10 今年の一年神主
給食時間が終わる。
スマートフォンをこっそり取り出し、美邦は教室を出た。
渡り廊下を進み、鉄筋校舎へ這入る。
人の姿はない。
二階にあるバルコニーに出た。
雨は降り続けている。
雨露をしのげるのは僅かな空間だ。周囲を見回し、隠れるように庇の下へ立った。
電源を入れる。
画面が明るくなり、冬樹からのメッセージが通知された。
急いで開く。病院にいるから安心してほしい――という文章が現れた。
本当に大丈夫なのか。
そもそも何の病院だろう。
震える指で返信欄をタップする。
〈病院って、大丈夫なの?〉
待っていたように既読がついた。
一拍子置き返信が来る。
〈ちょっと、左耳が聞こえんく
なった。それで耳鼻科に行っ
てきたとこ。〉
――耳が。
聞こえなくなった。
そのままの意味なのだろう。だが、信じるためには言葉が足りない。
〈どういうこと?〉
風が吹き、雨粒が脚にかかる。
やがて返信が来た。
今朝の出来事や診断について知る。
――お前のせいだ。
何も考えられなくなった。
得体の知れないものに触れるのは怖い。
しかし触れたいと思った。結果、自分以外が傷ついてしまう。それはもっと怖い。
動揺から自然に指が動く。
〈ごめんなさい〉
送信し終えて後悔する。
こんなことで謝っても仕方ない。
冬樹の返事は案の定のものだった。
〈なんで謝るだえ?〉
打ち止めた言葉を続ける。
〈だって私に関わってしまった
のだから〉
〈首を突っ込んだのは俺自身だ。
というか、大原さんのほうが
俺は心配だに。何か起きとら
んかって。〉
――私の方が。
言われればそうだ。
自分だけ無事でいられるわけがない。
違和感を抱いた。
由香や菅野が死に、冬樹が傷ついた。
しかし、今のところ美邦には何も起きていない。考えてみれば不思議なことだ。自分は無傷のまま周囲の人が傷つく。
――なぜ自分だけが。
それでも。
一度、美邦の寝室にも何か現れたのだ。
〈私は、今のところ
何も起きてないよ〉
〈なんでだろう?〉
〈さあ。〉
〈それは分からんけど。〉
それとも――これからなのだろうか。
潮風が吹き、脚に雫がかかる。
〈教室は今、どんな感じ?〉
〈先日の黒板の件、先生、
何か言っとらなんだ?〉
当然、気にしていたに違いない。
校長の話を思い出し、整理しながら書き起こす。当然、冬樹も怪訝に思ったらしい。説明のあと、〈ほんに?〉と返してくる。
〈あんときの教室は湿気とった
やに思えんが。〉
〈そんな説明で、みんな
納得しとったかえ?〉
〈疑ってたみたいだった〉
〈あんなんで信じるわけない〉
〈だでな〉
美邦は一息つく。
本題を切り出すため返信欄をタップした。
〈それでね、話は変わるけど〉
〈実は、お見舞いに行こうと
思っていたの〉
岩井や芳賀とのやり取りを説明する。
当然、〈構わんよ〉という返信が来た。
〈むしろぜひ来てほしい。〉
〈大原さんに見てもらいたい
もんがある。〉
〈ただ、総合病院で
検査せないけんけえ、
土曜は家におらん。〉
*
二日後――。
日曜日には雨は上がった。
昼食を終え、美邦は家を出る。
中通りに人の姿はない。
だが、いつも通り幻視は見えた。
焼け焦げたような影。上半身のない影。
バス停の待合室には、バスを待つように二、三体の影が屯していた。
冬樹の家は、入江の東端にある。
民家の狭間から鉛色の海が見えた。爽やかさはない。遠い雲の中で響く雷に似た音を立てて、白い泡を吹いている。
入江に来るのは二度目だ。
この道の先に、神送りが行なわれた青ヶ浜がある。だが、まだ行けていない。
中通りを逸れる。
家々に挟まれた複雑な坂を上った。
スマートフォンで何度か位置を確認する。
やがて、「藤村」という表札を見つけた。
紅い布の垂れる玄関へ近寄り、恐る恐る呼び鈴を押す。
インターフォンから、はい、という老女の声が漏れた。緊張しつつも、来意を告げる。すると、心よく彼女は応えた。
