Episode 13 天敵
国立富士宮学園敷地内、祭りの会場である陸上競技場は静まり返っていた。
静寂、沈黙、驚嘆、唖然。
異能者同士による闘いの舞台において、いまだかつてこのような対戦が行われようなどとは誰一人として予想だにしていなかっただろう。
それは神童達の能力をよく知る立場にある教師、新隣二でさえもそうであった。
「こりゃ驚いた……普通じゃないことくらい分かっちゃいたが、まさかここまでとはねぇ。そりゃ奴らも欲しがるわけだ……」
皆の視線の先には勝者、宇童ヒロトの姿があった。顔中痣だらけでありとても勝者の顔には見えなかったが、紛れもなく強豪四天王チームに属する神童を打ち負かしたのは彼である。
時間を少しだけ遡り試合開始直前の闘技場へと駒を戻す。
先鋒戦、その闘技場の中央で向かい合うのは宇童ヒロトと対戦相手であるチームHanger 18(ハンガーエイティーン)所属の三年の部A組、古井戸蒔人であった。
古井戸はチームリーダーである濔部のクラスメイトであり数少ない友人の一人である。Hanger 18における特攻隊長的役割を担っており、彼はその圧倒的突破力によってチームの躍進に務めてきた人物でもあった。
実力の上では大将である濔部に引けを取ってはいなかったし、敵対チームであるDer Sandmanのリーダー頭敷も、彼の能力を高く評価していた節がある。
当然観客席のほぼ総ての生徒達が彼の勝利を確信していたであろうし、Future Worldなる新参チームに大金を賭けるような馬鹿な真似はしなかった。
誰もが古井戸の勝ちを信じて疑わなかっただろう。
ただし一部の人間を除いては、である。
高い場所からリングを見下ろす屋内観覧席の中にあって、祭りに興味の無いSクラス神童達の内、ただの一人だけがヒロトへと熱い視線を向けていた。
あの学生寮最上階、ロイヤルスイートルームの窓からヒロトの後ろ姿を眺めていた、あの人物である。
彼は数ある神童達の中にあってその頂点に君臨する人物であり、同一クラスである筈のSクラスの神童達でさえ彼とは距離を置き線を引いていた。
その実力があまりに測り知れなかったからであり、畏敬の念を込め皆は彼のことをこのように呼んでいた。
皇帝、と。
皇帝が被る仮面の目元から覗くその眼光は、鋭くも冷ややかなものであっただろう。
そして退屈そうに個別のモニターを眺めている他のSクラス神童達に対し、このように告げるのだ。
「君達……これから面白い見せ物が始まるよ。興味が無いだなんて言ってないで、これから起こることをしっかりその眼に焼付けておくといい。何故なら、僕ら神童にとって天敵と呼べる存在が現れたのだからね」
室内には冷笑が沸き上がる。自らを種の頂点とさえ思っている、またそのように教えられてきた彼ら達にとってみれば、天敵など存在し得ないというのが常識であったからだ。
仮に神童を倒す者が居るのだとすれば、やはりそれは神童でなければならない、と考える。
漆黒のブレザーを纏った白仮面の男が立ち上がるなり、眼下を眺めたままの皇帝に対しこのように問うのだった。
「畏れ多くも申し上げる。我々神童にとっての天敵とは如何に強大な能力の持ち主であるのか……はたまた、彼が我々の祖とも言われる例の魔神とやらを討ち滅ぼしたのは真実なのか……皇帝はご存知なのですか?」
「フィエルテ(4番目)か……。君らしい質問だけど、それに答えるつもりは無いし義理もない」
「これはまた辛辣でいらっしゃる。我々には知る権利が無いとでも仰っしゃられるか」
リクライニングチェアーに身体を沈め聞き耳を立てていた蒼のブレザーにチェック柄のミニスカート、白の仮面で素顔を隠した女生徒が二人の会話に割って入るのだった。
「少し黙ってなフィエルテ。皇帝はこの先の試合をよく見てなって言ってんだよ。何も語らないのは、それが答えだからに決まってんだろ間抜け野郎」
