1.200年前の忘れ物 前編
無色の勇者
1.200年前の忘れ物
-かつて、混沌の泥より湧き出た目も口も無い……生き物かすら判然としない者たちに世界が覆われた。
あれらは触れた存在を変容させ、数多の脅威を産み落とし
一度人類は絶滅の危機に瀕する事となった-
辺り一面砂ばかりの退屈な大地に2人の人影があった。
20代前半くらいに見える粗末な格好をした男と、このような空間と同伴者には似合わない
全体的に少しぴっちりとした服に身を通す灰色の少女。
男の方は鍛え抜かれた肉体を持ち、ボロボロになり既に傷んだ布切れと化したマントを身に纏っている。
軽めの鎧も丁寧に手入れこそされているが無数の傷が入っている。
髪は全体的に青いが一部黒く変色している。
目は光を吸い込むような闇の中に微かな青を宿している。
その見た目からして明らかに気難しそうな戦士は
ただ無言で砂漠の中を突き進んでいた。
「はぁ……はぁ……あ、暑い……」
無言で悪路を何の障害も無いかのように歩き続ける男の後ろを疲れ切った様子の少女が付いて来ていた。
見るからに8歳前後くらいの少女は地に着くほど長い灰色の髪を持ち、金と緑が複雑に調和する色をした目を持っている。
上は首元と袖にかなり余裕があるが、前はベルトで固定されている丈の短い白いローブ
ローブの中には首や指先まで覆う黒い艶のある化学繊維製のシャツが着込まれている。
下はぴっちりとした艶のある黒い化学繊維製のズボンに底が異常に厚い重厚感のある靴。
そして、腰の辺りからは生物の尻尾みたいに自由自在に動く電源ケーブルのようなものが垂れている。
「このくらい我慢しろ」
「はぁ……はぁ……う、あ、あのね
ぼ、ぼくはイナーネと違ってか、身体を動かすのは……に、苦手なんだけど」
辿々しく話す少女にイナーネと呼ばれる男は冷徹な眼差しで少女を見つめている。
「う……あ……」
少女は観念したように止めていた足を動かし始めた。
しかし、少女はこんな酷い扱いを受けているにもかかわらず頬を赤らめて何か喜ばしい事でもあったかのように
ただでさえ疲れで乱れていた息を余計に荒らしていた。
「はぁ……はぁ……ひ、ひひ。
さ、最近イナーネ、良い感じ……だね」
「? 妙な戯言をほざいてる余裕があるならペースを上げるが」
「あ、やぁ……そ、それは…………だめ」
「…………はぁ」
イナーネはため息を吐くと無関心な様子のまま再び歩き始めた。
少女は悲鳴を漏らしつつも、何処か恍惚とした表情を浮かべて必死にイナーネの後を追った。
「着いたぞ」
あれから砂漠を歩くこと1時間、眼球の奥まで焼けるような極暑の中イナーネは建造物の前で足を止めた。
その建造物は半分が砂に埋もれていて外観から見て取れる程に人の気配が無い。
「ひぃ……はぁ……ぜぇ……そ、それで……何なの、こ、ここは」
最早立っているのも限界な様子の少女がイナーネに質問した。
少女は深呼吸を繰り返しつつ、棒になった膝を手で抑えながら汗をダラダラと滴らせている。
その横で汗のひとつすらかかずに涼しい顔をしたイナーネが少女の顔すら見ず、ただ建造物を視界におさめたまま返答していく。
「ここは…………かつて、聖剣を製造していた工場だ」
イナーネは建造物にやや憎悪の籠った視線を向ける。
無理もない……ここはそんな目を向けられて然るべき悍ましい場所だ。
「はぁ……はぁ……、つ、つまり……ぼ、ぼくの故郷かもしれないってこと?」
「いや、お前が製造されたのはここじゃない」
「あ……そう」
イナーネは淡々と返答すると建造物の入口を砂から掘り起こした。
半分ほど砂で埋まっていた入口が200年の時を経てようやく解放されようと言う時、イナーネは手を止めた。
