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神送りの夜  作者: 千石杏香
第五章 霜降
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4 禁忌への報い

 外は暗い。

 けれども、家の中まで暗くないはずだ。それなのに姉の顔は見えない。


 昼間――。

 祭囃子が町に充ちていた。

 暗くなってからは屋台が出たのだ。


 愉しいことも色々あったと思う。

 だが、姉は行けなかった。

 今は、林檎飴を無言で舐めている――お土産として美邦が買ってきた物だ。

 心配してほしくて尋ねる。


 ――私が⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎になったら、

 ――やっぱ悲しい?


 姉は驚いていた。

 ――そ⬜︎⬜︎そう⬜︎⬜︎。

 ――変なこと言わ⬜︎⬜︎。


 思っていた通りの答えで安心する。

 自分の命は長くない。


 ――うん。そう⬛︎⬛︎⬛︎。

 罪悪感を隠すように笑む。

 ――私も、お姉ちゃんが⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎


 美邦は目を醒ました。


 外から雨が聞こえている。

 天井を右眼が捉え続けていた。

 夢の中で開いていた左眼は見えない。


 ――また、同じ夢。


 十月二十二日・水曜日の朝だった。

 一昨日から雨は止まない。けれども、先日より雨音は小ぶりだ。予報によれば昼から上がるという。


 朝の支度を済ませる。

 家を出て路地を進んだ。

 狭い道で、白い傘と水色の傘が触れ合う。


 ふと、千秋の顔を覗き込んだ。

 当然、変化はない。


「うん?」

「いや――何でもない。」


 首を横に振ったが、不安は振り払えない。

 数日前から、由香の顔色は悪化していた。

 一昨日、昨日と、日を追うごとに蒼くなっていったのだ。しかし、平気だと言って本人は譲らなかった。

 加えて――夢のせいで不安に拍車がかかったのかもしれない。

 ――私がいなくなったら。


 中通りへ出て、空き地で千秋と別れる。

 気温は落ちていた。

 寒さに震えて歩く。

 無数の人影が、事故車が、炭化した家が現れては消えた。


 やがて丁字路が見えだす。

 薄紫の傘があった。

 いつも竝んでいる由香はいない。


 肌を撫でる寒さの中、近寄る。

 やるせない顔が、傘の下から現れた。

「おはよう、幸子。」

「うん、おはよう。」


 いつも由香の立っている場所には、電柱に巻かれた塗炭(トタン)がある。黄色と黒の模様が、踏切を連想させた。

「由香――まだ来てないの?」

「うん――」幸子は眉を垂らす。「ひょっとしたら、体調が悪いんかも。」


「大丈夫かな?」

「分からん――。なんか、すごい悪(えら)げだったけど。それだのに、あの子は全く気にしとらなんだ。」


 不安が高じる。

 耐えきれず、スマートフォンを出した。

「LIИE入れてみようか?」

「うん、お願い。」


 ダイレクトメッセージを送る。


   〈由香、体調は大丈夫?〉

   〈学校これるの?〉


 父の顔を思い出した。

 血色は元から悪かったのだ。

 激変したのは一昨年――家事も手に付かないほど体調を崩し、今年の夏に仆れた。


 遠くから怒涛が聞こえる。

 雲の中で低く轟く雷鳴のようだ。

 冬が始まろうとしている。気温が落ちるにつれ、海は荒れてゆくらしい。


 水溜まりを割(さ)き、黒い車輪が停まった。

 顔を向ける。

 自転車に乗る男子が二人いた。どちらも、学校指定のレインコートをまとっている。手前は冬樹で、後ろは芳賀だ。


 透明な庇(ひさし)の下で、切れ長の目が細まる。

「実相寺、まだ来とらんだか?」


 うん――と目を伏せた。

「LIИEにも既読がつかないの。」


 心配そうな顔を芳賀も向ける。

「珍しいな――あの実相寺さんが?」

「うん。」


 困惑するように冬樹は芳賀を見た。

「何だぁ、えらい体調悪げだったが――」


 当然、心配しているに違いない。

 しかし、この場ではどうにもできないのだろう。冬樹は、とりあえず先にと言い、ペダルに足をかけた。芳賀も、また後でと言う。


 そして、学校の方へ走っていった。


 ぱらぱらと小粒の雫が傘に当たる。

 やがて、始業時間が近づいた。

 何度見ても既読はつかない。

 ひとまず先に登校する。


 学校に着いた。

 由香の姿は教室にもない。

