第四話:悪意とのエンカウント
――最初の夜が明けた。
薄い朝霧が海面を這う。 焚き火は、もう白い灰になっていた。
――ピ。
右腕が震える。
《脱落者:3》
《未確定:253》
雨宮が息を呑む。 「……え。」
遠野は端末を見る。
「……脱落者が出たのか。」
声に驚きは無い。
雨宮は画面を見つめたまま、 小さく唇を震わせる。
「これって……。」
“死んだ”ってことですか。
その言葉を、 最後まで口にできない。
遠野は少しだけ考えて、 海を見る。
「船でも来たんじゃないか。」
「……え?」
「帰ったとか。」
あまりにも普通の発想だった。
「……水、確保しに行くか。」
「……え?」
「足りないだろう。これだけじゃ。」
彼にとっては自然な流れだった。
遠野は灰を崩しながら、 残っていた炭を足で均した。 湿った朝の空気が、まだ少し冷たい。
「雨降る前に見つけたいな。」
独り言みたいに呟く。
雨宮は返事をしない。
まだ端末の表示が頭から離れなかった。
《脱落者:3》
その数字だけが、 現実感を持たないまま残っている。
遠野は空になったペットボトルを持ち上げる。 軽い。
「川か、湧き水があれば助かるんだが。」
まるでキャンプの続きみたいな口調だった。
雨宮はその横顔を見る。 この人は、 本当に分かっていないのだろうか。
それとも――
考えかけて、やめた。
「……行きます。」
遠野は「ああ。」とだけ返した。――
――島の面積は、かなり広いのだろう。
PDAの情報が正しいのだとすれば、250人以上の参加者が居るはずだが、出会った人数は僅かだ。
森林地帯を抜け、山を登る。
「川があるとしたら、こっちだろう。」
薄い霧が森の中に沈んでいた。
湿った土を踏む音だけが続く。
鳥の声は少ない。風が枝を揺らすたび、葉擦れが頭上でざわついた。
遠野は立ち止まり、地面を見る。
「……水が流れた跡がある。」
斜面に残る浅い筋。昨夜の雨ではない。もっと継続的な湿り気。
「近いな。」
雨宮は返事をしない。周囲を何度も見回していた。
誰かがいる気がした。
だが、気配はない。
静かすぎた。
その静けさに、別の“音”が割り込んだ。
「おわぁあああ!!なんじゃこれ!!カメラカメラ!!」
昨日聞いたばかりの、耳に残る声。
雨宮の肩が跳ねる。
「……っ」
嫌な予感が、先に輪郭を持つ。
草を掻き分けた先。
霧が薄く沈んでいた。
木々の間に光は届いているのに、地面だけが遠い。
踏み込んだ瞬間だけ、空気の密度が変わる。
そこに、空間が“抜け落ちている”ようだった。
倒木も岩も枝もあるはずなのに、
中心だけが不自然に空いている。
その空白の中に、それはあった。
一瞬、何かの設置物かと思う。
あるいは、誰かが意図して置いたもののようにも見える。
だが次の瞬間、それが“人の形”だと理解する。
理解してからも、現実感は遅れている。
崩れているのに、乱れていない。
壊れているのに、散らかっていない。
森の中の一点だけが、妙に静かに収束していた。
雨宮の喉がひきつる。
「……え……?」
声にならない。
視線だけが離れない。
怖さより先に、
なぜか“構造”が見えてしまう。
そこだけ切り取れば、
何かの儀式のようにも見えた。
遅れて、現実が追いついてくる。
「……これ……。」
言葉が崩れる。
その横で遠野が足を止める。
一度だけ全体を見る。
森。空白。中心。
わずかに間。
「……生け花か?」
誰に向けたわけでもない声。
評価でも断定でもない。
ただ“そう見えた形”を口に出しただけの音。
雨宮が息を呑む。
「ちが……っ、これ、人……!」
遠野はもう見ていない。
視線は森の奥へ戻っている。
「そうか」
白い衣服は、赤に染まっていた。
倒れているというより、そこに“置かれている”ような印象。
軸は崩れていない。
むしろ、意図的に整えられているようにも見える。
口元から伸びたままの自撮り棒だけが、
この空間に不釣り合いな直線を引いていた。
まるで、生け花だった。
「……え?」
チャンの声が一段だけ落ちる。
さっきまでの騒がしさが、わずかに遅れて追いつかない。
カメラを構えたまま、フレームの中を覗き込む。
「……これ、ミレイじゃねぇか?」
言葉にした瞬間、空気が少しだけ重くなる。
確認ではない。確信でもない。
“そう見えてしまったもの”を、形にしてしまっただけの声。
チャンの指がわずかに止まる。
その“言葉“に反応したのは、雨宮だった。
「……ミレイ?」
小さく、反射みたいに漏れる。
名前だけが先に落ちてきて、意味が遅れて追いかける。
雨宮の視線が、そこで初めて“それ”を正面から捉える。
雨宮は動けない。
視線だけがそこに固定されている。
「……嘘……。」
チャンはカメラを構えたまま、数歩だけ近づく。
「いや、マジかよ……。」
遠野は少し離れた位置で、森の奥を見ている。
視線は“それ”ではなく、そのさらに向こう側にある。
「……ここ、風が変だな。」
誰も“死体”の話をしていない。
しているのに、触れていない。
気配は、あった。
その“人工物”を見下ろすような位置。
まるで、見られることを前提にした場所。
雨宮とチャンが、“作品”に視線を奪われている間も、
遠野だけはそこにいない。
少しだけ間が空く。
遠野が、ようやく口を開く。
「……これ、お前のか?」
見ていないから、見えたのか。
或いは、それが正常な反応なのか。
遠野は、その“奥”を見ていた。
人ではなく、意図のほうを。
そこに、男がいた。
不敵な笑みを浮かべ、岩場に腰掛けている。
高級品だと一目でわかるスーツ。
無人島には不釣り合いな革靴。
袖口だけが、赤黒く染まっていた。
まるで、それすらも“演出の一部”のように見える。
男はグラスを傾けていた。
この場所には存在しないはずの、赤い液体。
視線がこちらに向く。
「その女はね……。」
少しだけ楽しげな声だった。
「私の商品を、粗悪品だと言ったんだ。」
間。
「だから、直したんだ。」
グラスがわずかに揺れる。
「どうだい? 前より“綺麗”だろう?」
その場の誰もが知る顔だった。
真っ先に反応したのはチャンだった。
「……藤堂……誠司……?」
一瞬だけ間が空く。
次の瞬間、声の質が変わる。
「社長じゃん……え、マジで?」
恐怖ではない。
混乱でもない。
むしろ、見つけてしまった“ネタ”に近い反応だった。
チャンの目がわずかに輝く。
さっきまでの死体への反応とは、明らかに別の熱。
“ミレイ”だけでは終わらない。
さらに上位の獲物を引き当てたような視線だった。
「俺だよ!!」
一歩踏み出す。
「狂犬チャン!!」
声は大きいのに、どこか軽い。
「前にさ、アポなしで突撃したら逃げたじゃん!?覚えてる!?あれ俺!!」
笑っている。
怒っているわけでもなく、恐れているわけでもない。
ただ、“繋がり”を確保しにいっているだけの動きだった。
「ねぇ社長!!コラボしようぜ!!」
乾いた風が吹く。
「……良いだろう。配信開始だ。」
藤堂が脇に置いていた、ブッシュナイフを手に立ち上がった。――
――観測記録:対象A
――及び:対象B
――状態:対象Bの緊張上昇を確認
――環境異常への反応:対象A 変化なし
――補足:高リスク個体との接触を確認
――観測継続




