道行くところに異界あり
どうせなら車両を分けて寝たかったが、千夜に良からぬ事を吹き込まれても後で解消する手間がかかることを考慮すれば我慢するしかない。布団も枕もなく少々ふかふかな程度でどうやって快眠を得ようというのか。
「……」
俺のNGは隣の車両に行ったくらいでは流石に破らない筈だが、念には念をというのが実際のところ一番大きな理由だ。目に見えるところに人が居るならそれが一番いい。明衣は鬱陶しいくらい……失礼、殺したくなるくらい鬱陶しいのに、寝る時はこんなにも静かだ。死の気配を纏う白髪も相まって死体がそこに転がっているかのよう。
家では『妹』、村では千夜さん。寝る時は大抵誰かが傍にいたが、今は俺一人だ。それじゃあ自分を抱きしめるしかない? 別に一人でも眠れる。夢を見たくないだけだ。夢を見た俺が、誰かを傷つけないか心配なだけだ。
「……彩霧様。いつ頃私達はこの電車を出なければならないのでしょうか」
「外の危ない存在が居なくなるまでかなあ。まだまだ全然気配は消えてないと思うよ。だから千夜ちゃんもちゃんと寝ておかないと」
「郷矢様はもう眠っていらっしゃるのですか?」
「乃絃君は何処でだって眠れるんだから大丈夫! 探偵助手はやっぱり図太くないとね。ほらほら自分の事だけ考えないと。そもないと貴方のNGをばらしちゃうぞ~」
「…………? それは本当に何なのですか? その……申し訳ありません、疎くて。彩霧様のNGとやらを教えていただけませんか? 心当たりがあれば教えますから」
「あのねえ。簡単に教えられたらNGなんて言わないよ千夜ちゃん。親しい人、この人は私を絶対殺す気がないって人にしか教えちゃ駄目なんだから! んー今の答えは面白かったから見逃してあげる! 早くお眠り! それとも子守歌が欲しい?」
「む、村では歌う側でした」
「じゃあ今は疑われる側だね! 大丈夫、私はこれでも歌が上手いんだ。乃絃君が安心して眠れるように……たっくさん練習したんだから」
ああ、やめろ。
俺はまだ起きている。
カラオケに付き合うならともかく、子守歌なんて耳が腐りそうだ。止めてくれ、それなら今起きて注意すれば子守唄を止めてくれるのか? 否、この音痴は人の耳を腐らせ生きた公害になる癖に歌う事が大好きだ。だから俺が起きたらそれはそれで、二人が寝ないからと子守唄を歌う。
防ぐ術などない。
「ね~んね~せい~。ね~んね~せい~。ふ~るきの~―――」
雑音一つない、透き通るような歌声。
寝たふりをしなければならないがこんな歌で眠るなんて屈辱的で、頑としてでもこの歌を耐えなければならないと固く決心していた筈が想定外だ。
俺の耳が腐って気絶した。意識を失った理由はそうとしか考えられない。
「………………うぐ」
『妹』の首を絞めてしまうくらい普段の寝覚めは最悪だが、今度は至って常識的な理由から最悪の寝覚めだ。電車の座席なんかで横になって眠れる訳がない。多少ふかふかでもここは座る事を想定されているのであって就寝なんて全く目的外の使い方だ。まず、そもそも狭いから寝返りを打てない。寝返りを打ったら座席から堕ちる。
身体がそれを察知したのか俺の身体は座席から落ちていない。つまりそういう事だ。同じ姿勢で寝続けると本当に身体が痛い。ふかふかなベッドが気持ちいいのはマットの性能とか以前に自由に寝返りを打てるスペースがあるからではないのか。
「身体が……老化したみたいだ」
「おはよう助手!」
その明るい声を聞いて全てを思いだした。昨夜の俺は耳が腐って気絶したのだと。するとこれは寝落ちではなく音響公害による気絶……寝返りを打たないのも納得だ。俺の身体が老化したならこいつの髪は白骨よりも白い。明衣の奴は朝から元気すぎて早速耳障りだ。そのニコニコ笑顔も軽い嫌がらせだろう。
「……随分と元気がいいな。まさかこんなクソみたいな環境で熟睡出来たっていうのか?」
「私は貴方と一緒ならどこでも気持ちよく眠れるけどねっ」
「あーもううざい。そのノリを目覚めた瞬間から聞きたくない。ていうか本当ならお前と朝から会話したくな…………」
朝?
