第48話「粘液のドロロと、剥離剤の正しい使い方」
---
> **腐敗の塔、一階。**
> **そこは地獄だった。**
> **だが、清掃員にとっては。**
> **ただの、現場だった。**
---
**◆ 粘液のドロロ 視点 ◆**
「来た」
ドロロは、粘液の海の中心で待っていた。
床一面が、自分の粘液で覆われていた。
誇らしかった。
数百年かけて分泌してきた、魂溶解の猛毒粘液だ。
触れた瞬間に装備が溶け、一分以内に魂が融解する。
「この階を突破した者は、過去に一人もいない」
ドロロは嗤った。
扉が、開いた。
光が、差し込んだ。
人が、入ってきた。
作業着の男だった。
黄色いヘルメットを被っていた。
後ろに、五十人以上が続いていた。
全員、黄色いヘルメット。
男が、床を見た。
「うわ」
声が出た。
「ヌメリがひどいな」
「ヌメリ……」
ドロロの粘液が、揺れた。
「これは私の魂溶解粘液だ!! 触れた瞬間に——」
「剥離剤が必要ですね」
男が、カバンを開けた。
「ちょっと待て!!」
---
**◆ 湊の現場入り(実作業) 視点 ◆**
床が、ひどかった。
一面が、黒いヌメリで覆われていた。
厚みが、二十センチ以上はある。
においも、強烈だった。
でも、わかった。
「これは有機系のヌメリだ。アルカリが効く」
「消去する」
隣で、ハクが手を上げた。
「待ってください」
俺は止めた。
「床を消したら、上の階を支える構造が弱くなる」
「しかし——」
「建物の荷重計算を無視して床を除去したら、崩落リスクがある。特に高さ八万メートルの構造物では致命的です」
ハクが、止まった。
「……続けろ」
「剥離剤で十分です」
俺はカバンから、特注の洗浄液を取り出した。
強アルカリ・有機物剥離洗浄液。
ホームセンターでは売っていないやつだ。
科学者のドクター・ライトに特注で作ってもらった。
「これを床全体に散布します」
俺はノズルを上に向けた。
「キュウちゃん、上のスプリンクラーを開けてくれ」
「きゅう!」
キュウちゃんが飛んでいった。
天井のスプリンクラーのバルブを、前足でひねった。
洗浄液が、シャワーのように降り注いだ。
「今だ! ザルディウス!」
「はい!!」
ザルディウスが駆け出した。
デッキブラシを持っていた。
白い鎧に、黄色いヘルメット。
腕章が揺れた。
「右から磨け! 端から順番に!」
「御意!!」
元魔王が、デッキブラシを動かした。
ヌメリが、浮き上がった。
「グレイン、バケツリレー開始!」
「了解!!」
グレインが合図した。
後ろに並んだ神々とアレスが、バケツを手渡し始めた。
「アテナさん、排水口の位置を確認して誘導してください」
「わかった」
アテナが、床の傾斜を読んだ。
「排水は南東の角に集まる。そちらに向かって掃き出せ」
「聞いたか! 南東に向けて押し出せ!!」
蓮が叫んだ。
桐生と成瀬が、モップを横薙ぎに動かした。
ヌメリが、南東の角に集まっていった。
「そこ、角に汚れが溜まってる! ブラシで掻き出せ!」
「はい師匠!!」
成瀬が、角に飛び込んだ。
デッキブラシを縦に当てて、掻き出した。
「ハクさん」
俺はハクを呼んだ。
「何だ」
「浮き上がったヌメリを、上から乾燥させてもらえますか。滅菌光線を、汚れに当たらない角度で——」
「わかった」
ハクが、天井に向けて光を当てた。
空気が乾いた。
ヌメリの水分が飛んだ。
固まり始めたヌメリが、ポロポロと剥がれた。
「よし、全員デッキブラシ!」
「「「おおっ!!」」」
全員が、一斉に動いた。
左から右へ。
端から中央へ。
中央から排水口へ。
ヌメリが、みるみる剥がれた。
「そこ、踏まないで! 今拭いたとこ!」
「すみません!!」
「角が残ってる! もう一回!」
「はい!!」
「キュウちゃん、仕上げの水!」
「きゅう!!」
キュウちゃんが、浄化の水を床全体に吹き付けた。
最後の汚れが、流れ落ちた。
---
**◆ ハクの驚愕 視点 ◆**
ハクは、手を止めていた。
見ていた。
五十人が、一つの動きをしていた。
誰も、余計な動きをしていなかった。
全員が、役割を持っていた。
指示が、的確だった。
無駄がなかった。
「右から磨け」
一言で、全員が右から動いた。
「角に汚れが溜まってる」
一言で、必要な人間が角に飛んだ。
「南東に向けて押し出せ」
一言で、全体の動線が変わった。
ハクは、自分の手を見た。
滅菌光線。
自分一人で全部を消去する、絶対の力。
でも。
「……これは」
ハクは呟いた。
「私の消去より、速い」
一人の力ではなかった。
五十人の力だった。
でも、ただ人数が多いわけでもなかった。
「現場監督だ」
ハクは気づいた。
誰が何をすべきかを、瞬時に判断して、指示している。
全員の力を、最大限に引き出している。
「ハクさん、そこ乾燥お願いします」
影山湊の声がした。
「……わかった」
ハクは光を当てた。
自分が、チームの一部になっていた。
