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第22話


「ねえ楓、ちょっとお願いがあるんだけどさ」


 お昼だったけれど、腹の傷が消化器官にも及んでいるとか、そういうことらしく固形物を食べることは禁じられていて、昼御飯は食べられなかった。もちろん、しっかりと点滴なんか頂いたのだけれど。


「はい、何ですか遼さん?」


 昨日からずっと楓は僕と一緒に居てくれて、そのお陰で僕は退屈しなくて済んでいた。


「ドクターペッパーが飲みたくなっちゃってさ、買ってきてくれない?」


 頼んでおいてなんだが、僕はそれが病院内には売っていないのを知っている。この病院には昔盲腸で入院したことがあるから。


「どくたーぺっぱー? どこのお医者様ですか?」


 初めて聞いた単語だったのか、楓は首を傾げて聞き返してきた。ああそっか、この娘は僕なんかとは人種の違うお嬢様だった。


「いや、飲み物だよ。炭酸が入ったやつ」


 独特の匂いだとか、好き嫌いがはっきり分かれるだとか、そういうのは別に言わなくてもいいだろう。


「ドクターペッパーですね。はい、分かりました。ここの売店には売ってますかね?」

「いや、多分コンビニまで行かないとないと思う。大丈夫?」


 この寒い中買い物に行かせるのに悪い気はしたが、それでも行ってもらわなくてはいけない。


「もちろんです。他ならぬ遼さんの頼みですから」


 にっこり笑う楓を見て少しの罪悪感は芽生えたが、それでもどうしても楓にはここから出て行ってもらわねばなかった。


「では行ってきます」


 楓はそう言って、コートを持って部屋を出て行った。


「ふう…………」


 さて、ここからだ。わざわざ楓を追い出してまでやる事と言えば、


「もちろんここ数日の溜まった分を」


 思いっきり出してやろう!! ………なんて訳はない。いや、もちろん溜まってたりはするけどね?


「よいしょっと」


 ベッドから出て、立ち上がってみる。

 ………よし、痛みもない。なんとか歩ける。包帯なんかのせいで歩きにくいから、そこまで速度は出ないだろうけど。


 部屋から出て、一階ロビーに向かう。確かそこには、アレがあったはずだ。階段なんかは少し辛かったが、それでも立ち止まる訳にはいかなかった。少しでも時間は無駄にできない。


「………あった」


 僕の記憶通り、売店の横には公衆電話が置いてあった。幸い今は誰も使っていない。


「…………よし」


 先輩に、電話をかけよう。僕がここまで来た理由はそれだった。


 楓は先輩に異常は無かったといっていたが、やはり心配だった。僕を刺したことで必要以上に自分を責めてしまっていないだろうか、それが気がかりだった。もしそうなっていて、落ち込んでしまっているならば、何とかしたかった。先輩は悪くないんだということを、ちゃんと伝えたかった。


 楓に先輩に二度と会うな、とは言われたが、それでも電話しない訳にはいかない。どうしようもなく心配で、先輩の声が聞きたかった、僕の声を聞かせたかった。


 先輩に刺されたとき僕の身体の中に、直に気持ちが入り込んできた。恐ろしく真っ直ぐで、強烈な想いが、痛みと一緒に伝わってきた。狂気すら伴ったそれは、きっと普通の男なら恐れて、逃げようとすらしてしまうものだろう。それが普通で、当然の反応だと思う。

 だけど僕は普通の男とは違うから、だって僕は駄目人間だから、先輩のその気持ちを『嬉しい』と感じてしまっていた。多分頭のネジが何本か飛んでしまっているんだろう。

 でも、それでいいと思った。それでも構わなかった。だってそのお陰で僕は、普通の人が感じられない喜びを受け取っているのだから。


 さあ先輩に電話をしよう。今はきっと昼休みのはずだ。


「…………あ」


 が、しかし、

「お金、忘れた…………」


 ここまでやってきて何たる失態。膝をついてうな垂れたくなった。ああ楓がいない時間は限られているというのに、もう一度部屋に戻るしかないのか。そうなったら大分時間ロスだ。他の選択肢は? その辺の人に頭を下げてお金を借りるか? 恥ずかしいけど、それが最良のもののように思えた。


