9 エレナの願い
「私が……魔女?」
声が掠れる。ちゃんと話さなければと思うのに、これ以上言葉が出てこない。
「待て、エレナ。まだそうと決まったわけじゃない」
「でも、そうだわ……私が触れると花も枯れていたの。どうしてだろうってずっと思ってた。人間だけじゃないの、動物も虫も、私には何も近づこうとしなかったの。それは私が魔女だったからなのね……?」
エレナの手は震え、その震えが身体に伝わっていく。ゾクゾクと寒気が襲い恐怖で叫び出しそうで、思わず口を押さえた。
「エレナ!」
ウィルが突然エレナを抱きしめた。背の高いウィルの胸の中にすっぽりと入ってしまう華奢なエレナの身体。ウィルの体温に触れ心臓の鼓動が聞こえてエレナは次第に落ち着き、身体に温度が戻ってきたように感じた。
「早まるな。魔女はリアナのほうかもしれないんだ。だから落ち着け。俺たちと一緒に考えよう。今後どうすればいいか」
「一緒に……いていいの……?」
「当たり前だ。俺たちは仲間だろう?」
ウィルの優しい声にエレナの涙腺は崩壊し、彼の胸にしがみついてシャツを濡らすほど泣いた。
イネスはやれやれ、と肩をすくめ微笑んで二、三歩下がり、口笛を吹いた。小さなツバメが現れ、空に向かって消えていく。
「エミリオも呼びますね」
「そうだな。もう合流した方がいいだろう」
やがてエレナの涙がおさまって、ヒックとしゃくり上げる程度になった時、転移陣から風が舞い一人の青年が現れた。
「エミリオ。無事だったか」
「はい。ツバメが魅了にやられてしまい、連絡ができなくて困っておりました。ちょうど王都の外へ出たところでイネスのツバメが来てくれて助かりました」
ウィルの腕の中で半ベソをかいていたエレナはしゃくり上げながら尋ねる。
「……この方は……?」
「もう一人の側近、エミリオだ。歳は十七、エレナの一つ上だな」
「エレナです。よろしくお願いします……」
初対面の人に恥ずかしいところを見られたエレナはようやくウィルから離れ、シャツの腕で涙を拭った。
「確かにリアナ・ディアスと瓜二つですね、双子だから当たり前ではありますが。ただ……醸し出す雰囲気が違う」
「リアナはどんな雰囲気なんだ?」
「暗く禍々しいものを感じました。バルコニーにいる姿を遠くから見ただけですが」
「エレナはどうだ? 何か感じるか」
エミリオはじっとエレナを見つめた。茶色の瞳が一瞬透明度を増し、琥珀のように透き通って見えた。
「いえ。何も感じません」
「そうか……エレナ、エミリオは人ならぬモノを見分ける目を持っている。霊や妖、怨念などをな。そのエミリオがエレナから何も感じないと言っているんだ。安心しろ」
「本当ですか……?」
「ええ。今は何も感じません」
「では話を進めよう。エレナ、双子の姉リアナについて教えてくれるか」
「リアナは私と同じ顔だけど髪は蜂蜜のように輝く金髪で、側にいると誰もが愛さずにはいられない。とても魅力のある女の子よ」
「性格はどうなんだ?」
「いつもにこにこしていて、怒るのを見たことがないわ」
「普通の人間のように、好きなものや嫌いなものはあるか」
そこでエレナは少し考えた。リアナが何かを好きだと言ったことってあっただろうか? 妹であるエレナのことにも当然興味を持っていなかったが、実は何に対しても無関心ではなかったか。
「あっ、でもクルス王太子様のことは一目で恋に落ちたと言ってたわ。だから、そういう感情はあると思うんだけど……」
その時、エレナの脳裏にあの晩のリアナが浮かんだ。暗闇に浮かぶぼんやりとした姿、仮面のような顔。
「どうした、エレナ。急に思い詰めた顔をして」
心配そうなウィルの言葉にハッとするエレナ。
「……実は、誕生日の夜に私、リアナに殺されかけたの」
「何だって? 本当か」
「あまりに非現実的で、夢だったと思うようにしていたんだけど……あれは現実だわ。真夜中にリアナが私の部屋に来て、首をグッと締めつけてきたの。何の感情もないような無表情で。苦しくて声が出なくて、やめて! って思ったら後ろに飛んで下がって、そのまま部屋を出て行ったのよ」
そこまで話すと、ウィルが真剣な顔をしていることに気づいた。
「エレナ。エレナが御者に襲われた時があっただろう? あの時も、エレナはやめて、と思っていたか」
「え? ええ、もちろん。怖かったしやめて欲しかったから」
