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アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
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第3部.次世代へ 3-38.地球温暖化と地球磁場

 2006年10月、淳一は定年まであと1年を残すだけとなり、これまで務めてきた研究組織からいわゆる窓際族となって『研究本部付』として異動になった。新たな職場は、研究本部のブレインを支えるスタッフが主に使っている居室で、大部屋の中に大勢の社員が向かい合って座っていて、常にざわついていた。現場で実際に研究している人たちと一緒に少人数で使う静かな居室にいるのと違い、その雰囲気に淳一が馴染むことはなかった。

 仕事は何もしなくても恐らく誰からも文句を言われることはないだろうとは思ったものの、そんな時間の過ごし方は、これまで必死に研究してきた淳一にはとても許せるものではなかった。そこで、現役の研究者が忙しくてなかなか時間を割けない、薬創りに関連した調査に取り組んでみることにした。


 11月下旬の土曜日、淳一は一人でK老人病院に行き、チヨの昼食介助を問題なく済ませた後、真直ぐに『食堂大丹波川』に向かった。店の引き戸を開け、店内を覗くと、岩茸石仙人は静かに座ってグラスに注いだ赤ワインを愛おしそうに味わっていた。

 淳一は店主にお決まりの注文をしてから席に座り、赤ワインで乾杯後、母の状況を仙人に報告した。

「母は決して良くはなっていませんが、著しく悪化しているとも思えない状況です。きっとこのままじわじわと進行していくのをただじっと見守っていくことしかできないのでしょうね」

「まあ、そういうことになるのでしょう」

 それで二人の会話はしばらく途絶えた。


 ワインを一口含み舌の上で転がしてから飲み込んだ淳一は、思い出したように仙人に質問した。

「最近は地球温暖化についていろいろと言われていますが、仙人はどのようにお考えなのでしょうか?」

「確かに、地球は産業革命以降、温暖化しているようです」

「やはり、温暖化は防がなければいけないのでしょうね」

「私も何かの資料で地球の気温に関するデータを見たことがあるのですが、最近の気温上昇は間違いないように見えましたね。このまま放置しておくと、多くの人たちが心配していることが現実のものとなってしまう危険性はあるように感じています」

「そうですよね……。私たちも何らかの手を打たなければならないですね」

「地球上で生きている人間一人ひとりが何らかの貢献をしなければ、この問題は解決できないでしょうね。ところで、我々は何のために地球温暖化を防ごうとしているのでしょうか?」

「何のために、ですか……。それはやはり地球の環境を悪化させないためだと思います」

「地球環境が悪化するとどうなるのでしょうか?」

「それは、人間をはじめ多くの生き物たちが生存するのに適していない環境がもたらされてしまうからでしょう」

「『人類を含む地球上の生物の生育環境を守るため』ということですよね。そうだとすると、『地球温暖化を防ぐ』ことだけを考えて実行していたのでは十分ではない、ということになりますね」

「えっ、どういう意味ですか? 地球温暖化を防ぐのは意味のないことだと言われるのですか?」

「いえいえ、温暖化を防ぐことは現時点では非常に重要だと思っていますよ。私が言いたいのは、『人類を含む地球上の生物の生育環境を守るため』という観点からは、温暖化防止だけでは十分ではない、ということです」

「詳しく説明していただけませんか?」

「分かりました。ただし、少し長い話になってしまうと思いますが、聖滝さんはよろしいですか?」

「ええ、勿論です。私はこの後つくばに帰るだけですから」


 岩茸石仙人は、淳一に話す内容を整理しているかのようにしばらく目を瞑り言葉を発しなかった。淳一には随分と長い時間に感じられたが、じっと待った。

「温暖化以外にも、地球磁場、オゾン層、大規模噴火、巨大隕石の衝突、大気中酸素濃度など、現在の地球上の生物の生育環境を破壊しうる事象は沢山あると考えられています。そして、非常に長い時間軸で考えた場合、太陽系に属する地球上に生きている我々は、太陽は永遠に現状のままではいられない、ということも頭に入れておかなければなりません」

「そんなに沢山のことを考えなければならないのですか……」

「それが現実なのです。取り敢えず、先ずは温暖化について話を進めましょう。今、温暖化の原因になっているということでやり玉に挙がっているのはどのようなことでしょうか?」

「確か、それは化石燃料を使ってエネルギーを得る際などに、炭酸ガスが大量に発生し地球の温室効果を高めてしまっていることではなかったかな……。」

「そうですね。このまま温暖化が進むと、海水温が上昇してしまったり、夏の生活が厳しくなったり、台風の強度が上がるとか、氷河が融けて海面が上昇し海抜の低い土地が海に沈んでいってしまうとか、特定の地域での異常乾燥や異常降雨といった災害が酷くなっていくように心配されていますよね。それでは、温室効果は『絶対悪』なのでしょうか? 聖滝さんはどう思われますか?」

