それ今気付く?
目的の場所に向かう辻馬車の中で、信じられない噂が聞こえて来た。
「そういや、王妃さまが離縁されて隣国に戻されたらしい」
狭くて臭くて、振動でお尻が痛くなるような粗末な馬車の中で耳に入ったそんな噂は、わたしの想像を遥かに超えるもので、わたしの頭には混乱しか生まれなかった。
だって、王妃さまは主人公の最大の味方で、それから、悪役のクロエリーシャからわたしを守ってくれる人だったのに。
まだ会ったことなかったけど、王子と一緒に居るわたしをひと目で気に入って、すごく優しくしてくれるはずだったのに。
「そうなのか?」
「詳しくは分からんが、離縁されるくらいなんだから、国にとって害ある事をしてたんだろうねぇ」
そんなはずない。そんな訳がない。
だって、小説では本当に優しい人で、小さな虫さえ殺さないで逃がすような、そんな人だったのに。
聖母みたいな落ち着く笑顔の、心の綺麗な人だって王子も言ってたのに。
「だろうなぁ、いくら王妃でもやっちゃいけない事やっちゃったらダメだよなぁ」
「そうだよなぁ」
どうしてそんな事になっているの?
お城では一体何が起きてしまったの?
「そういや、聞いたかい? 公爵家のお嬢様、悪女に王子を取られてからずっと療養してるらしい」
「可哀想にねぇ、王子も王子だよ、悪女なんかに騙されちまって」
どうしてそういう話になるの?
悪女はあの人の方なのよ、王子もわたしも陥れられたのに。
ぎりぎりと奥歯から音がして、ふと、歯を噛み締めてしまったのだと自覚した。
ダメだわ、笑顔でいなきゃ。わたしは皆の主人公なんだから。
ぐいぐいと両手で頬を持ち上げて笑顔を作る。
隣の人が変な人を見るみたいな目を向けてきたけど、愛想笑いの練習だと言えば笑ってくれた。
だけどそのせいで見えた歯が黄色くて汚くて、眉間に皺が寄ってしまったけど、頑張って誤魔化した。
なんだか臭いと思ってたけど、隣の人だったのね。
どうしてこんなにも汚い匂いがするのかしら。
吐き気がするわ。
だけどわたしは主人公だから頑張って耐えるの。
あの女が変な演技をしなければ物語は完璧だったのに、本当にいらないことしかしないのね。
なんでわたしがこんな臭い馬車に乗らなきゃいけないのよ。
あぁ、そうよ、きっと王妃さまのことも全部あの女の仕業に違いないわ。
お可哀想な王妃さま、ありもしない濡れ衣をたくさん着せられて国外に追放されてしまったのね。
だって漫画でも主人公を殺そうとすらしてくるような悪女だもの、そのくらいのこと簡単に出来てしまうのだわ。
でも、隣国なら好都合ね。
わたしは今から、隣国へ向かうのだから。
どうにかして、王妃さまを救ってあげなきゃ。
だってわたしは主人公なんだから!
* * * * * *
さて、あれからどうなったかと言うと、まずリィーンさんはご両親からこってりみっちりげっそり絞られ、礼儀作法を改めて叩き込まれるらしい。
……まあ、最近結構そのへんが雑だったから仕方ない気はする。
現代日本から来た俺からすれば、敬語で喋ってくれるだけマシだと思ってたけど、こっちじゃそうはいかないから仕方ないね。
それから、奥様にはクロのドレスの新しいデザインを任せる事になった。
ご当主さまは、色々な書類とかを用意する為に奔走してくれている。
俺はというと、一回実家に帰らなきゃいけなくなったので、その準備だ。
腰? 腰は回復魔法とかその他色々使って無理矢理治しました。
だってクロを抱っこ出来ないもん。
それもこれも全部、ひとつの事に向けての前準備である。
そうだよ、なんか知らんけど俺とクロとの婚約の為の準備だよ!
ごめんちょっと何言ってるか分からない?
俺だって分かんねぇよなんでこうなってんの?
確かに大歓迎だよ?
心からひゃっほぉいと盛大に大声出してはしゃぎ回れるくらいには嬉しいよ!?
でもさ! こんなトントン拍子に色々進んだら混乱しない!?
俺はするよ!! そうだよ嬉しい悲鳴ってやつだよ!!
生まれてこのかた婚約者なんぞ出来た事無かった俺が、とうとう将来的に所帯持ち決定だよ。
いや、でもね、もしクロに好きな人が出来たらちゃんと婚約破棄………………………………出来る気がしねぇええええ!!
だってめっちゃ可愛いもんクロ。
ホントにめちゃくちゃ可愛いもん。
前世と同じ金色の瞳とか、ぴよぴよ跳ねた癖毛とか、感情豊かな表情とか、好きにならない訳が……あれ、ちょっと待て。
俺は、前世と今世、どっちのクロの話をしていた?
………………えっと、もしかして俺、今のクロを好きになってる?
でも、それって、あの子の前世がクロだから好きなのか、それとも、中身がクロだから好きなのか。
これがハッキリしないと、この愛情がどういう物なのか分からない。
待て待て、俺は一体、───────
コンコンというノックの音に、ハッとした。
『リクドウイン様、そろそろお時間でございます』
次いで聞こえて来た使用人の声に、思考の渦から引き上げられたばかりの頭が一瞬バグりそうになったけど、それでも状況を理解する。
ちゃんと考えなきゃいけない事だけど、どうやら今はそれをさせて貰えないらしい。
「はい、今参ります」
これはとても重要な事だから、移動中にも考える事にしよう。
そう決意して、鞄の取っ手を掴む。
そんなに重さを感じないそれを持ち上げて、姿勢を正した。
ぐっと拳を握り締めるように取っ手を握りながら、使用人の待つ廊下への扉を開けたのだった。
続きが浮かぶまで、いつ再開するかは分かりませんが一旦完結扱いとさせて頂きます。
元気の源になりますので、評価、ブクマもし良かったらお願いします。
また次回に会えますように。




