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アルツ、仙人、そして  作者: 夏瀬音 流
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第3部.次世代へ 3-36.成年後見

 健次の遺産相続について調べていくと、大きな問題があることに三人は気付いた。チヨはもう自分の意思で実印を押すことができないことは誰が見ても明白だったのだ。健次が亡くなった後の手続きを遂行していくためには、チヨに関する成年後見の申請が必要であった。

 子供たちで相談し、後見人は淳一がなることを前提に調査を進めた。研究所の仕事で多忙を極めていた淳一の負担を軽くすべく、申請手続きに関しては真理と裕子とで手を尽くして調べた。三人とも法律に関する知識は皆無に近いと言ってもよいような状況だったので、家庭裁判所に行って『成年後見申立ての手引き』という冊子を入手した。そこには、制度の説明から始まり、申立ての手続きの進め方、後見人の職務内容など、手引きをしっかりと読めば何とか申立てができそうに思える程きちんと記載されていた。


 10月半ば、真理から淳一のところにメールが届いた。

『先ほど、K老人病院に行ってきました。お母さんは痩せてきていますね。食事は、本当に飲み込みが悪くなっていて、半分食べるのがやっとでした。病棟の師長さんに成年後見申請に必要な診断書の作成をお願いしました。この病院の方々はやはり色々ご存知で、お母さん担当の先生の代わりに別の先生が書くかも知れないとのことでした。相談室の担当の方に、『また受け取りに来ます』と言って書類を預けてきました。あちらで書き終わったら連絡がお兄さんのところに行くと思いますのでご対応ください』

 三人は協力しながらチヨの成年後見申請に必要な書類を揃え始めたが、申立書関連、後見人や被後見人の預金や財産関連、住所や戸籍や登記関連、相続関連等、30種類程も作成しなければならなかった。


 チヨの財産目録や収支状況報告書は、チヨがずっと入院していて細かい支出がほとんどない状況にあったため、随分と簡単に記載に必要な情報を集めることができた。問題は父健次の遺産分割に関する資料作りであった。

 先ずは健次が遺した遺産目録の作成から取り掛かり、真理と裕子とで精力的に調べ、そう時間を掛けずにリストアップすることができた。不動産は路線価を参照しておおよその額を算出し、現金、預貯金、株券を合わせた総額を見積もってみると、課税対象額には届いていないと判断できたので三人は随分と気が楽になった。

 この遺産をどのように分割するかについても子供たちの間では全く揉めることなく大枠についての話し合いが付いた。これまでも健次と一緒に住んでいた裕子に土地と家屋を相続してもらい、他の遺産をチヨと淳一と真理とで分けることにした。この分割案に三人は若干不安を感じていた。法定相続比率から考えると、健次の配偶者であるチヨには遺産総額の半分を相続する権利があるが、不動産の総額が遺産の多くを占めていることからチヨの相続分がかなり少なくなってしまうため、家庭裁判所で認められないかもしれないという懸念であった。どちらにしても遺産相続には時間が掛かりそうだったので、成年後見申請には取り敢えず遺産分割協議書(案)という形で提出することにした。

 愚痴をこぼしながらも必要書類を兄妹で協力して必死に集め、何とか揃えることができた全ての書類を重ねると三人にとっては随分と分厚く感じられた。


 2005年11月1日付で、申立人と後見人の候補者をチヨの長男聖滝淳一とした成年後見開始申立書をチヨの現住所を管轄する家庭裁判所に三人揃って出向いて提出した。

 提出時に担当事務官によるヒアリングが行なわれた。淳一は母チヨの現状を簡単に説明し、自分が成年後見人になるのが一番良いと考えていることを伝えた。事務官から心配事はないかと訊かれた際、遺産分割の配分比率に関して心配していることを話してみた。嫌な顔をせずに事情を聞いてくれた事務官は、淳一に『上申書』を書いて提出するよう勧めてくれた。

 『上申書』とは一体どんな文書なのかも知らなかった淳一は、インターネットでいくつかの例を探してみた。自分たちの状況に近い文書を参考にして草案を書き、真理と裕子に手直ししてもらい、試行錯誤の末に申立人を淳一とした以下のような上申書を11月6日付けで家庭裁判所に提出した。


『先に提出しました「遺産分割協議書(案)」作成において、最も重要視したことは以下の2点であります。

1.東京郊外に所在する土地、家屋は分割せずに相続したい。

2.1997年7月よりK老人病院に入院し、現在高度痴呆症になっている母、聖滝チヨが安らかに入院生活を全うできるようにしたい。

 1関しまして以下に説明致します。本年9月6日に逝去した父、聖滝健次は、祖父の代に手放し隣家に買ってもらっていた生家が所在する土地、家屋を、一所懸命働いて買い戻しました。生前、このことを非常に嬉しそうに我々子供たちに話しておりました。この父の努力を無にしないためにも、土地、家屋の分割をしないで子供たちのうちの一人が相続して守ってゆきたいと考えました。子供たちのうち、長男淳一は茨城県つくば市に、長女真理は山梨県甲府市に、それぞれ生活の居を構えており、父の生家からは離れて住んでおります。一方、次女裕子は父の生家あるいはその近隣に住み続け、亡き父の土地、家屋を守ってゆくには最も適していると判断致しました。

