きりで居ても問題ない。
ジークは私を抱き寄せ口づけを交わし「もっと早くに結婚の日取りを決めておけばよかった」と囁いた。
私はジークの胸に顔をうずめながら「私が一番安心できるのはこの腕の中なの。この場所は他の人に渡さないでね」と酷な事を言った。
「だったら……いや、うん、この腕に抱くのは君だけだ。懐が寂しいから早く帰ってくるんだよ」とジークは更に私を抱きしめて......だけど最後には許してくれる。瞳は嫌だと言っているけれど、結局は私の望みを叶えてくれた。
私たちは話をし、抱き合い、口づけを交わしながら長い夜を過ごした。
秋——夏の暑さが人々の身体の中から抜け朝晩だけでなく日中も過ごしやすい陽気になった。
もうすぐ竜の季節だ。竜が繭を作る季節が近づいてくる。
毎年この季節は貴族にとっては竜との契約の季節で特別な意味を持つ。今年契約を結ぶ令嬢令息を抱える家では特に。
しかし平民はそんなことは知らない。この季節は実りの季節だ。農民は収穫に忙しいし収穫物が出回る商人たちも忙しい。
ただ天を駆ける竜が多く見られるので人々が空を見上げる回数が多くなる。
昨年はこの時期にトシュタイン王国の襲撃があり人々は直接被害はないものの落ち着かない気持ちで日々を過ごした。
そして今年は別の理由で浮足立っている。
隣国はトシュタイン王国が滅びリードヴァルム王国と名を変えた。国交が結ばれ長い間閉ざされていた交易路が開かれた。目端の利く商人たちは早速隣国と交易を始めそれは日増しに活発になっている。
そして数日後、更に両国の絆を深めるためにこの国の王女様が隣国の王様に嫁がれるのだ。
王都では既にお祭りムードでパレードをする王都の大通りの周辺には既に沢山の出店が立ち並んでいるそうである。
これを機に地方から王都見物に出かける人々も多く大変な賑わいだという。
通常であれば隣国で開かれるはずの結婚式は竜との契約の関係でまずは我が国、ヴェルヴァルム王国で結婚式が行われ市中をパレード、宴が催された翌日、王女様と隣国の王様は竜に乗って隣国に渡り隣国で新しい王妃様のお披露目とパレード、宴が催されるそうだ。
王都民だけでなく王女様と隣国の王様が乗った竜が見られるかもしれないということで竜の森と王都を結ぶコース上にある町々では人々は一日に何度も空を見上げている。まだ契約の時期には少し早い今でもつい人々は空を見上げてしまうのであった。
私はジークと護衛騎士たちと学院の竜場に降り立った。
明日にはお母様とオリヴェルト様が学院に到着する。
お母様たち一行は今回はヘーゲル王国の許可を取りメリコン川を渡るルートでこの国にやってきた。数日前はアウフミュラー侯爵領の領主の館で宿泊し歓待を受けたと聞いている。お母様を心配していたベルタの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
私とジークはここでオリヴェルト様とお母様を出迎え竜の森に入るまでを見届ける。その後王都に戻りお母様たちの到着を待つことになっている。
私とジークがお出迎えの役目を頂いて学院に来ることが出来たのは有り難い。
お母様とオリヴェルト様だけでなく今回竜と契約するのは私と同年の生徒たちだからだ。アリーやカール達一組のみんなを見送ることが出来るのだ。
私は彼らを見送るだけでなく謝らなければいけないことがある。
「どういうことだよ!!」
カールが声を荒げるがそれを咎める人はいない。一組のみんなが怒ったような泣きそうな顔で私を見ている。
「ヴィヴィ、私たちの卒業式に来てくれるって約束したわよね」
涙声のアリーの言葉にも謝罪の言葉しか出てこない。
「本当にごめんなさい……」
「すぐに戻ってくるんだろう?」
「そうよね。ジークハルト殿下と結婚なさるのでしょう?」
ヘンデルス様とリーネが問いかける。
「多分……少なくとも三年……あ、でもジークとは結婚するわ。待っていてくれるって言ってくれたの」
「そんな! 三年なんて!!」
「そうだよ! 三年もあっちに行っちゃったらどうなるか……」
「そもそも本当に三年で戻ってくるのか?」
みんなの言葉に何も言い返せない。
「なあ、あっちの国に行ってやりたいことって……ヴィヴィがやらなくてはならないことなのか?」
カールの言葉に首を振る。
「必ずしも私でなくてはいけないことではないと思うし私なんて大したことはできないかもしれない。でも、それでも知ってしまった以上は見過ごすことはできないしそれは今しかないと思うの」
「ヴィヴィは国民学校の事業に携わっていただろう? あれはどうするんだ?」
エーリクが静かに問いかけた。
「うん、国民学校は一応軌道に乗ったから信頼できるスタッフに引継ぎしてきた。けれどエーリクが協力してくれたら嬉しいわ」
エーリクはため息をついた。