 美邦の隣は空席だ。ただ、窓から差す暗い光のみが落ちている。硝子に雫が当たって、細く垂れていた。


 朝学活が始まる。

 途中、出席を取る鳩村の顔が固まった。

「実相寺さんは、来ていないんですか?」


 廊下側の席で幸子が手を上げる。

「朝から来てません。――何か、連絡なかったんですか?」


「いえ、何もありません。」

 何か知ってる人はいませんかと問うた。

 誰も答えない。

 窓で雫が弾け続ける。ただ分からないのとも違う異質な静寂だった。


 授業が始まる。


 空席を気にし続けた。

 由香はどうしているのだろう。

 昨日も顔色が酷かった。もし体調を崩したのなら、一大事になったのではないか。


 一時間目が終わる。

 次の授業の準備をしているとき、普通ではない跫音を耳にした。


 教室の扉が開く。

 引き戸に手をかける鳩村が目に入った――慌てたように顔を左右させている。

「大原さんと、古泉さんはいますか?」


 幸子と目を交わした。


 鳩村に見つけられる。

 いつもより険しい顔と声を向けられた。

「ちょっと来てください。」


 教材を置き、幸子と共に教室を出た。

 鳩村の背中を眺め、板張りの廊下を踏む。

 潮風に煽られ、カタカタと硝子が鳴った。


 階段の裏まで連れてこられる。逃げ場を塞ぐように鳩村は立ち、硬い声で問うた。


「ついさっき、家の人から連絡がありました――今朝から、実相寺さんの姿が見えないそうです。心当たりはないですか?」


 幸子と目を交わす。

 厚ぼったいレンズの先に怯えが見えた。


 ――姿が見えない。


 いま知らされたのだ。

 心当たりなどあるはずがない。むしろ、由香が今どうしているのか知りたかった。


 美邦は顔を伏せ、ありませんと答える。

 幸子も、私もですと同意した。


「そうですか。」


 耐えきれない思いがつのる。

「あの――姿が見えないって、どういうことですか?」


「そのままの意味です。実相寺さんは、家庭の事情でお母さんが家に帰って来るのが遅いので、気づくのも遅れたそうですが。」


 厭な予想が浮かんだ。

「朝――判ったんですか?」

「ええ。」


 ――なんで。

 何が起きたのか。

 あの蒼い顔で、どこへ。


「どうあれ、行方が分かっていません。何か情報があればいいのですが――。実相寺さんについて、ここ最近で、何か変わったことは知らないですか?」


 再び、幸子と目を交わす。


 変わったことはあった。

 どこまで役立つ情報か分からない。

 しかし、大切なことには違いない――由香の身に危険が迫っている。


「月曜日くらいから、体調が悪そうでしたが――すごく顔色が悪くなってて。病院に行ったほうがいいって言いましたけど。由香、まったく聞かなくて。」


「ほんに、今にも倒れそうで――」


 確認するように再び目を交わす。

 硝子が振動した。

 鳩村は何も答えない。

 ややあって諦めた表情となり、そうですかと言われる。


「実相寺さんの行方は、今、警察の方に調べてもらってます。友達が行方不明になって不安かもしれませんが、結果が分かるまで、落ち着いた行動を心掛けて下さい。私から聞いたことも、あまり触れ回らないように。」


     *


 ――由香がいなくなった。


 板書を書き写す手が震える。

 美邦の隣には、いるべき者のいない机が拡がっていた。


 ――どうして。

 家出か。事故か。変質者の仕業か。

 ――北朝鮮とかから船が来て。


 朝から姿が見えないと鳩村は言った。

 家を出たのはいつだろう。十年前は十二人が亡くなり、九年前は七人が亡くなった――全て夜に起きている。


 二時間目の授業が終わった。

 鳩村が再び現れ、今度は冬樹と芳賀が呼び出される。


 しばらくして二人は教室へ戻って来た。

 冬樹の顔は蒼い。その隣から、心配そうな視線を芳賀が送る。


 教室はあまり変わらないように見えた。

 しかし、表面上のことだ。

 いつも元気な由香が登校しない。そして、由香とつるんでいた四人が呼び出された。何が起きたか誰の目にも明らかだ。


 ささやき声が聞こえる。

 ――を。

 ――た。

 詳しく分からない。

 見たと言っているようにも、来たと言っているようにも聞こえた。

 ――が。


 三時間目の授業が始まる。

 板書が何度も融けた。

 白墨(チョーク)で書かれた文字が、露のように垂れてゆく。そのたびに目をすがめた。いま、読んでくれる者はいない。


 転校して一か月も経たないうちに、隣の生徒が消えた――町で初めての友達が――神社について調べていた仲間が。


 ――私のせいで?

