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高校生雀鬼 涯  作者: 進藤伐斗
2/2

後編

 週明けの同好会の部室。豊臣と速水がまだ来ていなかったので、涯は部長に自分の持つ裏技を披露していた。

「こうやってツモ牌を山の牌をすり替えるんです」

「なるほど。目を凝らして見ていないと気付かないな」

 涯の鮮やかな手付きに部長は感心する事しきりだった。

「裏技を使う人間なら盲牌(モウパイ)なんかしません。その間に山の牌を何枚も見る事が出来ますから。それに盲牌をすると、その手の動きで何の牌かがバレてしまうんです」

「ああ、なんかそうらしいな」

「わざと手の動きを誤魔化して違う牌に見せるのを手三味(てじゃみ)と言いますけど、それも結局は見破られてしまいますから」

 技を見せられ話を聞いているうちに、部長は改めて涯とのレベルの違いを感じていた。

「オレ達と打つ時はお手柔らかに頼むよ」

「ええ、何も使いやしませんよ」

 先刻承知であって、ただ言ってみただけの台詞だった。そしてお互いに顔を見合わせて笑った。

 そうしているうちに速水が、少し遅れて豊臣がやって来たが、豊臣の様子が何だかおかしかった。どうも顔色が青い。

「何かあったのか、豊臣」

 部長の問いに重々しく豊臣が口を開いた。

「じ、実は……」


 週末の同好会の後、帰り道で豊臣は声をかけられた。

「麻雀同好会の人だよね」

 声をかけてきたのは二人組の二年生の男子で武田と今川と名乗った。自分達は帰宅部だが学校の近くで用事があって三十分くらい前に終わったけど、折角だから麻雀同好会の人に誘いをかけてみようと少し待っていたのだと言う。

「僕らも麻雀やるんだけど、同好会には入らなかったんだ。何だか麻雀打ちって学校の中じゃ肩身が狭いっていうか、先生とかの印象もあんまり良くないし。だけど麻雀が好きでずっとやってるから。同好会の人達とも前々から交流を持ちたいと思ってたんだ」


「嬉しかったんですよ。それで毎週のように麻雀打ってるから良かったら日曜に来ないかって誘われて」

「それで、もう一人の上杉って奴の家に行って麻雀を打ったのか?」

「はい……」


 全く何も賭けないでやるのも味気ない、点一だからと言われて始めて半荘を終えた。

「豊臣君がラスか。ウマを合わせてマイナス八万点か、八千円の負けだな」

「えっ、点一じゃないの?」

「そうだよ。いつも千点百円でやってるよ」

「そんな、点一は十円だとばかり……」

「そうか、豊臣君はそれで打ってるのか。だけどここでは百円が常識なんだよ」「そうだよ。僕も二千円の負けだ」

「そ、それじゃ、持ち合わせがないので、これで……」

「何だよ、折角来たのに一回で終わりじゃ寂しいよ。次で取り返せばいいんだから、もっと楽しもうよ。負け分なんて貸しでいいからさ。強いとこ見せてくれよ。なあ」

「そ、そうだね……」


「それで次の半荘で、トリプルロンを喰らって……」

「合計で二万五千円も負けたって訳か」

 部長が呆れた顔で豊臣を見た。

「あの、これって、やっぱりハメられたんでしょうか……?」

「そうだろうな」

「ひどーい。それじゃあ、まるで中学の時の徳川君達みたいじゃない」

 速水が割って入った。

「私が行って取り返して来るわ!」

 いきり立つ速水を部長が制した。

「まあ待て、速水。相手は恐らく三人で組んで打っている。対抗するにはこっちもコンビ打ちでいくべきだが、速水にはそんな繊細な真似は無理だ。ここはオレと桜田で行く。それよりも豊臣、もう少し詳しくその時の様子を教えてくれ」


