第3部.次世代へ 3-35.逆境時の頼みの綱
健次が亡くなった直後、聖滝家が代々檀家となってきたお寺との調整、市の火葬場や斎場との打ち合わせ、葬儀屋などへの支払額の見積もり等、子供たちにとっては初体験のことばかりであったが、叔父や叔母たちに教えてもらいながら戸惑いつつも何とか対応していった。
健次の遺体は取り敢えず葬儀屋に手配してもらった車で生家に運んだ。火葬場が混み合っていて直ぐに葬式ができないとのことで、遺体をドライアイスで冷やし、できる限り腐敗するのを防ぐ努力をしてもらったが、まだ9月初旬であり、次第に健次の身体が蝕まれていくのを目の当たりにすると、子供たちの目からは涙がこぼれ落ちた。
2005年9月8日午後6時から健次の生家がある市の斎場で通夜を、翌日の9日午後1時から告別式を行なった。健次はこの土地で生まれ育ったといえ、相当長い間他県に住んでいたため、参列者はそれ程多くはないと淳一は予想していた。しかし、子供の頃からの友人をはじめ、年老いてからこの地に戻った後、自分の多彩な趣味により人的ネットワークを広げて得られた友人たちや、つくばの知り合いもかなりの数が来てくれた。その結果、健次の生前の交際の広さを物語るように、2日間合わせて160人もの参列者となった。しかし、本来であれば喪主を務めてもおかしくない立場にある配偶者のチヨは、K老人病院のベッドの上にいた。
健次の葬儀も滞りなく行なうことができて子供たちは少し安堵し、それで静かな生活を取り戻せると思ったが、現実はそのようには進まなかった。葬儀参列者への返礼品の決定と送付、チヨの入院を継続するための種々の手続きとお金のやり繰り、チヨの成年後見の申請、複雑で骨の折れる遺産相続など、どれも詳しくは知らないことばかりのことに対応しなければならなかった。
想像していた以上にやるべき事が沢山出てくるため、三人で話し合い、仕事の分担を決めた。各種郵便物や書類の受け取りは淳一が担当し、実際の支払いや役所に出向いての手続き等は主として役所の近くに住む裕子が行ない、真理はそれを助ける役を担うことにした。三人の間の連絡は主にメールを使い、伝達対象になっていない人にも必ず知らせ、情報を共有させておくことにした。
9月下旬、早速淳一から妹たちへメールが発信された。
『K老人病院から介護保険法改定に伴う負担増の書類が届きました。この9月までは、1日当たりの食費療養費と住居費と日常生活費との合計が4980円だったのが、 10月からは、1050円増となるそうです。月額では約3万2千円の増加で、支払総額はおよそ19万円になり、かなり負担が増えてしまいます。 断わるわけにもいきませんので、同封されていた同意書に署名、押印してK老人病院に提出します。よろしくお願いします』
淳一たちだけでこれを毎月支払うのは大きな負担となる額であったが、健次がいろいろと手を尽くしてやってきた方法を踏襲すれば、現状では子供たちには金銭的な負担がほとんどかからない状態でやっていけそうであった。
9月末の土曜日の朝、淳一は準備しておいた同意書を携えてTXの最寄り駅まで歩いた。電車と送迎バスとを乗り継いでK老人病院には昼食時間の前に余裕をもって到着できた。受付で同意書を提出した後、いつものようにチヨの食事介助を行なった。健次の死を知らせた直後、状態が悪化したように見えたチヨであったが、もう全くそんな様子を感じることはなく、淳一の差し出すスプーンに対しそれ程間を置かずに口を開け、お粥も副食もあまり咬まずにごくりと飲み込んで、以前のように完食してくれた。
一安心した淳一は『食堂大丹波川』に足を向けた。父健次が亡くなった後、忙しさに翻弄され心が休まる時間を持てていなかったので、岩茸石仙人と話がしたくなっていた。
仙人はいつものように赤ワインが注がれたグラスが置かれたカウンターの前に座っていた。淳一はほっとしていつもの自分の席に着いた。
「聖滝さんは少しお疲れのように見えますが、お父さんが亡くなったことを認識されたお母さんの具合が芳しくなくなったのでしょうか?」
仙人は淳一の表情を素早く観察してそう訊いた。
「確かに父が亡くなったことを母に告げた直後は食欲が落ちて心配な状況になりましたが、今は元の状態に戻っています。ただ、父が亡くなった後の各種手続きが思っていた以上に煩雑なので、なかなか元気が出てこないのです」
「なるほど。確かに次々とやらなければならないことが出てきますからね」
「本当にその通りなのです。それに、これまで母に関する金銭面は全て父が一人でやってくれていました。私たち子どもは詳細をほとんど把握していなかったので、今になって大慌てで対応しているところなんです」
