第三十話
宴はカフェ無限大の副店長、三芳春香の司会で始まった。
最初に宮原栄一郎が昼間役所に同行したこと、婚姻届を提出したことを報告した。次に堀内が祝辞を述べたあと、商店街の青年会会長を務めるベーカリーの若店主が乾杯の音頭を取った。
グラスを重ねる音。そして「おめでとう」の言葉が飛び交う。
と、店の扉につけたベルが鳴った。
「おせーぞ!」
波多野が駆け寄った。
「箕原さんが待ち合わせ場所迷ってさ。」新川真が言いながら振り返る。
「ごめん。」と箕原亜衣が手を合わせた。
「今始まったとこだからいーけど。」
「みたいだね。」と林杏子。
「挨拶は後がよさそう。」
だな、と新川も同意する。
「ちゃんとお祝い言いたいし、報告しなきゃいけないこともあるし……波多野にも、な。」
「オレ?」
「後で話す。」
三人は波多野が持って来たジュースのグラスを手に、店の奥の即席ステージに目を向けた。
なぜかカメラマンの三芳啓太が、妹の春香に促されてお祝いの言葉を述べていた。
その後、指輪の交換が告げられると、マクウェルの娘のエリがサテン地のリングピローを両手に捧げて緊張した面持ちで二人の前に歩み出る。
それを後ろで見守る父親は、当の本人以上に心配そう。
春香がリングピローを受け取り、二人の前に立つ。
竜杜が都の手を取って指輪を嵌めると「そのまま!」という声が飛んだ。
一斉にシャッターを切る音。
それは都のときも同じで、しまいには「もういい?」と言うはめに。
最後に竜杜が都の頬に軽くキスをして、またシャッターの嵐。
「大サービスじゃないか。」
パンツスーツにピンヒールの宮原笙子が目を丸くする。
「まさかケーキカットまでしないよな?」
「それ、企画段階で却下されたって。」と、夫の栄一郎。
「竜杜くんが意味がわからん、って一蹴したそうだよ。」
「さすが。」と笙子はくすくす笑う。
祝電の紹介では西和臣からのメッセージが読み上げられて一部で盛り上がったり、宮原医院の院長からのメッセージに驚いたり。
「院長って笙子先生のお母さまよね?」
「竜杜くんの最初の主治医だよ。」笙子は冴の質問にそっけなく答える。
「私はその後引き継いだんだ。まぁ、早瀬が学生のときからいろいろあったから……」
それはそうだろうと思った冴は、それ以上聞かないことにした。
早瀬家の共犯者になるということは、すなわち尋常でないことに出くわす率が高いということ。きっとそれはこれからも……
「しばらく歓談をお楽しみください」というアナウンスと同時に写真部の面々が駆け寄る。
改まってお祝いを言うと、都と竜杜は丁寧に頭を下げた上、竜杜が全員の名前を言って皆を驚かせた。
「文化祭のときに一度会ってる。それに都や無限大さんから話を聞いてるから。」
「竜杜さん、そういうのすげー得意なんだよね。」と波多野も説明する。
「それはそうかもだけど……」と亜衣が尊敬の眼差しを送る。
「得意にも程がありますよ。えーと、木島……じゃなくて早瀬さんか。」新川が言い直す。
「波多野くんにも言われたけど、木島のままでいいよ。」
ね、と振り返ると竜杜も頷いた。
「お!写真部揃ったな。」三芳が寄って来た。
「撮ったるから並べ!」
カメラマンの号令に主役を囲んで並ぶ。
シャッターを切るのを待ち構えていた商店街の青年会会長が、竜杜を引っ張り出す。
「主役は忙しいね。」
「それより、杏子さんも亜衣ちゃんも、それに新川くんもいろいろありがとう。今回の無限大さんの展示、みんなにまかせっきりで……」
「オレもなんだかんだ、新川に任せちまったんだよなぁ。」と波多野も頭をかく。
「いいって、いいって。木島さんはお母さんの展示もあったわけだし。ま、その分、二人には来年がんばってもらうからさ。」
ん?と都は首をかしげる。
「来年?」
「そ、来年もやることに決まったの。」と杏子。
は?と波多野も目を剥く。
「まじか?」
「まじだよー」と亜衣。
「いつ決めた?」
「話が出たのは昨日で、決定したのはさっき。」
都と波多野は顔を見合わせる。
そして苦笑。
「断る理由はねぇか。」
「そうだね。わたしも、みんなと一緒に活動続けられるの嬉しい。」
「また無限大ですんのか?」
「のつもりだけど。」
「じゃあ、予約しとく?」
突如耳元に聞こえた声に、亜衣は「うわっ!」と飛び上がった。