「ああ、大原さんね。聞いてます。今、冬君を呼んできますね。」
かすかに風が吹き、紅い布が揺らぐ。
唐突にドアが開いた。
現れたのは冬樹本人だ。
四日ぶりの再会に、少し驚いてしまう。
外見は全く変わらない――当然、左耳が聞こえないなど分からなかった。
「大原さん――よう来たね。あがって。」
「あ、うん。」
お邪魔します――と言い、玄関へ踏み入れる。この声も、冬樹の左耳には届いていないのだろうか。
居間へ通された。
八畳の和室であり、少し散らかっている。こたつがあり、書類が置かれ、本棚がある。テレビはなく、パソコンのみがあった。
本棚に目をやる。学術書から小説・漫画まで、ぎっちりと詰まっている。学術書は、民俗学や考古学系の物が多い。発達心理学や学級問題・簿記の本もある。
こたつに入った。
美邦の対面へ冬樹は坐る。
その顔を少し見た。当然、外見からは何も分からない。先日は、総合病院で検査を受けてきたというが――。
「大丈夫なの――左耳は?」
「ああ――聞こえんに。検査でも、やっぱり耳小骨がなーなっとるって。でも――なんでかは分からんかっただけど。」
尋ねるまでもない。
冬樹の聴覚は一つ消えたのだ。
恐らくは、元には戻らないのだろう。
目を逸らす。
「神社について調べたからかな――?」
「かもしらんな。まあ、耳の骨なんか取って何したいか分からんけど。そんなことで調査に支障が出るわけでなし。俺は俺だ。」
――そんなこと。
確かに、心変わりなど冬樹はしないだろう。
――たとえ聴覚を失っても。
だからこそ、不安が絶えない。
美邦はずっと案じている。しかし、自分自身を冬樹は大切にしているだろうか。
「築島先生が言ってたこと――魔除けとか、そういう対策は?」
「いちおう、昨日から盛り塩しとる。」
「盛り塩?」
「魔除けで思いつくんは、やっぱそれだら。百パーセント天然塩ってのを、昨日、帰りしな買ってきた。それで、窓の左右に皿を置いて、盛ってみただけど。ただ、」
冬樹は息を吐く。
「てるてる坊主と同じだ。効果は分からんに――少なくともまだ。」
本棚へ目をやる。
背表紙の中に『常世論』を見つけた。
「もっと――効果がありそうなのないの?」
「ないことも――ないかいなあ。」
冬樹は眉根を寄せた。
振り返り、本棚から本を一つ抜く。
「悪病を避けるため、ニンニクや唐辛子を軒に下げる――そんな風習は日本中にある。他にも、クワや、馬蹄を掛けとくとか、変わったところじゃ花火の殻を下げとくとか――。臭い物、辛い物、跳ねる物、それが魔除けの共通らしい。」
確かに、クワも馬蹄も花火も跳ねる。
――でも、そう言われれば。
てるてる坊主との違いが分からない。
「まあ、こういった魔除けを片っ端から試すのも悪うないけど。あいにく、てるてる坊主と降水確率の関係を研究した本はない。効果があるか知りたいなら――自分で実証して見るしかない。」
本棚へ目をやる。
オカルト系の本はなさそうだ。民俗学や考古学に関する本は全て学術書である。
「本、多いね。藤村君の?」
「俺が買ったのはここにない。父さんが遺したのと、母さんのが少し。」
「お父さんの?」
「教員だったらしいけえその本がある。俺がこうなったのも父さんが遺した本のせいだ。気づいたら――小さい頃から手ぇ伸ばしとったけえ。」
「お母さんは?」
「ただの公務員。」
廊下から跫音が聞こえてきた。
ふすまが開き、良子が現れる。
手には、ケーキと茶の載った盆を持っていた。テーブルに置き、ゆっくりしていってねと微笑み、居間から出てゆく。
ポットに冬樹は手を伸ばした。
ケーキの載る皿を美邦も取る。
「でもな――」
真っすぐ視線が向いた。
「もし効果があるかどうか分かるなら――そういう能力を持った人かも知らん。」
「能力?」
「霊能力。俺は霊能者じゃない。」
きっと、美邦に向けた言葉なのだろう。
困って俯いてしまう。
