第9話「新しい職場は、清掃会社にしては豪華すぎた」
◆ 影山湊 視点 ◆
でかい。
俺は都心の一等地に建つ超高層ビルを見上げて、純粋にそう思った。
ガラス張りの外壁が朝の光を反射して、目がくらむくらい輝いている。
入口には制服姿の警備員が二人。自動ドアの向こうには広大なロビー。
上を見上げると、何階あるかわからない。
「ええと……」
俺は昨日渡されたメモを見た。
住所は合っている。
「……清掃会社って、こんな儲かるの?」
思わず声に出た。
前の職場、クリーンハンターのボロいビルとは格が違いすぎる。
俺はいつもの作業着を見下ろした。
会社のロゴが入っていたところは、昨夜ガムテープで隠した。
一応、一番きれいなやつを着てきた。でも汚れが完全には落ちていないし、肩のところが少しほつれている。
まあ、清掃の仕事なんだから作業着でいいだろう。
俺は意を決して自動ドアをくぐった。
ロビーに入った瞬間、受付の女性がこちらを見た。
笑顔が、一瞬止まった。
周囲のエリート然とした探索者たちも、チラチラとこちらを見ている。
(まあそうだよな。場違いなのはわかってる)
「あの、今日からお世話になる影山と申します。神代さんに呼んでいただいて……」
受付の女性が「少々お待ちください」と言って内線を取った。
その顔が、みるみる変わった。
「か、影山様……! 少々お待ちいただけますでしょうか……!」
様、がついた。
清掃員に、様がついた。
俺が戸惑っていると、エレベーターが開いた。
神代としずくが、直接出てきた。
ロビーが、静まり返った。
「来てくれたか、影山殿」
神代が俺の前に立って、軽く頭を下げた。
ロビーにいた全員が、俺を見た。
「あ、はい。お世話になります。影山です」
俺はぺこりと頭を下げた。
しずくが「おはようございます……! 来てくれて本当によかった……!」と言いながら、なぜかうっすら目を赤くしている。
周囲のざわめきが、さらに大きくなった。
「……神代ギルドマスターが直接出迎えに」「あの清掃員の人、何者?」「様付けで呼ばれてた」
俺は(早く仕事の説明してもらおう)と思いながら、二人についていった。
最上階のVIPルームに通された。
壁一面の窓から、都心が一望できる。
床は磨き上げられた大理石。テーブルは木目が美しい無垢材。
ソファが、ふかふかだった。
「どうぞ」と言われて座ったら、体が沈んだ。
沈んだまま、戻ってこない。
「……すごい」
俺は素直に感動した。
前の休憩室の椅子は、足が一本ガタついていた。
スタッフが静かにお茶を置いていった。
口に含んだら、甘くて香ばしくて、今まで飲んだことのない味がした。
「前の……ブラック企業と、待遇が違いすぎる……」
「ん?」としずくが言った。
「いえ、なんでもないです。おいしいお茶ですね」
神代が、テーブルに書類を置いた。
「まず契約書を確認してほしい」
俺は受け取って、開いた。
給与の欄に目が止まった。
数字を読んだ。
読み直した。
もう一回読んだ。
「……これ、年収ですよね?」
「月給だ」
「ごふっ」
むせた。
お茶が気管に入った。
神代が「足りなければすぐに上げる」と真顔で言った。
「た、足ります。十分すぎるほど足ります」
俺は涙目になりながら契約書にサインした。
続いて、神代がもう一枚の書類を渡してきた。
A4用紙に、リストが並んでいる。
場所の名前と、その横に危険度を示す記号。
『Aランク厄災指定:腐敗の森林地帯』
『Sランク厄災指定:魔王の遺跡』
『Sランク厄災指定:死霊の廃都』
「これは今、我々が対処を求められている案件のリストだ」
神代が言った。
「いずれも国が匙を投げた、困難な……」
「なるほど」
俺はリストを眺めた。
(清掃ルートのマップか)
(備考欄を見ると、それぞれ被害報告が出てる。住民のクレームが多いんだろう)
(やっぱり大手の清掃会社は管轄範囲が広いな)
「ここら辺が特に、ゴミが溜まってクレームが来てるんですね」
「……ゴミ」
神代が微妙な顔をした。
「わかりました」
俺はリストを指でなぞった。
一番上から読んでいって、一番ひどそうなやつを探す。
記号の数と、備考欄のクレーム内容で判断すると。
「じゃあ一番汚そうな、この『死霊の廃都』からサクッと片付けてきます」
神代の動きが、止まった。
しずくが、固まった。
「一番危険な指定を、初日に……」
「まあ一番ひどいやつから片付けた方が気持ちいいじゃないですか。後回しにすると、なんか引きずるんで」
俺は立ち上がって、作業着の袖をまくった。
「初日から張り切りすぎですかね?」
神代が立ち上がった。
その目が、いつもの静かな光を持っていた。
でも今日は、それに何か別のものが混じっていた。
「……我々のために、自ら最前線へ」
低く、押し殺した声だった。
しずくが口元を手で覆った。
目が赤くなっている。
また泣いている。
(この会社の人たち、涙腺が緩いな)
俺は内心そう思いながら、荷物を持って立ち上がった。
「行ってきます。夕方には終わると思うんで」
「武運を」
神代が深々と頭を下げた。
「いや、清掃なんで武運は……」
「武運を」
もう一度、静かに言われた。
「……はい。いってきます」
俺は最上階を後にした。
エレベーターの中で、ふと思った。
前の会社では「さっさと行けよ底辺」と言われながら出発していた。
(いい会社に転職できた)
扉が開いて、俺はビルの外に出た。
今日も秋晴れだった。




