第二十二話
「長どのは、いつになったら休むつもりだ。」
頭の上から降ってきた声に、アニエは顔を上げた。
「兄さま……まだ起きてらしたの?」
「それはこっちの台詞だ。」
グレング・フィマージは眉をひそめて懐から時計を取り出し、アニエに見せた。
「でも、もう少しで……」
「急ぎの仕事はなかったはずだ。それとも夜通し仕事をする気か?」
「それは秘書官としての忠告?」
「いいや。妹思いの兄からの忠告。」
「わかったわ。」
アニエはペンを置いた。
グレングは頷くと部屋の外に声をかける。
前の長で二人の祖父でもあるルヴァンドリ・ワイラートの屋敷は、主が病を得てからというもの、夜中も常に誰かが待機している。アニエは長になる前から祖父の看病でここに暮らしていたが、長になったあとも「ワイラートの名を継ぐから」と、そのまま暮らしている。そこに秘書官であるグレングも泊まることが増え、近日中にはオーディエ・ダールもやってくる予定なので、閑散としていた屋敷はにわかに慌しくなった。
そんな落ち着かない空気に便乗するように、アニエもつい仕事を広げてしまうのだ。
使用人がお茶を持って来た。
「気持ちを休ませないと、眠るのもままならないだろう。」
「もちろん、お兄さまも付き合ってくださるんでしょう?」
「オーディの代わりにはならないが、母上の代わりほどにはなるか。」
「お母さま以上よ。」
フィマージ家の次男が秘書官として聖堂に入ることを強く希望したのは、母だった。
父親でもなく第三者でもなく次男を推してくれたことに、アニエは改めて感謝する。
長兄より、弟より仲が良い次兄だからこそ、こうやって気遣い、ときに諌めてくれる。それにアニエの様子を母に逐一報告しているのだろう。聖堂で顔を合わせる父親よりも事細かに気遣ってくれる手紙は、アニエの支えになっている。
「これ、ミヤコからいただいたお茶ね。」アニエは茶器に顔を寄せて香りを吸い込む。
「いい香り。それにとても香ばしくておいしい。」
「ホージチャ、とか言ってたね。彼らは今夜、アバディーアだったか。」
ええ、とアニエは頷く。
「カゥイさんからの返事、明日、聖堂に届けてくれるそうよ。その後、公安の現場検証に同席してもらう予定。」
「彼も慌しいな。」
「でもリュートが公安に届けを出したのは、聖堂にとって大きな意味があると思うの。もちろん、同じ一族を訴えることを快く思わない人もいるわ。けれど、もしサーフス議員の行いが世間に明るみになれば、聖堂は犯罪者をかくまったと糾弾されるかもしれない。」
ガッセンディーアを揺るがした事件のさなか、呪術を使う者と裏で結託していた一族評議会の若い議員がリュートを襲ったことは、あの場にいた皆が知っている。もちろん聖堂内でのことを軽々しく口外することはないが、それでも何かの拍子に話が世間に洩れる可能性は大きい。
その議員の処遇については結局、被害者であるリュートと長であるアニエ、それに議長のガイアナの三者で話し合って結論を出した。
何しろリュートの負ったケガはひどかったが、リラントの魂の力ですぐに回復した。だがそれは常識でありえないことだったし、その経緯を説明するには門の存在を明かさなければならない。それは聖堂として……否、一族の長として決して許可することはできない。
最終的に彼らが行ったのはマーギス司教の腹心の薬師、バセオにリュートのケガの診断書を書いてもらい、マーギスとガイアナ議長が証人となって「全治一ヶ月の怪我を負わされた」という届けを公安に提出すること。
皆口裏を合わせているので、件の議員が何か主張したとしても黙殺されるだろう。それ以前に彼は呪術使いと通じていたことで謹慎処分を今なお受けている上、公安からも聴取を受けているのだ。
リュートの傷害事件は、それに付随するオマケのようなもの。
「公安や神舎と密な関係があったら、十二年前の事件の犯人のことも、もっとわかったのかしら?」
十二年前、聖堂の警備に当たっていたネフェルの父、スゥエン・オーロフが議会に侵入しようとした賊ともみあって命を落とした事件は、結局、犯人の名前も、彼がなぜ議会を強行突破しようとしたかもわからずじまいだった。