「仕方ないな、ヴィヴィのためだ。国民学校第一校を開設してもらった領地の嫡男としてこれからの事業に出来るだけ協力するよ。僕が失敗させないから安心するといいよ」
良かった。手がけた事業はきっとうまくいく。
そう……私はこの国を離れるのだ。
生まれ育ったこの国を。大切な人が沢山いるこの国を。
期間は三年。もしかしたらもう少し。
リードヴァルム王国に渡ったお母様と手紙のやり取りをして私はリードヴァルム王国の現状を知った。
政治的な事はオリヴェルト様たち新しい国の中枢の人達が整えていくのだろう。
お母様の手紙によく書かれていたことは孤児の事だった。
リードヴァルム王国はトシュタイン王国だった時の無理な徴兵制度と重税で疲弊している。重税は改められ領主は代わり不当な暴利をむさぼっていた貴族や商人の財産は徴収され民に還元された。それでも戦争で働き手を無くした農地は沢山ある。
そして孤児がものすごく多い。徴兵によって父親を失い重税を払うために母親が無理をして働いて命を落とす。そうした孤児がものすごく多いのだ。食い詰めて盗賊などになった者もいてその被害にあった人たちも多いらしい。
ヴェルヴァルム王国のように設備の行き届いた孤児院などは少数で当然そこに入れる人数もたかが知れている。そしてもし入れたとしても満足に食事ができる環境ではなかった。
地方で領主に恵まれた地域では町々で町長などが孤児を集め面倒を見ている簡易孤児院などのような施設もあったそうだがほんの一握りだ。
都市部にはスラムが出来ている。誰にも顧みられなかった孤児たちはスラムで身を寄せ合い犯罪まがいのことをしてどうにか生きているらしい。
お母様はこのことがどうしても放っておけなくてまだ婚約者の身分である今のうちから孤児の救済事業を始めた。
孤児や平民の識字率云々ではない、まずは孤児たちが清潔な衣服を着てお腹いっぱい食べて健やかに成長できるように制度を整えたい。孤児たちが何か手に職をつけて自立できるような道しるべを示したいそう考えて奮闘しているようだ。
私はその手助けをしたい。
ゆくゆくはこの国に帰ってくるとしても私の身分は一時的にリードヴァルム王国の王女となる。リードヴァルム王国の王女として国造りに奮闘する両親の力になりたいし孤児たちの現状を見て見ぬふりは出来ない。
私はお父様にアウフミュラー侯爵家の養女にしていただいてお父様やお兄様方からとっても愛してもらい何不自由なく育った。
お父様もお兄様たちも全く血のつながらない私を慈しみ育て守ってくれた。だから身分が変わった今でも彼らが本当の家族だと胸を張って言える。
恵まれて育った私だから今恵まれていない子供たちに何かをしたい。せめて彼らが明日に希望を見いだせるようなお手伝いをしたいと思ってしまったのだ。
私がリードヴァルム王国でお手伝いをしたいと言った時陛下は難色を示した。もちろんリードヴァルム王国に行くか行かないかを決めるのはヴィヴィアーネの決定に任せるが期間は一年だと仰った。一年後にはジークとの結婚が控えているからだ。
でも結婚して再びヴェルヴァルム王国の王家に入ってしまえばリードヴァルム王国の内情に手を貸すのは難しい。ジークと結婚前の今の時期しかできないことだと思った。
ジークとの結婚をあきらめるつもりは無い。私の唯一はジークだ。それにこのヴェルヴァルム王国を愛している。
ジークが納得した上でだが……三年、と陛下は仰った。三年のうちに全ての問題を解決することは無理だろう、それでもマリアレーテに後を託していけるように三年で目処をつけてこの国に嫁いで来い、と陛下は仰った。
あとはジークをどうやって説得するかだなと笑った。あいつはきっと拗ねるぞと。
ジークと一晩かけて話をした。本当は離れたくない。ジークの胸の中が一番安心する場所だ。
「でも行きたいんだよなヴィヴィは」
とジークは笑った。
「納得はしていないけれど待っているよ。僕の唯一はヴィヴィだから。君以外僕の隣に立つ人はいないから」
こんなに我儘な私のお願いを聞いてくれて待っていてくれるという。
私に甘すぎるよジーク。
私はジークが好きでジークのお嫁さんになるつもりだった。いいえ、今でもなるつもりだ。それなのに今ジークの元を離れるつもりだ。自分が後悔しないために。
この国の貴族は学院を卒業してすぐに結婚する人達から職業を得て職場で知り合って結婚する人まで千差万別なので適齢期も学院卒業後の十七歳から二十代前半までと幅広い。それでも王太子であるジークの結婚を引き延ばすのは良い事ではないだろう。
他にも良縁があるのだから最悪婚約解消となるかもしれないと覚悟していた。
覚悟しながらもジークが愛しているのは私一人だという自信もあった。だから待っていてくれるのではないかという期待もあったのだ。
そしてやっぱりジークは待っていてくれるという。
甘いよジーク。 ……でもありがとう、愛しているわ。