「少なくとも現在は、ほとんど絶対悪のように言われている気がしますが、逆に、地球が氷河期のような状況になるのも、想像するだけで恐ろしいように感じますね」


「温室効果は物理現象です。太陽光によって地球の表面が熱せられ、その後赤外線として大気に放射されます。炭酸ガスなどは赤外線を吸収して大気の温度を上昇させ、再び地表を温めてしまうのだそうです。ただ、もし地球に温室効果がなければ地球表面の気温は氷点下数十度に冷え込んでしまうと計算されているそうです。

 人間を含め地球上の生物を構成している物質は、そのほとんどが水です。現時点での地球上の生物が水を利用して生きていくためには、少なくとも水は液体でないと拙いのです。液体でも45度以上の高温ではかなりの困難を伴うし、水蒸気でも氷でも生命を維持していくのは難しいのです。

 つまり、温室効果は悪い事ばかりではなく、地球上の生物たちを守ってくれている部分もあるのです。この地球が適温のまま維持できるのか、あるいは、熱くなり過ぎてしまうのかは微妙なコントロール次第と言えるのかもしれませんね」

「なるほど。ある事象の一面だけに拘ってしまうと落とし穴に嵌まり込んでしまうということですね」


「先ほど仙人は、『人類を含む地球上の生物の生育環境を守るため』には温暖化以外にも、いくつかの重要な事がある、と言われましたが、私には『地球磁場』がどのように関係しているのか、よく分からないのですが」

 仙人はゆっくりと頷くと、一呼吸置いてから次の話題に移った。

「太陽系の惑星には、地球型と木星型とがあることはご存知ですか?」

「はい。確か、水星、金星、地球、火星とその外側の小惑星帯までを『地球型惑星』といい、金属と岩石でできていて、その外側の木星、土星、天王星、海王星、冥王星はガスが主体の惑星で、『木星型惑星』というのだと思います。ただし、太陽系の中に冥王星よりも大きな天体がいくつか見つかってきたために、冥王星を惑星の仲間として扱ってよいものかどうか、という議論はありますけれど」

 仙人は淳一の答えに頷いた後、説明を始めた。

「『地球型惑星』は全て中心から半径の半分までが金属で、外側の半径の半分は岩石で構成されているそうです。現在の地球の半径は6400キロメートルあり、内側の半分は鉄とニッケルを主成分とする金属でできていて、液体でできた外核と、個体の小さな内核の二重構造を持つとされています。27億年前に外側半分にあるマントルが地球内部に沈み込むターンオーバーが起き、崩落した大量の低温のマントル物質が、液体金属である外核の表面を局所的に冷却したのです。その結果、液体金属の外核は対流し始めました。さらに地球は自転していますので、その作用により液体金属はらせん状に回転することになりました。液体金属はいわば電子の塊とも言えますから、この電子の流れによって磁気が発生したという解釈がなされています。まあ、電磁石が出来上がったというところでしょうか。こうして地球磁場ができたわけです」


「地球磁場が発生した経緯は分かりましたが、それが『地球上の生物の生育環境の維持』とどのように関係しているのでしょうか?」

「聖滝さんはオーロラを見たことがありますか?」

「はい、一度見たことがあります。あれは仕事で会社の研究員何人かとアメリカのボストンに出張した時のことです。成田空港から北極圏回りでニューヨークまで行く飛行機の中で、私たちは熟睡していました。突然、熟年のパーサーの方が起こしてくれたのです。一番先に目を覚ました人は飛行機の窓ガラスに張り付いたままになっていました。私も若干遅れましたが、窓にぴったりとくっついて外を見たのです。そこには下側だけがくっきりと一本の線のように見え、上にいく程ぼやけていく無色のオーロラが強風にはためくカーテンのように、形状を次から次へと変化させながらいくつも姿を現してくれていたのです。オーロラは直ぐ近くにあるように見えたので窓から手を出せば掴むことができるのはないか、と錯覚する程でした。その時は随分と長い間オーロラ劇場を楽しむことができたのです。教えてくれたパーサーも、『我々は数多く飛行機に搭乗していますが、これほど沢山のオーロラを見ることはそう多くはありません』と言っていました」

 淳一は話し終えてからも当時のシーンを思い出して興奮が収まらない表情をしていた。

「ほう、それは本当にラッキーでしたね。ところで飛行機の中で見たオーロラには色が着いていなかったのですか?」

「ええ、無色に見えました。何回か見た地上からのオーロラの映像では色が着いていたので、そのパーサーに訊いてみたのです。そうしたら、飛行機の中から見えるオーロラには色は着いていない、とのことでした」

