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東京悪魔  作者: 三篠森・N
東京大魔境編
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東京悪魔の悪あがき

「フン、変わらぬな、東京は」


 東京は世界屈指の大都市である。どこに出しても恥ずかしくない大都会、アメリカのニューヨークにだって負けてはいない。

 東京には様々な文化やテクノロジーや価値観が人間共の内臓のように数多く存在している。巣鴨に集まる老人たち、新宿をせわしなく往くサラリーマンやOL共、そして渋谷の忌まわしき女子高生共。老若男女が生きている。

 そして日本、或いは世界の各地からまた多くの人間がその魅力を追って東京へやってくる。東京には学、美術、芸能、技術、出会い、仕事、全てがあるはずだ、と。


「こんにちは」


「Hello」


「привет там」


「salut à tous」


「您好」


「Hola」


 そして2020年、東京に世界中から人と注目が集まる。各々の母国の国旗やそれを模した服やフェイスペイント、ハチマキ。これから全ての国が激突するというのに誰もが友好の握手を交わす。

 東京五輪だ。東京の中にさらに輪を五つも描くこの一大イベントを、かつて俺は忌み嫌った。酷暑を極める東京で競技が出来るのか、世界でも屈指の混雑を誇る交通網、人口密度にさらに他国から多くの人間を招き入れることが何を意味するか。俺のように東京に住んでいたものの立場からすれば、日本でやるにしても大阪かどこかでやれ、とどこか厄介にも感じていた。だが今は誇らしくすらある。日本よ、そして世界よ。これが東京だ。


「……お久しぶりですヴェルさん」


松田(まつだ)


 俺と松田が再会を果たした新宿の大型画材店・世界堂で、松田が俺に頭を下げた。


「待たせたな。変わらぬ。何も変わらぬ。この街は」


「いろいろあったんですけどねぇ。ドラマは起こってるんですよ。ただ東京は容量が多いんで、東京を揺るがすことは出来ないってだけで。ヴェルさんなんて最たる例じゃないですか。東京で生まれた悪魔が人間として生きて、天使になるなんてメチャクチャですよ。少なくともわたしにはいろいろありました。あ、それよりチケットですね」


 松田は相変わらず垢抜けない。目が少し悪くなったのか、眼鏡をかけ始めたようだ。目の下にも、会社員時代のようなクマが出来ている。後ろで束ねた髪型は同じだが、以前よりも2年分伸びている。通常の会社員では許されない長さだ。つまり……。


「2枚しか取れませんでした。もっと取れたら夕子(ゆうこ)さんやマティちゃんも連れてきたかったんですが」


 松田が鞄からジップロックを丁重に取り出し、中に収められた2枚の、東京五輪開会式のチケットを俺に自慢気に見せる。そしてそのうちの1枚を俺に手渡した。その手つきに、そこはかとなく視線を送る。


「……無事ですよ」


 松田が左手の指を広げて俺に見せ、薬指を器用にクキクキと曲げて見せた。確かにそこには何もない。だが俺が気にしていたのはそちらではない。


「だいぶ硬そうだな、その右手のペンダコ」


「あぁ、なんとかまだやってますよ。マティちゃんは本当にすごいですね。そこそこに名の知れた絵師としてネットで人気ですよ。メイド喫茶やりつつ漫画の手伝いしつつ絵師やってます。担当からも、マティちゃんの方だけを、読みきりですけど作画担当で起用したいって声がかかったこともありましたし」


「担当とな?」


「ありがたいことに、マイナーな青年誌ですが何度かの持ち込みしたりして担当がつきましてね。なんとか、今、ここで諦めてしまうには惜しいぐらいには漫画やれてます。マティちゃんご希望のジャンプは年齢的にも作風的にも無理ですけど……。会社員時代と同じく疲れる日々ですが、充実してます」


「それはよかったな」


 莞爾として笑う。


「みんな元気にやってますよ」


 弛緩した笑み。


「ヴェルさんは……どうだったんですか? 研修?」


「ああ」


 あの日、俺は確かに昇天した。

 母上、(かがみ)、アールマティ、夕子、斎藤(さいとう)に別れを告げた後、自分は東京悪魔でいて何不自由なかったことを知った。しかし俺の中で覚醒した天使の力は止められなかった。

 そして天界で叔父上とカマエルに迎えられ、俺は天使のヴェルフェゴールとなった。現世での俺の職と同じく、事務職員のような研修を課された。他の事務天使には支給されていない、現世のパソコンやデスク、電話、電卓とほぼ同じものを手配され、現世との仕事内容や方法のギャップに苦しむことはなかった。この辺りは叔父上が取り計らってくれたのかもしれない。

