第1話:日常の夜明け
「おーい!不士〜!部活行こー!」
「ちょっと待てって!今行くから!」
桑名不士は県立上別高校の2年。陸上部の短距離ランナーだ。成績はいたって普通で、部活もそうだ。県大会とか、全国大会とかに出るようなレベルではない。それでも練習には真剣に打ち込んでいるし、自主練だって欠かしているわけではない。でもそれだけだ。
毎日学校に行って、友達と愚痴言ってバカやって。部活行って夕方まで練習して、そんで帰るだけ。別に日本全国どこにでもいるような、一般的な高校生としての生活を送っていると感じる。
今日もそうやっていつも通り、部活行って、練習して、頑張って、疲れて、そんで帰る。
「ひさ〜、お疲れ様〜。やっぱすごいね〜」
女子たちの話す声が聞こえる。そろそろ女子は終わりの時間だな。部活は女子の方が終わる時間が30分くらい早い。そんで今聞こえてきたのはうちの陸上女子のスター、久居灯紗南の話だな。ひさとかひさひさとか呼ばれてる。ぶっちゃけそこまで関わりはない。ちょっと話すことがあるくらいだ。ただなぜだか、あの陸上部のスーパースターに、ちょっとだけ興味が吸い寄せられた。会話のする方に目をやると、本当に偶然なのだろうが、その灯紗南と目が合った。
「不士くん、お疲れ様。」
「お、おう。そっちも。インターハイの練習?」
「ん?うん。そうだよ。男子も精が出るね。不士くんも頑張ってね。」
「あぁ。…ありがとう。」
「ん!またね!」
なんていうか、しどろもどろして答えた今さっきの自分が、少しだけ情けなくなった。普通に話せばよかったのに、と言うかそう思いながら答えていたけれど、なんというか周りの友達の目線が痛かった。恥ずかしがる必要ないのに恥ずかしがって、自分がなんて意味のないことをしてるのかと心底感じてしまった。
「はぁ、練習しよ…」
そういえば、あの灯紗南とはいつから知り合ったのだろうか。向こうは俺の名前を覚えていてくれたみたいだし、それは俺も同じことだが。けれども何かきっかけがあったような気がする。
そうだ、あれは去年の文化祭だ。同じところの担当だったんだよな。
その時に、確かちょっと話して…それから同じ部活だったから意気投合して…まぁでも、学年上がったらクラスも変わって、それで話さなくなったから。1年の時にも大してよく話すような関係でもなかったし。2年だと尚更だ。
夕方になっても陽炎が見えるほどの猛暑は、もはやどこから熱が放たれているのかわからないほどにメラメラと体を熱した。だと言うのに、心にはその日が届いていない。滴る汗は、妙に落ち着きを取り戻す冷却水の役割を心にもたらしている。
最近よく思う。本当にこのままでいいのか?と。
現状に何か不足があったり、不満があるわけじゃない。ただ漠然と、この変わり映えもなく、大きな挑戦もしない日々に対して焦っていた。時間が滞りなく流れ、自分が何者かを見出せないまま、全てが過ぎ去ってしまうのではないかと考えると、自分には同じことを淡々と繰り返しているだけの毎日が悲痛なほどの退屈をもたらす。その退屈は日々の充実した生活というアメと比べて、あまりにも鋭いムチとなっていた。
変えたい、何かを変えないと。そうしないとこの充実した閉塞感に溺死してしまうかもしれない。
贅沢な悩みだということは重々承知の上だった。ただ、自分というその贅沢な中にある精神が、自分とは違う生き方を羨んでいる。贅沢から脱出したいわけではないのかもしれない。実際にはいっときの流行のようにすぐ忘れる程度の好みなのかもしれない。ただ、この贅沢の中にあっては、忘れるたびに思い出すような、そんな気さえした。
「おーい!不士、そろそろ終わるから集合だってよ!いこーぜ!」
友達に呼ばれてハッとする。
練習しながらとはいえ、余計な考え事をしていたなと思った。
そうだ。今の自分にだって前と変わらず部活があって、部活の目標だってある。2年になって突然暇になったわけじゃない。今は自分のためにも、貴重な部活の時間は無駄にしちゃいけないんだ。