 上杉家は3LDKのマンションで、両親は共働きで日曜も日中はいない。そのリビングでいつも麻雀を打っていた。

 どういう麻雀を打ったかを、誰がどういう手で和了ったか、どんな会話がなされたか、出来る限り豊臣に思い出してもらった。

「……で、純チャン三色ドラ三の倍満とメンチンの親倍と国士無双のトリプルロンを喰らいました」

「まったく、派手にやられたもんだな」

 豊臣の話を腕を組んで聞いていた部長が言った。

「それじゃあ勿論、麻雀牌も使い古したやつだったんだよな?」

「そうですけど」

 その答えに部長と涯は軽く頷き合った。

「それじゃ、ガン牌もし放題だろうが」

「ガン牌というと……」

「ガン牌っていうのは、麻雀牌に付いた傷とかを目印にその牌が何であるかを覚えておく事だよ。つまり奴らは裏に伏せた牌の何枚か何十枚かは分かりながら打ってたんだよ」

 更に落ち込んだ様子で豊臣は言葉を絞り出した。

「あの人達、ずっと優しそうな丁寧な口調で、疑いもしませんでした。負け分の事も後で払えばいいって。持ち合わせの八百円だけ払って、残りの証書としてサインと拇印を押しましたけど……『この事はお父さん、お母さんには黙っておいてあげるから』って」

「よく言うぜ。親に言われて困るのはてめえらの方だろうに」

「でも、やっぱり言ったら、僕もう同好会には参加出来なくなりますよ。下手をすれば学校にも知らせて同好会そのものもなくなるかも……」

「まあな。そもそも賭ける事は承知で豊臣も打ったんだ。レートの勘違いはあったにせよ、勝てば自分がもらうつもりだったんだから、その点は両成敗だ。法律がどうだろうと、そんな事を親や教師や警察に言ってご破産にするなんて真似は勝負師としては許されない。同じ麻雀で堂々と勝って取り返してやるよ」

 部長はすっかりやる気満々のようだ。そこへ今まで黙って聞いていた涯が口を開いた。

「封印付きの牌は俺が用意しますよ。だけど部長、連中は三人での連携に自信を持ってるようです。当然ながら通しサインを入れて、積み込みの方も多少は出来るようですね。俺と部長の二人が卓に入る事を認めるかどうか分からない。一人の場合は俺がやりますよ」


 次の日曜日の午後、四人の姿は上杉家のリビングにあった。

「ようこそ、麻雀同好会の皆さん。歓迎しますよ」

 天然パーマの上杉が恭しく挨拶をした。脇には長身の武田に小太りで眼鏡をかけた今川もいた。

「うちの豊臣が手荒な歓迎を受けたらしいな。今日は仇をとりに来たんだ」

 森杉部長が笑みを浮かべながら口調としては穏やかに返した。

「麻雀牌もこっちで用意してきた。新品の牌だから心配はいらない。それから今日はオレと桜田の二人を卓に入れてもらうぜ」

「……そうですか、有り難く牌を使わせてもらいましょう。でも何か勘違いをされているような気がしますねえ。私達はあなた方と仲良く麻雀を楽しみたいのですよ。二人でというのは、協力して私達を倒そうという意図が見えるような気がするのですが」

「お前らだって三人で組んでるんだろ?」

「いえいえ、そんな事はありませんよ。やはり誤解なさっているのでは。もしそういう気持ちで打とうというのでしたら、残念ですがあなた達との交流を図る事も出来なくなりそうですね……」

 両者ともに顔は笑っているが既に火花を散らしていた。少しの間の沈黙が流れた後

「いいですよ、部長。俺が一人で打ちます」

 涯があっさりとそう言った。

「これはこれはなかなかの勇者のようだ。歓迎します。こちらの桜田さんの後には宜しければ他の方々にも打ってもらいましょう」

 上杉の言葉に涯は(後はねえよ)と心の中で呟いた。

「……そうか、桜田。頼んだぞ」

 涯が一人で打つ事となり、二人で打ち合わせてきた通しサインも無駄になった。だがむしろ涯はこの状況を望んでいたとも言える。初めての実戦とも言えたが負ける気は全くしなかった。

「それではルールとレートの確認をしておきましょう。半荘で飛び無しのオーラスの親の和了りやめは有り。トリプルロン有り。二万五千点持ちの三万点返し、ウマが一万・三万、千点百円の……」