「……変だな。 工場が動いている」
入口の先には明らかに人工的な光が差し込んでいた。
廃工場も同然なのは見ても明らかだが、それと同時に微かだが稼働している形跡があったのだ。
イナーネは止めていた手をさっさと動かして邪魔な砂共を乱暴に退けると、工場の奥へと進み始めた。
「こ、これ……いつの施設なの?」
「聖剣を製造していた工場の中でも最も新しいものだ。
まぁ……聖剣自体200年以上前に10年間しか製造されなかったものだし
そんなに時差があるもんじゃ無いが」
「ふ、ふーん……?」
「……その辺の知識はお前の方があるべきじゃないのか?」
「そ、そんな事は無いよ……ぼくたち “聖剣” は、余計な記憶や情報がノイズにならないように脳を弄られてるから」
「都合の良いように身体を改造されてるのはお互い様か……クソみたいな話だ」
しばらく細く暗い通路を歩いていくと一際開けた場所に辿り着いた。
その空間はまさしく怪しい悪役の研究施設を思わせるような雰囲気であり
等間隔に人一人が余裕で入りそうな円柱状のガラス管が配置されている。
ガラス管の根本は目で追ってもいくつボタンがあるのかすら分からないような装置が一周しており
暗く緑色の人工光が灯る空間を重々しく彩っている。
ふと、イナーネはこの空間の一番端の方から光が来ている事に気付く。
「あっちか」
イナーネは不用心にも武器の一つすら構えず光の方へと歩み始めた。
少女はただそんなイナーネに無言でついていく。
「……これは」
「いてっ……ててて、な、何?」
イナーネがあるガラス管の前で足を止めた。
急にイナーネが足を止めた事で少女はイナーネに激突して倒れた。
「何やってんだお前」
「き、急に止まらないでよ…………ね、ねぇ……そ、それ」
少女はガラス管の方を指差した。
「あぁ…………間違いない。 聖剣だ」
イナーネは少し機嫌を損ねるような顔をしながら呟いた。
ガラス管の中には少女がいた。
ガラス管の中身は緑色に照る液体に満たされており
その中に服を着たままの少女が沈められていた。
口元には機械のマスクが付いており、そこから管が伸びている。
ガラス管の中には固定器具が付いているのか、少女は液体の中においても直立するような姿勢のまま目を閉じて呼吸していた。
イナーネは連れの少女とガラス管の中にいる少女を聖剣と呼んだ。
……そう、彼女たちこそが生ける武器。
勇者と呼ばれる特殊な人間のみが扱いこなせる生体兵器 聖剣。
「ど、どうするの……これ、お、大事だよ……ね?」
「はぁ…………。 面倒な事になったのは間違いないだろうな。
連れて帰るしかないだろ」
イナーネは手探りでガラス管の水抜きをするスイッチを押した。
ガラス管の下へと液体が流れ落ちていき、最後には器具で拘束された少女のみが残った。
少女の瞼が微かに動く。
「う、動いた」
「……」
聖剣は元は人間の少女だが、様々な改造によってその肉体は人間を辞めている。
老化せず、寿命で死ぬ事もなく、日々の食事の他に尻尾から電力を補給して生きる。
目の前にいる少女が200年前の廃工場から発見されたからと言って生きている事自体は何も不思議では無かった。
……そう、幾らここにいる事自体が異質だからと言って
目の前の聖剣が生きている事には何もおかしな事は無い……筈だった。
少女はゆっくりと目を開いた。
それに呼応するかのように拘束は解け、マスクが外れる。
初めて自由を得た少女はおぼつかない足で倒れかけ、その場に両膝をついた。
「………………」
「……い、イナーネ?」
イナーネは、少女を見て完全に言葉を失っていた。
