第21話
【視点:松本由美】
朝、いつものように目を覚まして学校に行く準備をする。着替えて、顔を洗って、朝ご飯を食べながらぼんやりテレビを眺める。どこかで殺人事件があったそうだ。痴情のもつれの末、刺殺。全く、ロクでもない世の中だ。
「行ってきます」
そう言って家を出た。外は相変わらず寒い。真冬の曇った空の下、街を一人歩く。何も考えず、ただ歩く。何も考えずに、歩く。
「…………あ」
ある場所で、思わず立ち止まってしまった。ここで立ち止まるのが日課になる予定だった。どうしてか、その理由が頭に浮かんでくるのを、湧き上がってくる感情を、それらを抑えるために、私はまた歩き出す。さっきよりも早足に、その場から逃げるように、私はとにかく歩いた。
自分と同じ制服の中に紛れ込む。一人で歩いている生徒や、友達と複数で楽しそうに歩く生徒、それからあれはカップルだろうか。同じ制服を着ていても中身は違って、沢山の種類があって、それでも私の求めるものはそこにない。
程なくして学校に辿り着き、教室に入るとクラスメイトが私を囲んだ。
「通り魔事件に巻き込まれたんだって!?」
「大丈夫だったの?」
「校門のとこに残ってた血痕ってひょっとしてその時の?」
「犯人捕まったの? どんな奴だった」
本当に私のことを心配しているのはごく僅か、他はほとんど好奇心だけだろう。
「うん……」
でも別にそれは、落ち込むことでも何でもない。こんなもんだろう、人間は。曖昧な返事をして、私は席に着いた。私のその様子をみると、皆も流石に気遣ったのか私から離れていった。
それから少しすると何事もなく授業が始まった。教師が黒板に書いたことを、内容も考えず、ただノートに書き写す、それだけに集中する。教科はなんだろうか、分からない。それでもただ黒板の文字列をノートに写した。
つまらない、下らない、意味のない、どうしようもない世界だった。
世界は何も変わっていない、いつも通りに流れていく。少しぐらいのことが変わっても、世界は回っている。何事もなかったように、回っている。私だけを取り残して、回っている。本当に、ロクでもない世の中だ。そう思った。
時間はただ流れて、昼休みがやってきた。放送室に、行かないと。連絡放送の依頼もきっと来てる。動きたくなかったけれど、今放送部員は私ひとりだけだから。
「――――――――――っつ」
意図せずそんなことを考えてしまって、胸がバラバラになってしまいそうな痛みが走った。決壊しそうになるのを抑えて、何とか歩き出す。
何も考えるな、何も考えるな。必死にそう言い聞かせて放送室までの道のりを歩いた。
放送室の前までたどり着いた。依頼原稿が五枚、ポストの中には入っていた。今日は多めだ。面倒だなあ。
「やっほー遼く……」
――――――――やってしまった。もちろん放送室の中には、
「…………誰も居ないのに、ね」
待っているはずもない。それなのに、私は……。
「さて、放送だ放送!!」
誰もいない放送室に私の空元気だけが、虚しく響き渡った。
ブースに入って、マイクの前に座り、一度練習をする。
「美化委員に連絡します。掃除用具の点検を行いますから………」
駄目だ、声が震えてしまう。
「びか、いいん、に……」
落ち着け、落ち着くんだ。落ち着けば私は、キチンと放送できるはずなんだから。
アナウンスの才能が、きっと私にはある。だって彼がそう言ってくれたじゃないか。
『先輩は綺麗な声してると思いますけど』
「――――――――――あっ」
思い出してしまった。彼の言葉を、彼の笑顔を、彼の暖かさを。
「………ひっく、うっ……あっ」
駄目だ、泣いたら。きっと止まらなくなる。
「うっ、えっぐ………」
何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな何も考えるな。
「ひっ、うっ………」
もうこんなの嫌だよ、助けて。会いたい、会いたいよ――――――――
「りょうくん、会いたいよお………うわああああ」
もう、限界だった。そこから先は涙が溢れて止まらなかった。床にうずくまって、まるで子供のように、ただ泣いた。泣いてもどうにもならないことは分かっていた。それでもただ寂しくて、切なくて、辛くて、自分が許せなくて、涙が止まらなかった。
「りょうくん、りょうくん、うっ、ひっく」
何でああする前に、こうなることが分からなかったんだろうか。後悔は消えることなく、ただ私を苦しめていた。
拒絶された。そんなの当たり前だ。私は彼を殺しかけたんだから。分かっているのに、分かっているのに、涙は止まらない。
遼君が好きだ。好きだったのに、大好きだったのに。ああ私は何て弱いんだろうか、何て駄目な人間なんだろうか、こんな奴死ねばいいのに。いっそのこと自殺しようか。遼君のいない、遼君に会えない人生に、意味なんてない。これ以上生きていたって、苦しくて、辛いだけだ。そうだ、死のう。死ねばそこで終われる。苦しくないし、辛くない。
「ごめんね、りょうくん」
私が死んだら遼君は泣いてくれるだろうか、悲しんでくれるだろうか。
「………何、考えてんだろ」
ああ私はここまで来てなお、自分に都合のいい期待をしている。そんなこと、あり得ない。自分を殺しかけた女の死を悲しんでくれる人間なんて、きっといやしない。何て愚かな、見苦しい女だろう。早く死ねばいい。
「ねえ、遼君」
――――――――遼君は、私のことを忘れないでくれるかな?
せめて、それだけでよかった。ううん、それだって大それた願いだ。でも遼君が私のことを忘れないでいてくれたなら、私はそれで満足だ、それだけが私の願いだ。
それで私は、死のう。
確か放送室にはもう一本、私が遼くんを刺した包丁のほかにもう一本、包丁があったはずだ。棚を開いて、私はそれを探す。
「あった………」
それはすぐに見つかった。この前のものと一緒に収納されていたのだから、当たり前か。
細長く、先端は通常のものより鋭い。包丁を手の中に収めて、私はそれを見つめた。鈍色に、不気味に光る包丁に、私の泣き顔が映っていた。
「…………………………………………」
これで心臓を一突きしたら、きっと死ねるだろう。
楽に死のう、などということは考えていなかった。彼も私に刺されて苦しんだだろう。だから私もそれと同等の苦しみを、いやそれ以上の苦しみを味わわなくてはいけない。
左胸に包丁の先端を向ける。恐怖がないなんて、そんなことはない。でもこうしないといけないから、私みたいな人間は生きていてはいけないから、だから死のう。
「――――――――さよなら、遼君」
そうして包丁と身体を一つにしようとした時だった。
「――――――――え?」
私の携帯電話が、鳴り響いたのは。