「待て。後で言った言わないのないようにメモする」

 部長がノートを取り出した。


「観戦の方は我々の手牌が見えない所でお願いしますよ。桜田さんの手なら見える位置でもいいですが」

「いや、桜田の手も見えない位置の方がフェアだろう」

 豊臣や速水が表情に出しそうだからな、と部長が判断した。こうして半荘が始まる事となったが

「ねえねえ、桜田君ってそんなに強いのかなあ? 部長さんがすっかり信頼してるみたいだけど」

「さあ。僕よりはかなり強いのは確かだと思うけど」

「豊臣君より強いのは当たり前よ」

 速水と豊臣が小声で会話した。

 そんな声は気にせずに、涯は三人や周りの様子を探っていた。

(やはり三人での協力プレイが奴らの自慢なんだろう。隠しカメラなんて物もなさそうだ。ガン牌もオマケのような物で、三人での連携が命綱……)

 封を破ったばかりの麻雀牌では流石の涯もどれが何の牌かは分からない。だが洗牌(シーパイ)の時に裏返る牌を記憶し、山を積んでからも積まれた牌を盗み見る事が出来る。向こうの三人もそれは出来るようだったが、連中が一枚の牌を見る間に涯は四~五枚を見る事が出来た。

 日頃は控えてきた技だったが、今日は遠慮なく全開で行けばいい。こんな連中など徹底的に叩き潰せばいい。涯は武者震いするのを感じた。


 出だしはお互いに抜きなどは使用せずに慎重だった。だが涯は三人が使う事を確信していたのに対し、三人は涯が裏技を使う人種である事をまだ把握していなかった。まずは北家の涯が武田の親を安手で流した。

 続く上杉の親も涯が流すと

「なかなか手が速いですねえ」

 まだ余裕ありげに上杉は呟いた。次の局から連中は仕掛けてきた。

(元禄積みか。自山に来ると三元牌を暗刻で入れるつもり、か)

 今川の山に入り、予定通り白をツモるつもりが

「んっ……」

 短く彼は呻いた。ツモったのは全然違う二ピンだった。

 次のツモも西、その次は五ピン。おかしいなと思っていると

「ロン。白ドラ三」

 涯の手が倒れた。仕込んだ筈の白が全て涯の手にあった。

 次局の東ラスは涯は敢えて連荘(レンチャン)せずに上杉に安手で流させてやった。

 南場に入って、流石に三人の方も涯に操作されている事に気付いた。仕込んでおいた筈の牌が別の牌にスリ替えられている。目を凝らして涯の手捌きを見てみるが、何かをしているようだが何をしているのかが分からなかった。

「ふっ、どうやら役者が違うようだな」

 部長が安心したよう呟いた。豊臣と速水は安穏とした様子で眺めていた。


「ロン」

 オーラスに涯が和了り、和了りやめを宣言して半荘が終了した。さほど大きな手は和了っていないが涯のダントツトップだった。

「……ちょっと、外の風に当たってきますか」

 上杉がそう言って立ち上がって部屋を出て行くと、武田と今川もそれに続いた。玄関の扉を開けて出て行く音がした。

「やっぱりお前は凄いな、桜田」

 部長が涯の肩を叩いた。

「本当ねえ。今日の桜田君は私より強いかもねえ」

 速水が能天気な笑みを見せた。

「いや、速水さんの方が強いよ。豊臣君のためにも負けられないから頑張ったんだよ。それにしても今日は調子良いなあ」

 涯は白々しくもそう言い放った。

「連中、どうするか相談してるんだろうな。さてどう出るつもりか」

 三人の戻る足音が聞こえてきた。


「いやあ、なかなかの凄腕の方ですね。恐らく豊臣君の負け分を取り返さないと引き下がってもらえないんでしょう。そこで提案なんですが、長丁場では実力の差がハッキリ出てしまう。ここは私と桜田さんとの差しウマといきませんか? 次の半荘で終わりにしましょう」

