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ケントとの再会


 久方ぶりに帰ってきた故郷。

 聖女としての任命式を明日に控え、まずは旅の疲れを癒すためにとミアは一日の余暇を与えられていた。


 ただ、その時間をどう過ごしていいかはわからなかった。


 一番に思い浮かんだのは、やはり家族のもとを訪れることだ。

 両親と妹。

 七年間もの間、顔を会わせるどころか手紙のやり取りすら許されていなかったのだから、三人に会いたい気持ちは当然あった。


 それでも、会う決心はつかなかった。

 はたして会っていいものか、会う資格が自分にあるのか、疑問に思えて仕方なかったからだ。

 どんな顔をして会えばいいのかもわからなかった。


 ほかの聖女候補たちは家族に会うことを許されていない。

 規則を破って家族と手紙をやり取りしていたらしいルルでさえ、恐らく面会をしたことはなかったはずだ。

 なにせガレンダ砦を訪れる聖女候補たちの親族はおらず、また彼女たち自体が砦から出ることを許されていないのだから。


 では、聖女になることが決まった自分はどうか。

 聖女になって得た特権とでもいうべきだろうか、それを利用し、聖女候補たちを差し置いて両親と妹に会っても許されるか否か。


 そんなことをミアが考えたとき、答えはもちろん否であった。


 会えるわけがない。

 かつては自分が通ってきた道だ。

 聖女候補たちの胸中は聞かずともわかる。

 誰もが寂しさを抱えており、家族を想う気持ちを抱いている。

 愛する家族と離れ離れにされてなお、いまも教会で日々を懸命に過ごしている彼女たちを蔑ろにするような真似など、ミアにできるはずもなかった。


 だからいま、ミア一人、町外れの小高い丘のうえにいる。

 一本の大樹のした、その幹に背を預けてただぼうっと座っている。

 なにを考えるわけでもなく、ただ宿に戻るまでの時間を潰そうと。

 小さいころによく遊んだ場所、町を一望することのできるこの場所から、リンスターの町を黙って眺めていた。


 視線の先、緩やかに下っていく傾斜には、短い芝生が一面に生えている。

 散発して生えている細長い雑草が吹く風にゆらゆら揺れている。

 小さく見える子供たちは追いかけっこをしており、楽しそうな声が耳に聞こえてくる。

 のどかな時間がここにはある。


 この平和な時間を守ることが自分の使命なのだろう。


 ふとミアはそんなことを思った。

 ただ思って、そしてまたぼんやりと前方を眺めた。


「よぉ」


 不意に耳に聞こえた声。

 歳若い青年と思しきその声の主は近寄ってくるや、隣に無遠慮に腰をおろしてきた。


「久しぶりだな、ミア」


 そう言って青年――ケントは細い目を線のようにして笑った。

 あぐらをかき、首だけを横に向けたミアに向かい合った。


「ケント……?」

「なんで疑問系なんだよ?」

「えっ? いや、だってほら、ずっと会ってなかったから。もしかしたら違ってるかもしれないって思って……」


 ミアはケントの顔をしげしげと眺める。


 ごく平凡な淡い茶色の髪。

 前髪は眉毛にかかる程度の長さで、耳周りや襟足を短く切りそろえた、さして特徴のないごく普通の髪形。

 特徴的な細い目つきはそのままに、記憶にある軽薄そうな薄い顔立ちがそのまま大人びたような顔面。

 太くもなければ細くもなく、高くもなければ小さくもないだろう、ごく一般的な体型。


「……やっぱりケントだ」

「そうだよ。あぁはいはい。どうせお前も、ガキのころの俺がそのまんま大きくなった感じ、とか思ってるんだろ?」

「あ、うん。よくわかったね」

「馬鹿。わかるもなにもそういう顔してんだよ、お前が」


 ケントはくつくつと笑いながら、ミアの頭をぐしゃぐしゃと乱雑に撫でる。

 ミアはされるがままに目を丸め、ケントの嬉しそうな顔を見ている。


「う~ん、そういうミアは少し変わったか?」

