その過去は、彼女の想像を絶するものだった
ハーバートの部屋を出たディアナは、真っ先にバルドルの部屋へ向かった。
この不愉快な気持ちを彼と会ってぬぐい去りたかったのだ。だが彼は部屋にいなかった。
(となると、多分)
彼女は居住区となっている建物を出て中庭を抜け、ドラゴシュのいる倉庫へ向かった。着くと倉庫の裏の扉から中に入る。
ランタン数個で照らされているだけの薄暗い倉庫内。ドラゴシュは人が入ってきたことにすぐに気づき、顔を彼女に近づけてきた。ディアナだとわかると顔を引っ込めた。バルドルいわく、背中に乗せたこともある彼女は危険ではないと理解しているそうだ。
ドラゴシュの横を過ぎ、ランタンのそばに行くと、やはりそこにバルドルがいた。藁の上に毛布を敷いて眠っている。
彼はたまにここで夜を過ごすのだ。竜騎士という人種がそうなのか、バルドルがそうなのかは知らないが、竜のそばで眠りたくなる日があるらしい。
ディアナは彼の横にそっと座った。
(まったく、人が大変な思いをしてたっていうのに、のんきに寝ちゃって)
そう思いながらも、バルドルの寝顔を眺めてディアナは口もとをほころばせた。話を聞いてもらおうとやってきたものの、寝ているところを起こすのも気が咎めた。
(それにしても)
先ほどのハーバートの醜悪な言動を思い出す。まだディアナの中で尾を引いているのだ。
(本当に胸の悪くなる男だったわ……)
ディアナに対してハーバートが吹けば飛ぶような忠誠心しか抱いていないのはわかっていた。とはいえ、見返りで体を要求され、あのような醜悪な態度で怒りをあらわにされたら、やはり心が冷える。
最近、ディアナは人が信じられなくなりつつあった。叔父リカード、エドワード伯、ハーバート、他にも様々な人間に裏切られてきたのだから。
そのせいもあり、バルドルの顔を見ながらつい考えてしまった――彼のことを本当に信頼していいのかどうか、と。
むろん、バルドルが今さら王弟側についたり、ハーバートのような見返りを求めたりすることはないだろう。しかし、もともとは敵国の人間だ。人質として送られてくるに際して、ラーザの父王や兄から陰謀の一端でも担わされている可能性は皆無ではない。そうでなくとも秘密の一つや二つはあるかもしれなかった。
バルドルが本当に信頼に値するのか、愛するにふさわしい相手なのかどうか、見定めたいと彼女は思った。
――そうするには彼の過去を知るのが手っ取り早いといえる。
(……眠っているときは、時渡りで過去を覗いても気づかれにくい)
相手の過去を覗ける力――時渡りの魔道。
以前、バルドルの過去は見ないと約束した。だが、不安な状態にある今のディアナは、そのときの気持ちが揺らぎはじめていた。しばらくの間、彼女の頭の中で自制心と猜疑心がすさまじい勢いでせめぎ合った。結果――。
(過去に何もやましいことがないなら、覗いてもいいじゃない)
彼女は自分にそう言い聞かせた。
(もし何か後ろ暗い記憶があっても、大抵のことは許せるわ。バルドルのことだったら)
とにかく知るだけ知りたいのである。
ディアナは気持ちを集中させ、バルドルの中に侵入した。
無数に浮かぶ、バルドルの人生の断片的な光景の数々。彼の中に入ったことによる恍惚感が彼女を満たした。が――。
(……一体、どうなってるの?)
すぐにバルドルの脳内の奇妙さに気づいた。バルドルの精神の構造は、これまでディアナが覗き見た人たちのそれと異なっていた。
(過去が二つに分かれてる――?)
記憶の領域が二つに分裂しているとでもいうべきか。一つは過去が十七年分あり、一般的な十七歳のものと特に変わりはない。それと比べて、もう一つのほうは過去の情報量が圧倒的に少なかった。その後者のほうからは異質な何かが感じられる。
一体どういうことなのか、魔道で覗いているディアナにすら説明がつかなかった。ひとまず、これらが何を意味するのかは脇に置いておき、過去の記憶を見ることにした。
異質さを感じるほうに意識を向ける。
その過去は、彼女の想像を絶するものだった!




