時の重みと人の悪意
水の塊が地下から岩盤を打つ音が三回鳴り響いたその時、俺は片眉をわずかに動かしていた。
とは言え、原作では土壇場の、火事場の馬鹿力を発揮したような一撃を二度放つ事で岩盤を破壊していたのだろう。
そう考えると、その時点ではさしておかしいとは思っていなかった。
完全に異常事態だと気がついたのは、響き渡る音の回数が二桁に至ろうとした辺り。アダマスが立ち上がり、辺りを警戒し始めた時点。
そして、ジョウが顔を上げ、曇らせたその表情をこちらに向けた時だった。
「……すみません、パウロさん。地面がすごく頑丈みたいで……ボクの水弾じゃ崩せそうにないです……」
「……」
申し訳なさそうにするジョウを気遣う事すら出来ず、言葉を失う。そんな俺を、皆が不安そうな目で見ていた。
原作ではたった二撃の水弾でアダマスの足下は崩落し、火口跡中心部に大穴が空く。そんな展開だったはずだ。
それどころか、アダマスが暴れる振動によって崩落する部分があるくらい、ここの岩盤は脆かったはずである。
まさかニヒトが地面に何らかの仕掛けを施しているのかとも考えたが、地面からおかしな気配は一切感じない。
『アダマスの能力』という可能性も考えてはみたが、原作ではそんな設定はなかったはずだし、そんな能力があるのなら原作でだって力を行使していただろう。
じゃあ、何故こんな事に?
混乱する頭を落ち着かせながら必死に回転させる。
そこで俺は気がついた。波に揺られるように、地面がグワンと揺れた事に。
「っ!?シャールッ!こっちに来いっ!」
「は、はいっ!」
ビリビリと震えるように始まる今までの軽震とは明らかに質の異なる揺れに嫌な予感を覚え、崖のそばにいたシャールを呼び寄せる。
と、次の瞬間、俺ですら経験した事がない程の巨大な地震が山を、この島全体を揺らしていた。
『きゃああああああっ!?』
『わぁああああああっ!?』
世界そのものが軋んでいるかの如き轟音と激震の中、こちらに駆けてきたシャールの手を取って引き寄せ、その場にいた全員ごと抱きかかえるようにしてうずくまる。
安全な場所に避難するような余裕などない。皆を守るため、崖の方に背中を向けるだけで精一杯だ。
だが、そんな揺れの中で俺は、唐突にある一つの仮説を思いついていた。それで皮肉にも頭が一気に冷える。
……そうだ……俺は、予定をかなり早めてこの島に来ていたんだ……
やがて揺れが収まると、俺の腕の中でジョウ達を守っていたシャールが青ざめた顔をこちらに向けた。
「だ、大丈夫ですか……パウロ……?」
「あ、ああ……大丈夫だ……」
俺でもビビる程の大揺れだ。多少地震に慣れたとはいえ、シャールも相当に怖かったのだろう。
それでも彼女が俺を気遣う言葉を口にしたのは、俺の顔が青くなっていたからだろうと思う。
ただ、それは今の地震のせいというより、俺が俺自身の犯した過ちに気づいてしまった事に強く起因しているのだが……
恐らく、今の余震は本震に匹敵する規模のものだったのではないか?
そんなものが原作内で起きていたとすれば、流石にその描写がないのは不自然過ぎる。
この不自然さに、俺はもっと早く気がつくべきだった。
原作で地震の描写がなかったのは、本来のドワルフ島でのイベントが今のこの世界より十日以上先の出来事だから。
要するに、原作でのイベント時には余震も収まっていた、という事。
これからしばらくの間、この島を大小の地震が襲う。それによりこの火口跡の岩盤は徐々に崩落していき、約十日後、本来のイベントのタイミングではジョウの水弾で破壊出来るくらいに岩盤が脆くなっていた。
つまりはそういう事なのではないだろうか?
それと同時に、アダマスに付与された『理外の力』がこれまでより弱い理由にも一つの仮説が浮かび上がる。
これは本来のイベントのタイミングではないから、だ。
今まで黒化魔獣が出現したのは、全て原作と同じ時間軸での出来事だったはずだから。
とは言え、ここで長々と考えても答えは出ないし、そんな余裕もない。
地面にへたり込んだ皆は、地震が収まってもまだ微かに体を震わせていた。シャールも、ジョウすらもだ。
「……悪い、俺のミスだ。こうなると、今の手札じゃ手詰まりだな。街の方も心配だし、一度戻ろう」
まずは皆に詫び、軽く腰を上げてアダマスの様子を窺う。幸いにもアダマスは辺りをしきりに気にしているだけで、俺達の存在にすら気づいていないようだった。
どうやらヤツはこれまでの黒化魔獣とは違い、こちらの、ジョウの存在を捉える事も出来ないらしい。
「……そうですね。一度戻って態勢を立て直しましょう。皆、立てますか?」
「は、はい……何とか……」
俺の言葉に従ってまずシャールが腰を上げ、ジョウがそれに続く。
その瞬間、ようやく呪縛から解放されたかのようにアイシェ、サラ、エミリーの三人は俺の足にタックルをカマしてきた。
「ちょっ!?コ、コケるって……っ!?」
「うわぁぁぁぁぁんっ!?ダーリンッ!!!」
「ぶわっ!?」
そこにきて顔面にディーネのボディアタックだ。体勢を維持出来ず、俺は盛大に尻餅をつく。
まぁ、それを見たシャールとジョウにはクスクスと苦笑する程度の余裕が戻ったみたいだから、結果オーライですけどねー……
トッシュだけは未だ魂が抜けたような状態だが。