 上杉が申し出た。同好会陣営が少し考える様子を見せた後、それを承知して次の半荘が始まる事になった。

「ねえねえ、差しウマって何だっけ?」

「全体の順位には関係なく、差しウマ同士で直接取り合う事だよ。桜田君が上杉さんの順位を上回れば上杉さんからもらえるんだ。僕の残りの負け分が賭かっている……」

 速水の質問に豊臣が答えていた。

「確かにその理屈は分からないでもない。しかし、連中は現実にどうやって桜田に勝つつもりなんだろう? まあ長く続ければ神経も持たないし、それしかないのか……」

 部長にも三人の意図はハッキリとは読めなかった。いずれにしろこちらの優位は動かないだろうと思った。


 上杉家にあった物を使い、再度封印付きの麻雀牌で打つ事になった。サイコロは透明なコップのような物に入った、出目の操れない物。

「こういうのも用意してあったんですよね」

 上杉が苦笑しながら言った。洗牌は完全に伏せた状態で行う。手を押すだけで決して裏返らないようにして混ぜる、という取り決めをした。自分達の技も制限されるが、それ以上に涯の技を減らす方が得策だと判断したのだった。

「何だかえらく条件を付けるのね」

「そうだね」

 速水も豊臣も今一つ意味が分かっていないようだった。


 三人とも目を血走らせていた。もはやこの桜田という男が裏技を使う事は疑う余地もない。それも自分達よりはるか上のレベルにあり、束になっても勝てるかどうか……しかし必死に食らいついて行くしかない。

 東家上杉、南家武田、西家桜田、北家今川で東一局がスタートした。

 完全伏せ牌により山積みは分からない。だが徐々に情報は蓄積されていく。三人よりもより早く牌を確認出来るし、平での読み筋も涯は群を抜いていた。

 東一局、二局と涯が和了り、三人の表情にかなり切迫した様子が見てとれた。ここで連荘させる訳にはいかない。なり振りなど構っていられなかった。

 三人が今までになかった動きを見せて、涯の反応がやや遅れた。武田も今川も自分の手を捨てて上杉に牌を集めた。一向聴(イーシャンテン)の配牌から三巡目に今川が振り込んだ。

 どうにか涯の連荘を阻止したが、その後も涯は和了り続ける。満貫、跳満クラスの手をである。

 先の一人に配牌を集める作戦に味をしめてもう一度やろうとしたが、涯に同じ手は通用しなかった。そうして南三局、再び涯の親を迎えた。


 涯が七万千点、上杉が八千点で実に六万三千点差。状況は絶望的だった。

 青ざめた表情で三人は牌を混ぜる。そして積むのだが、これまた変わった積み方をしていた。

(上杉の積みが変わっている。下山に二萬・二ソー・三萬・三ソー・四萬・四ソーが二組……。武田と今川に元禄を仕込んでいるのか? いずれにせよサイの目はランダムだが……)

 狙いが判然としないまま涯がサイコロを振ると、出た目は自五で上杉の山は丸残りとなった。

(ダブロン、トリプルロンが狙い? いや、この並びは……まさか……)

 上杉が一度見た配牌を再び伏せる動作をした。

「……!」

 涯が動こうとした瞬間に、プッと音がした。涯の目の中に何かが飛び込んできた。武田の噛んでいたチューインガムだった。

「あっ、悪い!」

 わざとらしくクシャミをした後に大袈裟に武田が立ち上がった。その動きは森杉部長の視界を遮ろうとしているように見えた。今川が位置を目で合図しているようだった。

(……燕返しか)

 上杉は涯の一瞬のスキを利用して、配牌をそっくり自山の物と取り替える事に成功した。燕返しは動きが大き過ぎるので通常は使われる事がない。その盲点に賭けての執念の大技だった。

「おい、何をしてるんだ!」

 部長が叫んだ。

「いや、申し訳ない。だけど出物腫れ物は仕方がないですよ。ごめんな、桜田君。大丈夫か?」

 武田が謝罪した。

「さあ、中断してしまったけど再開しましょうか」

「……」

 やられた、と思った。無念さを感じながら涯が第一打を切る。今川が涯と同じ牌を切る。上杉が牌をツモる。

「おっと。これは、凄い偶然が起きました」

 パタリと手を倒す。中張牌(チュンチャンパイ)で作られた四暗刻単騎、それに地和で三倍役満だった。

「おい、何だその手は! ふざけるな」

 部長の怒声にも

「おかしな言いがかりはよして下さいよ。形としてはトイトイ三暗刻の満貫止まりの手ですけど、たまたま単騎待ちで一巡目にツモったというだけでこんな点数になるんですねえ。麻雀は怖いですねえ」

