第8話「俺は清掃業者に転職したつもりだった
」
◆ しずく・神代 視点 ◆
足が、震えていた。
しずくは自分の両足を見下ろして、震えているのが自分の意志ではないことに気づいた。
Sランク指定:奈落の迷宮。
国内最高難度のダンジョン。生還率二パーセント。
その中を今、しずくたちは歩いていた。
「全員、最大バフを維持しろ。気を抜くな」
神代が低く指示を出す。
精鋭たちは全員フルバフ状態。攻撃力、防御力、魔法耐性、回避率。出せる強化魔法を全て重ねがけして、それでも顔が青い。
前を歩く湊は、鼻歌を歌っていた。
「……あ、ここカビ生えてますね」
湊が通路の壁を指さした。
黒紫色のもやが壁一面に広がっている。
副ギルドマスターが息を呑んだ。
「あれは……致死性の瘴気です。触れただけでAランクでも即座に——」
湊がモップで壁をひと拭きした。
瘴気が、消えた。
壁が、ぴかぴかになった。
「うわ、けっこう広範囲に広がってたな。奥まで浸透してたら厄介なとこでした」
湊は一人でうんうん頷いている。
精鋭の一人が、しずくの耳元で囁いた。
「……天海さん。あれ、Sランク相当の浄化魔法を今、雑巾がけで……」
「見なかったことにして前向きな気持ちで歩こう」
しずくは笑顔でそう言った。
「あ、ホコリだらけだ」
今度は湊が天井を指さす。
天井から無数の細い糸が垂れ下がっていた。
神代の目が鋭くなった。
「即死トラップだ。あの糸に触れると——」
湊がモップをぐるんと回して、まとめて絡め取った。
ずるずると引っ張り出して、ポイとダストバッグに入れる。
「これ定期的に除去しないと、歩きにくくて仕方ないですよね」
神代が、ゆっくりと目を閉じた。
開いたとき、その目は諦めたような静けさを持っていた。
「……前に進もう」
◆ 影山湊 視点 ◆
中層に差し掛かったとき、前方が騒がしくなった。
通路の奥から、重い足音が響いてくる。
カタカタ、という骨の鳴る音。
「あー」
俺は思わず声が出た。
出てきたのは、骨でできた騎士の群れだった。
全身鎧に身を包んで、錆びた剣を構えて、通路いっぱいに広がっている。
Aランクモンスター、スケルトンナイト。
確か迷宮の中層でたまに湧くやつだ。
後ろから、剣を抜く音がいくつも響いた。
神代たちが武器を構えている。
「待ってください」
俺は手で制した。
神代たちが固まる。
俺はスケルトンナイトの群れを眺めた。
数は……三十体くらいか。
通路に所狭しと並んでいて、足の踏み場もない。
「誰だよ、こんなとこに骨の模型を大量投棄したやつ」
俺は舌打ちした。
「マナー悪すぎだろ。不法投棄じゃないか、これ」
スケルトンナイトの先頭が、剣を振りかぶった。
俺は左手を軽く薙いだ。
三十体が、消えた。
カランという音もなく。叫び声もなく。
通路が、すっと静かになった。
「よし」
俺は振り返った。
神代たちが、全員同じ顔をしていた。
さっきミノタウロスを消したときと、同じ顔だ。
「これで歩きやすくなりましたね」
俺は笑顔で言った。
誰も、しばらく何も言わなかった。
ダンジョンの中層、広めの空間。
もともと何かの巣だったのか、天井が高くて見晴らしがいい。
俺が軽く一掃して、石畳を磨いたら、なかなか居心地のいい場所になった。
神代たちは、そこで初めて肩の力を抜いた。
全員、どっと疲れた顔をしている。
(戦闘もしてないのに、なんでこんなに消耗してるんだろ)
と思ったが、まあ人それぞれ体力の使い方があるんだろう。
神代が俺の前に立った。
いつもの静かな目で、でも少しだけ、普通の人間みたいな表情をしていた。
「影山殿」
「はい」
「単刀直入に聞く」
神代は一息おいた。
「我々の組織に、来ていただけないだろうか」
俺は少し考えた。
(ああ、なるほど)
(この人、清掃業者の社長さんか何かなんだな)
(俺の掃除の手際を見て、スカウトしてくれたんだ)
(確かに今日の俺、結構テキパキ動けてたしな)
「あなたの力が必要だ」
神代が続ける。
「破格の待遇を用意する。あなたにとって不満のない環境を、全力で整える」
しずくが隣で、なぜか目を潤ませながら頷いていた。
俺はポリポリと頭を掻いた。
「ちょうどクビになったばかりで無職なんで、ありがたいです」
神代の目が、かすかに揺れた。
「俺でよければ」
俺は続けた。
「お宅の掃除、全部引き受けますよ」
空気が、ふわっと止まった。
しずくが口元を押さえた。
目から、涙が一粒こぼれた。
神代が、ゆっくりと右手を差し出した。
その目が、俺が今まで見たことのない種類の光を持っていた。
「……よろしく頼む、影山殿」
俺はその手を、両手で握った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
握手をした。
しずくが後ろで嗚咽を漏らしている。
精鋭たちが全員、目を赤くしている。
(清掃の仕事って、そんなに感動されるもんだったか)
俺は少し不思議に思いながら、でも悪い気はしなかった。
新しい職場だ。
次もブラックじゃなきゃいいな、と俺は思った。