その当時の聖堂は、公安が立ち入ることさえ強い拒否反応を示していたと、キャデム・カイエ巡査が言っていた。彼も聞いただけなので、どの程度かはわからないと言っていた。 だが父や年配の議員を見ていれば、聖堂という領分に神経質なのは納得する。
「たしかに。」とグレングも頷く。
「あのときと同じ結果にしてはいけない。ガイアナ議長も言ったじゃないか。昔と今じゃ一族のあり方が違うのは当然と。」
それは祖父の言葉でもあったと聞いている。
「一族が己の領分だけで生きていく時代ではない。ガッセンディーアという場の一部として、共存していくべき……ぼくもその通りだと思うよ。」
それはアニエも同じ。
だからもっと詳しく聞きたいのだが、祖父の容態を考えると追及してよいのか悩む。
「そういえばリュート・ラグレスが来たときも、気弱だったそうだね。」
「あのときは、最初から謝罪するつもりだったのだと思うわ。」
それはガラヴァルの墓標に立ち入った数日後。祖父が木島都との面会を果たしたときだった。挨拶もそこそこに、ワイラートはリュートに懺悔したのだ。
「アルラに課したのと同じことをアルラの子に課してしまった。エミリアに飛ぶのを禁じたこと、許して欲しい。」
「両親とも、そのことは納得してます。」戸惑いながらも、リュートは差し出された老人の骨ばった手を取った。
「そもそも門を開いたのは母と父の仕業。その業を負うのは当然だと、母は思ったそうです。それに父は門番という役目を与えられて誇りに思ってます。それも、長老の采配のおかげ。」
そうか、と老人は小さく頷く。
やがてその視線はリュートの背後に控える都に向けられる。
「大ガラヴァルの子。よくぞ同胞たちの魂を連れて戻ってくれた。大儀を果たしてくれたこと、感謝する。」
「わたしの力じゃなくて、リラントや銀竜たちのおかげだから。わたしにはそんな力、ありません。」
「同胞を思うことこそ、一族の力の源。そのことをわかっているのは一族の証。」
「私も、そう思います。」
言ったのは、やはりワイラートの希望により同席したマーギス司教だった。
「老ガラヴァルの子にそう言ってもらえるとは、ありがたい。マーギスどの、これからも彼らのことをよろしく頼む。」
「えっ!」
話を聞いていたトランが大きな声を上げた。
「それ、マーギス司教がミヤコの後ろ盾と認められたも同然じゃないですか1」
「まぁ、そうだな。」とリュートは応える。
「しかも一族の長老の前で!」
「都はそこまで大げさに考えてない。というより、わかってないと思う。」
「わかってない……」
反芻しながら、トランは閉じた扉に目を向けた。
夜も更けて、話し疲れた都はすでに銀竜を従えて寝台にもぐりこんでしまった。様子を見に行ったリュートが言うには、あっという間に眠りについたらしい。
「こっちに来てから連日人に会ってるから、疲れてるんだろう。」
そう言って、昨日までに会った人たちを指折り数えた。その中には一族の長老もおり、謁見したときの様子をリュートはトランに話していたのである。
「司教が偉い地位だと理解してるが、都にとっては知り合いがたまたま神職だった……程度だと思う。」
「彼女……案外大物かもしれませんね。」
はぁ、とトランは眼鏡の奥の瞳を丸くする。
「マーギスさまが、長老に会いに行ったのも驚きました。」
「長老の希望だったらしい。」
聖堂での騒ぎのときに顔は合わせていたが、挨拶を交わすような状況でなかった。なので改め挨拶がしたいと、長老が所望したらしい。
「聖堂と神舎が互いに名乗るなんて、ガッセンディーア始まって以来じゃないかな。しかもきっかけは、きみたちでしょう。」
「元を辿れば父さんとトラン、だろう?」
「言ったでしょう。きみが家出しなかったらぼくはカズトさんと再会することもなかったし、聖堂に取り立てられることもなかった。きっかけはぼくとカズトさんだとしても、導いたのは間違いなくきみたちです。ミヤコの命を救ったリュートの勘は、やっぱりただの勘じゃなかった。」