それはまるで、いる筈がないものを目撃してしまったかのようであり
明らかに激しく動揺していた。
「な……んで……お前が……」
「…………あ」
少女……もとい、灰色の少女はガラス管の少女を凝視して全てを “理解” した。
「い、イナーネ……こ、この聖剣は置いていこう?」
「…………」
「イナーネ?」
「っ?! ……悪い、ちょっと動揺しただけだ」
イナーネは心配して駆け寄った灰色の少女の手を振り払い、ガラス管の少女をじっと見つめていた。
「ね、こ、この聖剣、置いていこうよ……ね?」
「それは出来ない」
「そ、それってこれが聖剣だから? そ、それともやっぱりこの子が」
「 『口を閉じろ、聖剣ミュアロパティ』 」
「むぐっ……むー!! むー!!!」
ここまでのやり取りでようやく名を呼んで貰えたミュアロパティは自らの意思に反した圧倒的な力で口を塞がれてしまったかのように抵抗する素振りを見せるが、一向に口が開く様子は無い。
イナーネは明らかに激怒していた。
先程までガラス管から出てきた聖剣に目を奪われていたとは思えない程に、ミュアロパティに対して殺意とも取れる程の怒りを身体から立ち昇らせていた。
「おい……俺は前にも言った筈だ。
例え俺の聖剣であったとしても “アイツ” を軽く扱う事だけは許さん」
「むご……むごご……」
イナーネはミュアロパティの柔らかそうな両頬を右手で正面から潰すように掴み、到底味方に向けて良いものでは無い恐ろしい形相で睨みつけた。
ミュアロパティは観念したのか、両手を頭の高さまで上げて降参を表明した。
「こらイナ! ミュパちゃんを虐めたらダメだよ!
聖剣と良好な関係を築けない勇者は半人前以下だってサタ姉ちゃんに怒られるよ!」
「…………は?」
イナーネがミュアロパティから手を離そうとしたその時、彼にとって容認できない声が背後からかけられた。
イナーネは慌てて振り返るがそこにはガラス管から出てきた聖剣しかいなかった。
「……なぁ、お前今何か話したか?」
イナーネは少女に話しかけた。
先程まであれ程の怒りを顕にしていた様子から一転して、イナーネの目は強烈な動揺や後悔を訴えている。
声にも覇気が乗らず、今にも吐きそうな様子だ。
少女は完全に覚醒していた。
ぱっちりと開いた目は暗い空間のせいで何色とも判然としないが、彼の記憶にベッタリと染み付いた1人の女性が同じ目で頭の奥底から何度も彼の名を呼ぶのだ。
「一体何の事でしょうか? 私は今、初めて口を開きましたが」
「……気のせいだって言いたいのか?」
「はい。 貴方の気のせいです」
(クソ……見た目だけじゃなくて声まで本当にアイツと瓜二つじゃねぇかよ。
ふざけるなよ……何なんだコイツは?!)
「そうか……俺の気のせいか」
イナーネは暗い表情のまま少女の言葉を受け入れた。
そうしなければきっと彼は正気を保てなかったのだろう。
イナーネは一呼吸吐くと冷静を装い、工場の資料室へ向かった。
2人の少女は立ち上がり彼の後を追った。
「それで、お前名前は?」
(あぁ……クソ、もう言い逃れできない。
この聖剣はアイツ…………ヘリオを基にして製造されたんだな)
必要な調査の全てを終えた3人は工場を背にして砂漠に立っていた。
イナーネは改めて少女に聖剣としての名を問いかける。
少女は紅と橙のグラデーションをした炎のような髪と目を持つ。
そして、ヘリオと言うイナーネの記憶にある女性を幼くしたような姿をしている。
ミュアロパティと同じような聖剣装束を身に纏っているが、ミュアロパティと違って剣の鞘を腰に差している。
聖剣は主となる勇者に鞘を渡す事で自らの権能を委ねる。