「お父さんが随分と頑張ってこられたということが、亡くなってからようやく現実のこととして理解できるようになったというところですかね」
「はい、本当に父には感謝しています。しかし、アルツハイマー病というのは、信じられない程の長期戦になるのですね」
仙人はゆっくりと頷くと、しばらくの間目を閉じて沈黙した。
淳一が静かに待っていると、仙人が言葉を発し始めた。
「アルツハイマー病の原因はまだ不明なことが多いのが現状のようですが、遺伝的な要因から発症してくる場合もあると言われていますね」
「でも可哀そうですね。そういう家系に生まれたというだけであの病気になってしまうというのは。私たち兄妹もそういう家系なのかもしれないと思うと怖くなります」
「まあ、確かにアルツハイマー病の進行を遅くする薬はあっても根本的に治療する薬はまだないのが現状ですね。でも、私はそのうち必ず完治させることができる薬や治療法ができてくると信じています。これまでの人間の病気との闘いを見れば、多分そうなると思えるのです」
「どのような例があるのですか?」
淳一は仙人がどんな事例を挙げるのか楽しみであった。
「先ず挙げることができるのはペストです。ペストは、細菌に起因する感染症です。この菌は本来、森林原野で生息する齧歯類の感染症なんです。そこに近づいたハンターや山林で作業する人たちがノミを介して感染したようです。また、地震や水害などによる生育環境の悪化によって、森林原野の野ネズミが人の居住地域まで下りてきて、家ネズミや人にペストを伝播することもあったようです。悪条件が重なると大きな流行も起こります。14世紀のヨーロッパで流行したペストでは、当時のヨーロッパの人口の3分の1が死亡したと言われています。
日本には1899年にペストが入ってきてしまいました。その時から27年の間、大小の流行が起こり、2千5百人近くの人が亡くなりました。今、日本ではペストは根絶されています。それができたのは、ペスト菌の発見者である北里柴三郎や、彼の指導下で行なわれたペスト防御対策、特に、ペストネズミの撲滅作戦が功を奏したからだと言われています。それによって、ペストが山野の齧歯類に伝播するのを阻止することができました。そのお蔭で、1926年から今日まで日本ではペスト患者は出ていないのです。ただ、世界には山岳地帯や密林地帯などに危険なペスト特別地域がまだあるのだそうです。だから日本にも入り込んでくる可能性がないとは言えないので、注意が必要なようです。
でも、ペストの治療には抗菌薬が非常に良く効くため、早く治療しさえすればもう昔のような怖い病気ではなくなりました。予後は良好で、後遺症は殆どないそうです。おっと、聖滝さんが製薬会社の研究員だったことを失念していました」
「いえ、私は薬学部の卒業生ではなく、農芸化学が専門でしたので、広い薬学知識を保有しているかと言われれば、かなり自信がないのです。仙人の幅広い視点からのコメントは本当に参考になります。きっと14世紀のヨーロッパの人たちにとっては本当に恐ろしい病気だったのでしょうね」
「それから、もう1つ例を挙げることができます。それは天然痘です。撲滅されるまでの間、長期にわたって全世界で死者を出し続けてきた恐ろしい病気ですね。
天然痘の病原体はウイルスで、全身に膿疱を生じ、治癒しても瘢痕が残るので、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた感染症です。その感染力や致死率が高いことから、国や民族が滅びる遠因になったことまであると言われているくらいなんです。天然痘ウイルスの感染力は非常に強くて、患者の瘡蓋でさえも1年以上も感染させる力を持続しているのだそうです。天然痘の予防は種痘が唯一の方法なんですが、種痘の有効期間は5年から10年程度だと言われています。
18世紀半ばに、ウシの病気である牛痘に感染した人は天然痘に罹らないことが分かってきました。その事実に着目して研究したエドワード・ジェンナーが1798年に天然痘ワクチンを開発してくれたお蔭で、それ以降は急速に天然痘の流行が消失していったそうです。それからも人間と天然痘ウイルスとの長い闘いがあったのです。1977年に罹患した1人の患者を最後に自然感染の天然痘患者は報告されなくなったため、3年を経過した1980年5月8日にWHOは天然痘の根絶宣言を行なったのです。現在自然界には天然痘ウイルス自体が存在しないとされています。天然痘の根絶は、人間に感染する感染症の中で人類が根絶させた唯一の成功例だそうですよ」