「間抜けとはなんだ偉そうに。横から口を挟むんじゃないフュンフト(5番目)。例え皇帝の御前であろうと、馬鹿にされてはこのわたしも黙ってはおられんぞ」
「なんだ? やんのかこの野郎」
試合開始を楽しみに窓の下を眺めていた皇帝は、振り返るなり大きな溜息をつく。そして冷たい声色で二人に釘を刺すのだった。
「僕は言ったよね。これから目の前に我々にとっての天敵が現れるって……。その言葉の意味を知りたいのなら、この試合の行く末をしっかりと見て憶えておくことだ。それほど重要だってことさ。仮にその大事な試合を前に殺し合いを始めたいのなら、僕は止めないよ。ただし、僕の邪魔だけはしないでよね……この先も五体満足生きていたいのなら」
この屋内観覧席に居るすべてのSクラス神童達が肝を冷やした瞬間であり、またこれから試合が始まろうというリングの様子をモニター越しに注視する皆であった。
そしてモニターの中では、進行役の白兎が対戦する両者をリング中央へと招き紹介を始めるところであっただろう。
「レディース、エン、ジェントーメン。親愛なる神童の諸君。いよいよ祭りもBブロック一回戦第一試合を迎えることになりやがった。言うな、分かってる。これから始まる試合は、男子生徒諸君らが憧れるあの濔部率いるHanger 18と、女子生徒諸君の黄色い声援を一身に浴びる甲斐繁成率いるFuture Worldの闘いだ。いいか皆んな、試合が始まる前からブルってんじゃねえぞ馬鹿野郎!」
会場の観客席からは両チームに対する声援と、相手チームを罵り貶めるブーイングとが同時に浴びせられるのだった。
白兎はそれらの声を煽るように両腕を上下に振ると、一転して頭上高く振り上げた拳を握り締め動きを止める。
同時に、観衆からの声はピタリと止み、その視線は白兎へと注がれるのだ。
「では選手の紹介を始めようじゃないか。先ず先鋒に選ばれたのは、自身が日米ハーフでありながら神童としての能力に目覚めた三年A組の古井戸蒔人選手であり、彼を倒すべく名乗りを挙げたのがこの学園に編入して間もない一年D組の宇童ヒロト君だっ!」
白兎からの紹介を受けリング中央で睨み合う二人。その学年とクラスの階級による圧倒的優位性の差から、観衆達は古井戸の勝利を確信していたようである。
それはFuture Worldを応援する女生徒達にしても同じであった。
体格差で勝る古井戸が背の低いヒロトを見下ろしこう告げる。しかしながら古井戸も背が高いというわけではなかった。
むしろ男性としては低い部類であり、日本人男性の平均身長には数センチ足りなかっただろう。
それでいてヒロトを見下げるのだから如何にヒロトの背が低いか良く分かる。
「君の話は濔部君から聞いてるよ。威勢だけの良い生意気な一年坊がいるってね。でも……全力で潰せとも言ってた。君に何かを感じたみたいだけど、僕にはよく分からないな。今はね」
「アンタ、思ってたのと違って意外と背が低いのな。まっ、俺より高いのは認めるけどさぁ、皆んなが言うほどホントに強いのかなぁ?」
「もちろん強いさ。君達のチームリーダーである甲斐君には勝てる気がしないけどね」
「見た目と違って随分と謙虚なのな。そういうのってさ、ホントに強い奴しか言わないんじゃね」
「そう言って貰えると僕もなんだか嬉しいよ。お互いに始めから全開で行こうじゃないか」
睨み合う二人は言葉を交わしただけでその実力を推し量っていた。そしてお互いに理解するのだ。
コイツは、ヤバい奴だと。
白兎が試合開始を告げゴングが鳴り響くと、両者は睨み合うその至近距離から一歩も引くことなく互いに拳を振り抜くのだ。
それは素の、力対力の激突であった。
古井戸の振り下ろしの一撃はヒロトの左頬を直撃し、下から振り上げたヒロトの拳は相手の顎に炸裂するのである。
だがお互いその衝撃から上半身を後ろに仰け反らせダメージを半減させると、反動を利用した次の一撃を互いに繰り出すのだった。
