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東京悪魔  作者: 三篠森・N
東京人間模様編
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東京悪魔は地獄に落ちろ 前篇

 頭が狂うと書いて頭狂(トウキョウ)と読むが、人間の頭には必ずタガがついている。すべての感情を爆発させないよう理性のタガが、そもそも頭蓋骨で物理的に脳にはタガがついている。人間の脳は本来の機能の30%しか使われていない、というような話が創作ではよくあるが、人間は声すらも3割しか使えていない。渾身の大声、これ以上は出せないという様な大声を、大人になってから普段の生活で出したことがある人間はいるだろうか。東京にいる人間は日ごろ、自身を抑制、抑圧し生きている。俺も会社ではストレスコントロールの講習を受けたことがある。ストレスと相対に位置する、自身の解放の方法は己で知るべきなのである。




「フ、あらぶっておる」


 仕事の帰りに家とは逆方向へ向かい、そびえたつ白き卵、東京ドームを見上げる。その卵の中のたった18人の挙動が、5万人の刺激し、熱狂させる。もう少しドームに近づく。東京ドームシティの遊園地からも歓声と絶叫。巨大な屋根を支える支柱に刻まれた勇士たちを横目に見ながら、卵の外殻の店へと足を運ぶ。

 この球場を本拠地とするチームのレプリカユニフォームの各種サイズが所せましと並ぶ。棚を優雅に指でなぞる。文房具、食器からリストバンド、タオルまでありとあらゆるものに背番号が刻まれている。


「……フ」


 野球帽をかぶり、窓ガラスに映った自分の姿を見る。


「似合わぬ……」


 事の発端はなんだったのか。それはもう俺が生まれたこと、そして松田(まつだ)が生まれたことまでさかのぼる。他には俺がカマエルと天国新聞ヘヴンタイムズを契約した際、特典で東京ドームのジャイアンツ戦のチケットをもらったこと、そのチケットで松田を誘ったこと、そして何より、俺が松田と巡り合ったこと……。様々な事柄が各々発端となり常々俺の悩みの種である松田を大きく芽吹かせたのだ。


「試合の日、そろそろじゃないですか?」


 そうなのだ。俺が持っていたチケットの試合の日は近い。松田は本人曰く「ジャイアンツ命」。その松田の応援の熱量は計り知れない。だが俺は野球に関しては無知に近く、高校野球の時期になると母がトトカルチョに参加するのでルールを知っている程度である。近頃めっきり放送も減った野球中継では、たった一度のドーム観戦のために応援する選手の目星もつかず、用もないのにドームでグッズを物色しては何も買わずに帰っていた。

 俺にとって松田は悩みの種、ストレスの種である。松田ゆえに俺は悩み、無意味に東京ドームにやってくる。だが、排除しようとは思えない。このストレスと悩みをもっとほしいとさえ思える。

 俺はいったいどうしたいのか。上手く立ち回りたいのか? 下手を打ちたくないのか? 両取りはできないのか? 野球観戦のいろはならば、母や叔父上はよく知っているだろう。だがこれは俺がどうにかすべき話である。そうして何もできないまま当日を迎えたのだった。


「こんばんは。イカした服ですね」


「そうか? 俺は普段からこうだ」


「夜中コンビニ行く時もいちいち着てるんだったら笑いますけどね。それ、ネット裏の服ですよ」


 結局、俺が当日選んだ服装はキッチリしたジャケットだった。軽さには欠けるが、一番俺が着慣れた服、つまり当日ぶっつけ本番でも浮きすぎはしないはずの服装だった。一方の松田はレプリカユニフォームを着て首に橙色のタオルをかけ、そのタオルを首元でリストバンドを巻いて留める独自のモノ。おそらくこれが東京ドームの正装なのだろう。


「ネット裏っていうのは、キャッチャーの真後ろから見られる一番いい席です。でもつまんないんですよ、ネット裏は上品すぎて。だから今回みたいな内野席ぐらいが一番いいんです。もしかしてヴェルさん、野球観るの初めてですか?」


