第3部.次世代へ 3-46.仙人の娘
淳一は2010年3月に仙人と会った後、仙人の体調が心配になり、時折『食堂大丹波川』を訪ねてみたが、仙人とはなかなか会うことができなかった。最初のうちは少なくとも半年に1度は店に顔を出していたが、次第に頻度が下がってしまった。
2016年の夏、淳一は久しぶりに『食堂大丹波川』の引き戸を開けた。店内には客の姿はなく、店の奥から店主が嬉しそうに出てきて対応してくれた。
「いらっしゃい、聖滝さん。本当にお久しぶりですね」
「1年ぶりくらいかなあ、ここに来るのは。ところで最近仙人は来られていますか?」
「それがですね……」
「その様子では、仙人はあまり来られてはいないようですね」
「ええ……。以前は少なくとも3カ月に1度くらいは顔を出してくれていたんですけど、昨年の夏頃からはまだ来ていないのです。一昨年辺りから仙人の動作が極端に遅くなってきたので心配しているんですよ」
「昔は、私が来ることが仙人には簡単に察知できるような感じで、いつもカウンターの端でワインを飲んで待っていてくれたのに……。寂しいものですね……」
随分と沈んだ気分になった淳一は、定食だけを注文して、誰と話すこともなく食べ終わり、気落ちしたまま店を後にした。
翌年の夏、淳一は1年ぶりに『食堂大丹波川』の引き戸を開けたが、この日も客は誰もいなかった。店主は笑顔で迎えてはくれたものの、どことなく元気がないように淳一には感じられた。
「仙人はやはり来られていませんか?」
「去年、聖滝さんが来られた後も全く姿を現すことはありませんでした。それに……」
「どうかしたのですか?」
「あくまでも噂なんですけど……、仙人は亡くなったのではないか、という話があるのです」
「ええっ、本当ですか?」
「しっかりと確認したわけではありませんが、昔仙人と一緒に渓流釣りをしていた人の話では、仙人はどうも亡くなったようだと言うのです。私も仙人には随分とお世話になってきましたから、仙人の家だと聞いていた所にも行ってみたんですけど、誰も住んではいないようでした。本当のことが知りたくて知り合いの何人かにも訊いてみたんですが、仙人は他人とはほとんど交流してこなかったらしくて、詳細は掴めないのです」
「そうだったんですか……。私には随分と有意義なことを沢山教えてくれていたのに、他の人とはそんなに疎遠だったのですか?」
「本当に聖滝さんだけは特別でしたね。私もあんなに親しそうに話をしている仙人は他では見たことがありません」
「ご家族とかとは連絡が取れないのですか?」
「仙人はご家族のことを私には一切話してくれなかったので、連絡の取りようがないのです」
淳一はあまりにもショッキングな状況に自分が崩れ落ちそうに感じた。暫くの間全く言葉が出て来なかった。突然、店の引き戸が開き、淳一と店主が注目する中、入って来たのは淳一の知らない二人連れの客であった。店の雰囲気は急に明るく変わった。それでも淳一は目を瞑ったまま昔仙人と話していたことを思い出していた。
「聖滝さん、申し訳ありませんけど、聖滝さんの電話番号を書いておいていだけませんか?」
新たな客への対応が一段落した店主がメモ用紙とボールペンを持ってきて淳一に渡した。仙人との会話を頭の中で再現していた淳一は現実の世界に引き戻された。
「えっ、ああ、分かりました」
家と携帯の電話番号を記載すると店主に渡した。
「有難うございます。それから、これは私の連絡先です。これまで自己紹介などしていませんでしたが、私は原島亮一といいます。仙人のことがはっきりと分かりましたら、必ずご連絡致します」
そう言えば、淳一はずっと店主の名前を知らずに過ごしてきた。
「原島さん、よろしくお願いします。必ず、ですよ」
大丹波定食をどうにか食べ終わった淳一は力が入らない足取りで店を出た。
それから1年以上も経った2018年10月、淳一の携帯電話が鳴った。
「『食堂大丹波川』の原島亮一です。聖滝さんでしょうか?」
「はい、聖滝です。本当に久しぶりですね。仙人について何か分かったのですか?」
「はい、やはり仙人は2017年の2月に亡くなっていたのです」
「そうだったのですか……。で、原島さんはどこから確実な情報を入手されたのですか?」
「実は、昨日、仙人の娘さんだという人がこの食堂に来たのです」
「ええっ、仙人の娘さんに会えたのですか?」
「娘さんの話では、仙人とは随分長い間疎遠になっていたのだそうですが、突然仙人が亡くなったという連絡が病院から入ったのだそうです」