 上杉は冷ややかに返した。

 三倍役満で九万六千点の収入、親の涯は四万八千点の支払いだった。これで上杉が十万四千点、涯が二万三千点でその差は八万千点という大逆転だった。

 オーラスとなりもう一局しかない。その一局で再び逆転するよりない。飛びなしのルールにより武田と今川がとっくにハコを割っていても続行されるのは不幸中の幸いとは言えたが、一体どうすれば逆転出来るというのだろうか。

 油断していた。

 もっと点数を取っておく事も出来た筈だ。そこまでして……とどこかで遠慮する気持ちがあったかも知れない。燕返しも素人丸出しの技だったが、素人技故の盲点でもあったし執念でもあった。

(相手も局面も自分も侮るな、か……)

 例の言葉が頭の中に皮肉な響きとなって聞こえてきた。

 涯の後悔をよそに無情にも南四局は開始される。こうなっては流れも完全に向こうに行ってしまい、好牌も集まらない。

 一巡目に武田が発を暗槓(アンカン)をした。それを見て上杉が言った。

「これで地和も、国士十三面もなくなりましたか」


「うわあ、これはやばいよ」

 豊臣が狼狽えた。

「今、点数はどうなってるの?」

「二人の差が八万千点なんだよ。役満を作るしかないんだけど、ただの役満じゃ三万二千点で直撃しても六万四千点しか縮まらない。だからダブル以上が必要だけど、二倍役満でもツモると上杉さんは子だから一万六千点の払いで八万点しか詰まらない。三倍役満なら九万六千点で確実なんだけど、発を槓されたから、作れるのかなあ……?」

「緑一色(リューイーソー)も無い。あるのは四暗刻単騎・四喜和の類だが、それは流石に無茶苦茶だ……」

 豊臣と速水の会話にかなり沈痛な面持ちで部長が割って入った。

「桜田……」


 涯は手を尽くした。好牌は集まらず、先程の上杉のように中張牌を中心とした四暗刻で単騎待ちにするしかない。

(速い手作りで誰かに和了られても終わり。ダブル役満でも上杉からの捨て牌を直撃するしかない)

 だが上杉は慎重だった。涯の捨て牌以外を切ろうとしない。その安牌(アンパイ)を武田と今川がアシストして送り込んでいる。

(負ける訳がないと思っていた。だけど一対三で勝てると思う事がそもそも自惚れだったのか……)

 相手を侮っていた。燕返しという手段も軽く見ていた、局面を侮っていた。そして自分自身も侮っていた、のか?

 涯は四暗刻単騎を三ソー待ちで張っていた。だが自分でツモる事は簡単でも、上杉に出させるという事が困難であった。そこへ三ソーをツモってしまった。

(和了る事は出来ない。フリテンとなるからこの巡に三ソーが出ても和了る事は出来ない。次の巡で待ちを変えるのが常套手段……)

 その三ソーを河に捨て放つ。

(自分を侮るな、か……)


 上杉も涯の聴牌(テンパイ)気配を感じていた。それも四暗刻単騎を自分から以外に和了る事は出来ない。だがそれ故に恐怖も感じていた。四暗刻単騎……

 単騎待ちでは何を待たれるのか分からない。それも相手は散々実力の違いを見せつけられてきた桜田である。牌を持つ手は震えていた。

 そして涯が三ソーを切って涯の下家の今川が山から牌をツモった直後に合図が来た。今川が三ソー待ちでテンパった、と。上杉の胸は高鳴った。

 三ソーは今桜田が切った牌である。自分の手には今ないが、勝ちに近付いた事を感じた。震える手で祈るような気持ちで牌をツモると、何とそれは最も欲しかった三ソーだったのだ。