「さっきの兵士たちにもやめて、と叫んでいたな」
頷くエレナ。何だろう、と不安を覚えた。
「実はあの御者を馬車の外に弾き出したのは俺ではない」
「えっ。じゃあイネス?」
「イネスでもない。俺が到着したと同時に男は馬車から飛び出て来た。まるで蹴り飛ばされたように勢いよく、背中から」
ウィルが何を言おうとしているのか、エレナにはわからなかった。
「さっきの兵士たちもエレナがやめてと叫んだ途端に動きを止め、地面に叩きつけられた。おそらくこれは……エレナの力だ」
「じゃあやっぱり私……魔女なの……?」
「その時に黒いオーラが見えたのは確かだ。だがその時だけ。エレナが自分や誰かの身を守ろうとした時だけなんだ。しかも、その後エレナは俺の怪我を治すために治癒魔法まで使ってくれた」
「本当ですか⁈ 帝国でも限られた人間しか使えない治癒魔法を?」
エミリオが信じられないといった顔で言う。
「本当よ、エミリオ。私もこの目で見たわ。一瞬でウィル様の酷い怪我を治したのよ」
「でもイネス、私はそんな魔法知らないわ。私がやったことではないんじゃない?」
さっきからエレナがウィルを治したことになっているが、エレナにはそんな覚えはないのだ。ただただ、ウィルの無事を願っただけ。
「いやあれはエレナに間違いない。だから魔女なのはきっとリアナだ。そしてリアナは何らかの原因で力が封印されているのだろう。でなければ、とっくにカレスティアは消え失せている」
「あの……魔女ってどんな力を持っているの? カレスティアが消えてしまうほどの力なの?」
「昔の文献によると、手を触れることなく人を吹き飛ばしたりひねり潰したり出来るらしい。水に毒を流して大量に人殺しをしたり、心を操って戦争をさせたり。ありとあらゆる手段を使って国中の人間を殺したということだ」
「そんな恐ろしいこと……リアナがそんなこと、するわけがないわ。魔女だなんてことも、私には信じられない」
自分かリアナ、どちらかが魔女だというのは間違いないのだろうか? どちらも魔女ではないという望みはないのだろうか……。
「残念ながらリアナ・ディアスは人間ではありません」
エミリオがきっぱりと言った。
「魔女かどうかまでは私にはわからない。ですがあれは人の形をした人ならざるモノです。彼女には人の心が無い。先日、リアナは実の両親も処刑しました。エレナを生み育てたことを罪として」
「な……!」
(お父様とお母様が処刑された……? しかもリアナの命で?)
「毎日多くの人が処刑され、処刑場は死体が山積みです。それでも誰も疑問に思わない。王都の民は異常な状況に置かれていることも気づいていないのです」
(お父様、お母様……ずっと愛してもらえなかったけれど、それでも十六年間共に暮らした家族。なのに、もうお会いできないなんて)
呆然とするエレナの肩を、ウィルがそっと抱き寄せた。ウィルの大きな手の温もりに、崩れそうな心が支えられかろうじて涙を堪えた。
「リアナを捕らえねばならん。魔女の災いはカレスティアだけに留まるとは思えない。いずれこの大陸全てを飲み込むことになるだろう。ここで奴を仕留めなければ」
「リアナを……殺すの?」
「捕らえることができるならコンテスティへ連れて行くつもりだ。大人しく捕まるとは思えないが」
ウィルはエレナの肩を優しく掴んで自分の方へ向かせ、顔を見ながら言った。
「エレナ。今から王都へ行きリアナと対峙するつもりだが、お前にも一緒に行ってもらいたい。リアナがエレナに執着している理由が知りたいのだ。もちろん、お前のことは俺が守る」
「ウィル……わかったわ。私も知りたい。どうしてリアナが私を殺そうとするのか……そして私たちの運命を見定めなければ。どちらが本当の魔女なのか」
エレナは自分の肩に置かれたウィルの手を取り、ぎゅっと握りしめた。
「そしてもし私が魔女だったらその時は……私を捕らえて」
「エレナ、それは」
「リアナは魔女かもしれない。でも私は双子の妹。私も同じ魔女だとしても不思議はないわ。心を無くし魔女になって人を殺すくらいなら、私を殺して欲しい」
エレナの瞳には強い光が見てとれた。最初はたじろいでいたウィルだが、エレナの真剣な思いに応えようと頷く。
「わかった。その時は俺がこの手で命を取ろう」
「ありがとう……ウィル」
エレナは微笑んだ。