「そうだったんですね……。仙人は最後も一人だけで亡くなっていたんだ……」
「仙人が亡くなった後、娘さんは仙人の消息について一所懸命調べたようです。仙人が奥多摩に住んでいたことは直ぐに分かったのだそうですが、仙人の様子を是非知りたいとの思いが強くなって、仙人が住んでいた辺りを訪ね、いろいろな人に話を訊いて回ったそうです。でもなかなか詳しく知っている人には会えなかったようです」
「それで、やっとのことで『食堂大丹波川』に辿り着いた訳ですね」
「そのようです。仙人は聖滝さんとだけは随分と親しく話をされていたことを娘さんにお話したところ、是非聖滝さんにお会いしたいと言われたのです」
「そういうことでしたら、私としても是非お会いして仙人の思いを娘さんにお伝えしなければなりませんね」
「ああ良かった。聖滝さんのことだから、きっと引き受けてくれるとは思っていましたが、ほっとしました。有難うございます」
「いえいえ、とんでもない。お礼を言わなければならないのはこっちの方です。あれ程お世話になった仙人の娘さんなのですから」
「それでは、よろしくお願いします。あっ、そうそう。仙人の本当の名前は長谷川哲郎というのだそうです。娘さんは碧さんと言い、現在の姓は谷口さんだそうです」
「そうだったのですか、仙人は長谷川哲郎さんだったのですね……」
店主は3日後の午後に『食堂大丹波川』で仙人の娘と会う段取りをつけてくれた。
2018年10月下旬の午後3時、淳一は『食堂大丹波川』の中で、仙人の指定席であった短い方のカウンターの端に座っていた谷口碧の横に立った。碧は淳一よりも随分と若そうに見えた。店主の原島が両者を紹介してくれた。
「谷口碧と申します。お忙しいところ、遠くまでお越し願って、本当に申し訳ありません。本来であれば、私が聖滝さんの方にお伺いし、お話をお聴きするのが筋ではありますが、父、長谷川哲郎が好んでいたこの食堂でお話を伺うのが父には相応しい、という店主の原島さんのご助言もいただきましたので、甘えさせていただきました。お許しください」
「とんでもありません。本当に長い間、仙人、いや長谷川さんにはお世話になってきましたので、こちらこそ、是非お話させていただきたいと思っております。ですから、どうかお気になされないようにしてください」
「有難うございます。それでは、父のことを伺う前に、父が家を出ていくようになるまでの経緯について私の方からお話させていただこうと思いますが、よろしいでしょうか?」
「はい、仙人はそのことに関しては何も話してくれませんでしたので、私たちもずっと気になっていました。是非お願いします」
淳一は再び仙人と言ってしまったことに気が付いたが、今更『長谷川さん』と呼ぶのは無理だと思い、そのまま続けることにした。カウンターの奥で二人のやり取りを聞いていた店主が、一歩前に出てきた。
「あのー、今日は店を閉めたことですし、大変申し訳ありませんが、私にもお二人の話を聞かせていただけないでしょうか?」
「私よりも原島さんの方が仙人について良く知っていることも沢山あると思います。是非、一緒に話をしてください。お嬢さん、よろしいでしょうか?」
「はい、勿論です。むしろこちらからお願いすべきでした」
店主は嬉しそうな顔をして、用意してきた熱いお茶が入った湯飲みを二人の前に置き、カウンターの内側に椅子を持って来て座った。
三人とも一口お茶を啜るとほんの少しではあったが、話す準備が整った安堵感が漂った。
「それでは、始めさせていただきます」
碧の言葉に淳一と店主は軽く頭を下げた。
「父は商社マンでした。典型的な猛烈社員だったのだと思います。日本にいた時、家で過ごしていた父の姿を思い出そうとしても、なかなか映像として出て来ないのです。それくらい働いていたということになるのだと思います。休日も仕事だと称してゴルフに行ったり付き合い麻雀をやったりしておりまして、ほとんど家にはおりませんでした。ですから、父は家に束の間の睡眠を取るために帰ってくるのだ、としか思っておりませんでした。母や私たち子どもに対して愛情を感じていると思うことはできなかったのです」
「そうだったんですか。確かに昭和の時代のサラリーマンはそんな姿が一般的だったのかもしれませんね」
淳一は父健次の現役時代の姿を思い浮かべてそう言った。
