第2話:降り注いだ星
浮遊感のあと、意識は混濁して不鮮明になった。何千メートルの上空から自由落下しているような、人肌並みのぬるま湯の中に浸かっているような、絶妙に微妙なつかみどころのない感覚のあと、ついに意識は闇へと堕ちた。
…何時間、何日、何年が経っただろうか、半透明の朧げな意識の中、音だけが聞こえる。あるいは聞こえた気がした。土をふむような音と、鉄製の車軸と車輪とがキィキィと回る音、ガタガタとした揺れが不規則に伝わり、清涼感のある匂いに包まれる。空を覆うような鬱蒼とした木の葉の間から木漏れ日が差し込み、幸せな陽気に包まれる。あまりの寝心地の良さに再び意識は深い沼に落ちた。
…
「…はっ!」
「お、起きたね。やぁ、おはよう。」
「え…え?なん…」
「あー、言葉は同じかな?僕の言ってることはわかる?」
「あ、わかります。」
にわかに目覚めた意識は、まず初め、この古い家の作りよりも先に、暖炉の前の椅子に深く腰掛けた若い男性に吸い寄せられた。
焼けた木炭のような、灰のような匂いが立ちこめ、家全体がスモークされたような香ばしい香りに包まれている。その中に座る銀髪の男は、座っていてもわかるほどの長身で、服装はしっかりとした仕立てで、しかしフォーマルというよりクラシックな風情だった。シャツと緩いズボンの下に履いた靴のようなものは皮製らしく、膝丈ほどの長さのあるブーツのような形状をしている。また窓際にかかった上着らしきものは真っ黒なローブのようになっており、ロングコートにも似たマントのような大きなものであった。
なにより決定的に異国情緒を感じさせる特徴は彼自身で、堀の深い目元、高い鼻、発達しているがエラの張ったようには見えない綺麗な顎、彼が自分とは程遠い出自であることはひと目でわかる。
会話によって彼と言葉が通じないという絶望的な躓きは回避したが、代わりになぜ言葉が通じるのかという問題は生まれた。この不士の疑問は最もなものであったが、向こうが先にした質問から向こうも言葉が通じるかはわからなかったことは明らかであった。
とにかくわからないことで溢れかえった身の回りに困惑している不士に対し、銀髪の彼はゆっくりと持っていた鉛色の杯をテーブルに置き、間もなく顔を不士に向け語り始める。
「君は森に倒れていたんだ。私の帰り道にね。何か覚えはないかな?」
覚えはなく、またなぜそのような場所にいるのかなど見当もつかなかった。
「いや、全く」
と答えれば、少し間をおいて男は頷いた。
どうやら本当に何も知らないような素振りに、少し納得したらしく、不士の横たえる寝台に近づいて背もたれのない小さな椅子に腰掛けると、君が危険でないとしても、お互い知ることが少ないのだから、まずは情報を交換しないか?と持ちかけてきた。当然、わかったと即答する。
これはむしろ凝光だった。なんならこちらから聞きたいことの方が多くあったし、一方的に尋ねられるだけ、と言う不安感を抱かざるを得ないような状況を押し付けられるわけではないからだ。
「俺は桑名不士、高校生。家に帰る途中に意識が途切れて、気づいたらここに。ここがどこなのかも、現状もよくわかってない。これくらいかな?」
不士にとっては言えることを全て言ったつもりだった。少なくともこれ以上に今のことを知っているとも言えなかった。だがこれを聞いて男は首を傾げ、まぁ後でいいかと不士の話は一旦置いておくつもりらしい。
「私はカミル・イェション、この丘に1人で暮らしている。街ではそれなりに知られている方だと思う。カミルでいいよ、よろしく。」
カミルはそういうとおもむろに手を伸ばし、握手を求めた。不士もそれに応える。2人は小さな乾いた破裂音をもって硬い握手を交わした。カミルはこれを非常に好意的に受け止めたらしく、握手の後にこやかに微笑んだ。
"それで"とカミルが続ける。
カミルは先ほどの不士の自己紹介がどこか気にかかるようだった。まず、高校生とは何か、それと不士の出身はどこかと言う点が大きな注目の的だったらしい。
高校生というものが、まずこの辺りでは少なくとも聞いたことがない役職で、加えて名前もこの国どころか、おそらく周辺国まで見渡しても聞いたことがないような雰囲気だと言う。ここまで聞けば、不士にもある疑惑が頭の中にめぐりはじめる。どうにもここは日本ではない。ということは…
「俺は、どうやら元とは別の世界に来てしまったらしい。」
それは突拍子もない話ではあったし、カミルの顔も眉間に皺がよって疑問をより一層深くする。
「つまり、君はこの、私たちの世界の住民ではない。と?」
「ああ、そうとしか考えられない。」
それは現実味を感じるかよりも、眼前の事実から公然と導かれることを優先した、客観的な結論だった。
しかし、今まさに想像を現実が超えたことで、カミルには絶大の困惑と不信が立ち込め、にわかには信じ難いと言った面持ちをみせた。
不士は話しておきながら、これが言葉足らずだったと後悔する。
「俺のいた世界では…そうだな、いた国では、こう言った非現実的なことを創作する文化が流行ってて、今回のこともそう言った感じのことなんじゃないかと思うんだ。もちろん、そんなことが頻繁に起きていたとか、そんなんじゃないけどな。」
「うーむ、まぁ、それを信じろというのはかなり難しいけれど、たしかに君が僕たちと見た目も名前も、服装だってそうだ、見たことないものばかりで、それを信じた方がむしろ合理的に映ることはわかるよ。」
「つまり?」
「あぁ、とりあえず君の話は本当のこととして受け取るよ。なんたって嘘をつくつもりはないんだろう?」
「あぁ、そんなつもりはない。」
「ならいいよ。とりあえずこれを飲むといい。」
一通りの会話を終えたカミルが立ち上がり、先ほど座っていたテーブル付近の暖炉で何やら動作をして何かを持ってきた。差し出したのは赤茶色の焼き物のマグカップ。受け取ったそれからは中身の液体が湯気を出しており、マグもそれ相応に温かかった。
不士が中身を尋ねると、それは松の葉のお茶らしい。
「このあと街に降りるんだが、君が良ければ明日、共に街に降りてみないかい?」
カミルはこう言って、自分も松葉茶を啜る。
「うん、行ってみたい。よろしく頼むよ、カミル。」
不士もまた、こう言って松葉茶を啜る。
スッと抜けるような爽やかな松葉茶の味が、森の温かみを全身にもたらした。カミルは少し微笑み、どうやら気に入ったらしいとみて、不士に松葉茶の作り方を教えてくれたのだった。
不士の期待はおおいに高まることとなった。慣れないこのお茶の味が、未知への第一歩を実感させ、そして新たな世界へと導いてくれるやもしれない気がした。
期間が開きまして申し訳ありません!
お待たせ第2話、すぐ行くね第3話。
さて、第1話までを見てくれた方、コメントを送ってくださった皆様。本当にありがとうございます。なるべく面白いものを作るためにうーんうーんと日々頭を捻っていますが、私の頭はどうやらそこまでいいものがポンポンと湧いては出ないようで、これからもまた期間を使って作品を描くのが当然になると思います。
お待たせするのはこちらも申し訳なく思っていますが、ぜひ末長く応援の方よろしくお願いします。
4話までは今月中に完成できればいいなーと思っています。ぜひ次回も楽しみに!
2026/10/10
推敲しました!




