とろとろ
花実ちゃんの部屋は、空っぽ。
僕は椅子に座って、ぼんやり遠くを見るように、部屋の壁を眺める。
なんてことはない、普通の壁。
でも今は、どこか遠くの建物の壁に見える。
ぼんやり、白っぽい。
…どこかで、お父さんとお母さんと、花実ちゃんが話してる気がした。
でも、遠くて、気のせいかもしれない。
すすり泣いてる声が、聞こえた気がした。
どこか、すごく遠い国からの音のように。
僕は、柔らかい木の椅子を触る。
それだけが、ここにある気がした。
柔らかくて、あたたかいもの。
それに、触れたかった。
花実ちゃんは、夕暮れも更けた頃。
薄暗い部屋に、入ってきた。
顔は見えづらかったけど、とびきり悲しそうな。
どこか寂しそうな、顔。
暗闇にすぐまぎれてしまうような。
消えそうな。
「仲直り、しよ…」
ぽん、と出た言葉はどこか明るすぎた気がした。
優しすぎて。
思わずうなずく。
僕が手を差し出すと、花実ちゃんは手を握ってくれた。
あたたかくて優しい手。
でもどこか、冷たさがある気がする。
どこか…
花実ちゃんの握る手がぐぐ、と食い込む。
ぐっ、と前に体が動いた。
つられて立ち上がる。
花実ちゃんは、どこかとろんとした顔。
何も考えてない、みたいな顔で。
僕の向きを手をとって変えていく。
僕はそれにつられるがまま、布団を背に立つ。
花実ちゃんが前に進む。
僕はつられるように、一歩下がる。
少し下がると、足の裏にシーツが触れる。
さわ、と触れた。
その時、花実ちゃんが僕に近づいた。
柔らかい表情は、すぐに溶けてしまいそうだった。
暗闇になのか、夕日になのかは、わからないけど。
何か、深く広がるものに、溶けるような。
花びらに赤みがさしたみたいな目。
僕の肩を、ぽん、と押した。
僕はそのまま沈むように、ベッドに倒れ込む。
花実ちゃんの顔がすぐ上に迫ってきた。
顔に息がかかって濡れる。
甘くて、はちみつの味がした気がした。
花実ちゃんは顔が真っ赤だ。
ほっぺに触れると、熱くて思わずびくっとした。
飴色の髪がとろんと垂れてくる。
頭にかかって、まるで甘い雨が当たったような気がした。
とろとろ、とろとろと髪がかかってくる。
それは僕を覆って、包み込む。
全身が飴に浸されたみたいに濡れていた。
花実ちゃんの目の奥の、琥珀。
それは、琥珀色のキャンディー。
ころころ、ころころ、と僕を転がすみたいに見つめる。
思わずなめたくなるくらいに。
とろんとしたもの。
「…りーり、好き」
花実ちゃんの、とろけたような声。
上から垂れてきた。
まるで、僕に溶けていくみたいに。
花実ちゃんは体を僕にうずめた。
ささ…
波が立つみたいに、布が擦れた。
「…ぼくも」
ふに…
柔らかいものが胸を押した。
それは柔らかすぎて、僕の体がぴくっ、と動く。
温かいものが僕の中に入ってくるような気がした。
僕はそれを流されるように受け入れた。
やわらかくて、あったかいものが僕を包んで、溶かしていくような気がした。
ほっぺ同士が、触れ合って。
とろけていくような。
甘いバラのシャンプーの匂いがした気がした、ほんのひと時。
あたたかいものが、太ももにふ…と触れる。
そのまま、濡れたような肌が僕について、まとわりつく。それが優しく僕を撫でている気がした。
とろけるように、沈んでいくみたいに。
僕は花実ちゃんにとろけていく。
それが心地よいのか、顔中が熱くて。
息がどこか、濡れていた。
とにかく甘い匂いが、部屋中満たしていて。
ぼくたちは、飴になってとろけてるみたいに、そのままでいた。
「…りーり」
意味もなく。
花実ちゃんは僕を呼んだ。
僕はそれに、かすれたように喉を鳴らす。
胸の奥が。
まだとろけきっていなかった。
そこだけが寂しい気がするから。
僕は花実ちゃんの背中をぎゅうっと。
自分の胸の奥にとろけさせるように押した。
そうすると、もう部屋中の何もかもが溶けてしまう気がして、力が抜けていくようになる。
思わず気が抜けたような笑い声を立てた。
そのまま。
すっかりとろけてしまった。
…お互い、わかっていた。
だから僕たちは。
まだ、とろけあったままだった。