 だが天界は思っていた以上に俺の肌に合わない場所でもあった。叔父上やカマエルのように、現世に出張したり、現世での営業が仕事が主な者は、人間のまねごととして感情や自我を持つ。天使を模して造られた人間を、天使が模しているというのもおかしな話だが、そういった天使は多くなかった。大半の天使は仕事をこなす歯車や機械のような存在で、生を知らぬが故に生きることを放棄しているように感じてしまう。姿すらない光の塊のような者や声だけの者もいる。それでも彼らは満たされている。永久に生き、満たされており、他を知らぬ者は、限られた何かに追われることがないため、挑戦することも必死になることもなければ、変わろうともしない。それは虚無を意味する。生きてもいないのだ。

 俺が天使になることを望んでいた叔父上が、俺の天使化が始まるまで天使の職を強く勧めず、強制しなかった理由がわかった。そして叔父上が、いかに他の天使と一線を画しているかを再び知ることとなった。やはり叔父上は最も偉大な天使である。そんな環境の中で、人間と同じく心の病を抱えるカマエルも良き友人だった。

 だが俺の生まれは悪魔。死してなお天界で優等生の如く振る舞う聖人君子の亡者どもとは、単純に馬が合わなかった。彼奴らには俺の名が象徴する〝怠惰〟がなかった。

 一方で、時間の概念すらない天界で俺の怠惰と堕落を求める気持ちは強くなり、魔力も増していった。叔父上が言った通り、あっという間にカマエルさえも追い越してしまった。おそらく、極度のストレスが俺の魔力を増強させたのだろう。他の天使共は虚無だ。ストレスすら知らない。俺も叔父上と同じく、一線を画した天使だったのだろう。しかし叔父上の顔に泥は塗れない。それ故に俺はさらにストレスを抱え、魔力は加速度的に増していったのだろう。

 そして理想の虚無に辟易した俺は気がつけば、クソ上司に盾突くことすらできるほどの魔力を身に着けていた。しかしキッカケはなかった。なにしろ刺激のない虚無な天界である。滔々と流れる無味乾燥な時間……。


「研修は辞めてきた」


「辞めた?」


「悪魔に戻れるだけの魔力を確保し、俺はすぐに神に反抗した。その結果、天使失格の烙印を押され堕天使となり、悪魔に戻った。以前の俺には何も罪はなかったが、今度は神に歯向かい、叔父上の顔を潰した罪がつく。再び天使化することはないだろう」


 松田が首を傾げた。


「ということはヴェルさんはまた悪魔に戻ったということですよね?」


「そうだな」


「何故またここに戻ってきてしまったのですか? ここは山手線の中ですよ? 外の方が広いのに。また封印されちゃったじゃないですか」


「ぬぅ」


 言える訳がない。この俺が……誇り高い悪魔の俺が、郷愁や寂寞を感じていたなどと……。母や斎藤と過ごした白金、鏡のいる本郷、アールマティのいる秋葉原、夕子のいる高田馬場、彼らと過ごしたこの東京。松田と出会った東京。俺は本当は、かつてのような孤独で誇り高い悪魔に戻りたいと天界で感じていた。実際、俺の中の反骨心や他者への敵意の棘のようなものの類を天界で増やし、伸ばし、研いでいた。今度こそ残忍で冷酷な悪魔の本懐を遂げようと強く誓い、その日を夢見て平坦な時間を送ってきた。だが本当にそうか? 俺の悪魔としての生きがいは殺戮や破壊、怠惰だったか?


「魔法陣」


「魔法陣?」


「魔法陣はまずは輪を描くことから始まる。東京を破壊し尽くすべく、最強の魔法陣の輪を山手線で……」


「あ、ヴェルさん、今テロとか超警戒されてるんであまり大きな声でそういう言葉は控えてください」


「魔法陣を作りたかった!」


「うぅん、この内容ならテロリストには思えないから大丈夫かな? ヴェルさんが悪魔に戻ってくるなら、今度はわたしがヴェルさんをどこにも行けないようにしてしまおうとこんなものを用意していました」


 松田が優し気にため息を吐き、小さなケースを取り出し、開けてみせた。質素で一切の飾り気のない、金属製の指輪が収まっている。体が熱を帯びる。何かが沸騰するように、俺の中の余裕を消していく。


「鉄製の指輪なんですが、金属アレルギーじゃないですよね? 漫画で初めてお金をもらった時にこれを買うと決めたんです」


「受け取ろう」


 松田が頬を赤く染め、花開くように、屈託のない笑みを浮かべた。


「わたしの下の名前を教えます。(はな)です。華がないのに華」


「華」


 指輪を指に通す。径には問題がないのに締め付けられるようだ。


松田(まつだ)(はな)。俺はもうどこにも行かぬ」


 悪魔の苦手なもの。十字架、聖水、お祈り、銀の銃弾。この辺りは定番だろう。しかし、意外と知られていないものがある。そう、鉄によって作られた輪である。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ヴェルが悪魔なのに善にも悪にも偏っていなくて、意識せず中道の考え方をしているところに共感と尊敬の念を持ちました。 登場人物(人物なのか?)がそれぞれ魅力的なのはもちろん、ヴェルの一人称で進…
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