デビューの夜会
アウフミュラー侯爵領から帰って二日、デビューの夜会を控えた私はやることが山積みだ。
そんな忙しい最中、ディーが訪ねて来てくれたので一息ついてお茶を楽しむことにした。
「ヴィヴィ姉様、アウフミュラー侯爵のご領地はどんなところなんですか?」
興味津々のディーに見渡す限りに広がる麦畑、収穫を迎えた野菜の瑞々しさ、領都ヒルデンスの屋台や隣接する竜の森から遊びに来る子竜、思いつくままに話して聞かせる。
今回はそれらを楽しむ時間が無かったので領地に住んでいた頃の思い出だ。
「ああそうそう、今回は温泉に行ったのよ」
「おんせん?」
「ええ。なんと地中から湯が沸き出しているの」
「ふええ......」
ディーが目を丸くしている。
その時私は気がついた。ディーは王宮から出たことが無いんだ。
以前に比べディーの行動範囲は広がった。以前は奥宮から一歩も出たことが無かったけれど、今は護衛を連れていれば本宮まで行くことができる。
それでも王宮内であることには変わらない。ディーにとって麦畑や王都の町、山々や市井の食べ物は全て本に知識や人から聞いたものなのだ。
「いつかディーを連れていってあげたいわ」
私がポツリとこぼすとディーがすごい勢いで食いついた。
「行きたいです!! いつか、いつか連れていってください! ヴィヴィ姉さま!」
「そうね……ディーがヴァルム魔術学院に行ったら夏期休暇で行けるかしら。王都に帰ってくるより近いし」
私はもうアウフミュラー侯爵家の人間ではないので難しいかもしれないけれど。ううん、絶対にディーに領地の素敵なところを沢山見せてあげたい。
「僕、ヴァルム魔術学院もすっごく楽しみなんです! あと一年待たなくちゃいけないけど」
私はふふっと笑って手を伸ばしてディーの柔らかな髪を撫でる。成長期のディーはみるみる大きくなって身長は私と少ししか変わらない。だけどこういう表情はまだまだ子供っぽくて可愛い弟だ。
「学院に行ったらいろいろな人と知り合っていっぱいお友達を作ってね」
「ヴィヴィ姉様もいっぱいお友達がいるんですか?」
「そうよ。宝物みたいな大切なお友達なの。みんなのおかげで学院生活がとってもとーーーっても楽しかったの。嫌な人がいても嫌なことがあっても素晴らしいお友達がいたから振り返ってみると学院生活はキラキラ輝いて見えるの」
「ふわーーー! いいなあ。僕もそんなお友達ができるかな」
「できるわ。ディーはとってもいい子だもの。たーーーっくさん友達ができるわ」
「ヴィヴィ姉様、僕、学院に行って沢山友達作ります。だからお勉強頑張ります!」
私はもう一度ディーの頭を撫でた。本当は頭を抱え込んでグリグリと撫でまわしたかったのだがディーの髪の毛がぐしゃぐしゃになるのでどうにか耐えた。
そしてもう一つ決心をした。
夜会が終わったら、もう少し忙しくなくなったら、絶対にディーを王都の街に連れていこう。
私は九歳までアウフミュラー侯爵家のお屋敷の中で育ったけれど、領地に行ってからはフィル兄様が色々なところに連れていってくれた。
ジークは幼少の頃からお忍びで市井に下りていたらしい。それはアウフミュラーのお父様が教育係としてジークに市井の人々の生活を見せたかったかららしいんだけど。
うん、まずはジークに相談ね、と私は心のメモに書き込んだ。
プレデビューの夜会はいつにも増して盛大だった。
もともとこの夜会は冬の社交界の始まりで出席率は高い。プレデビューする初々しい子たちが挨拶に来る間は王族として壇上で迎える。彼らは春になったら学院に入学するのだ。
いいなあ、もう一度一年から学院を楽しみたいなんて年寄りじみたことを考える。別に王宮生活が辛いわけではないけれど私の根っこは平民のヴィヴィなのかもしれない。自由に友達と馬鹿なことを言い合ったり競い合ったりたまには喧嘩したり女の子同士でお喋りしたり、身分の違いも取っ払って。そんなことが楽しいのだ。おしゃれをしたり宝石を買ったり夜会でダンスを踊ったりするよりも全然楽しい。
でもそんなことは言っていられないのだろう。私は学院を卒業した。もう成人したのだ。これからは公務も始まるだろう。
ふと隣を見た。ジークは私がジークを見つめているのに気が付いてニコリと微笑んだ。
そうね、私にはジークがいる。