「そう?」

「おう。なんていうか、丸くなった感じ? ほら、昔はもっとこう、口汚いお転婆娘みたいなだったろ?」

「口汚いお転婆娘って」

「いや、だってほら、いまみたいに頭をぐしゃぐしゃにされたら、『なにすんのよ』って怒って手を払いのけてただろうし。え、髪形気にならない?」

「別にあんまり気にならないかな」


 ケントの手を優しく払いのけ、ミアは手ぐしで髪形を簡単に整える。

 これで大丈夫かな、と感覚的に思ったらそれで終わりだ。

 別に手鏡を所持しているわけではないが、仮に所持していたところで手鏡で確認するようなことはしない。

 むしろ誰かに指摘されなければ気づきもせず、そのままずっと放置している。


 ミアがなんとなく手でいじってみた毛先は肩にかかる程度の位置にある。

 前髪も視界の邪魔にならないよう、少し短めにして左右に流している。

 髪形に拘りなんてものはなく、髪をくしで丁寧にとかした記憶なんてものは遥か遠い昔の話だ。

 いつからか髪形はまったく気にしなくなっている。


「へぇ……ああ、そうそう。ミア、家に帰らなかったんだな」

「――えっ?」

「いや、家にいるもんだと思って行ったらさ、ミアのお母さんに『まだ帰ってきてない』って言われたもんだから。あれ、おかしいなって思ったんだけど、まさかこんなところにいるとは思わなかったわ」

「うん……」


 まだ帰ってきていない。

 その「まだ」の部分が、嫌に強調されて聞こえた。

 別にケントが強調して言ったわけではなく、ミアが敏感に反応してしまってのことだ。


 母は自分を待ってくれている。

 きっと父も妹も自分を待ってくれている。

 自分の帰りを三人で待ってくれている。


 ミアは生まれ育った家が、まだ我が家であったことを素直に嬉しく思う。

 七年間、なんの音沙汰もなかった自分を家族が、まだ家族と思ってくれていることが嬉しかった。

 胸がじんわりと温かくなっていくような感覚を覚えた。


「そっか、嬉しいなぁ……」


 意図したわけでもなく、自然と口から言葉がこぼれた。


 でもすぐに、嬉しいと思ってしまったことを後悔した。


 帰るつもりはない。

 顔を会わせるつもりすらないのに、想いを募らせればどうなることか。

 寂しくなるに決まっている。

 それに思い至ったときにはすでに遅く、温かくなったはずの胸は急激に冷たくなり、なにかで縛りつけられているような痛みさえ覚えはじめてしまう。


 寂しい。

 会いたい。

 その二言が頭の中で何度も反芻されるたび、家族の顔が浮かんでは消え、どんどん気を滅入らせてくる。


 ミアは両膝を抱え込み、その間に顔を強く埋まらせた。

 そうしなければ泣いてしまいそうだった。


「悪い。無神経なこと言っちまった」

「ううん。ケントは悪くないよ。悪いのは――」


 言いかけた言葉が途切れる。

 ミアの心に黒い影が差す。


 じゃあ悪いのは誰なのか。

 ケントが悪いのでなければ誰が悪いのか。

 自分だろうか。

 家族に会いたいと思ってしまった自分が悪いのだろうか。


 そんなはずはない。

 思うくらい構わないだろう。

 思って悲しむくらい許されるだろう。

 きっと自分は悪くない。


 なら悪いのは――


「……ううん、悪いのは私! 私ってばなに落ち込んでたんだろ! 会えなくたって心は通じてるのにね! だからケント、いまのは忘れて!」

「お、おう」


 ミアはぱっと顔を上げ、無理に明るく振る舞った。

 反応に困っているケントに、「絶対忘れてね」と念押しして笑いかける。


 責任の所在を追及していけば、きっと行き着く先は皇国になってしまう。

 自分が辛い思いをしているのも、家族で会えないでいるのも、すべては聖女候補として徴兵されたのが始まりだからだ。

 神聖魔法に目覚めなければ、いまの自分がいるはずもない。

 そうして最後には、この国に生まれなければよかったという結論に行き着いてもしまう。

 