即ちそれは、この聖剣にはまだ持ち主がいない事を示していた。
紅い聖剣は首を覆うくらいのショートヘアを手で弾き、両手を腰にあてるとイナーネの目をしっかりと見据えた。
「私は…………いえ、ラストチェイン。 聖剣ラストチェインです」
「そうか、俺はイナーネだ。
……こんな名前、どうせすぐに忘れる事になるだろうから
覚えて貰わなくて構わない」
「忘れる訳ないでしょ…………バカイナ」
「……? 何か言ったか?」
「いいえ、何も」
ラストチェインはイナーネに聞こえないくらいの小声で本音を呟いた。
明らかにラストチェインはイナーネに対して何かを隠すような態度を取っている。
それがあのヘリオに瓜二つともなればミュアロパティにとってかなり面白くないだろう。
ミュアロパティはラストチェインを不服そうに睨みつけたまま酷暑に項垂れていた。
「とりあえず工場も出ましたし、頃合いですね。
……はい」
ラストチェインは名乗ったついでと言った軽い勢いで唐突にイナーネの前に空の鞘を突き出した。
「は?」
「……は? じゃないですよ。
受け取ってください」
「……何で俺が、お前の鞘を受け取る事になるんだ?」
「貴方が勇者で、私が聖剣だからですが」
「……えーっと、あのな」
イナーネはため息を吐くと、酷暑も気にしないと言った様子で長々と説明を始めた。
そもそも聖剣とは、適正のある少女を加工して製造するものであり
その過程で特定の勇者が使う事を想定し、調律されている。
つまりどう言う意図にしろラストチェインは製造された以上正規の持ち主となる勇者が既に定められている筈だ。
……オマケに、約1名を除いて基本的に聖剣を2本以上持つ事は出来ない。
そこまでをイナーネが語ったところでラストチェインは手を突き出して静止した。
「いや、全て百も承知ですよ。
私を何だと思ってるんですか?」
「……なら何でこんなバカな事をしてんだ?
空の鞘を渡すって事の意味が分からない訳じゃ無いんだろ?」
聖剣にとって空の鞘はリモコンのようなものだ。
勇者が手にする事で鞘は効力を発揮し、聖剣を命令の楔で繋ぎ止める。
即ち、空の鞘を渡す行為には生殺与奪の権を放棄すると言う意味合いも込められている。
「貴方が私の勇者だからですよ。 勇者イナーネ」
「………………はぁ……嫌な予感はしてたんだよ。
お前を作った奴はとことん俺の事を恨んでくれてるらしいな。
複雑だがまぁ……嬉しいよ、ちゃんと俺を恨んでくれてたみたいで」
「……何故、貴方を恨むんですか?」
「………………」
イナーネがその質問に答える事はなく、ラストチェインは少し顔を歪めた。
イナーネが非常に苦しそうな顔をしているからだ。
彼女には何故イナーネが自らに向けられている筈もない仮想の恨みを嬉しいと語ったのか、まるで分からなかった。
「とにかく、お前からの申し入れは断る」
イナーネは静かにラストチェインを拒絶した。
しかし、ラストチェインは驚きもせず平然とした様子で……
「そうですか……では、鞘を受け取ってください」
イナーネの拒絶を更に拒絶したのだ。
「はぁ……何でこんなところまでそっくりそのままなんだよ」
強引で、尊大で、それでいて誰よりも優しい奴がいた。
そいつは人の言う事は全く聞かず、自分の意見が通らなければ通るまでゴリ押しするような奴だった。
……だが、不思議とそんな文字にするとクソ嫌な奴でしかない女の周りには人が集まっていった。
そして次第に、俺もそんな嫌な奴の事が……
「さぁ、早く手に取って下さい。
きっとしっくり来ますよ、何せこれは貴方の鞘なんですからね」
「……理解して言ってるのか?