美邦も霊能者ではない――魔除けの方法など知るはずもなかった。
――変なものを見るとしても。
社家の末裔だとしても。
冬樹は目を落とす。
「でも――魔除けの方法が分からんでも、やることは一つだと思う。築島先生の言いなった通り、神様を送り返さんと。」
顔が上がる。
聞きたかった言葉を聞いた。
「藤村君もそう思うの?」
「それ以外ないに。――大原さんは?」
こくりとうなづく。
無意識のうちの動作だった。
冬樹が心配だし、魔除けの方法も見つかってない。それでも、ずっと思ってきた。
「私も、そうだと思う。神様が居るなら、送らなきゃ。藤村君も言ってたでしょ――何か問題があって厄神になったかもって。もしそうなら、正しく祀らなきゃ。」
そのために――と言葉が続く。
「私は帰ってきたのかもしれない。」
驚いたような目が向けられた。
少し遅れて美邦も気づく。
普通、他人と著しく違ったことは言わない。言いたくもない。だが、普段ならば慎むような言葉を口にしていた。
「似たやなこと考えとった。」
「え?」
「どうあれ、町は普通でない。神様が正しく祀られとらんのだと思う。祀るには、祀る人がおらんと。しかも、大原さんが帰って来なんだら神社のことも放置されとった。」
――私が帰らなかったら。
神社を覚えていたのは美邦だけだ。
それは、町から遠く離れていたためと、自分の家のことのためだろう。
「祀る人――大原家の?」
「ああ。」
――間違ってなかったかも。
「菅野さん、言ってた――儀式には宮司が必要だって。それ、大原家の人じゃないといけないと思うんだけど――もう私しかいないんじゃ――」
「ああ。間違いない。」
肯定され、安心する。
やはり、儀式には自分が必要なのだ。
けれども不安になる。
「でも――神送りを行なうとして、いつやるの? 冬至まで二か月もないんだけど。逆に、来年の冬至じゃ遅すぎるような――」
「ほうだ。ベストなんは、今年の冬至だらけど。俺の身体が持つかも分からんし。」
――身体が。
ますます不安になる。
先日思い当たった懸念を口にした。
「儀式のための道具も、用意しなきゃいけないんじゃ――。一年神主や、鉄鐸も。」
「その問題もあるな。あと――」
神様がどこにおるかだと冬樹は言った。
「居場所が分からんと送れん。」
当然、そちらの問題もあるのだ。
――どこに居るの?
居場所を失った神は。
そもそも、なぜ失われたのか。
居場所が分からず、必要な物もない。ただ送らなければという確信だけがある。
しかも、
――居ないとも感じる。
でもと冬樹は言った。
「居場所を探せるなら大原さんかも。」
「私が――?」
「ああ。」
冬樹は顔を上げる。
「大原さんが見たり感じたりしたもんは、みんな神社に関連しとる。たぶん、宮司の生き残りってことと関係あるはずだ。」
「本当?」
「大原さんしかおらんが、祀る人は。」
「それは――」
言われても困る。
神送りのために帰ってきたのかもとは言った。だが、自分は何も分からない。
思い出すように冬樹は尋ねた。
「大原さん、いつか言わなんだ? 神様がおらんけど、おる気がするって。どっかに隠れとるとも言っとったと思うだけど。」
目を伏せる。
確かに言った。
ただし説明は難しい。
具体的な言葉にできないだけではない。本当は、口にした事実さえ忘れたかった。
――でも。
冬樹なら何か分かるかもしれない。
白日夢と同じで、見た事実は変わらない。
それに対する考えが美邦にもある。だが、打ち明けなければ確証は持てない。
心を固め、強張る唇を開いた。
「上手く説明できないんだけど、その――気這いが無いっていうか。多分、隠れてるって言葉が近いと思うんだけど――」
「隠れてる?」
「うん。」
不思議なことを言うのは恥ずかしい――他人と極端に違うことを言うのは。
「例えば、依り代とか御神体とかに、」
断言できずに、質問してしまう。