「美帆子店長?」
はぁい、と美帆子が手を振る。
「そういや、都さんのヘアメイクするって言ってたっけ。でも予約って今からできるんですか?」
「うん。基本、翌年分まで受け付けてるから。」
「予約します!」
間髪いれずに新川が身を乗り出す。
「じゃあ今度店に来たとき、記入票渡すわ。ねぇ、それよりお料理、すごく美味しい。」
「同じ商店街のレストラン、うさぎ亭さんのお料理なんです。」
「もしかして都さんがウサギの写真撮ってるお店?」
「ウサギの写真ってなぁに?」
会話に入ってきたのはワイングラスを手にした葵だった。
都は彼女を写真仲間に紹介すると、テーブルに置いてあったうさぎ亭のショップカードを渡した。
それは店のコレクションのウサギの置物を、商店街の一角で撮影したもの。昨年から店のホームページに載せる写真を頼まれて撮ったうちの一枚である。
「うわぁ。そんな仕事してたんだ。」
「フリューゲルでコーヒー飲んでるバージョンのウサギもあったよね?」亜衣が思い出す。
「あと波多野んちで酒瓶に埋もれてるのも。」
「え!新川くんも見てるの?」
「そりゃ見るよ。月替わりだから、新作がアップされたら見るし。」
「あたしも見よ。都ちゃん、黙ってるんだもん。」
「忘れてたの。だって葵ちゃんと会ったの、こないだが久しぶりだよ。」
「あっ!」と美帆子が叫んだ。慌てて左腕のドレスウォッチに目を落とす。
「忘れてた!都さん、お色直し。」
美帆子は春香を呼ぶと主役退場のアナウンスを頼み、都を伴って二階へ退散する。
それを横目で見ていた竜杜も、会話の切れ目を狙って会場を離れた。
その間、来客たちはうさぎ亭の食事とリカーハタノのセレクトした酒を堪能した。あるいは普段なかなか喋らない者同士で盛り上がったり、庭に出て春の宵風に当たる人も。
ふと気がつけば、早瀬とエミリアの姿も見えない。
「マスターまでお色直ししないわよね。」明里が辺りを見回す。
「ちょっと違う。」
「って波多野っち、全部知ってるな!」
「そりゃ設営から手伝ってるもん。」波多野は奈々の攻撃をかわすと、ほら、と奥の階段を目で示した。
そこには、今まさに降りてくる早瀬とエミリアの姿が。エミリアは先ほどのままだが、早瀬は上着を脱ぎニットベストを着ている。それはまさしく喫茶店フリューゲル店長の格好。その後ろから階段を下りてきたのは都だった。訪問着から一転、黒のタイトスカートに白いシャツ、黒いベストに黒いカフェエプロン姿。しんがりの竜杜も都と同じスタイルだ。
いずみが声を上げた。
「わぁ、制服!」
「さすが竜杜さん。サマになってるなぁ。」奈々もうんうんと頷く。
「いつもあの格好なの?」と亜衣が聞いた。
「ううん。都さんの制服は初めて。」言いながら明里は携帯で写真を撮る。
「竜杜さんも、いつもはワイシャツネクタイと胸までの黒エプロンね。」
竜杜がマイクを持った。
「本日はお越しいただきありがとうございます。多くの方からお祝いの言葉いただき、感謝しております。」
都も一緒に頭を下げる。
「僭越ながらフリューゲルからの感謝の気持ちを込めて、食後の飲み物をサーブしたいと思います。が、その前に父からご報告があります。」
「店長の早瀬です。えー、連絡事項なんですが、喫茶店フリューゲルは改修工事のため、夏ごろを目処に一旦店を休みます。で、再開の時期なんですが……」
と言ったところで、店内大ブーイング。
予想しなかった反応に目を丸くする早瀬からマイクを奪ったのは、冴だった。
よく通る声で一喝。
「ご説明します!」
視線が彼女に集まる。
「改修工事の設計と監理を請け負うケイ・デザイン設計室の小暮です。皆様ご存知の通り、この建物は戦争を乗り越えた古くて貴重なものです。早瀬さんがお父さまから受け継いだときに一度改修工事をしたそうなんですが、それからもう十年以上。設備も構造も現在のニーズに合ってないことを不安に思うというご相談を受けたのが昨年の夏でした。」
都が話を聞いたのは、受験が終わってすぐだった。竜杜も詳しいことを把握してなかったので、まとめて説明すると冴に言われて聞いたのだ。
「今現在は役所との交渉、それと見積もりを依頼してるとこ。古い建物って難しいから、業者の選定も慎重になってるの。この調子だと工事に取り掛かるのは夏頃かしら。」