正論で自制した自分の心に蓋をして、さっさと集合に応じてしまった方が今は何も考えずに済んで楽だった。
「はー、今日もえらかったな」
「おぅ、けど大会もそんな遠くねえしな。気張りどきやに。」
「インターハイか…全国いきてーよなぁ」
「…おう。つっても俺らがこんなこと言ってるうちにも練習してる奴が行くんだろうけどな。」
そんなことを言いながら校門を出ると、門のすぐ左側に立っている女子生徒が目に入った。
「灯紗南?なにしてんの?」
「あ、不士くん。おつかれー。」
「あ、おう。お疲れ様」
「え、お前ら仲良かったの?うわ羨ましい〜」
待ち合わせていたのかとか後ろで言っている友人をひとまず置いておき、灯紗南が部活が終わっても30分以上ここで待っているというのはにわかに信じがたかった。街灯があるとはいえ暗くなったら危ないし、何より普段はこんな時間まで残っていることはなかった。別にどうこうしてやれることはないのだが、少し気になって話を聞きたくなった。灯紗南は"うーん"と唸って少し顎に手をやって考えるような仕草をした後、こっちにくるよう手招きして、「不士くんだけちょっと」と言った。
後ろで友人がアレコレ言っているのが聞こえたが無視して、少し緊張を持ちながら耳を寄せた。明日は絶対この話題を広めるやつのせいで平穏ではなさそうだ。
灯紗南はつぶやいた。
「実は親の迎えを待ってるんだけどさ、ちょっと話せるかな…?」
「もちろんいいけど、どうしたの?改まって。」
尚も不思議なままであった。
本当に、不士にとっては本当に身に覚えのない対応だった。あの灯紗南が俺と話したいことがあるというのが、いくら考えても関わりがないことしかわからないからだ。
「ほら、インターハイ近いじゃん?どんな練習してるのかなーって。」
「あぁ、そういうことね。」
なーんだ、そんなことか。と、思った。
「普通だよ、ホントに。基礎練して、タイム測って、自主練して…みんなと一緒。」
「そっか…」
なんだろうか、なにか煮え切らない反応だった。少し間違えただろうか?改めて何が聞きたいのか聞いてみよう。そう思った矢先、
「不士くんはさ、現状で満足してる?」
どういう意味で答えるべきか悩んだ。いや、正確には練習の話だと思って答えるべきだが、どうにもそういう意味の言葉に聞こえなかった。不士はいまの明らかに練習の話と思うべきタイミング、言葉に対して、より大きな意味で、…まるで自分が悩んでいたことと同じような、そういう意味での満足しているのかという言葉に聞こえた。そしてどちらが妥当な回答なのか当てかねた。でも何となく、"いいや"と答えたくなった。それはさっき考えていたことと同じだ。漠然とした、終わりのない不足感。地に足をつけた努力が、人生というルートに自分を縛り付ける閉塞感。未知数の実力を試してみたい冒険心が捨てきれない幼い心が混じり合う。
「あぁ…いや、全く。全然足りないよ。」
「ふふっ。だよね。私も。」
「おぅ…それを聞くために残ってたの?」
たったこれだけ?という、相手の理由はこれしかないとしたら明日にも聞けば良かったのにという感覚にとらわれる。灯紗南は少し笑うと。そうだねと言ってからそれ以外もあるけど…と付け足した。そうして考えを巡らせると、クラスも違うし部活も男女で場所が少し違うから、狙って会わないと実は話す機会がそれほどないんだと気づいた。
少し失礼な質問だったかもしれないと思いつつ、ちょっと悪いような表情になったのを見た灯紗南は"でも、"と言って話を続ける。
「不士くんはね。同じ目をしてるなって思ったから。」
「目?」
「そう。去年の文化祭、覚えてる?」
「あー、うん。同じグループだったやつ。」
「不士くんさ。自分では気づいてないのかもしれないけど、何か一つをやり込むとすごい集中するよね。それこそ周りが全員置いていかれるくらい。なんかね、それ見て私も、あー、"おんなじだな"って思ったの。」