「そんな風に考えたことはないが……」
「お祝いに、これを開けましょう。」
「ああ、俺がやる。」
リュートは自ら持って来た瓶を手に取ると、スクリューキャップをひねって開けた。
その様子を感心して見ていたトランの杯に、無色透明の液体を注ぐ。
「いい香りです。」
「無難な焼酎を選んだと言ってた。」
「ショーチューっていうんですか。」
二人は杯を重ねる。
「甘味があって、おいしい。そういえばダール家の契約の儀、リュートも立ち会うんですよね。」
「ダール家とは長い付き合いだし、父親の代理も兼ねるから出ないわけにいかない。」
「では、また会えますね。ぼくも招待されたのには驚きましたが、断る理由もありません。大方、ヘザース教授がなにか言ったのでしょう。」
「あ、ガッセンディーアに行くなら、ハンヴィク家に顔を出して欲しい。」
「騒ぎのときにお会いしましたよ。」
「そういうんじゃなく……」
「どなたかに言われたんですか?」
「言われたわけじゃないが、ヘンリエータがトランに会いたがってるように見えた。」
げほっ!とトランがむせた。
「大丈夫か?」
「きみが変なこと言うから!」
「別に……」と言い差してリュートは気づく。
「もしかして、トランはヘンリエータのこと……」
リュートが言うなりトランの顔は見る見る赤くなった。
それが酒のせいでないことは、ほんの数秒前までの飲みっぷりでわかる。
トランは慌てて首を振ると眼鏡を外してシャツの裾でぬぐった。掛けなおして深呼吸すると、だいぶ顔色が元に戻る。
「会いたがってるように見えた、というのはあくまでリュートの考えでしょう。」
「そうだがヘンリエータを見ればわかる。」
「どうして?」
「幼馴染だから。」
「ぼくのことからかってますか?」
「まさか。ただヘンリエータとも長い付き合いだし、彼女がトーアを名付けたときもその場にいた。だから、見てればなんとなくわかるんだ。」
まったく、とトランは呟く。
「きみたち銀竜の主人は、余計なことまで敏感に読み取るんですから。」ぶつぶつ文句を言うと杯に残った焼酎をぐいっと煽った。
「別に困ることでもないだろう。ハンヴィク家は皆、トランのこと気に入ってるし。」
「だからって、用もないのに行かれるわけないじゃないですか!」
「だからヘンリエータとトーアに会いに行けば……」
「彼女は……すばらしい人です。それこそ竜騎士と共にあるべき……」
「トランだって聖堂の研究者になるんだ。」
「しょせん、研究者です。」
「その地位につける人がガッセンディーアにどれほどいる?」
「ぼくは飛べません!」
「ヘンリエータは飛ぶことを望んでるのか」
「いいえ。でも見目だってさえないし……」
あのな、とリュートは額を押さえる。
「見目が良くても、ヘンリエータは見えてないぞ。」
うっ、とトランは言葉に詰まる。
あうあうと、わけの分からない言葉を発する。
「人のことは冷静なのに、自分のことになると混乱する、か。」
リュートはため息をつくと言った。
「ハンヴィク家の当主からの伝言だ。もしトランが何か迷ってるなら伝えて欲しいといわれた。」
「ハンヴィクさんが?」
リュートは頷くと、訪問したときに当主に耳打ちされた内容を伝えた。
「一族は閉鎖的だ。長のお墨付きをもらったとしても、正当な地位を築くには努力が必要だろう。けれど、自分たちの祖先の残したものが解読できるなら、ぜひとも解読して欲しい。他の誰でもない、トラン・カゥイに。だからもし一族に絡むことで心配があれば、いつでも相談に乗る。彼は、トランの力になりたいんだそうだ。友人として。同好の士として。それに……」
「それに?」こくりと、トランは唾を呑み込む。
「ハンヴィク家の司書官の役目も、できれば続けて欲しいそうだ。」
「えっ?」
「図書室の片付けが終わってないから、新しい本が入れられなくて困ると言ってた。」
「あ……」と、トランは思い出す。
「行く理由、あるじゃないか。」
リュートの笑顔につられて、トランも照れたように笑う。
「そういえば……そうでしたね。」
次回の更新は2017年9月15日(金)です。