「隠れてるってこと――ない?」
冬樹は少し考え込んだ。
その態度に不安を覚える。
しかし、ある、と小声で言われた。
「古事記にも、青々とした樹になって神様が消えたって文がある――要は神籬になって隠れたってこと。」
「ひもろぎ――神様の宿る?」
「うん。御神体や依り代と同じ。」
それに――と、言い額に手を当てる。
「あそこは神様がおる感じはせなんだ。」
「あそこ?」
「山ん中――立派な社殿が建とったに。枯葉も埃も積もって――。完全に廃墟。神様がおるよりかは、神様の空き家がずっと放置されとるみたいな。」
画像で見た通りなのだろう。
社殿は記憶通りなのだ。だが荒廃し切り、幽霊のような廃墟となっている。
「社殿だけが立派だったに。あの建物に相応しい神がおったはず。ぞんざいにできると思えん。丁重な扱いを今も受けて――ひょっとしたら祀らりょーるのかも。」
意外な言葉に眉根が寄る。
「祀ってる?」
「それなら、依り代や御神体に隠れたって話と合うかもしらん。いずれにしろ、神様を祀るための物だけえ。」
腑に落ちた。
――町のどこかに。
屋敷神でも祀るように、隠された祭壇に祀られる――そんな光景が頭をよぎった。もちろん想像に他ならない。ただしイメージとしては合致する。
「まあ、そんなことに何でなったか――そんなことが何で出来たかとは思うが。」
そして、慎重な声で冬樹は問う。
「失礼だけど――大原さんがその左眼を失明したのっていつ?」
「それは――」
ひとりでに手が動いて左眼を隠す。
暗闇から何かが来て眼が痛くなった記憶はある。だが本物の記憶かは分からない。
「たぶん、町にいた頃は見えてたけど。」
よく分からないと答えた。
「この左眼も――神社と関係あるの?」
「ああ。見る意味があるはずだに。」
――竹下さんと同じ。
今、左眼が見えない美邦と、左耳が聞こえない冬樹が向き合っている。
「一昨日聴いた範囲じゃ、二つのパターンで大原さんは夢を見とる。一つは、実相寺や他の誰かになって見たパターン。もう一つは、視点は大原さんのまま火事を見たパターン――けれど、犠牲者を見たことに変わりない。」
「あ。」
神社にまつわる死を見ていたのだ。
「気になるんは名前も分からん姉妹だ。」
冬樹は顔を上げる。
「みんな同じ人?」
「うん。間違いない。」
「一年神主の姉がおって、目に見えんもんを姉と感じとった?」
「うん。」
――町に満ちていたものは。
記憶の神社で感じたものと同じだ。
「ひとまず築島先生に訊かんと。」
首をかしげる。
「何を?」
「いや――姉は一年神主だっただら? 妹のおった当屋がおるかもしらん。」
「あ。」
姉妹を探すという考えに至らなかった。
当然だ。
夢に現れたものを現実で探すなど普通はしない。なので、発想さえなかった。
「問題は、神社の消失や神の居場所と、この姉妹に何の関係があるかってとこだが。当てずっぽうに見たわけでないと思うだけど――情報が足りん。」
「――うん。」
繰り返し見る理由がある。
だが、具体的な意味は見えない。
「あと――幻視も気にかかる。」
少し身構えた。
通話で全てを語ったわけではない。
話の中心は夢だった。意識が明瞭な時に見たものについては、あまり話していない――幻視が増えたという程度で。
「大原さん、一昨日話してくれたもん以外で、何か見たもんは――?」
「えっと――」
気後れする。
通学路で見るものについて、あまり語りたくない。それが現実か否か――いつか知らなければならないだろう。しかし、心の準備がついていない。
通学路を避けつつ、思い出す順に語った。
踏切の人影。
踊り場の窓から見たもの。
平坂神社跡地へ行く時に由香と見たもの。
「あ。」
手っ取り早い方法を思い出す。
「竹下さんから、町に来てから見たものや感じたことについて、ノートにまとめるよう言われてるの。それを見たら早いと思う――見たものだけじゃなくて、感じたこととか色々と書いてるし。」