口の中を切り口元から血を溢れさせたヒロトは腰に回転を加え古井戸の腹部へと拳を突き放つ。
対する古井戸も鼻から血を流しながら左からのフックをヒロトの右頬目掛け振り抜くのだ。
やはり同時であった。スピードは互角、威力も同等と言えただろう。ただ違うとするならば、方や生身の人間に対しもう一方は能力者たる神童であった。
ヒロトは左に手と膝を着き血反吐を撒き散らすのだが、古井戸は腹部への強烈なインパクトを受けていながら平静を保っていた。
「俺が、殴り負け、とか……やっぱアンタ強ぇよ。それってさ、やっぱアメリカの血が入ってるからなんか?」
「へえぇ……僕の拳を二発も喰らっておいて意識飛んでないとか、随分と打たれ強いんだね、君。でもね……僕のルーツについて口に出されると、許せないんだよね、本気で」
古井戸の周りは一瞬にして空気が凍てつく。これはおびただしい殺気による比喩的表現にとどまらず、実際に体感で気温が数度下がっているのが直ぐに分かった。
これも古井戸の能力に関係していたものと思われる。
ヒロトは口元の血をぬぐうと、まだまだ闘えるとファイティングポーズを構え進行役の白兎にアピールするのだった。そして余裕の笑みを浮かべ古井戸に話し掛けるのである。
「殺す気満々でやがんのな。空気がビリビリと震えてやがる……肌寒くてたまんねぇわ。これが神童ってやつの能力なら、さてはアンタ北国育ちだろ。アラスカ産まれでアザラシが友達とか? アザラシで親友のゴマちんですっ、なんつってね」
ヒロトはわざと相手を挑発し殴り掛からせようとするのだが、古井戸は敢えて冷静を装い構えを解くのだった。
「よく喋る坊やだ……。そんな見え見えの挑発に乗るほど僕は馬鹿じゃないよ。それに、僕はハワイ出身なんだよね。寒いのは大の苦手さ。でも僕の異能を使うとなるとそうも言ってられないんだよね。悪いけど、フルスロットルで行かせて貰うよ」
古井戸は出し惜しみなどしない。しかも試合は序盤とあってヒロトの実力を探る狙いもあった。だからこそ手加減無しで挑発に応えるのだ。
「なあぁにが挑発に乗るほど馬鹿じゃないだよ! 全力全開で乗ってんじゃねえか!」
古井戸は両掌を天空に翳す。するとヒロトの頭上にマンホールの蓋ほどの大きさであったたろう暗いの穴が出現するのだった。
それはまさに漆黒の闇と呼べたであろうし、虚空に浮かぶ小宇宙と呼べただろう。
つまり突如として発生した真空の穴であった。
穴は現れたと同時に爆音を伴う激しい突風を生じさせ、気体の激流と共にヒロトの身体を穴に向かって吸い寄せるのだ。
ヒロトの頭髪は逆立ち、彼の上着も半分以上はめくれ上がっていた。
重心を低く抑えていなければ身体ごともっていかれていただろう。
「な、んだよ……い、きが……息が、出来ねえっ!」
無理もない。真空の穴は自らの空間を埋めるべく周囲の物質を取り込んでいるのだ。宇宙船に空いた穴から宇宙空間へと空気が流れ出すのと原理は同じである。
しかも身体に与える影響はそれだけではなかった。
特定の範囲内が真空状態に置き換えられた場合に考えられること。
先ずは急激な気圧の変化でありそれは爆音と突風というソニックブームを生じさせる。
また肺や鼓膜といった身体の一部にも悪影響を及ぼすと考えられる。
そして気圧が下がるということは、沸点が下がるということだ。
肌の表面では一瞬にして汗が蒸発し、その気化熱によって急激に体温は奪われてしまう。
身体は体温を奪われていながら熱さを感じ、重度の凍傷を負うこともある。
まさに今のヒロトがそうであった。
進行役の白兎が興奮気味に声を張り上げる。前大会で目にした古井戸の異能を前にし、その圧倒的強さに血が滾ったようである。
「出た出た出しやがった! 試合開始早々だってぇのにいきなりかましてくれる古井戸ちゃんだぜ。奴の異能、破滅の交響曲! Aクラス級の神童じゃなきゃ間違いなく殺られちまうだろうぜ。さぁどうするよ、宇童ちゃんよお!」