「なにしろ古いから、構造の補強もしなきゃいけないそうなんだ。」
「災害が起きると、古い建物は凶器になることがあるの。フリューゲルにそんな風になってほしくないでしょ?」
「冴さんの事務所と勝手に話を進めたのは悪いと思ってるが……」
「店長である父さんが決めたことなら、それでいい。それに冴さんも横山さんもプロだ。それは信頼してる。」竜杜が言った。
「それって……フリューゲルをこの先もずーっと続けるってことですよね?」
「だからといって、きみらに継げと強要はしないよ。」
早瀬の言葉に都は驚く。
「ずっと門だけ残ればいいと思ってたし、使うのが竜杜だけだったらそうした。でも都ちゃんがうちに来てくれると決まって、欲が出てしまってね。」
「欲……ですか?」
「うん。たとえば君らが向こうで暮らすことになったとして、いつ誰が帰ってきても安心できる場所が必要だと思ったんだ。災害で店がなくなってましたなんて、嫌だろう?」
「それは……嫌です。」
だからだよ、と早瀬は微笑む。
「あたし個人としても、フリューゲルはずっと営業してほしいし、朽ちさせるのは惜しい建物だわ。だから、大掛かりな改修工事を提案したの。」
あの時と同じ説明を、冴は淀みなく繰り返す。
ただし着物姿で。
「横山さん。今日って近隣説明でしたっけ?」己の上司の行動に、原が唸った。
横山は肩を竦め、
「手間が省けていいんじゃないか?商店街関係者もけっこういるし。」
実際、彼らは呑んだアルコールも吹っ飛ぶほど真剣に説明を聞いている。
「いささか手間はかかってますが、いい方向に動いてます。また進展がありましたら、商店街の方にはご連絡さしあげます。」
冴はにっこり微笑んで締めくくると、マイクを早瀬に返した。
「そういうわけで、しばらく慌しくなりますが休業と工事、ご理解いただきたいと思います。」
「カズさん。」と声をかけたのはリカーハタノの店主だ。
「工事中、空店舗で仮営業てのもあるぞ。ほら、少し前に閉店した蕎麦屋とか。」
「まぁ、その話はおいおいってことで。」
ひとまずティータイムにしましょう、という物腰はいつものフリューゲル店長のそれ。
早瀬とエミリアがコーヒーを、竜杜と都が紅茶を注いで手渡していく。大役を務めたエリには、特製のミルク多目のココアが振舞われた。
宴の終わり。
改めて並んだ竜杜と都、それに早瀬夫妻と冴と共に、司会の春香が来客に礼を述べた。
彼女は、
「最後は竜杜さんに締めくくってもらう予定なんだけど……」と言いながらトコトコ都の前にやって来ると、
「都さんからも一言もらおうかな。」とにっこり。
えっ?と固まった都の前にマイクが差し出された。
「でも、わたし……」
「一言でいいから。」
それでも戸惑う都に「がんばれー」と声援が飛んだ。
「いつもの都で全然大丈夫だって!」
「うん。そのほうがみやちゃんらしくていいよー。」
チラリと隣を見ると、竜杜が「大丈夫」と小声で言う。その向こうでは早瀬とエミリアも小さく頷いている。
引くにひけず、けれど内心またこのパターンか、とがっくりする。
仕方なくマイクを握ると「今日はありがとうございました」と頭を下げた。
「えと、わたしがフリューゲルに出会ったのは保育園のときで、でもそのときはお店は閉まってて、門の隙間から中を覗いてたのを覚えてます。」
隣でうんうんと冴が頷く。
「リュートと知り合って、初めてお店に来たとき、なんだか懐かしくて優しくてあったかくて……すごく素敵な場所だなぁと思いました。」
そのとき撮った写真は、都が立っている真後ろに額装され、飾られている。さきほどのティータイムに、何人かがそれを見ていたのを都は二階の隙間から見ていた。そうして何か楽しそうに話しながら、そして他の人たちも思い思いの場所でコーヒーや紅茶を愉しんでいた光景を思い出す。
「でもそれって、お店に来る人みんなが感じてるんだと思います。」
だからこそ、思うことを都は喋った。
「わたし……まだ覚悟もスキルもないし、先のこともわからないけど、でもいつか、リュートやお義父さんみたいに迎える側になりたいって思ってます。あ、でもホントまだ全然だから期待しないでください。」
次回更新は2017年12月15日(金)を予定してます。そして次回最終回です。