 打牌の音も高く、勝ちを確信して三ソーをツモ切る。

「ロン」

 今川が手を倒す。南のみで自身はラスでも和了やめの宣言の権利はある。終わった、と上杉は思った。

「ロン」

 だがほぼ同時に桜田涯の手も倒されたのだった。


「四暗刻単騎、六万四千」

「はあ? 三ソーだよ。今さっき君が切った牌だよ。フリテンじゃないか!」

 何を言ってるのか分からないとばかりに上杉が涯の捨て牌を指差した。だが彼の人差し指の先で示した涯の捨て牌は三ソーではなく四ソーだった。

「は、何? そんな馬鹿な……!」

「俺の手はこの通り、四暗刻単騎の三ソー待ち。それは三ソーじゃなくて四ソーと言うんですよ」

 単純な捨て牌のスリ替えだった。問題は見えているか、気付いているかどうかであった。

「見間違えたんですかね?」

 悪びれもせずに言う涯に、上杉はまだ何かを言いたそうな顔だったが、既に涯の和了りは成立していまっている。そんな様子を見て森杉部長はクスリと笑った。

「見事だ、桜田」


 帰り道はさっきの麻雀の話で盛り上がった。

 豊臣の負けは取り返したし、それ以上の勝ち分についてはどうでもいい事だった。

「もう駄目かと思ったよな、流石に」

 豊臣と速水が並んで前を歩くその少し後ろを部長と涯が話しながら歩いている。

「だけど流石だよ。オーラスのあの今川の聴牌も桜田、お前が仕込んだんだよな」

「やっぱり部長には見えていましたか」

 涯も部長の眼力には恐れ入った。この人は自分の最大の理解者かも知れないと思った。

「技を温存しておく事が大事ですね。使えばそれが頭にインプットされて目も慣れますから。俺もさっきそれで二回ばかり喰らってしまいました」

 自戒するように涯は言った。

「だけど、どこまで行っても他力でした。必ずしも安牌を切るという保証もないし。まあそれならそれでスリ替えの手段はあるんですけど。それよりも怖かったのは、むしろ上杉が和了りを目指して攻めて来る事でした。守りに入ってくれたので何とかなるかな、と思いました」

 そういうものなのかも知れない。だけど実戦では怖くてなかなかそれが出来ないのではないか、と部長は思った。

「……俺もまだまだですね。経験が少ないのは分かっていましたが。祖父の言う『相手、局面、自分を侮るな』という言葉の意味も正直言ってまだよく分からないんです」

「確かに難しそうな言葉だな。オレにもよく分からない」

「言葉の流れで言うと『客観的に物事を見ろ』という感じがするんですけど、三つ目の『自分』の部分がどうも分からないんです。ただ、さっき自分に限界を感じた時にそれを思い出して、それで自分を奮い立たせたような所がありました。自分に限界を作ってはいけない、という意味なのかも。それは熱い気持ちのような気がするんです」

「かもな」

「だけどそれら全てをひっくるめて、相手にも自分にも変化も成長も起こり得る事、それらを冷静に見る、という意味であるような気もして……結局、よく分からないんです」

 言っているうちに答えに近付いたような、しかしそうでもないような気もした。とりあえずこの話は置いておこう。

「まだまだ自分は麻雀が分かってないなと思いました。将来の事は分からないけど、しばらくはもっと麻雀を打ってみたいと思いました。だけど、今日はかなり本気の部分を見せてしまって、何だかあの二人にも気まずいような感じがして……」

「何だ、そんな心配は無用だよ」

 そう言って部長は笑った。半信半疑な涯は前を歩く二人に声をかけてみた。

「おーい、明日からも変わらずに俺と麻雀を打ってくれるか?」

 その声に豊臣と速水が振り向いた。

「勿論さ、僕の恩人じゃないか」

「おかしな事を言うのね?」

 何の屈託もない笑顔を見せてくれた。そうか、この二人には何も見えていなかったのだ。

 見える部長も有り難いが見えない二人もまた有り難い存在である、と涯は心の中で仲間達に感謝した。


                                 <了>

登場人物の名前は片山まさゆきさんの「スーパーヅガン」「ぎゅわんぶらあ自己中心派」のキャラの名前の変形ですね。


桜田涯  ←桜田門外

森杉虎夫 ←持杉ドラ夫

豊臣秀哉 ←豊臣秀幸

速水明美 ←早見明菜

敵役の上杉、武田、今川は明智、織田、徳川


それから三蓮高校は『みはす・こうこう』と読むのが正しいのですが『さんれん・こうこう』(さんれんこう=三連刻)とも読めます。

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