奉ろう祭りに終焉を 2
乃絃は意識を奪われないよ。
だって、貴方は祝福されて生まれてきたから。
「へー。これが『ひじんか様』にお目見えになる衣装なんだね」
「彩霧さん……綺麗だ…………やっぱり俺は、俺はお前の事が……はあああああ」
この村からはずっとおかしな気配がしていた。入った時からずっと掻き毟るような声が聞こえてきて煩わしかった。その理由をずっと探して、探して、分かってしまえば話は単純で。救いようがなかった。
白無垢を着た身体は、私には随分醜く見える。これから行われるのはこの身体を利用した降霊術、そして始まる、神に人の生気を与える肉欲のまぐわい。人の尊厳を無視した邪法の儀式。でもそれも当然―――だってここは、普通の場所じゃないから。
「それで? 私はいつ広場に出ればいいの?」
「いや、出るんじゃないんだ。彩霧さんにはしばらくしたらこの棺の中に入ってもらう。暗くて狭いかもしれないけど心配いらない! ほんの少し、眠る事になるだけだから。神様を体に下ろすのは凄く光栄な事なんだよ! はぁ……駄目だ。笑うな……まだ…………まだ」
違和感が確信に変わったのは、気まぐれを発揮した時にたまたま自分のNGを破ってしまった時。
NGが、発動しない。
破るつもりなんて全くなかった。ただ私は、乃絃に少しでも楽しい時間を過ごしてほしかっただけ。いつか終わる平和なら、その瞬間まで肩の力を抜いてほしかっただけ。だけどそんな気まぐれが私に真実を教えた。
この村は壊さないといけない。いつまでも残り続けていたら乃絃の為にならない。そう思ったら体は自然と答えを導いてくれた。
「も、もう棺に入っても大丈夫! さあ、手を貸して! 怪我しないように」
「一応聞きたいんだけど、もし私の身体に『ひじんか様』が宿ってなかったらどうなるの?」
「ん、ん? どういう事……? 大丈夫、失敗した事ないからさ! 不安に思わなくていいんだ彩霧さんは! 全部、後は身を委ねて……ふ、ふひ、ひ」
棺の中でお腹の上に手を置いて、ゆっくりと乗せられる鋼鉄の蓋をただ眺める。昔はずっとこうだったよね。狭くて暗い箱の中でずっと、貴方と話していたよね。
「おーい! 彩霧さんの準備は万全だ! ……彩霧さん、不安に思わなくていいんだ。もう君はこの村の……神になろうとしているんだから」
棺が揺れて、運び出される。間野陛太一人では当然動かせず、村の大人が五人もやってきてようやく動かせる程の大きな棺。元々入っていた物は何だろう。大量の死体とかかな。
―――神様なんて、この世には居ないんだよ。
居るのはそう在ってほしいと願われた犠牲と、そうなれなかった残骸の二つだけ。この村は後者。神を騙る死神に魅入られた人間が錯乱しているだけの真実。
「ちゃんと運んでよ」
棺の蓋を軽く押すが、動きそうもない。泣いても喚いてもここに入ったからには出られない。その為の重さで、その為の固定具。ある種の結界の中に私は閉じ込められている。体のあちこちをぶつけられながら運ばれる事一二四秒、野太い歓声に取り囲まれる中、私の入った棺が丁寧に置かれた。
「今年の依り代は随分静かだな」
「彩霧さん、大丈夫かな?」
「いいから早くやってよ。そういうの良いからさ」
この村にNGは存在しない。けどどんな事にもNGは存在する。この村で行われる儀式は正に、そのしてはいけない事を避けて初めて完遂出来る祭事。けれど残念な事に、私が調べた限りこの村の誰も意識して避けている訳じゃない。永い長い歴史の中で慣習となり、前年のやり方を倣っているだけの腐敗をしてしまった。
悪い事をしている自覚がある事と、その自覚がない事。
結果が同じでも意味合いは変わってくる。悪い事をしている自覚があるなら悪い理由を知っているから、例えばそれを明るみに出したくないとしたら対策を講じる事が出来る。一方でその自覚がない場合、対策なんてものは取らない。人間は悪事の自覚を持たない時、後ろめたい感情など抱かないから。
そう、自覚がないとは知らない事。無知とは罪であり、未知とは死。『誰が』『何の為に』を知らないから、この儀式で何をされたらまずいのかが分からない。
そして何がまずいのかを考えもしない。それで今までは上手くやっていけたから。
「『ひじんか』様、『ひじんか』様。いつも我らを見守って下さり有難うございます。今年も貴方様と『おまつり』様の愛が育まれる事を願い、御身を下ろすのに十分な体をご用意いたしました。さあ、おいで下さいませ!」
「おいでくださいませ!」
「おいでくださいませ!」
「おいでくださいませ!」
「おいでくださいませ!」
「…………」
棺の中に、寒気が満ちてくる。体力を消耗していたら忽ちの内に意識を乗っ取られ、身体に神様が宿っていたかもしれない。私には意味がないけどね。
「かみさま、かみさま。もしも貴方が神様ならどうか言ってみてください。どうしてこの世に不幸はあるのですか。どうしてこの世に孤独があるのですか。生まれてくる事に罪はないのに、どうして彼には罰が与えられたのですか。どうして―――」
この世界の何よりも大切な おとこのこを。
「彼を泣かせたんですか」
「郷矢様、お時間です」
「明衣は?」
「彩霧様は既に棺の中にいらっしゃいます」
……棺?
