第8話:神速(しんそく)
エルクの廃聖堂には、不穏な静寂が満ちていた。
祭壇の前に跪く異形たちの先頭には、教祖ナヤーが冷徹な眼差しで立っている。
「……バットも敗れたか。だが、奴が皇都に撒き散らした恐怖の残滓は、確実に我が主の糧となった。最低限の仕事は果たしたと言えよう」
ナヤーが杖を突くと、床の影が揺らめいた。
「しかし、あの漆黒の仮面……。奴はもはや、我らの大願を脅かす明確な『敵』だ。もはや偶然の乱入などとは言わせぬ」
その時、一人の異形が音もなく前に進み出た。
豹の頭部を模した滑らかな皮膚と、しなやかな四肢を持つ怪人——豹魔人パンサー。
「ナヤー様、次は私が行きましょう。バットやスパイダーが遅れを取ったのは、奴を『捉える』ことができなかったからに過ぎません。私の速度からは、何者も逃げられない」
「行け、パンサー。その駿足で皇都を切り刻み、人々の魂を絶望の泥濘に沈めてこい」
場面は変わり、皇都を円状に結ぶ高速道路「キャピタル・ルート」。
物流の動脈であるそこは、今日も昼下がりの激しい渋滞に見舞われていた。
「おいおい、また事故かよ……。これじゃ納品に間に合わねえぞ」
長距離トラックの運転手が、ハンドルを叩いて悪態をつく。その時だった。
ドォォォォォォォン!!
二車線のちょうど真ん中から、目に見えない「風の暴力」が吹き抜けた。
衝撃波——ソニックブームが、渋滞で停止していた乗用車を紙屑のように薙ぎ倒し、トラックのコンテナをひしゃげさせる。
「うわあああ! なんだ、何が起きた!?」
窓ガラスが粉砕され、悲鳴を上げて車から這い出す人々。だが、彼らが目撃したのは犯人の姿ではなく、ただ遥か先へと続く「アスファルトの亀裂」だけだった。
皇都警察、集中通報管制室。
「——こちら110番。……はい、高速道路3号線で爆発!? いえ、車が次々と吹き飛ばされていると!?」
「5号線からも同様の通報! 被害車両、すでに100を超えました!」
ひっきりなしに鳴り響く電話の音。モニターを確認した通信員が顔を強張らせる。
「……ターゲットの移動速度、計測不能! 局地的な旋風を伴いながら移動中! これは通常のテロではありません……超常事象と認定します!」
「対策室へ繋げ! 直ちに当該区間を全面封鎖! 特対部隊の出動を要請しろ!」
その「正体」——豹魔人パンサーは、防音壁を蹴り、時速数百キロの世界で高笑いを上げていた。
「ハハハッ! 遅い、遅すぎるぞ! 止まっているのと変わらん!」
彼が走り抜けるたび、後に残るのは衝撃波によって破壊された鉄クズと、人々の絶望だけだった。
一方、その頃。
喫茶店『アミティエ』は定休日。一条雄介は自分の部屋で、古びたソファに身を沈めてテレビを観ていた。
『緊急ニュースです。現在、皇都高速道路において正体不明の爆発移動事象が発生中。被害は拡大しており、警察は厳戒態勢を……』
ヘリからの生中継映像に、一瞬だけ「何かが走った跡」が映る。
雄介の目が、鋭く細められた。
「……始まったか」
彼は迷いなく部屋を飛び出す。
階段を駆け下り、ガレージに鎮座する漆黒のバイクに飛び乗った。
「定休日返上だ。……行くぞ」
八咫の鏡が、主人の闘志に呼応するように、コートのポケットの中で静かに、そして熱く拍動を始めた。