「初めてでは何か問題が?」


 ああ、そんなつもりではない。こんなきつい言葉を使うつもりではなかった。しかし、松田といることで高まる過度の緊張が俺の言霊を狂わせる。本当は俺もレプリカユニフォームを着たかった。だが、選手を知らなければ、思い入れのある選手もいないのだ。ならば、ジャイアンツのユニフォームではなく、俺のユニフォームを着るしかあるまい。真に遺憾ながら俺は上手く立ち回れなかったことを恥じる。だが芸はないが、決して下手ではない手がジャケットだったのだ。確かに周囲を見渡しても俺のように凝り固まった服装の者はいない。レプリカユニフォームかTシャツのような軽く動きやすいもの、夏の時期になると斎藤がよく出かける野外フェスなる黒ミサに集う闇の人種のような軽装ばかりだ。


「そうなるといよいよヴェルさんはルールもわかるんですかね?」


「バカにするでない。これでも俺は高校野球でトトカルチョを」


「大声で言わない方がいいですよ。あんまり奔放だと思われてもよくないですし、特にその言葉は今は敏感になってる人が多いですから」


 松田がニヤニヤと悪童めいた表情に困惑を織り交ぜ俺をいさめる。俺は少し前にニュースで観た野球チームの不祥事を思い出し、とんでもないことを口走ったとにわかに鳥肌が立つ。俺が必要以上に緊張している理由に、球場という臨場感が高すぎる場で何が地雷になるかわからないややこしさがあった。俺一人ならまだしも、今回は松田が一緒である。めったなことは起こせないのだ。


「ちなみにわたしのヒーローはこの人ですよ」


 松田がくるっと身を翻し、親指で自分のレプリカユニフォームを差す。背番号24とアルファベット表記の名前が刻まれている。


「昔、親に連れられて以降大好きなんですよ。初めて観に行った試合で、大活躍したのがこの人。今は監督やってます。ヴェルさんも今日の試合で活躍した選手を好きになればいいんですよ」


「む」


「あぁでも敵の方が活躍するってパターンもあるからなぁ。っていうかもう監督を応援しましょう」


 松田はあくまでも明るい。俺の珍妙な恰好も明確な失言があったにも関わらずだ。これはもう球場の空気にあてられているのか? もう俺は眼中にないとさえ思う。松田には読売巨人軍しか見えていないのではないだろうか。




 東京ドームの門まではもうリハーサルで慣れたものだ。だが未踏の領域である手荷物検査を潜り抜け、天井と床の狭間から見えたグラウンドは圧巻だった。こんな広い空間があるのかと、外と中では違う圧倒的な感覚の違い。これでも室内なのだ。野球が出来るほど広い部屋、それが東京ドーム。おそらく、俺の行動可能範囲の中で最も広い部屋がこの東京ドームだろう。


「これが東京ドームか」


 ついついグラウンドに目が行って足下がおぼつかなくなる中、急な階段を下り、列と行を確かめ、松田と二人並んで席に座る。周囲は松田と同じユニフォーム、つまりホームチームの応援。眼下では真っ新なマウンドとベースが試合開始を今か今かと待っている。席を確認した俺と松田はそれぞれ違う性では入れない部屋に行く用などのために解散。「飲み物はまだ買わない方がいい」という忠告があったのでつまみのみを買い、松田との距離が目睫の席につく。


「大きな声じゃ言えないけど本当にマズいですね東京ドームのご飯! パッサパサのヘナヘナのから揚げ! 選手にはもっといいものを食べていてもらいたい! もう正直、仕事がきつかった時期にジャイアンツが弱かったらもうぶっ壊れてました。仕事辞めてからも、なんかもう働いてもいないのに球場なんて行っていいのかって気持ちもあったので、今回は本当によかったんですよ」


 松田の興奮が異常だ。その心情や行動がなかなか読めない人間ではあったが、元来テンションの低く、東京ドームでジャイアンツ戦を観戦するということがわかっていない俺とはどんどん差が広がっていく。ここで俺の心に一つ、とてもどす黒く膿んだ考えが張り付いた。俺はオマケなのではないだろうか。松田にとって、今の俺は東京ドームに来るためのきっかけにすぎず、今回はそのきっかけを運ぶ働きアリとしての俺と、女王アリが義理で一緒に観る。誰でもよかったのではないだろうか。むしろ、俺ではない方が……。これを機に松田が東京ドームに来るようになったとして、次から俺を誘うだろうか。俺はただの……。


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