霞の中の龍野城 28
家臣達が去ると、本丸は急に静かになった。
「清忠も、さがってくれ」
広秀は、あえて琴姫と二人になりたそうだった。
「承知しました」
清忠が居なくなると、本丸に姉弟が残される。広秀は、上座から降りてきた。
「あの場に座ってみると、父上や兄上の偉大さを感じます」
たった今、大きな局面を乗り切った弟は殊勝な事を言う。
「広秀も立派でしたよ」
琴姫が述べると、何故か弟は頭を垂れた。
「違うのです。私は失念していました。相手の立場になって考えると簡単に思いつく事なのに」
「まだ何かあるのですか?」
答えを求めるように弟を見ると、苦しそうに姉を見つめてきた。
「織田軍が龍野城の開城を認め、更に城主である私を生かすとします」
この龍野城の中を、織田軍か闊歩する姿を思うと心穏やかでは無い。だが、この地から遠く離れた場所に移り住みたいとも思わない。
「龍野城を出て、どこに行くかと悩んでいるのですか?」
「いえ、それについては候補が幾つかあります。そうではなく、私が生かされた場合、織田軍は人質を求めてくるかもしれないのです」
「人質」
普通なら、城主の妻や子供が考えられる。だが、広秀には妻子が無い。そうなれば、唯一の肉親を人質に求められるだろう。
「私ですか?」
「申し訳ありません」
琴姫に深々と頭を下げる。
先程から、弟の後頭部を何度も見てるなと場違いな感想が出てきた。
「父上は、姉上と清忠を夫婦にする事を考えでおられました」
「兄上様ではなく、父上様のお考えですか?」
「そうです。姉上に近くにいて欲しいと考えておられました。兄上は、それを実現しようとしていました」
「私を守る為に?」
「幸せになって頂きたかったのだと思います。父上の手記から分かったことですが、嫁ぐ先によって苦労するくらいなら、手元にいて欲しいと考えておられました。兄上は、かつて織田軍が播磨の地に進軍した際に人質を要求されると思い、莫大な金を渡しています。姉上が人質の候補から外れるように、清忠との婚姻を進めようとしておられました」
「兄上様が生きておられたら、私は清忠と夫婦になっていて広秀が人質になっていた?広秀を犠牲にする事を兄上様が考えるでしょうか?」
「兄上が健在なら、龍野城は進軍すらされていないでしょう。兄上の働きで、織田軍は龍野城を播磨の拠点にしようとしていた。兄上には、その力があった」
広秀は、自分には無いと言った。
「私は、守られてばかりだったのですね。広秀、人質の件は大丈夫です。私は元より龍野城の礎になるつもりでいました」
言ってから、「お止め下さい」と叫ぶ清忠の声が聞こえた気がした。
「織田方の出方を待ちましょう」
琴姫も本丸を後にした。
人質と言われ、胸の奥がぎゅうと締め付けられ喉の奥が枯れ果てた様になっていた。
本当は、広秀にもっと言葉を掛けてあげたかった。だが、話す事ができず動揺する姿を見せたくなくて、一人になった。
琴姫の足は、自然と八幡様の方へと進んでいた。
「八幡様。父上様と兄上様が亡くなられてから、ずっと不安でした。清忠様と過ごして幸せを感じている時も、常に不安が存在していました。今日、この不安の意味が分かりました。私は、人質となりこの地を去らなくてはならないのですね」
八幡様は、龍野城を護る守護神様だ。
「八幡様、私に龍野城を護る力をお与え下さい」
琴姫が強く祈ると、背後でじゃりっと石を踏む音がした。
「琴姫様、ここに居られたのですね」
振り向かなくても、清忠だと思っていた。
「暗くなって参りました、こちらをどうぞ」
肩からそっと掛けられたのは、寒さよけの綿が入った着物だった。
「ありがとう、清忠様。とても、温かいです。」
琴姫が礼を言うと、薄闇の中で嬉しそうに微笑む清忠が見えた。
私が人質になったら、清忠様はどうするだろう。きっと、今みたいな笑顔は見れなくなる。凄く、心配してくれるだろう。
清忠様から微笑みが消えるのなら、人質の事は言わずにいよう。
残された時間、幸せな気持ちで過ごしたい。
「清忠様、笛はお持ちですか?」
「はい、琴姫様に作って頂いた袋に入れて携帯しております」
懐から取り出すと、両手で持って琴姫に見えるようにしてくれた。
「清忠様の笛を、聞かせて頂けますか?」
「私の笛だけですか?」
「はい、是非」
琴姫が願うと、清忠はすぐに叶えてくれた。
夜が深まり、影が濃くなった。それでも、清忠の笛を構える所作から美しいと思う。
清忠の温かい息が笛を駆け抜け、高く清らかな音になって響いていく。
月の光が差し込み、清忠を照らした。
青白い光の中に清らかな音が絡み、清忠を照らし出している。
ああ、私はこの光景を生涯忘れません。
八幡様、ありがとうございます。
これで、私は前を向いて戦えます。
琴姫は、静かに決意していた。