「そうですか。私も何回か北極圏の辺りを飛行機で通りましたが、聖滝さんが話されたような光景には出会ったことはありませんでした。貴重な経験をされましたね」

 仙人は本当に羨ましそうな眼をして淳一の方を見てから、少し沈黙した。


 淳一の気持ちの昂ぶりが収まったのを確認してから仙人は改めて質問した。

「ところで、オーロラは何故見えるのでしょうか?」

「宇宙からやってくる何かが地球上空にある分子などと衝突して光るのだと思いますが、きちんと覚えてはいません」

「太陽の表面温度は六千度ほどで、その上空には高温のプラズマから成るコロナがあり、その温度は百万度もあるのだそうです。プラズマとは、気体を構成する分子が電離し陽イオンと電子に分かれて運動している状態のことで、電離した気体に相当するということです。このプラズマは秒速数百キロメートルの速度で太陽風となって地球に到達します。保護するものがなければ、地球の大気は剥ぎ取られてしまうだろうと推測されています。しかし、現在は幸いなことに地球には磁場があるのです。プラズマはこの磁場に捉えられると、地表ではなく地球の裏側に伸びていき、その後跳ね返るのだそうです。そうしてプラズマは北極圏の夜空に降り注いでくるのです。プラズマが大気中の窒素分子や酸素分子と衝突することで光を放つのです。つまり、地球磁場が地球から大気を奪われないように守ってくれているということになるのです。地球上の生物が長い間生存し続けることができた理由の一つだと考えられているのです」

「そういうことでしたか。地球磁場が無くなった時のことを想像するだけで恐ろしくなりますね。我々はオーロラを感謝の気持ちを込めて見なければいけませんね」


 仙人は少し疲れたのか、グラスに赤ワインを注ぎ、目の上に掲げて美しい透明感のある赤色を確認し、少量を口の中に含んで舌の上で転がした後、旨そうに喉を通した。

「ところで、地球の近くに地球とよく似ている火星という惑星がありますね。数十億年前の火星はまるで地球のような環境だったと考えられています。その頃は分厚い大気が火星を覆い、広大な海が存在していたと言われています。しかし、現在の火星は冷たく荒れ果てた岩石惑星で、表面は赤褐色の乾いた砂で覆われています。一方、地球は今まさに繁栄していますね。この似ている二つの惑星はどうしてこんなにも異なった状況になってしまったのでしょうか?」

「確かに、SF小説などで火星人が出てきたりしましたから、大昔の火星が地球のような環境であったと言われてもあまり違和感はありませんね。しかし、どうして現在の火星が地球とは全く異なった厳しい環境にあるのかは私には全く想像がつきません」

「一番の原因は火星の直径が地球の半分くらいしかなかったことだと考えられているのです。火星の磁場を作り出していた外核の金属は液体の状態でしたが、地球よりもずっと早い段階の数十億年前に冷えて個体の状態になったことにより、電子としての動きが止まってしまったのです。つまり、火星磁場のスイッチが切れてしまった訳です。磁場という火星の防護壁がなくなったため、火星の大気は太陽風により剥ぎ取られていき、宇宙空間へと流れ去っていってしまいました。磁場の保護がなくなったことで、火星の海は蒸発し、表面は凍ってしまったのです。その結果、火星はその姿を一変させたと考えられています」

「そうなんですか……。地球も大気をしっかりと保って外核が冷えて固化しないようにする必要があるのですね。つまり、『地球上の生物の生育環境の維持』のためには地磁気は非常に大切なもので、我々は地球磁場のスイッチが切れないようにしていかなければならない、ということですね」

「そういうことになります。『温暖化を防止する』と言っても、地球を生物にとって棲み易い状態に維持することを念頭に置いて行動しなければならないのです」


「地磁気と言えば、茨城県には石岡市に気象庁地磁気観測所があります。父がよく言っていましたが、この観測に悪影響を及ぼさないためにJR常磐線は取手付近で直流電流から交流電流への切り替えがあり、昔は短時間ではありましたが車内の電気が常夜灯だけになり、しばらくしてから再び明るくなったそうです。新しく敷設されたつくばエクスプレス線では、車内の明かりが消えたりはしませんが、守谷とつくばの間を走行する車両は全て交流電流でも動くものを使っているそうです。守谷と秋葉原間だけを走行するのは直流電流の車両で、コスト的にはこちらの方が良いのだそうです。そのせいで守谷からつくばまでの運行本数が少ないのではないかと思って不満に感じていましたけれど、これ程貴重な地磁気をしっかりと観測し続けていただくためには、我々も文句を言っちゃいけませんね」

「地磁気が現在どのようになっているかということは、地球に棲む生物にとって非常に重要なことですから是非協力してほしいものですね」


「先ほど仙人は、地磁気以外にもオゾン層、大規模噴火、巨大隕石の衝突、大気中酸素濃度などの要因が重要であると言われていました。それらのことについても詳しく知りたくなりました。教えていただけませんか?」

「そうですね……。今日はいささか話疲れました。他の要因については、また別の機会に順次お話しすることにしましょう」

「あっ、そうですよね。済みません、仙人のことも考えずに自己本位なお願いばかり言って。それでは、また機会をみて話してください。今日は本当に有難うございました」


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