表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冬の雨  作者: 津那
3/9

第3話 転落

 コースから外れないように、目印を覚えては獣道に分け入り、篤朗は1時間ほど駆け回って、由紀を見つけた。由紀は、頂上展望台下の木陰に蹲っていた。

 篤朗が駆け寄ると、由紀は潅木の根元に足を取られて動けなくなっていた。崖に赤土の滑った後があり、由紀が落ちたのがわかる。落ちて深く足を潅木の根元に突っ込んでしまったのだ。

「田中君。」

 由紀は、ホッとしたような顔で涙ぐんだ。滑る崖を蔦を使って降り、潅木の根元を石で掘って由紀の足を出した。

「ありがとう。本当に。誰も来てくれないって思ってた。」

「湯浅から、事情を聞いた。H地点から外れたようだね。雨で、下山指示が出た。彼女達は全員無事、湯浅が引率して下山している。立てる?」

 足を摩っている由紀に、篤朗は手を差し出した。

「うん、何とか。」

 篤朗の手に摑まった由紀の手は冷たく、長い髪は雨に濡れ、唇は青褪めていた。ガタガタと震えている由紀の手を強く引いて、篤朗は滑る崖をよじ登った。

「湯浅に、君を探せと頼まれた。湯浅はG地点で聞いて、H地点まで戻って探したみたいだったよ。」

 コースに戻ろうと向かいながら、厚朗が言う。

「彼女は、H地点の近くにある防空壕で大崎と落ち合った後、君のチームに戻ったそうだよ。」

「そお・・・良かった。朱美が無事で。」

「僕達も急いで、降りよう。」

「うん。・・・田中君が来てくれるって思わなかった。・・・ありがとう。」

 篤朗は、展望台下まで一旦登り、そこからコースに戻るつもりだった。

 きゃああっ

 篤朗の後から着いて来ていた由紀が、足を滑らせて崖から落ちた。振向いた篤朗も、掛けたはずの岩が揺らぎ、そのまま崖を滑り落ちた。地盤がかなり緩んでいて、落ちた崖は赤土がむき出しになっている。落ち葉で覆われていて、粘土質のドシャが流れていることを見落としていた。

 篤朗は、目を閉じて動かない由紀の傍に、滑りながら寄った。

「桧垣、桧垣。大丈夫?」

 篤朗は気を失っている由紀の肩を叩いた。

「うっ・・・」

 小さく声を漏らして、由紀がゆっくりと目を開けた。ゆっくりと上を見る。剥きだしの赤土の崖を絶望したような目で見た。

「あたし・・・あそこから落ちたの?・・・ごめんなさい。田中君を巻き込んじゃったみたい。」

「僕も足を滑らせて落ちたんだ。この辺り、かなり地盤が脆くなっているんだ。気をつけないと。・・・大丈夫?」

「うん。擦り剥いただけみたい。」

 泥だらけになったジャージを見て、由紀は弱弱しく微笑む。

「コース・・・戻れなくなっちゃったね。」

「うん。この崖を登るのは危険だよ。このまま、降りよう。」

「うん。」

 

 篤朗の耳に、由紀の辛そうな呼吸が聞こえる。由紀は震えて、定まらない足元に何度か躓いた。

 どこかに、雨露が凌げて乾いたところを見つけないと・・・

 それにしても・・・この山、こんなに深かったか?

 かなりタフなつもりの篤朗も、寒さと足元を探してからの1歩1歩の前進と、迷っている時の不安と緊張で、かなり参っていた。後から篤朗に全幅の信頼を寄せるように黙ってついて来る由紀の存在が、篤朗を奮い立たせる。

 足を止めれば、途端に極寒が襲って来る。

 動かねばならなかった。

 どこまで下ればいい?

 濃霧の中、篤朗と由紀の足音と、木の葉に溜まった水がザッ落ちる音だけが静寂の中に聞こえるだけ。

 誰も探しに来てくれないのだろうか?

 ガサリと、真後ろで音がした。由紀が膝と手を地面につき、項垂れていた。

「大丈夫?」

 由紀を起こそうとした篤朗に、由紀はグラリと体を傾けた。ドキリとする篤朗の頬に由紀の額が当たった。熱い。

 篤朗は由紀を覗き込んだ。虚ろな目を篤朗に向け、「ごめんね」と唇が動いた。熱い吐息、手は凍りのように冷たく、額と頬が熱い。

「桧垣。桧垣。しっかりしろ。こんなところで寝ちゃ駄目だ。」

 由紀がヨロヨロと立ち上がりかけ、篤朗に抱きつく形でヨロめいた。篤朗が支える由紀は、柔らかく、グニャリとして熱い。

 篤朗は、由紀を背負った。

 なんとかしなきゃ・・・。

 疲れた篤朗の足に、由紀のグニャリとした体は重い。

 湿った地面に由紀は置けない。篤朗は、由紀を背負ったまま、足元を注意して1歩1歩、下へ向かって歩いた。

 スウスウと、由紀の寝息が篤朗の首筋にかかる。由紀を背負った背が熱い。

 篤朗は、何度も見た山のコース地図を頭に描くが、ここがどこなのか、もうわからなかった。

 

 山の天気は容赦なく、弱った者に鞭打つように、小雨を雪混じりの雨に変えた。大粒で風を伴った雨は、由紀を背負った篤朗の顔を打ち、背中の由紀を濡らした。

「うううっ。」

 雨に、打たれて、由紀が目を覚ました。はあはあと苦しそうな息をし、ガタガタと震えている。

「田中君。・・・ありがとう。も、もう大丈夫だから。」

 喘ぎながら、由紀は、篤朗の背から降りた。そのまま、膝が立たず、地面に座り込んだ。

「熱があるんだ。桧垣。歩くのは無理だよ。」

 2人の間にも雨が音を立てて降る。由紀は、泣いているのか、泣きそうな由紀の顔に雨が流れているのか、喉の奥から搾り出すような声で「ごめんね」と言った。

「ほら。」

 背を示した篤朗に、由紀は首を横に振って手を差し出した。

「肩、貸してくれたら、歩けるわ。・・・お願い。」

 篤朗は、由紀を支えるようにしてゆっくり歩く。由紀は、はあはあと荒い息を吐きながら歩く。

「ごめん・・・僕、迷ってて・・・なかなか着かないんだ。」

「ううん。・・・一緒にいてくれるだけでいい。」

「キツイだろうけど、どこかに休めるところ探さなきゃ。頑張ろう。」

「うん。・・・田中君で・・・良かった。」

 由紀が、篤朗の胸に頭を少し寄せた。

 由紀は意識まで虚ろになっているのだろうか、それとも・・・?

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