「種痘が開発されてから180年もの歳月を要して、ようやく根絶まで辿り着いたのですね。果てしないようなプロセスだったのでしょうね」
「アルツハイマー病が発症してしまうと、現時点では回復することはないのが実情です。しかし、今お話した2つの例のように、そのうち必ず治療することができるようになると私は思っています。もし、それが実現できれば、アルツハイマー病であることに何のハンディキャップもないことになります。両親のどちらか、あるいは両方がアルツハイマー病である家系に生まれたとしても、将来に恐れを抱くようなことはなくなるのです」
「実際、私や妹たちはいつか発症するかもしれないという恐れから逃れることはできないのが本当のところです」
「もし、現時点であまり都合の良くない遺伝的要因を持っているからという理由だけで、その遺伝子を無くしてしまうような動きが起こるとすれば、それは非常に大きな問題だと思います。ずっと将来の話になるのでしょうが、もしかすると、我々の子孫たちが現在では想像もできないような劣悪な環境に遭遇せざるをえない状況に陥った時、現在ではまだどんな役割を担っているのか分かっていないDNAの遺伝情報の中にその境遇を救ってくれる情報が含まれているかもしれない、と考えています」
「確かについ最近、人間のゲノムの解析がほぼ完了しましたものね」
「聖滝さんは製薬会社の研究所に勤務されているのだから、よくご存じのことかと思いますけど、一応現時点で分かっていることを簡単にまとめてみましょう。ゲノムという言葉がありますね。ゲノムとはある生物が持つ全ての遺伝情報のことでしたね。人間のゲノムは2003年のはじめに解読完了が宣言され、2004年10月にネイチャーという科学雑誌に最終論文が発表されました。たった1年前のことです。どうやら、ヒトゲノムの中で人間の身体を構成している成分を合成するための遺伝子はほんのわずかしかなく、大半の領域は何をしているのかよく分からないDNAだったようです。私はこのような働きが分からないDNAは、人類が逆境に遭遇した時、人類を救ってくれる潜在的遺伝情報を蓄積していてくれるのではないかと考えているのです」
「アルツハイマー病に罹りやすい遺伝子が存在していると仮定して、その遺伝子を保有している家系の人たちが、将来人類が逆境に陥った時、人類を助けてくれる頼みの綱となってくれるかもしれない、のですね」
「その通りです。もちろん、アルツハイマー病に罹りやすい遺伝子を持っていると考えられる家系の人たちだけがそのような遺伝情報を持っていると言っているわけではなく、我々全ての人たちにもそのような可能性があるわけです。しかし、アルツハイマー病は将来きっと治癒が可能になると思います。そうなれば、もう何のハンディキャップもなくなるわけです。アルツハイマー病に罹りやすい遺伝子を持っているということは、その他にも普通の人と若干異なる遺伝子を持っているかもしれないのです。もしかすると普通の人たちよりもそういう人たちの方が逆境に打ち勝つような遺伝情報を持っている可能性が高いかもしれないと私は考えているのです。この考え方はアルツハイマー病に限ったことではなく、他の病気や現時点ではハンディキャップを引き起こす遺伝情報を保有しているとみられている人たちに関しても言えることではないかと考えているのです」
「分かりました。現在の状況から考えただけの判断で人間を差別してはいけない。将来まで含めて考えれば、人の遺伝子は多様性があり、将来的にいろいろな可能性を保有していると考えた方が良い、ということですね」
「その通りです。将来の人類が遭遇せざるを得ないかもしれない劣悪な環境に対しても生き残ることを可能にしてくれるような遺伝情報が、まだ機能が分かっていないDNAの中に潜んでいるかもしれないと期待しているのです。何せ、我々人類が保有しているDNAは、地球上で誕生した生命がおよそ40億年もの間、逆境時にも生き延びて継承してきた貴重な遺伝情報の塊とも言えるものなのですから。
それから、現在ではまだまだ治癒できない病気はかなり存在しています。例えばガンはその代表とも言えます。しかし、人間の英知はほんの少しずつかもしれませんけれど、ガンの治癒に向かってひたひたと弛みない努力をし続けているのです。昔に比べればガンに罹っても治癒する人が確実に増えてきていると思います。機能不明なDNAの研究が進んでいけば、ガンさえも将来は治癒可能な病気になるかもしれないと密かに期待しているのです」
「早くそうなると良いですね」