俺は2人の聖剣を持つつもりはない。
つまり、お前を選ぶってのはそのまま」
「はい、申し訳ないですがミュアロパティに鞘を返却して貰います」
これ以上ない程にあっさりと言った。
言い放ってみせた。
「は? ……は、はぁ???????」
話の一部始終を隣で聞いていたミュアロパティが遂に我慢の限界を迎えた様子でイナーネとラストチェインの前に割って入った。
「な、なんでぼくがさ、鞘を返されないといけないのか、かなぁ……!」
「でも、見るからに仲が良いようには見えません。
勇者と聖剣の相性が悪ければ両者とも真価は発揮できませんよね」
ミュアロパティはこれでもかと不服を表明するかのようにその場で地団駄を踏み始めた。
しかしラストチェインはミュアロパティの機嫌など全く気にする様子もなく言葉を重ねた。
「う、うるさい……なぁ!
ぼ、ぼくたちはこ、これで良いんだよ」
「確かに、俺とコイツはそんなに仲が良い訳じゃない」
「……イナーネ? う、嘘だよね……?
ぼ、ぼくたち……こ、ここ、ここまで一緒にやって来たよね?」
ミュアロパティは泣きそうになりながらイナーネに縋り付く。
「落ち着け。 そもそも俺にとって聖剣との仲はもうそこまで大事じゃない。
そんな事はお前が1番よく分かってる筈だ」
全くフォローになっていない発言をしながらイナーネはミュアロパティを後ろに下げた。
「と言う訳で、俺はコイツを手放す気は無い。
コイツの力は必要だ。
何度強引に鞘を渡そうとしても無駄だ」
「…………なら、私は誰に鞘を預ければ良いんですか?
貴方が一番よく分かっている筈です。
私の鞘は貴方以外に渡せるものじゃありません」
「……もう、良いんじゃないかな。
勇者だとか、聖剣だとかさぁ」
「? 言葉の意味が分かりかねます」
イナーネは片膝をついてラストチェインの両肩に優しく手を置いた。
「……内地にお前を預けられそうな奴が1人いる。
ソイツは勇者だが、きっとお前の事は人間として大事にしてくれる筈だ。
だから、もう戦の事なんか忘れて幸せに暮らしてくれないか?
俺みたいな生きてるだけの亡霊に拘らなくて良いんだよお前は」
イナーネは本心をそのまま伝えた。
きっとそれはかつての後悔から来るものであり、自らを罰している言葉なのだろう。
しかし、そんなものはラストチェインに関係ない。
「ですが………………!!」
ラストチェインが反論をしようとしたその時だった。
3人の動きが止まった。
地の底から低い音が迫って来ている事に全員が気付いたのだ。
低い音は次第に大きくなり、砂を、大地を揺るがし始める。
「何ですかこれは?!」
「おでましか……さっきの地団駄か?」
「そ、そんな訳ない……でしょ!
ぼ、ぼくのせいじゃ、な、ないよ」
状況が把握できておらず半分パニック状態となっているラストチェインとは対象的に2人は異常なほど落ち着いていた。
そのお陰なのか、生来の判断力の高さ故か
ラストチェインは素早く状況に適応し、すぐに冷静さを取り戻す。
「それで、何が来るんですか?」
「亀だな。 滅茶苦茶デカい亀。
とにかく硬い上に再生する……あと、砂を海みたいに操ってその中を自在に泳ぐ」
イナーネは冷静に迫り来るものの説明をしつつ聖剣2人を小脇に抱えた。
「とりあえずここは離脱しないとまずい……よっと!」
イナーネは一度大きく屈むと足に力を蓄積させた。
蓄積した力は赤い光となって足裏へと流れていく。
そして足元の光が一気に爆発し、イナーネを前方へ押し上げた。
勇者の力……その一端である。
勇者とは、聖剣と対をなす生物兵器であり
圧倒的な身体能力と特異な力を持った存在である。
彼らもまた聖剣と同じように元はただの人であったが
勇者生産工場にて様々な改造を受けた者たちだ。
聖剣と同じく歳を取らず、寿命で死ぬ事はないが
聖剣と共に血も肉も枯れ果てるまで戦わされて最後には兵器として死んでいく。
イナーネが使ってみせたこの不可解な力は “積” と呼ばれるものであり、体内や体表で発生したエネルギーを移動、蓄積、解放する勇者の基本技能だ。
特に歴戦の勇者たちはこの積を緻密かつ素早く扱う事が可能であり
基本技能でありながら積の技量だけで生存率が数十倍にも跳ね上がる。
爆発と共に飛び出したイナーネは爆風を追い風にして走り出した。
足場の悪い砂漠でありながら彼は爆発による加速を全く落とすことなく2人を小脇に抱えたまま高速で移動した。
(凄い……全ての動作に積を取り入れて限界を超えた速度を実現してる……
イナ……貴方一体この200年間どんな生活を送って来たの?)