まずは皆が落ち着くのを待ち、可能な限り早くこの場を離れよう。今後の動きを考えるのはそれからだ。
そんな事を考え、苦笑しながらしがみつく皆を宥める。
その時だった。さらなる想定外の事態が津波のように襲いかかってきたのは……
「うおっ!?」
『きゃああっ!?』
突然、ズドンッ!という凄まじい爆発音が背後で轟き、アイシェ達が悲鳴を上げる。それと同時に地震とは質の違う細かな振動が体に伝わってきた。
激しい爆発音はさらに数度続き、次いでガラガラと岩石が崩れ落ちる音が鳴り響く。
それらが聞こえてきたのは、俺達が通ってきたあの峡谷の方だ。
「……」
何が起きたのか理解出来ず、俺も皆も呆然と谷間の方を振り返る。
この時すでに、事態はさらに最悪の方向へと進んでいた……
◎
「……道が……」
「……くそっ!!!」
呆けたようなジョウの声を背中で聞きながら、俺は怒りのあまり崖の壁面を拳で叩いていた。
街に戻るため、何が起きたのかを確認するため、来た道を戻った俺達が目にしたのは……完全に崩落して袋小路と化してしまった峡谷道の成れの果てだったのだ……
この惨状を目にした時には頭が真っ白になったが、辺りに残る火薬の匂いに気づいた瞬間、俺は全てを理解した。
俺達をつけてきた墓荒らしの連中がここを爆破したのだと。
「……自分の頭の悪さに腹が立つ……!アイツらの方が余程利口じゃねぇかっ……!」
「ど、どういう事……?」
隣に立つアイシェの青ざめた顔に、少しだけ頭が冷える。
そうして俺は振り返り、自分自身と皆を落ち着かせるために、状況を整理するために、話をする事にした。
「本当にごめん……考えが浅かった……墓荒らしの連中はここにアダマスがいる事を知った上で、俺達がアダマスのいる所へ向かっていると分かった上で後をつけて来てたんだ……」
「で、でも、あの人達はギルドから情報を聞けないはずじゃ……?」
俺と同じ勘違いをまだ引きずっているのだろうサラが、困惑した表情で聞き返してくる。
それに対して俺は首を横に振った。
「いや、アイツらが掴めてないのは新鉱脈の予測地点に関する情報だけだ。アダマスについての情報は別のはずなんだよ」
俺のその言葉に、シャールはいち早く事情を察して苦々しい表情になる。
「……っ!……迂闊でした……アダマスの復活はこの島全体の問題ですから、間違ってこの場所に近づかないようあらゆる人達に注意喚起しているはず……」
「ああ。俺達が泊まった宿は冒険者ギルド経由で手配してもらっていた宿だ。だから宿の人達も、アダマスについて俺達に特別何も言わなかったんだろうな」
自分の間抜けさに、腹の底からため息が出る。
俺達がアダマスのいる場所に向かっていると理解した上で奴等は尾行してきた。
そう最初から気づけていれば、その企みにも気づけたかもしれないというのに……
「恐らくだが、アイツらは俺達をアダマスにぶつけるつもりで後をつけて来てたんだ」
「な、なんでそんなことをっ!?」
俺の推測に、ジョウは驚きの声を上げる。
きっとジョウ達は知らないのだろう。本物の『人間の悪意』というものを。
いや……それは俺も似たようなものか……
俺もどこかで勝手に思い込んでいたのだ。
この世界には、俺が知るような人間の悪意は存在しない、と。
もう一度ため息をつき、頭を抱えるように髪を掻き上げる。
「俺達がアダマスを倒せば、安全に探索出来る範囲が広がる。俺達がやられれば、競争相手が減る。理想は共倒れ、ってところだろうな。上手いやり方だよ……人の道ってモンを無視すれば、だけどな……」
「そんな……」
「アイツら……っ!」
峡谷の爆破なんて真似までしでかすというのなら、俺の推察は大きく外れてはいないだろう。
エミリーは表情を強張らせ、アイシェは怒りに肩を震わせていた。
風すら通れなくなった峡谷の壁を跳ね、動き出したアダマスの重い足音が俺達の耳に届く。あの巨体ではここまで入ってこられないだろうが、だからと言ってずっとこの場所に留まるわけにもいかない。
早急にこれからの行動を決める必要があった。
反対側からなら街に戻れるが、そのためにはアダマスのそばを突っ切らなければいけない。当然、アダマスは俺達を追ってくるだろう。早々に追跡を振り切れなければ、ヤツを街におびき寄せる結果になる。
しかし、悪路だという反対側のルートで上手く振り切れるだろうか……
俺が一人残り、先に皆を逃がして、最後に俺が全力で逃げる。
という手もあるが……この優しい子達がそんな提案を素直に受け入れてくれるのか?
皆が押し黙る中、気持ちを落ち着けて淡々と思考を回す。
と、そこで……
「……あっ……!」
俺はある一つの策を思いつき、つい声を出してしまっていた。瞬間、皆の視線が俺に集中する。
これは、かなり分の悪い賭けだ。だが、可能性はある。
最終的に尻尾を巻く事になろうとも、足掻けるだけは足掻こう。
そう覚悟を決め、俺は皆の不安そうな視線に毅然とした態度で応えた。
「一つ、思いついた事がある。聞いてくれ」
これから皆に話すのは、あくまで表向きの策だ。シャールにだけはこっそりと、本当の目的を伝えなければならない。
彼女になら、たったの一言で全て伝わるだろうが。
俺が思いついた策。
それは『予定していた工程の順番を入れ替える』というものだった。