「棺ってどういう事ですか?」
「『ひじんか』様の依り代となられるからにはその瞬間は誰にも見えない状態でなくてはならない……そうですが。実際のところは抵抗を防ぐ意味合いがあるのでしょう。棺は切り出した石で作られております故、そう簡単に破壊する事は出来ないかと」
石棺という奴か。確かに今日び聞かないというか、現代人が使うような棺桶ではない。もっと古代の人間が死後の蘇生を考慮して使う物というイメージがある。神を降ろした人間が最終的に死んでしまうのなら、あながち使い方が間違っているとも言い難いか。
「では私共は神社のほうへと参りましょう。くれぐれも彩霧様の居る方角は御覧になられないでくださいませ。普段は拘束されている筈ですのでこのような注意をする必要もなかったのですが」
「じゃあ、案内をお願いします」
目を瞑って、千夜さんの手を握る。この村に限った話じゃないが、田舎の道に視界なしで歩けるような易しい道は存在しない。それが山の中の村なら猶更だ。華奢な指を優しく握りしめて、彼女のゆっくりとした足取りに合わせて前へと進んでいく。左、右、左、右。出す足まで合わせないとすぐにでも転びそうだ。
「長い階段がございます。私が声を出すのでそれに合わせてくださいませ」
「どうぞ」
「とん、とん、とん、とん」
明衣の方は、特に心配していない。アイツならなんとかするだろう、してしまうだろう。問題は俺の方で、前年通りなら拘束されているのに前もって大人しく過ごしていたお陰で実力行使をされなかった。果たして俺はどのようにして乗っ取られるのだろうか。
悪いが意地でも身体を渡す気はない。階段を上り切ったと言われて目を開けると、夜帳の家に居た女性達が俺を憐れむような目で見つめていた。
「……先程も教えた通り、声を出してはいけません。それはこちらの本殿に入ってからでございます」
即興の演技も少しはマシになったようだ。建前を整えて俺達は神社の中へと足を踏み入れる。足元の床材が一際大きな軋みをあげた瞬間、背後の扉が閉められた。
同時に、閂をかけられた音もする。
「ここで、本来は神様に乗っ取られた俺が千夜さんと性交すると」
「……何か、感じられますか?」
見えない物を感じ取ろうとするにはコツがいる。息を大きく吸って吐いて、意識を外ではなく内側に向ける事だ。そうすれば霊感なんてなくても妙な感覚くらいは得られる。
「……寒気がしますね。冬、いや、氷の中みたいな冷たさだ」
「ああ、やはりそうなのですね。私も似たような気配を感じております。これが『おまつり』様……私達の信じる、神様でいらっしゃるのですね」
「……千夜さん?」
声がぼんやりするようになって、声をかけた。するとそうだ、振り返った彼女は目を蕩けさせながら事前に纏っていた死装束を開けさせようとしているではないか。
「神様……私に寵愛を下さいませ……!」
「千夜さん!」
想定外の事態に思わず壁を背に一時避難をする。
神の影響は俺だけでなくて相手を務める千夜さんにも及ぶようだ。現状俺には何の変化もないが、彼女は別。どうする? 影響から逃れさせるにはどうすればいい? 神様の意にそぐわない事をするとか?
というか神様の意って?
生きた女性と、まぐわいたい。その為に借りられる体が俺だ。それなら、或いは。
「…………千夜さん。俺は神様なんかじゃない。俺は郷矢乃絃、世界最悪の探偵の助手で、貴方を外に連れ出すと約束した友人です。目を覚ましてください」
「神様ぁぁぁぁぁぁ!」
「目を覚ませ! 非時千夜! 貴方の生きる世界はここじゃない!」
密かに隠し持っていた手榴弾、それはトンネルの中で明衣が渡してきたものだ。既にピンは抜いてある。方向は『おまつり』を象る銅像一直線。飛びかかってくる彼女を抱きしめ、素早く背中を向けた。
「連れ出すって言ったんだから、死んでも守りますよ」
明衣もそれを望んでいる。
それ以上は、何も求めない。