イナーネがあっさりとやってのけた芸当は正しく神業のそれだった。
積によって移動させられるエネルギーの速度は変えられるが
当然エネルギーの移動速度が速い程扱うのが大変になる。
ましてや、高速戦闘に適応できる程のものともなれば一歩間違うと内部のエネルギー管理を誤り、エネルギーが暴発してしまう。
重心の振りから発生させたエネルギーを全て余さず足の回転と蹴りに回している……全く無駄のないエネルギーコントロール。
この “ただ凄まじい速さで走る” と言うだけの行動で
イナーネの実力は200年前にいたあらゆる勇者たちの比ではない事が証明された。
地鳴りが次第に大きくなり、広範囲の地面が海面のように波立つ。
……そして、ソイツは地中の底から現れた。
足裏の直径だけでも100mはあろうかと言う圧倒的な巨体が
ゆっくりと見えない奈落から地表へと顔を出したのだ。
「でっっっっっっか?!!!
いや何ですかあれデカすぎませんか?!!」
「200年も長生きした上に何十万って数の人間を平らげて肥えた奴だ。
えと、確か名前は…………“漠海のスラファト” だったか?
相応にデカくなるもんだが……ちょっとこれはデカ過ぎるな」
イナーネがいち早くその場からの離脱を選択したお陰で難を逃れたラストチェインは顎が外れんばかりの勢いで驚愕する。
とは言え、彼女がこんな反応をするのも別におかしな事ではない。
その横で平然としているイナーネがむしろおかしいのだ。
「よぉ……200年振りの再会らしいが、生憎俺は記憶力が無くてな」
スラファトと名を付けられた亀は物理法則を無視する程の圧倒的な巨体を顕にした。
その様相は最早個の生物などではない……島だ。
動く孤島とでも表現した方が的を得ていそうな存在がそこにはいた。
砂に覆われた甲羅、6本の足、3本の尻尾。
そして2つの頭に計8つの目。
“混沌” の影響によって存在を滅茶苦茶に書き換えられ悲惨な姿へと成れ果てた者……混獣だ。
「お前には伝言を預かってる。
現代最強の勇者 サタ からだ」
イナーネは右手を横に突き出した。
ミュアロパティはイナーネの “サイン” を受け取ると、身体が光り始めた。
白い光はやがてミュアロパティの全てを覆い尽くし、ミュアロパティの姿と共に弾けた。
次の瞬間、イナーネの右手に弾けた光が収束し
新たな存在を模り始めた。
やがて光は砕けるようにして大気へと消えていき
そこには黒き剣のみが残った。
『い、イナーネ! や、やっちゃえ!!』
ストレートソードだが、その造形は勇者が持つにはやや邪悪であり、赤と紫色の3重にブレた輪郭を持つ。
非常に重厚感のある如何にもRPGモノのゲームでラスボスが手に取りそうなソレは緊張感のない声を発してイナーネに声援を送った。
「……サタからの伝言はこうだ。
『見ないうちに随分と太ったんじゃない?
そこの屍みたいな勇者にでもダイエット、手伝ってもらいなさいよ。
どうせ、砂に埋もれて暇してるんでしょ?』
……だそうだ 」
「……サタ」
ラストチェインの口から小さく声が漏れた。
しかし、その声は亀の咆哮に掻き消されて何処にも届かない。




