第6話:日常の芽生え
ドルゴジェヴの朝は静かに始まる。日が明ける前から家々の煙突には煙が立ち上り始め、霜のつく街路に人が溢れ出す。日が道を照らす頃にはすでに街は活気に溢れているのだ。静かな始まりは忽ち喧騒にかき消え、雑踏は不規則な大きな音を延々響かせては豊かさを示す。
その東西の大通りを、まだ息も白いのに走り抜ける青年が1人、桑名不士は走っている。
彼は仮の住まいが見つかるまでの間、朝はカミルの家から飛び出し、マレクの店、ストゥウに向かって走っている。それは彼自身が日頃のトレーニングを忘れないようにするためのもので、そのあまりの足の速さにちらほらと街でも噂するものが出てきた頃だった。
そんなことを露程も知らない不士が息を切らしながら店に到着し、扉を開く。年季の入った扉はゆっくりと開いて、不士は堂々とその中へ入っていった。
「おはようございます。不士くん。マレクさんは少し用事らしいです。」
彼女はダグマラ・エルメッセンダ。灰色のロングヘアが腰まで伸びた獣人の女性だ。ストゥウにはマレク店長の他に三人の正規雇用の獣人がいる。それ以外の従業員は不士のように不定期に入ってくる一時的な労働を目的とした短期契約の労働者だ。いまは不士以外にこのような労働者はいないが。
ダグマラは店内の掃除をしながら不士に話しかけた。マレクは綺麗好きで、その感覚は現代に近い。アルコールで皿を拭き、少しでも汚れた棚や机はよく掃除をする。それは彼が職人的な面で料理に対する情熱を持っているからであろう。店で一際目立つ焦茶色のよく磨かれた一枚板のカウンターテーブルは先先代からの受け継いだ品らしく、節々に僅かに残るナイフの跡がそれを如実に現代へと伝えている。
「おはようダグマラさん。じゃあひとまず、掃除からしましょうか。」
「ええ、床はもうやってあるから。机と椅子をお願いします。」
「わかりました。」
不士がこの店で働き始めて3日目になるが、ダグマラとは会話はできるし、もちろん信頼できる先輩だと感じているが、どことなくそっけないような感じがするのだ。彼女はお店の勘定や管理業務、盛り付け、給仕の仕事など、1人で何役もこなせるスーパーマン的な側面があるが、お客さんと話す時も、不士と話す時も、あまり心の内側が透けない人という印象が持てる。もちろんぶっきらぼうということではない。不士はもっと彼女と仲良くなりたいと思っているし、なんなら踏み込んだ質問や相談ができたらいいなとすら思っている。
一方のダグマラにとってもこの不士という男は異端であった。仕事の合間に時たま彼の顔見知りが尋ねてくるし、見た目は自分たちとどことなく異なるし、なにより目が少し怖かった。不士の目は言葉以上に言葉を語る。鋭く、猛禽類のように見透かす瞳は言葉、状況、情報の本質を全て読み取られてしまうのではないかというような強さを持っていた。言うことには素直に従うし、向こうから話しかけてくることも多いのに、なぜだかダグマラは彼に少し警戒してしまっていた。それは自分があまり簡単に人を信用する性分じゃないことを除いてもだった。
2人は何とも言えない距離感をお互いにモヤモヤとしながら保持していた。
「ダグマラただいまー!」
「ただいまー」
「2人とも、開店の準備だからね。準備してきなさい。」
はーいと2人の子供の声が返ってドタドタと店内に足音が響き渡る。街の喧騒よりはかなり聞き心地のいい音であった。マレク店主の義子、拾い子の獣人のアニアとレフである。この2人はどちらかというとまだ子供な感じで、不士ともそれなりに仲良く話してくれる。
「不士くん、もう来てたんだね。おはよう。」
「おはようございますマレクさん。こんな朝早くに外出って、結構あるんですか?」
「いやぁ、今日はちょっと特別な用かな。ヴラディヴォイさんと話があってね。」
そんなことを話しつつ今日も開店準備を進める。昼過ぎにはチラホラと商人ギルドの商人たちが談笑をしながら来店し始める。昼を過ぎる頃には店は客で溢れていた。
マレクは迷いのない手つきで肉を焼く。彼はとにかくギルドでも肉料理の達人として知られる男であり、香草焼きはこのドルゴジェヴでも指折りの料理として街の外までその噂が届くらしい。不士に任された仕事は給仕であり、最初は何を言えば良いやら、どうすれば良いやらわからなかったため、それなりに苦労した。だが仕事そのものは至って簡単で、というより、至って簡単に知るべき要点が理解できるものであったため、3日目にして早くも一人前の店員としての振る舞いができるようになってきていた。
「いらっしゃいませ〜お二人様ですね♪」
「…!?おいおい。」
客の入りも落ち着いてきた頃、アニアが案内した2人客をみて、不士は驚愕した。
「やぁ、不士。精が出るね」
「不士くーん。お久しぶりです♪」
店を訪れた驚くべき客は恩人カミルと数日前に出会ったカヤであった。カミル単体でもなんと驚くべきことであったが、この数日居ただけでもカミルが女性との深い繋がりがある人物には見えなかったから、それが最も驚くべきことであった。
「どうも。お久しぶりですカヤさん…カミルも女性をお昼に誘うこととかあるんだな…びっくりしたよ。」
カミルはいつものようにニコリと微笑むと、友人とならそう言う気分転換も悪くはないかもしれないと言って、しかしそれが今日の目的ではないと話す。2人はとりあえずスープと黒パンを頼んで、注文を取った不士は戻ろうとして…ちょっととカミルに止められる。