先程からどうして俺は今の時間帯が朝だと勘違いしているのだろう。夜に寝て起きたから朝だろうという単純な理屈は、ここでは通用しない筈だ。窓を見てそれを思い知らされた。寝る前に比べれば遥かに明るいが、薄い霧がかかっていて見通しが悪い。ならばと携帯の時計を確認したがそれも参考にならなかった。
一度開けば八時。消してまた開くと十四時。更に消してまた開くと六時になる。こんな携帯信用する方が難しい。
「……明衣、今何時だ?」
「さあ? それって重要? 私達、変な場所に居るのに」
「お前のせいでな!」
「あはは! ごめんごめん、でもこっちの方が楽しそうじゃない! 部活も会社も新入生歓迎会みたいなのを開いて親睦を深めるでしょ? 探偵と探偵助手のお世話になるつもりならこういうトラブルに巻き込むのが一番っ!」
「じゃあ聞くが、これが一体何を解き明かすんだ? 誰が犯人? どんな事件? お前が犯人! お前の自演! せめて学校に帰ってからトラブルは起こせ!」
「え、乃絃ってば結構あり得ない発言するね……トラブル起こせなんて、そんなの他人の迷惑になるだけなのに」
「ッチ……てめえぇぇぇ~!」
こんなド腐れ根性の女に手加減なんて必要ない。気怠い身体が嘘のように動き俺の拳が素早くラッシュを仕掛けたが明衣は軽くスパーリングでもしているみたいに全て受け流し、不意打ち気味に打った膝蹴りに関しては掌で受け止めつつ、俺を抱きしめてきた。
「うんうん、目が覚めてきたみたいで良かった! 名探偵はいつだって頭のキレがあるけど助手は冴えてない時はてんでポンコツなんだからこうやって目を覚まさせてあげないとね! いやーお礼はいいからね? これも義務だから」
「何が義務だてめ……離れろ!」
「いーやーだー。あーでも何だか眠くなってきたかも。今なら助手がどこ触っても気付かないかもなあなんて!」
「てめえの心臓をぶち抜いてやる!」
「う…………う、うう」
俺達の言い争いが睡眠に響いたのだろう。座席で死体のように転がっていた千夜さんが目を覚ました。元々が死に装束だったので本当に死体にしか見えなかった話はともかく、この光景を見られる訳にはいかない。
「離れろ明衣! 誤解される! 話が面倒だ!」
「いいじゃん! こういう空間じゃないと出来ないよ?」
「はなれ…………もう分かった! 後にしてくれ! 千夜さんの教育に悪いから!」
「教育って、子供みたいだねっ」
「少なくとも村の外じゃ子供みたいなもんだろ! だから離れろ!」
「郷矢……様?」
寝ぼけつつも視界を開いた彼女の見た最初の景色は、明衣を投げ飛ばす俺だったと信じたい。因みに投げ飛ばしはしたが簡単に受け身を取られたので名探偵には何のダメージも負わせられなかった。
「お、おはよう……千夜さん」
「…………彩霧様。もう降り……ても?」
「危険はないよ! まーでも、降りる前に顔合わせとかしといた方がいいんじゃない?」
「明衣は後部車両に続くドアの前に立つと、後ろ手を組んではにかんだ。
「ここに居るのが私達だけだと思ったら、お・お・ま・ち・が・い♪」