「やるっきゃ、ないか」


 覚悟を決めて、周りを見渡す。優しそうなお婆ちゃんとか、いやしないだろうか。

 

「どうぞ、お使いください」


 と、いきなり目の前に百円玉が差し出される。


「へ?」


 その手の先を見ると、


「どこかに電話をなさるのではないのですか?」


 見覚えのある老紳士が立っていた。


「えーっと、確か楓の………」

「はい。綾瀬家の執事をしております、滝村です」


 よろしくお願いします、と丁寧に頭を下げる滝村さん。それに恐縮して、こちらまで頭を下げてしまう。


「こちらをどうぞ」


 そうして改めて滝村さんは百円玉を差し出す。


「あ、ありがとうございます。でも、どうして?」

「お嬢様に、中原様をお助けするよう言われているので」


 落ち着いた口調で、彼は静かにそう言った。


「あ…………」


 それを聞いて、胸の中の罪悪感が蘇ってきた。僕は今、楓との約束を破ろうとしているのだ。あのときの、壊れてしまいそうな楓の表情が頭をよぎった。


 それでも今は、


「百円、あとで絶対返しますから」


 今は、先輩に電話しなくてはいけない。僕は滝村さんにそう言って、百円玉を受け取った。滝村さんは何も言わずにお辞儀をして、僕から離れていった。


 百円を公衆電話に投入して、先輩の携帯の電話番号をプッシュする。


「むごいよ、よしおさん……っと」


 先輩の番号が、語呂合わせで覚えやすいものでよかった。呼び出し音が鳴り出す。


 一回、二回、三回、四回…………。


「…………頼む、出てくれ」


 五回、六回、七回、


「…………もしもし?」


 ―――――やった、繋がった!!


「………………………」


 受話器から聞こえるのはわずかな吐息。先輩の声は聞こえてこない。


「もしもし、先輩ですか!!??」


 じれったくなって僕はもう一度問いかける。


「………りょ、うくん?」


 ああ、先輩の声だ。久しぶりに聞いた先輩の声はか細くて、今にも消えてしまいそうだった。


「はい中原です!! 先輩、大丈夫っすか?」


 そしてどうしてこんなにも辛そうな声なんだろうか。


「………どう、して?」


 震える声で僕に尋ねる。


「どうしてってそんなもん、先輩が心配だからに決まってるじゃないっすか」


 そうだ、聞くまでもない、決まりきったことだろう。


「………だって、だって遼君私の顔なんか二度と見たくないって!!」


 先輩が声を荒げる。が、その理由が僕には全く分からない。


「は、何すかそれ? んなこと言った覚えないっすよ?」


 僕が先輩に向かってそんなこと言うはずがない。


「………え?」

「それに俺、言いませんでしたっけ?」


 先輩は覚えていないのだろうか。でもこの台詞はちょっと言いづらい。それでもここで言っておかないと、しっかり言葉にしないといけない気がした。深呼吸をして、もう一度その言葉を口にした。


「―――――俺も、先輩のことが好きだって」


 かなり恥ずかしかった。周りに聞いてる人はいなかったと思う。滝村さんもどこかに行ってしまっているし、その心配はないだろう。ないにしても、恥ずかしいことに変わりはないけど。