「確かに、あの頃はそんな時代だったのかもしれません。でも、私たちにとってはとんでもない父の態度としか映りませんでした。そのうち父はアメリカ勤務を命じられました。会社では海外赴任する際は家族同伴が原則だったらしいのですが、私と弟は小学生でした。私たちはアメリカに行っても父は日本にいた時と同じように仕事しかしないのであろう、と思ったのです。何度か家族会議をしたことを覚えています。私たち子どもが日本で教育を受けることを望んだこともあり、結局、父は単身赴任しました。
父はアメリカに7年いた後、そのままドイツに行き、そこでも10年近く駐在していました。日本に帰国していた時期も何回かはありましたが、直ぐにまた海外駐在してしまい、その後もいくつかの国に住んでいました。定年まであと数年を残すだけになった時、長い海外駐在を終えて父は日本に帰ってきたのです。
帰国した父には、昔日本にいた時のような沢山の仕事はもうなかったようでした。つまり、父は急に暇になってしまったのです。仕事一筋に生きてきた父には趣味の世界を広げる余裕はなかったのでしょう。サラリーマン時代にやっていたゴルフや麻雀は仕事としてやっていたようで、自分の趣味とは考えていなかったのだと思います。定時の終業時間が来ると、真直ぐに家に帰ってくるようになりました。
そこで大きな問題が生じたのです。私たちは父の通勤を考えて都心の高層マンションに住んでいました。一般的なサラリーマンにとって都心のマンションは高価でした。ですから、それほど居住スペースは広くなかったのです。非常に長い間、家に居なかった人が自分一人だけで使うことができる部屋はもうありませんでした。もちろん、日本に住んでいた頃にはきちんと父の書斎がありました。でも使いもしない部屋を空けておく余裕はなかったので、子供部屋に変わっていたのです」
「そうでしたか、仙人は家に帰っても居場所がなかったのですね」
淳一が頷きながらそう言った。
「はい、その通りだったのです。家に帰ってきた父の居場所はリビングルームになりました。家族全員で使う場所ですから、父も落ち着かなかったでしょうし、私たちも父がいると何となく煙たいような気持になって、直ぐに自分たちの部屋に行くようになってしまいました。あの当時には気が付かなかったのですが、恐らく父は会社でも確固たる自分の居場所を見つけることができていなかったのではないかと思います。定年退職をじっと待つ身の、いわゆる窓際族になっていたのでしょうね。しばらくすると、父は会社に出勤しない日は朝早くからどこかに出掛けて行くようになりました。私たちにとっては、父が家にいないことが長い間日常となっていましたので、特に心配することもなく、むしろほっとした気持ちで過ごしていました」
ここまで話した碧は一度目を閉じ、何かを思い出しているような表情となった。淳一と店主は、碧が話し出すのをじっと待った。
「ある日、父は突然会社を早期退職し、家から出て行ってしまったのです」
「家族には何も告げずに、ですか?」
「母に向けた簡単なメモだけはありました。そこに書かれていたのは、私たちの日々の生活を支障なく続けていくためのお金や家のローンについてでした。月々の必要経費はこれまで通り銀行の口座から引き出せること、いくつかの銀行に退職金のほぼ全てが入金してあること、家のローンも同じように別の銀行口座から引き落とされるように手配してあるので心配はいらないこと、数年後には年金を受給できるようになるので、その時が来たら父が手続きを行ない、お金は全額私たちが使う銀行に振り込まれるようにすること、などが書かれていたのです。つまり、父はほぼ全てのお金を私たちに残し、自分はほんの少しのお金だけでそれから先の生活を賄ってきたのです」
「なるほど、そういうことだったのですね」
それまで口を挟まずに聞いていた店主は合点がいったような表情で言った。淳一や碧の怪訝そうな顔を見て、更に言葉を追加した。
「いやね、私から見るといわゆる商社のエリート社員だった仙人が何故こんなに質素な暮らしをしているのか不思議で仕方なかったものですからね」
続いて淳一が質問した。
「仙人が家を出ていく心境というか、理由みたいなことは書かれていなかったのですか?」
「はい、そのメモには父の気持ちについては何も書かれていなかったのです」
淳一と店主は何故か納得したような気持になってお互いの目を見てから同時に頷いた。