 2に関しまして以下に説明致します。K老人病院は認知症等の老人病院としては日本では最も信頼できる病院であります。病院関係者の対応は優しさに溢れており、この病院で安らかな入院生活を続けることが、母チヨにとって最良の対応であると認識しております。入院費用はこれまでは月額20万円弱であり、今後値上がりすることが予想されております。従って、母チヨへの分割は換金性の高い預貯金を充てることが最も良いと判断致しました。

 以上のような状況判断のもとに、「遺産分割協議書(案)」を作成致しましたが、この分割案は絶対的なものではなく、調整の余地はあるものと考えております。

 上記の状況をご勘案の上、ご判断いただきたく、上申書を提出させていただきます』


 上申書を提出すれば直ぐにでも家庭裁判所から何らかの指示があるものと期待していた淳一たちであったが、成年後見人の審判に関しては時折連絡が入るものの、上申書に関して触れられることはなかった。


 この年の12月7日付けで家庭裁判所からチヨの後見開始事件についての事務連絡が来た。淳一はこういう申立も『事件』と呼ばれていることに若干の違和感を持って受け止めた。同封されていた審判書謄本によれば、『淳一をチヨの成年後見人として選任する。その理由として、チヨには後見開始の原因及び必要性があり、その成年後見人には本人の子である淳一を選任するのが最も相当である』と書かれていた。

 2週間の確定期間が設けられていて、その期間内に誰からも異議が出されなければそのまま審判が確定し、その効力が生じることになる。裁判所で審判が確定したことを確認した場合、後見人には『後見人の職務について』という書面が送付され、そこに審判確定日が記載されている、とのことであった。さらに、法務局に後見人として登録されるのは、書面が手元に届いてから2週間くらいが目安であるとの但し書きがあった。淳一が直ぐに妹たちにメールで知らせると、同じ家庭裁判所の書記官からチヨ宛に、淳一をチヨの成年後見人に選任する旨の審判があった、という簡単な通知書が届いたとの返信があった。


 2006年に入ってから家庭裁判所から書類が届き、前年の12月27日に成年後見人の審判が確定し、淳一が母チヨの成年後見人として法的に認められたと記載してあった。送付されてきた冊子によれば、『後見人は、被後見人であるチヨに代わって契約の締結等を行なうなどしてチヨを援助したり、チヨが誤った判断に基づいて契約を締結した場合にそれを取り消したりなどしてチヨを保護し、その利益を守る人である』と記載されていた。さらに、『利益相反行為に該当する場合は家庭裁判所に相談しなさい』とあり、その際、『特別代理人選任の申立て』が必要な場合があるとも書かれていた。淳一は、父健次の遺産相続はこれに該当するのであろうから、かなり面倒な状況になりそうだと思った。

 父健次が亡くなってから4ヶ月が経ってようやくチヨの成年後見人として淳一が認定されたことになった。三人の子供たちにとっては本当に長くてストレスの掛かる作業に感じられた。

 淳一の成年後見人としての最初の仕事は、チヨの財産目録と収支状況報告書を作って期限内に家庭裁判所の担当係に提出することであった。

 淳一がチヨの成年後見人になれたので、健次の遺産相続の手続きを行なう環境は整ったが、2006年4月を迎えても相変わらず家庭裁判所から上申書に関するアドバイスや指示が来ることはなかった。


 淳一は通常の60歳定年退職まであと1年半となった。淳一が勤務している会社では定年退職の半年か1年くらい前に現場を離れ、いわゆる退職準備のための期間を過ごす閑職に異動させられるのが常であったので、淳一が研究現場で責任者としていられるのもあと半年か1年となった。次世代を担う研究者たちが少しでも良い環境で研究を行なえるようにとの思いで、淳一は仕事の手を抜くことはなかった。

 そんな淳一にとって家庭裁判所から音沙汰がないことは、父の遺産相続の作業を精力的にはやらないことへの言い訳の一つになっていた。とは言え、何とか先に進めなければならないという一種の脅迫感もあったので、アドバイスを要請する文書を家庭裁判所の担当事務官宛に送付した。


 1ヶ月経っても家庭裁判所からは何の音沙汰もなかったが、5月半ばになってようやく担当の事務官と電話による連絡を取ることができた。先ず相手が告げたことは、淳一担当の事務官が交代したということであった。電話の主は、最初に申立書を家庭裁判所に提出した時から数えて3人目の担当者であった。

 家裁の新たな担当者からの説明内容は主に2つあった。1つは、淳一たちが行なおうとしている遺産相続の場合、特別代理人は必要である、ということであった。もう1つは、一般的に言って遺産相続は法定の比率に近くないとなかなか難しい、と事務官である担当者は考えるが、最後は裁判官が決めることなので、事務官としては断言することはできない、とのことであった。

 淳一は、『これじゃ、最初とちっとも変っていないじゃないか』と思ったものの、言葉遣いが乱暴にならないように気を付けながら、少しでもアドバイスをしてもらえるようにお願いしてみた。結局、担当の事務官としてはうまい方法は考え付くことはできないようで、『専門家に相談すれば、良い方法を考えてくれるかしれませんね』と言われてしまった。


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