「そのノートは、今――?」
「家にある。カウンセリングのとき必要なんだけど――叔父さん、写真が趣味で、コピー機あるから、いくらでも写してこれる。」
「ぜひお願いできんかな?」
「うん。――もちろん。」
「ありがと。」
安心したように冬樹は紅茶をすする。
だが、懸念は消えない。
先ほど逸らされた問題がある。
「でも、儀式って出来るの? 鉄鐸とか役員とか――祝詞も用意しなきゃいけないと思うけど。藤村君と私の他は、このことを知ってるのは築島先生だけ。町ぐるみでやってた儀式を、たった三人で出来るの?」
「ま、手順通りなら厳しいわな。」
「手順?」
「形式の問題でもないに。日本の神様には古代日本語で、キリスト教の神様にはヘブライ語で祈らんと通じんってわけでもない。」
それにと冬樹は続ける。
「完全に神社は忘れ去られたのか――って話でもある。」
首をかしげた。
「どういうこと?」
「町の外の人まで、本当に神社を忘れたか――ってこと。少なくとも、神社の件で可怪しくなったのは町内だけだ。郷土誌にしろ、市内の図書館のは無事だった。」
「でも、市役所も知らなかったんじゃ。」
教育委員会も大学も。
いや。
同じ疑問を美邦も抱いたことがある。
「本当に知らんか、引っかかるところはあるな。公民館の運営なんか、教育委員会がやっとるはずだけど。町外まで――本当に消せたかどうか。」
息を呑む。
「知ってる人がいるというの。」
「分からん――情報が足りん。」
――知っている人がいるとして。
なぜ表には出てこないのだろう。
「ひとまず、情報を精査してゆかないけん――知っとる人がおらんかどうかも。その上で、出来る限りの準備を進めるべきだと思う――神様の居場所も。」
祝詞もと言い、手元の紙に冬樹は触れる。
「とりあえず――これを。」
美邦へ差し向けられた。
何だろうと思い覗き込む。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊ぎ祓へ給ひし時ときに生り坐せる祓戸の大神等、諸の禍事・罪穢有らむをば、祓ヘ給ひ清め給へと白す事を聞食せと、恐こみ恐こみ白す。」
「これは?」
「祓詞っていう万能祝詞。――本当の祝詞がどんなんかは、まだ分からん。ただ、これは万能だけえ、覚えといて損はない。」
「うん。」
再び目を通した。
同時に、難解な古文だと気づく。
一目で理解していたのだ。
――どうして。
ちょうど This is a pen という英文を読むときと同じである。文字自体が意味を持って目に飛び込んでいた。
不安げに冬樹は尋ねる。
「どうだえ? 覚えれそうかえ?」
覚えるも何もない。
しかし、この状況を説明できなかった。
「うん。覚えること自体は難しくない。」
よかった、と冬樹は言う。
「儀式の手順は、菅野さんの話を芳賀が全部メモしとる。データは俺んとこあるけえ大丈夫。ただ――最低限、何が必要かはまだ分からんけど。神様の居場所と、十年前に何が起きたかが分ればとは思うが。それと――」
冬樹は顔を上げる。
「ルートの下見しとく?」
「下見?」
「重要なんは、情報収集と精査だ。でも、神送りの時に辿るルートを事前に見とくのも悪かない。平坂神社から、青ヶ浜、それと荒神塚まで。途中、分かることが何かまたあるかもしらんし。」
前向きとなり、うなづいた。
美邦にとっても都合がいい。
「そうだね――。私が見るものは、中通りにも色々あるし――。それを確認しながら歩いてっても、ひょっとしたら何か分かるかも。」
今――独りでは確認できない。
「だったら――早いうちに――来週の土日にでもやっといたほうがええな。今日はもう遅いけえ。大原さん、来週は予定とか入っとらんかえ?」
「私は、どっちも大丈夫。」
それかと冬樹はうなづいた。
「なら来週の土曜にでもと思うけど――。ただ、それだけじゃアレだし、他の調査――例えば町外での調査もしたい。なら、銅鐸も見た方がええかも。」