「あとでカヤと話してくれないかな?実は君と彼女を会わせたくてね。こうして呼んだんだ。」
何をいうのかと思えば"女性を昼に誘ったのが人の紹介のためだった"とはなんとも裏切られたものだ。不士はなるほどと思う反面そうも感じ、もちろんと2人に微笑んだのとは裏腹に少し期待を裏切られたような気がした。
ストゥウは客の入りも落ち着き、店にも少しばかり静けさが気になるようになってきた。マレクに先ほどのことを話すと今なら構わないと言うので、不士はそれに従った。
羊皮紙を貼った窓からにわかに灯りが差し込み、昼の薄明かりのもとで三人は卓を囲む。カミルはせっかくだからと、不士についてきたレフとアニアに不士のランチを頼んだ。店員の2人が石畳の床を鳴らしながら厨房へ戻るのを聴いて、カミルはカヤに目配せした。するとカヤもその気のようだったので、アイコンタクトは成功裏に終わった。
「不士君、今日の話は私の仕事について、お願いがあって来ました。」
「仕事…そのお願いってなんでしょうか?」
「飲んでくださるんですか!?」
不士はあくまで聞くつもりであったが、この"話を聞くための反応"はカヤにとって真剣に話を聞く態度と受け取られたようで、カヤの反応は不士の想定外の盛り上がりとなった。
「いや!まぁ、カミルの知人ですし、顔見知りですから、なるべく受けたいとは思いますけど…とりあえず中身が聞きたいなと…」
こう答えた不士に対して、カヤは自分が少し早とちりであったことを自覚して"失礼しました"と少し頭を下げて直った。そうしていよいよ始まった話曰く、カヤの仕事とは芸術にまつわる事のようだった。文字を刻む、音を奏でる、絵画を創る、彫刻を彫る、それらの芸術の中で、カヤの言うことでは自身が筆を走らせ、そして何もない白い壁面に現れる美しさに見惚れているとのことだ。カヤは自分がどんな仕事をしているのかに対してこのように答えたので、実際のところどんな仕事なのか正確に推し量ることは難しかったが、不士にもその感性が理屈よりも伝えたいことなのはわかった。
「カヤは絵描きなんだ。有名なね。」
「あ、これは失礼しました。絵というものについて語ろうとすると、どうしても先に好きなことについて語ろうと焦ってしまうんです。」
カミルのサポートによって、初めてカヤの仕事は明らかとなった。
「なるほど、通りで熱を持って語る訳ですね。芸術家のそういうところはカッコいいと思います。」
不士の返答は淡々としたものだったが、カミルはカッコいいと言ったのに対して少し驚いたようで、ふむふむなるほどと妙に納得していた。
「芸術家…いえ、私はただ絵を描いているだけです。そんな高尚なものではないですよ。」
「じゃあ、なんと呼べばいいかな。カヤさん。」
「普通のカヤです。それで十分ですよ。その上で私の画材になっていただきたいです。」
二人がそうこうしているうちにカミルは食事を終え、いつの間にやらニコニコしながら話を聞いていた。
「でも、不士はこれから忙しいだろうし、仕事終わりと言わず仕事中の彼を描いてみるのはどうかな?」
「カミル?それはちょっと恥ずい…」
「イイですね!カミルさん。確かにその方が町の生きた姿そのものです!」
「マレクさん。どうかな?」
「悪くないと思いますよ。不士は働き者だし、私としてはむしろ面白いかな。」
「じゃあ不士くん。私も度々お店に顔を出しますので、その時はお願いします!また時間が取れたら二人で会いましょう!」
あれよあれよと話は流れ、不士とカヤの不思議な仕事の話は幕を閉じた。
「ありがとうございました。また来てください…」
「不士くん、結構恥ずかしがり屋だね。」
カミルとカヤを見送った不士に、マレクは面白そうに尋ねた。マレクにとって不士は若くて元気のある面白いおもちゃのような少年で、なんだか微笑ましく見ていた。それは不士がそういう立ち居振る舞いをすることも要因ではあったが、マレク自身が若者をみるのが好きだという側面もあるのだろう。
「いや、まぁ、それはそうかも知れない。なんだか自分が注目を集めるのが馴れないことすぎて、どうしたらいいのかなって。」
「そういうことは考えなくていいんだよ。ここ数日と同じでいいんだ。君らしく頑張ればね。」
「そういうもんですか?」
「あぁ。時に不士くん。カヤがどのような絵を描いているか、見た事はあるかな?」
「あー…なんか街の絵を描いてるとかなんとか。見た事はないです。」
「なら今度、一度見せてもらうといいよ。彼女の絵は見たら驚くよ。生きているんだ。」
「生きる?絵がですか?それはどんなふうに。」
「それは実際に見てみるのが早いだろうけれどね。言うなれば彼女が描くこの街や人は、心まで透けて見えるほど、人々が生き、そこで生活しているかのような充実した絵なんだ。私は好きだよ。」
「へぇ…あの人がそんな絵を…」
見送った先の通路でカミルと歩いていたカヤは、走ってきた子供と正面衝突してぎゃっとかぴゃっとか変わった音を出して…鳴いた。
お疲れ様です!
第6話お待たせしました!
最近は忙しい中実は裏で色々書いていて、今回もそれなりに良いものが書けたんじゃないかと思ってます。
あとこの前のエッセイは初めて日別ランキングに乗りまして、本当に嬉しい限りでした。また頑張りますので次回をお楽しみに応援もよろしくお願いします!