 そんな考え、これから聖女を務めようというものが持っていいはずがない。

 リスティーゼから使命を引き継いで早々、こうも簡単に弱ってしまった自分の心持ちに呆れつつ、ミアは前向きになるべく気を改める。

 不幸を誰かのせいにして嘆くよりまず、自分は使命を果たさなければならない、と。


「ま、まぁ俺もこうして迎えに来たことだし、これからは一緒に頑張っていこうぜ。な?」

「うん。けど迎えに来たってなに? 会いに来たの間違いじゃないの?」

「あぁ~……うん、そっかそっか。いやまぁ、じゃあ会いに来たでいいや」

「じゃあってなによ。変なの。あと一緒に頑張っていこうぜってのもなに? 意味わかんないんだけど」

「あ、やっぱ変わってねぇわ」


 ケントは軽くため息をつく。


「あのな、一緒に頑張っていこうぜってのは、要するに俺も聖騎士団に入りますよってこと。おわかり?」

「へぇ、そうなんだ――ってそうなの!?」

「そうそう。まぁもとから入るつもりだったんだけどさ、なんか普通に徴兵されたわ」

「なんか普通に徴兵されたって……」


 あっけらかんと言い放つケントに対し、ミアは幼馴染の彼が徴兵されたことに動揺を隠せない。

 またケントのあまりに軽すぎる様子に開いた口が塞がらないでもいる。


 まず皇国における徴兵制においては、一般徴募と強制徴募の二種類がある。

 前者は本人の希望によるもので、後者は本人の意思に関係ない強制的なものだ。


 今回ケントが対象となったのは強制徴募。

 これは皇国民徴兵法に基づき、十五歳から二十五歳までの青年男子を対象に、聖騎士団にて五年間の兵役を課すというものだ。

 なお常時五千人規模の戦線を維持するため、定期的に人員の補充が行われており、その配分は各領主が治める領地ごとに何人ずつと振り分けられている。

 つまりケントはリンスターから徴兵されるうちの一人というわけだ。


「だから今度の出立式は俺も一緒。ガレンダ砦に行って魔族と戦うのも一緒。な? 一緒に頑張っていこうぜ、だろ?」


 ケントは立ち上がり、でん部を手でぱっぱと払う。

 それからミアに向けて右手を差し出し、手を取って立ち上がるようにと促す。


「これ……」


 その手を取ろうとしたところで、ミアは言葉を失ってしまう。

 なぜなら目にしたケントの手は、前線の兵士となんら遜色のない――いや、それ以上、むしろ遥かに上回るほどにたくましいものであったから。


 長年の鍛錬を物語る、硬質化した分厚い皮膚。

 ごつごつとした手の平には歪な剣ダコがいくつもあり、傷跡もまたいくつも刻まれている。

 普通に過ごしていただけならば絶対になるはずのない、剣を握って戦うための手。

 それも並大抵の努力ではけっして作ることのできない手。

 そんな手をケントは差し出してきていた。


「ミアがしてきただろう苦労に比べたらこんなの屁みたいなもんさ。なんてことねぇよ」

「嘘。なんてことあるわよ」

「まぁいいから。ほら立てって」


 ケントに引き起こされ、ミアは立ち上がる。

 いざ向かい合ってみると彼の背は自分より頭一つ半と大きい。

 思っていたよりも随分と高く感じられた。


「ミアが聖女様っていうんなら、俺はそうだな……勇者様ってところか?」

「う~ん、勇者様はちょっと難しいんじゃない? ケントはそうね……雑兵その一ってところじゃないかしら?」

「そりゃ馬鹿にしすぎだろ。せめて一兵士にしてくれよ」


 その努力の理由を濁すように。

 ケントは目を細め、昔と変わらない笑みを向けてきた。

 面白おかしく軽口を叩き、昔と変わらない態度で接してきた。


 ケントと会ってよかったのか。

 どんな顔をして会えばよかったのか。

 そんなこと、ミアはほんの少しでさえも考えはしなかった。


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