自分がそんなすごいなんて言われるような集中をしていると思ったことは一度もなかったし、ましてやそれを言われたことなんてなかった。だが灯紗南の、"おんなじだな"というので少し理解できた。彼女の、大会での動き。それはとにかく"すげぇ"集中だった。デカい大会にはたくさんの観客が来る。それは学校関係者だけじゃなく、選手や選手の家族、その友達、とにかくたくさんの人が、そんな中で灯紗南の集中力は、たった一瞬でも途切れたりはしていなかった。鋭い眼光は獲物を待つように虎視眈々と、また猛禽類の目のように鋭く目標を見抜いた。どのような障害物にも、指先の一つ、髪の毛の先に至るまで研ぎ澄まされた動きで、その会場の緊張がまるでないものであるかのように感じられた。
少し時間を置いてから、灯紗南の意見に同意した。確かに、それは、少なくとも自分たちだけには、共通するものなんだろうと。
だから気になって目線を合わせる。灯紗南の目は何を見据えている。何をみたがっているのか。少し緑がかったような黄土色っぽい明るい瞳が、少しの動揺もなくこちらを見ている。
「同じに見えてた?そんなに?」
「うん、そんなに。」
「つまり、灯紗南もこの、もっと何かできるんじゃないかってのに囚われてんのか。」
「そんなとこ。ねぇ、もしよかったら連絡先ちょうだいよ。去年みたいに話したいから。」
「あぁ、わかった。…ほい。じゃあまたな。」
「うん。また連絡するね。」
「お前らほんと、イチャコラしすぎ」
自分の出る幕を待ち侘びた友達に後ろ指を刺されたため、ここから先はまた今度、今夜にでも話そう。そう決めた。三人で"じゃあまた"と言い合って別れた後、灯紗南の親が車でやってきて帰るのをみて、男2人組は別に自分たちを待っていたわけではなかったのかと気付かされることになるが…それはまぁよしとする。
「人生哲学かね〜。」
「ん?何がだ?」
「いや、お前のピッピ、灯紗南ちゃんだよ。」
「なーにがピッピだ気色悪い。おぇ。」
冗談を言いながら2人で自転車を漕いでいる。傾いた日はあと小一時間もすれば完全に夜をもたらしそうで、雲に跳ね返った反射光が赤い空をより鮮やかに輝かせていた。ただ、やっぱり灯紗南が気になってしかたなかった。じゃあなと帰り道がついに別れた友達と手を振って。1人家へと向かう。孤独になると妙なことが色々浮かんできて、今日の事なんかは特に鮮明に思い出せる。もっとあの授業を真面目に聞いた方がよかったなとか、もっと部活の時こうしておけばよかったなとか。灯紗南に、もう少し踏み込んで話しかけてればよかったなとか。
そう言った色々を考えているうちに、ふと自分がどこを走っているのかわからなくなってきた。自分は一体何のために生きて、どうして頑張って、何がしたいんだろう。でもこうやって浮かんだ疑問は一つの答えで何かを導き出せそうな気がした。
後少し、もうすこしで手が届く。ような気がした。
「俺は…何になりたいんだ。」
時々出る一所懸命な集中力と、時々綻ぶその真面目さと、視野が狭いのかもしれないと思いつつも、それらが一貫した姿勢とは矛盾して、猛烈な違和感がある。もし、もし自分がもっと必死に生きたなら…
そう思うこともあったが、別に不自由は望んでるわけじゃない。
そう思ってボーッと自転車を漕いでいると
眼前に飛び出た太い枝に気づかなかった。
「うっ…」
プロローグに続きまして第1話を投稿です。
ここから冒険が始まるワクワク感で私自身どんな物語ができるのか楽しみです。
なるべく早く作りますがここから先のストーリーは不定期になるので、ぜひ気長にお待ちください。
(その間に質問やリクエストがあれば次回前書きでいくらか回答します!)
2026/08/28追記
思ったより早く推敲できてしまったので、第1話は予定を切り上げて投稿します。第2〜4話もこのペースで続くと嬉しいですね〜…すごく他人事ですが()