「……………………………」


 僕の言葉に先輩の反応はない。


「先輩?」


 やってしまったのだろうか、あまりにアホなことをしたため呆れられてしまっただろうか。うわ、だとしたら僕、かなり寒い。


「………………………う、ひっく」


 これってもしかして笑いをこらえている声だろうか。もう最悪だ。


「あの、先輩?」


 恐る恐る声をかけてみる。相変わらず受話器の向こうからは震えた声しか聞こえない。


「…………うわああああああああああん!!!!!」


 聞こえてきたのは予想していた大爆笑ではなく、泣き声だった。


「せ、先輩!!?? 大丈夫ですか??」


 それも子供が大泣きするような、少しも我慢した様子もなく、泣き声を撒き散らすようなものだった。


「うっぐ、うええええん!!!」


「ちょ、先輩落ち着いてくださいよ、何があったんすか?」


 ああもうそんな風に泣かれたら、こっちがうろたえてしまうじゃないか。


「だって、だってえ、ひっうぅ」


 電話の向こうの鳴き声、これで二回目の経験。何とかしてあげたい。だというのに、やっぱり相変わらずダメ人間な僕には対処法は分からなくて、


「はい、どうしたんですか?」


 だから極力穏やかな声で、受話器の向こうに優しく語り掛ける。


「りょうくんが、りょうくんがぁ………」

「はい、俺が?」


 その甲斐あってか、徐々に先輩も平静を取り戻していってくれた。


「もう、会えないって思ってたのに………もう……のうって思ってたのに」


 最後のほうはよく聞き取れなかったが、先輩が思いっきり泣き出した理由が何となく分かった。


「先輩……………」


 それと同時に胸に暖かいものが込み上げてきて、電話してよかったと、そう思うことができた。


「傷は、大丈夫なの? どこもおかしくないの?」


 心配そうな声で先輩はそう尋ねる。


「ええ、もちろん」


 それを和らげてやるために、僕は明るい声で言った。顔も笑って見せたのだが、電話でそれを伝えるのはやっぱり無理で、受話器越しの会話が酷くもどかしく思えた。


「先輩こそ大丈夫でしたか? 警察に、何か酷いこととかされませんでしたか?」

「うん、大丈夫だったよ」


 こちらも穏やかな声で僕の問いに答えてくれた。


「そうっすか………よかったです」


 これでようやく安心できた。


「…………遼君、ごめんね」


 唐突にそう口を開く先輩。


「え?」


 だが僕にその意味は分からない。


「その………あんなことして………」


 ああ、そのことか。


「先輩は何も悪くないっすよ………悪いのは、全部俺っす」


 逃げてた僕が悪いのだ。その謝罪もキチンとしなければ。


「だから、ごめんなさい」


 受話器越しなのに頭を下げてしまった。これが日本人の習性ってやつだ。


「そんな、遼君は何も悪くない!!」


 すかさず先輩はそれを否定する。


「いや、全部俺が悪いんですって」


 それでも僕は折れない。


「私なの!!」


 なかなか頑固な人だ。


「俺っすよ!!」


 だけども折れてやるもんか。


「私!!」

「俺!!!」

「私だってば!!!!」

「俺なんですよ!!!!!」

「……………………………」

「……………………………」


 睨み合うような沈黙が続いた後、


「……ぷっ、あははははははは!!!」

「……ははは、あはははははっ!!!」


 僕らは不意に笑いあった。


「遼君、頑固すぎだよ」

「先輩だって頑固じゃないっすか」


 普通に考えたら、内容はこうやって笑えるほど軽くは無い。それは分かっているのだけれど、先輩とのこの久しぶりの掛け合いが僕にはたまらなく楽しくって、こうやってまた先輩と話せるのがどうしようもなく嬉しくって、僕は笑った、僕らは笑いあった。もしかしたら先輩も、僕と同じ気持ちで居るのかもしれない。だとしたらそれは、とてつもなく嬉しいことだと思った。


「放送、一人で大丈夫ですか?」

「うんっ、バッチリだよ!!」


 元気そうな、先輩の明るい声。その声を聞いただけで、先輩の顔が想像できた。うん、やっぱり先輩は笑ってるほうが良い。


「ねえ遼君、今どこに入院してるの?」

「病院っすか? えーっと、桜ヶ丘のそ」


 総合病院です、と言おうとした瞬間、回線が切れた。百円が切れた訳ではない。さっきまで、残り度数はしっかりと表示されていたのだから。


 そう、電話は『切れた』のではなく、


「…………誰と、電話してるんですか、遼さん?」


 ―――――『切られた』のだった。



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