それが、不思議と。
悪くなかった。
---
床が、輝いていた。
鏡面仕上げだった。
自分の顔が映るほどだった。
「ぴ、ぴかぴか……」
ドロロの声が、した。
粘液の海だったはずの床に、ドロロが浮いていた。
自分の粘液が、消えていた。
「わ……私の粘液が……」
「全部落ちましたよ」
影山湊が、モップを肩に担いで言った。
「き、キュッキュッと音が……輝いている……」
「鏡面仕上げなので」
「私は……数百年かけて分泌した……この粘液が……アイデンティティだったのに……」
「それは大変でしたね」
「大変だったのに……床が……床が綺麗すぎて……」
ドロロが、自分の粘液が消えた床を見た。
見た。
見続けた。
「……きれい」
小さな声だった。
「……こんなに、きれいな床を、私は汚していたのか」
「そうです」
「……申し訳なかった」
「反省してもらえれば」
ドロロが、静かに消えた。
アイデンティティを失った存在は、あっけなかった。
全員が、床を見た。
輝いていた。
「よし」
湊が言った。
「一階、完了です。次に行きます」
「次って」
蓮が、上を見た。
「何階まであるんですか、ここ」
「確認してませんでした」
湊が、スマホで検索した。
「……不明、らしいです」
「不明」
「とにかく上に行けばわかります。エレベーターは?」
「故障中です」
「では階段で」
湊が、階段に向かった。
全員が、ため息をついた。
「高さ八万メートルを、階段で」
「師匠は平然としてるな……」
「神々でさえ、少し膝が震えてる」
アレスが、階段を見上げた。
「戦いよりきつそうだ、これは」
「体力よりも、根気が大事な案件です」
アテナが、靴紐を結び直した。
「行くか」
「行くか」
全員が、階段に向かった。
しずくのカメラが、輝く床を映していた。
コメント欄が流れていた。
『一階が鏡面仕上げになってる』
『粘液将軍が清潔さにアイデンティティを失って消滅した』
『バケツリレーしてる神々が好きすぎる』
『ハクが少しずつ馴染んでいくの、熱い』
階段が、上に続いていた。
どこまでも、上に。
---
**◆ 現場報告書 ◆**
```
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
影山工務店 現場報告書 #002
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【案件名】
ラスト・ジグラット 一階フロア清掃
【作業時間】
四十七分(予定より十三分短縮)
【使用薬剤・道具】
・強アルカリ剥離洗浄液(特注) 全量使用
・デッキブラシ :二十三本
・バケツ :十七個
・モップ :八本
・ミスリルモップ :一本(湊専用)
・ハクさんの滅菌光線 :乾燥工程に活用
【作業結果】
一階フロア全域、鏡面仕上げ完了。
有機系粘液汚れ、完全除去。
排水口の詰まりも同時に解消。
【問題点・改善事項】
・角の清掃に時間がかかった(要訓練)
・ハクさんへの指示出しが難しい
(プライドが高いため、言い方に気を遣う)
・エレベーター故障中につき全員徒歩
(足腰の強化を推奨)
【次フロアへの懸念】
上階の状況は不明。
敵の種類も不明。
汚れの種類も不明。
まあ、行けばわかります。
【一言】
チームワークは道具と同じです。
使い方を覚えると、仕事が早くなる。
全員よく動いてくれました。
ハクさんも。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
影山湊 (印)
キュウちゃん(肉球)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
```
*次話へつづく*
第48話あとがき:影山湊の「清掃日誌」
## 影山湊の現場報告書
【今日の汚れ度:★★★★☆(ヌメリ成分が強固でした)】
1階のドロロさん、数百年分の粘液を溜め込んでいたみたいですが、剥離剤を投入したら意外と素直に落ちてくれました。汚れも溜め込みすぎると、逆に一気に剥がれる「限界点」があるんですよね。
【職人の一言】
「ヌメリ汚れにはアルカリ性。これは宇宙の真理です。無理に削り落とそうとせず、化学反応を待つのがプロの余裕というものです」
【近況報告】
現場(塔)がデカすぎて、最近は移動中にスマホで『ドリブラーキーパー』のネームをチェックする暇もありません。でも、バケツリレーをする神々の筋肉の動きを見ていたら、サッカー選手の躍動感を描く新しいヒントを掴んだ気がします。清掃とスポーツ、意外と親和性が高いです。
【次回予告】
次の現場は「中層階:錆びついた鏡の間」。
「自分の顔が見えない鏡なんて、鏡としての機能を放棄してますよ」
次回、第49話「鏡の中の偽者と、クエン酸の輝き」でお会いしましょう。
皆さんの【★★★★★】評価が、階段を登る私たちの膝の支えになります!