「父が家を出て直ぐは、家の中の鬱陶しい雰囲気がなくなって良かったと感じたことは確かにありました。でも、しばらく経つと、何故父が家を出たのか、その理由が分からなくて次第に重たい気持ちになっていきました。その後、父からは全く連絡がなく、私たちも父のいない生活に慣れていくと、父の気持ちを深く考えることさえしなくなってしまいました。そんな生活が随分長く続きましたが、昨年の2月になって、突然父が亡くなったとの連絡がこの近くの病院から入ったのです。原因は心不全でした。父は財布の中に、『自分が死んだら、家族に連絡してくれ』というメモと私たちの連絡先とを入れていたのでした」
「それで、仙人が暮らしていたこの辺りを調べられたわけですね?」
「はい、とりあえず葬儀を行なった後、病院に入院する時に父が書いた書類にあった住所に行き、周辺の人たちに訊いてみました。父は自分の事を全く話していなかったようで、詳しいことを知っている方は見つからない状況が続いたのですが、つい最近になってある人がこの『食堂大丹波川』のことを教えてくださったのです」
「なるほど、それでこの店に来られたということですね」
店主はようやく合点がいったという顔になった。今度は淳一が碧に質問した。
「それで、碧さんはどのようなことをお知りになりたいのでしょうか?」
「はい。先ずは父がどのように生活していたのかということです。お金はほぼ全て私たちに与えてくれていたのです。どうやって生活の糧を得ていたのか知りたいのです。その次は、日ごろ父はどのようなことを考えていたのか知りたいのです。それが分かれば、何故父が家を出て行ったのか、家族を放ったらかしにしていたのかが推測できるのではないかと思うのです」
「分かりました。我々二人で知っていることをできる限りお話します。日々の生活に関しては原島さんの方が詳しいと思いますから、お願いします」
「はい、分かりました」
「よろしくお願い致します」
店主は頷いた後、大きく深呼吸をしてから話を始めた。
「この辺りで長谷川さんと少しは関係のある人たちは皆、長谷川さんのことを『岩茸石仙人』あるいは単に『仙人』と呼んでいました。それは、見た目がまるで仙人のようであったことと、日々の暮らし方も文明とは一線を画しているような自給自足的な生活をされていたことからだと思います。私とは川魚やワサビの仕入れで付き合いがあったためか、他の人たちよりはご自分のことを話してくれました。
若い頃は商社に勤務していて、数カ所の海外事業所に何年も駐在し、定年を数年残して早期退職してこちらでの生活を始めたと言われていました。奥多摩に岩茸石山という山があるのですが、その麓に掘っ立て小屋みたいな家を作って、ほんの少しの土地に野菜を植えて生活されていました。何か事情があるらしくて年金は自分のためには使えないとも言われていましたが、先ほどのお嬢さんの説明で理由がよく分かりました。それで、肉や米などを買うために最小限の現金は必要なので、近くの沢の小さなワサビ畑を借りて栽培したり、大丹波川や周辺の清流でヤマメ、イワナ、マスなんかを釣って地元の料理屋にそれを売ったりして幾ばくかのお金を得ていたのです。
この店がまだ大丹波川の近くにあった頃、川魚やワサビを仙人から買ったことがきっかけで親しくなって、その後ずっと魚やワサビを仕入れさせてもらっていました。それ以外にもちょくちょくこの店には顔を出してくれていたんです。魚やワサビでは金額が足りない時はアルバイトをしていました。仙人は仕事でアメリカとドイツに住んだことがあると言っていて、英語とドイツ語の翻訳をしていたようです。出来上がると出版社に持ち込んでお金を貰うんです。その帰り道、必ずここに寄って、自分で買ってきたワインを飲みながら食事をされていました」
碧は自分が全く知らなかった父の倹しい生活を聞かされて目に涙を浮かべた。
「父はそんな質素な生活をしていたのですね……。それなのに、私たちは随分と裕福に暮らしてきていたんだ……」
碧はその後の言葉が続かなかった。
「長谷川さんの風貌は余計な脂肪など付いていない筋肉質で強そうな体に見え、あまりにも仙人のようだったので、私は訊いてみたのです。そうしたら、『若い頃は登山をしていたんだが、ここ何十年もスポーツはしていない。体に必要な食べ物だけを摂り、野菜作り、ワサビの栽培、魚釣りなどを生業として行なっていれば、筋肉は自然と鍛えられ余計な脂肪が付くこともないので、こんな身体つきになったんだ』って言われました」
「そんなにスリムだったのですか。昔の父はどちらかと言えば、ぽっちゃり系でしたけど……。きっと想像できないような苦労をしたのでしょうね……」