会場を埋め尽くす観客達の中には、一方的展開になることを予想し半ばヒロトに同情する者もいた。
相手が悪かったな、と。
だがリングサイドのチーム席で観ている彼らはそうは思っていない。
少なくともチームFuture Worldの二人に限っては。
あたふたしながら心配そうにしている巳華流が甲斐に尋ねる。
「甲斐君……大丈夫なのアレ……。神童でもないヒロト君に抗う術なんてあるのかな……」
ベンチに腰掛けペロペロキャンディを舐めている甲斐が答える。
「大丈夫大丈夫。あんなもんでへこたれるようなヒロト君じゃないよ。それにこんな広い試合会場で使うには少し小さいんだよね、あの穴。もしかして手加減してるのかもね」
「どういうこと?」
甲斐の横に座る豊満も巳華流に同意する。「ヒロトの野郎なら心配いらないが、どういうことだ甲斐。俺にも分かるように説明してくれないか」、と。
「説明しなきゃ駄目? まぁいいけどさ。例えば海に浮かぶ小舟の底に小さな穴が空いたらどうなると思う?」
豊満が「そりゃ浸水するに決まってんだろ」、と答えたところで巳華流が即時「沈んじゃう」、と続けるのだった。
「その通り。小さな真空空間もね、その空っぽの空間を気体で埋めた途端に消滅しちゃうのさ。だからさ、あの大きさだと長くは保たないだろうねってこと」
甲斐が説明したのと同じ事を、技を出した張本人である古井戸も分かっていた。分かってはいたが、だからといってそれで手の内がすべて明かされるなどとは考えていなかった。
異能の使い方は一つに縛られない。
むしろそれをどのように応用するかによって強さは決まると考える。
彼はそのようにして三年の部A組まで登ってきたのだ。
フルスロットルと言っておきながら、最少限の労力でヒロトの実力を探ろうとしていたのだ。
リング中央でヒロトは穴に吸い込まれないよう地面にしがみつき、急速な体温低下に凍え震えていたが、耳朶を凍傷で赤黒く変色させたところで目前の穴にも変化が生じる。
その暗い深淵の縁に霜と雲が生じたと同時に、あらゆるものを吸い込む力に翳りが窺えた。
「でっけえ掃除機かよってんだ糞野郎!」
ヒロトは抵抗をやめ地面を蹴り上げると、頭上の穴へと飛び込み殴り掛かるのだった。
真空の闇がヒロトの身体を半分ほど呑み込んだところで、ついに穴は消滅しヒロトは地面へと転がり落ちる。
古井戸はそのようなヒロトの行動に感心する。無鉄砲にも思えるがそれが最善の対策でもあったからだ。
臨界に近づいた真空の許容範囲内に、容量以上の物体を投入することによって自己消滅にかかる時間を加速させたのである。
勿論ヒロトにそのような原理など理解出来る訳もなく知識も無かった。ただただ単に、馬鹿だと言えた。
だからこそ古井戸は感心したのである。
コイツがヤバいのは、腕力でもなければ頭脳でもない。
自分達のような神童としての異能があるわけでもなく、ずば抜けた本能が生存への解を自然と導き出しているからだ、と。
そしてその奥底には、まだ秘密があるに違いない、とも。
「君って、凄いね。濔部君が言ってた意味が少し分かった気がするよ。様子見なんてしてないで、僕もギアを上げないとヤバいかもね」
ヒロトは膝を立て立ち上がり傷だらけの顔を上げると、白い歯を覗かせ満面の笑みで答えるのだった。
「ホンっトに楽しいよな。祭りって最高だぜ。アンタもそう思うだろ、蒔人さんよぉ!」
ヒロトが下の名で呼び掛けるのは相手を強者と認めた証であった。クラスメイトの潤布豊満もそうであったように、本気で殴り合える相手に巡り会えたことを喜んでいた。
自分よりも強い奴。
それは肉体の内に魔神を宿していたあの頃と、何も変わりはしなかった。
ヒロトの中で、熱い血が滾り肉体は歓喜する。
この直後、神童達にとって天敵とも呼べるその存在が、ついに秘めたる能力を発現するのだった。
ヒロトが何故神童達にとって天敵と呼ばれるのか
それは次のお話にて明かされるのでした。