意外な言葉に首を傾げる。
「中学を造る時に見つかった?」
「ああ。板書が融けたとき、模様を見たんなら意味があるのかも。見ただけで何が分かるとも分からんけど――発見場所は教室棟だ。□□市の博物館に今はあるらしいが、俺もまだ見たことない。」
□□市は、県庁所在地の名前である。
「藤村君もまだなの?」
「うん。」
銅鐸は鉄鐸の祖先だという。
大原家の家紋もまた描かれていた。
やはり深く関わっているのかもしれない――大原家は国造とも言われているのだ。
「せっかくだけえ、一緒に見に行かん?」
期待していた言葉に、首を縦に振る。
「うん――行きたい。」
「よかった。」
刹那、冬樹は顔をそむけてしまう。
窓辺の席に五人で集まっていたとき、よく見せた動作と同じだ――最近は、きちんとこちらを見てくれていると思っていたのだが。
「じゃあ――儀式の下見と、銅鐸を見に行く計画を立てんと。」
パソコンへ目を向けられる。
「ちょっと、パソコン使わん?」
「うん。」
冬樹は立ち上がり、パソコンの前に座布団を二つ移動させた。
新たに敷かれた座布団へ膝をつく。
冬樹が隣に坐り、電源を入れた。パスワードを打ち、アカウントにログインする。
同時に、奇妙な画像が広がった。
眉をひそめる。
明け方か夕暮れなのだろう――逆さの枯れ木が写っていた。
美しい光景ではある。しかし、気味の悪い印象を受けた。デスクトップとしては悪趣味と言うほかない。
「この画像は――何?」
「さあ――俺にも分からん。」
デスクトップが変わった経緯について説明された。この画像が冬樹の趣味ではないと知り、少し安心する。悪い画像ではないが、わざわざ好む神経は分からない。
「本当は――すぐ削除しようと思った。でも、これも変なことには変わらんに。神社のことと関係があるかも知らんと思って、そのままにしといた。」
デスクトップを眺める。
良し悪しはどうあれ、特殊な印象を他人に与えるという点では秀でていた。やがて、それを説明するのに適切な言葉が頭に浮かぶ。
「常世の国だ――これ。」
「――え?」
顔を上げる。
怪訝そうな顔が向いていた。
少し恥ずかしくなり、美邦は顔を伏せる。
「いや――何でもない。」
冬樹は何かを考えていた。
やがて、それか、とだけ言う。
平坂町について検索し、神送りのルートを確認する。そのあと、県庁所在地にある博物館のホームページにつないだ。
サイトに、銅鐸の画像が載っている。
LIИEで送られた画像は線画だった。実物は緑青に――スカーフと同じ色に覆われ、あちこちが曲がり、欠けている。
「この銅鐸が――鉄鐸の祖先なの?」
その可能性は高い――と冬樹は言った。
「神社の鏡と同じやに、弥生時代の青銅器は神様を祀る道具だった。けれど、三世紀後半――弥生時代が終わり、古墳時代に入ると同時に銅鐸は忘れ去られる。」
――神を祀る物が忘れられる。
「平坂神社と同じ?」
「そういうことになるな。諏訪の小野神社と、出雲に近い平坂神社にだけ鉄鐸があるのは、邪馬台が全国を支配する前の祭祀の名残かもしらん。」
銅鐸へ目をやる。
再び、何かを思い出しそうな気がした。
繰り返し浮かんでは消えた疑念が蘇る。
「でも、鉄鐸が儀式に必要だったなら、冬至までに用意できるかな?」
「ああ。用意するのに一番難儀するな。」
一番という言葉に引っかかる。
「それより、もっと難しいものがあるんじゃない? 一年神主だって必要かもしれない。でも、本筋から二人も選ばなきゃいけないんでしょ? 宮座もないのに――」
明らかに、鉄鐸より難しい。
「一年神主は問題ない。」
「――え?」
「今年の一年神主は大原さんだ。」
――――――――――――
*この小説はカクヨムでは完結しております。
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