もちろんフィル兄様やエル兄様、お父様やレーベッカ、アロイス、リーゼロッテ達、メイドのみんな。
学院の友達とは違うけれどみんな大切な大切な人たちだ。
そしてその彼らとは離れてしまう時が来るかもしれないけれどそれでもジークだけは絶対に傍にいてくれる。いくつになっても何年たってもジークは傍にいてくれる。
ジークの笑顔を見たらなんかすごく安心感が広がった。
プレデビューの令嬢令息が会場を後にした夕暮れ時。
ここからは本当の夜会だ。私は上品なおとなしめのドレスから華やかなドレスに着替える。
ラベンダー色のプリンセスラインのドレスは大きく広がったスカートのドレープの下からふわふわのオーガンジーが覗き腰のあたりに大きなリボンが付いている。縁取りや胸の刺繍は金糸でとても華やかだ。
ジークにエスコートされて陛下やお母様と壇上に姿を現すとわっと歓声が聞こえた。
今回の夜会は戦勝記念パーティーでもある。
昨日から王都はお祭り騒ぎで今日は王都の中心にある噴水広場で民衆に祝い酒も振舞われているそうだ。
国王陛下のお言葉で夜会第二部が始まった。
国王陛下は今回の戦でヴェルヴァルム王国軍が快勝し国の平和が守られたこと、トシュタイン王国が滅び新しくリードヴァルム王国が誕生したこと、その国とは友好な関係を築いていきたいこと、それらに尽力してくれた多くの者たちにお礼を言いたいことなどを話された。特に戦場で命を懸けて戦ってくれた騎士たちをねぎらった。
そして最後の最後に付け加えた。
「最後に今回の夜会は戦勝記念の夜会であるが王族でジークハルトの婚約者でもあるヴィヴィアーネのデビューの夜会でもある。ファーストダンスは彼らに任せたい」
え? 陛下? 聞いてません。え? 何言っちゃってくれてるの?
私はこの夜会が本当のデビューになるけれど戦勝記念の夜会だからこっそり目立たずデビューを終わらせることが出来ると安心していたのだ。
ジークが微笑みながら手を差し出す。
いやいやいやいやいやいや、無理無理無理無理無理。
「大丈夫、僕の手を取って? ヴィヴィ」
あーーー、もう! ジーク足を踏んだらごめんね! 違う! 足を踏むのはお約束だ。踏んだり蹴ったりした挙句に転んだりしたらごめんね、の微笑みを返してジークの手を取った。
何とかやり終えました。ジークの足は踏みませんでした。っていうかジークのダンスがフィル兄様並みになっている!
周りで見ていた人たちは「あれが卒業パーティーで披露された新しいステップか!」と拍手喝采だった。
だから私は普通に踊っているだけなんだって!
後でジークに聞いたら卒業パーティーのフィル兄様とのダンスが悔しくて、この短期間で猛特訓をしたらしい。
「その間じゅうずっとフィリップにヴィヴィの寝顔が天使だ、とか、名物の温泉まんじゅうなるものを頬張ったヴィヴィが可愛かったとか、ずっと自慢されていたのが不愉快極まりなかったけどね」
と眉をひそめながら言っていた。なんか、ごめんなさい。
ダンスが終わって、この後は壁際に下がって何か食べようかと思ったら、王族はそんなことはしないらしい。壇上の席に戻るか挨拶に来る人達と歓談をするかお誘いに応えてダンスを踊るか。
ジークは早々と令嬢に囲まれている。
そして私はダンスに誘われた。
なんとお父様に! お父様、勇者です。
めっちゃ嬉しくてルンルンと踊ってしまった。もちろん踏みましたし、蹴りました。
「あんなに小さかったヴィヴィアーネが立派なレディになったな。......ダンスの腕を除いては」
お父様が目じりに涙を溜めながら、目を細めて笑う。お父様は私が王族とわかってからはずっと宰相として私と接していた。兄様たちは私と距離感が変わらなかったけれどお父様は私を『殿下』として扱った。でも今この時だけは、ダンスを踊り二人しか話が聞こえない距離で『お父様と娘』として話をしてくれた。そのことが嬉しかった。
その後はまたまた酔っ払ったアルブレヒト先生……じゃなかったビュシュケンス侯爵や、フーベルトゥス騎士団長、国王陛下にまでダンスに誘われたけれど、丁重にお断りして(さすがにおじ様たちの足を蹴り続けるわけにいかないし)ダンスのお誘いは全てお母様に代わってもらって歓談して過ごした。
そんなデビューの夜会の次の日、国王陛下に春先にオリヴェルト様がこの国を訪れると告げられた。