 神社を消した理由がある。

 そこへ美邦は触れようとした――由香を巻き添えにして。だから、

 ――お母さんと同じように。


     *


 三時間目を通じて雨は弱まった。

 隣の机越しに、寒そうな窓が見える。


 休み時間、手洗いへ立った。

 気温が急激に落ちたようだ。校舎は変わらない。由香が消えても日常は流れる。


 用を済ませ、洗面台で手を洗った。

 ふと、水銀の欠けた鏡に誰かが写る。

「大原さん――ちょっとええ?」


 振り返る。

 背後を塞ぐように女子が三人立っていた。

 先頭は――確か、冬樹の隣の席の田中だ。他の二人は、クラスメイトということしか覚えていない。


 詰め寄られ、顔を伏せる。

「えと――何?」


「実相寺さんがいなくなったって本当?」


 口籠った。

 軽率に話してはならないと言われている。しかし、田中の声は――六つの瞳は――答えるのが当然だとばかりに威圧的だ。


「いや――ちょっと――分からなくて。」


 「鳩村先生から、何か聞いたでないの?」

「あ――うん。」

 言葉を少し選ぶ。

「家にいないらしいとは聞いたけど。」


 見知らぬ女子が非難してきた。

「なんだ! 失踪したの知っとったが。」


「えっ――?」

「さっき、知らんって言っただら?」


 田中も顔を歪める。

「失踪しとるのに何で嘘ついた?」

 険のある視線をもう一人が向けた。

「実相寺さんが心配でないだか?」


 予想外の反応にたじろぐ。

 言葉に詰まり身を縮めた。


「いい加減にしたらどうです?」


 聞き慣れた声に顔を上げる。

 岩井が立っていた。

「大原さん――困ってらっしゃるじゃありませんか。」


 不満げな顔を田中は向ける。

「だって岩井さん、気に掛からん? クラスメイトが行方不明になったに。」


「その気持ちは解りますよ? けれども大原さんは内向的な性格なので、あまり寄ってたかって質問を浴びせては可哀想です。」


 唖然とする。


「ところでみなさん、実相寺さんが失踪したなどということを、どうして御存知なのですか? 私でさえ、何も聞かされていませんのですけれど――」


「ああ」と一人が答えた。「お母さんからLIИEがあっただが。なんか、警察の人が実相寺さんを探しとるらしいって。それで私達、心配になって――」


「LIИEって――電話なんか学校に持ち込まないで下さい!」


「いちいちうるせえなあ。」

「何かあった時のための連絡用だがぁ。」

 

 文句を垂れたあと、田中が顔を向ける。

「じゃ、大原さん――時間取らせちゃってごめんねえ。」

「じゃあね。」

「バイビー。」

 面倒臭そうに三人は去った。


「まったく――」

 岩井は呆れ果てる。

「大原さん、申し訳ありませんね。みなさん、実相寺さんを心配しているのです。」

「ああ、うん――別に。」


 聞こえよがしになじられた。

「罰(ばち)が当たっただが。」


 顔を上げる。

 何者かの去る姿が廊下に見えた。


「こら! 笹倉さん!」

 手洗いから岩井は顔を出す。

「どうして貴女は、実相寺さんに対してそんな意地悪なんですか!」


 しばらく、美邦は呆然としていた。


 ――おかしいよ、みんな。

 悔しい思いが込み上げてくる。

 ――岩井さんも、あんなこと言うなんてどうかしてるよ。


     *


 給食時間が終わり、昼休みに入る。

 居心地の悪さから美邦は教室を出た。

 後を追うように幸子も続く。

 冬樹と芳賀も出てきた。


 やはり、同じ気持ちだったのだろう。


 四人揃って教室を離れる。

 木造校舎を出て、渡り廊下を渡った。

 雨は既に上がっている。 


 鉄筋校舎に這入った。

 石造りの建物に人はいない。

 冷たい音を響かせて階段を上がる。


 濡れたバルコニーへ出た。

 いつものメンバーの中に、由香がいない。


 冬樹の横顔は凍っている。ただし、冷静さを保とうとしているようでもあった。


 潮風の吹く中、手すりへ美邦は近づく。

 背後で、芳賀の声が震えた。

「実相寺さん――大丈夫かいなあ。」


「うん。」振り向かずにうなづく。「無事だと――いいんだけど。」

「何か悩んどることあったんかいな。」


 冷たい風が吹く。

 幸子が声を震わせた。

「もっと心配しときゃよかった。」


 美邦は振り返る。

 レンズを隔てて、まつ毛が下がっていた。

「由香な――いつも家で独りだにぃ。」


「そうなの?」


「うん。」

 幸子は俯く。

「由香のお父さんな、何年か前に事業に失敗しただけえ。以来、無気力でお酒ばっか。今は、お母さんが一人で働いとんなるけど。ほかに家族もおらんけぇ、体調が悪ぅなっても、誰も気づかんかったかもしらん。」


 冷たい風に震える。

 あの蒼い顔で、自覚症状もなかったのだ。しかも、気遣う大人もいなかった。結果、前後不覚になったのかもしれない。


 冬樹の声が震えた。

「こがなことになるなんて。」


 美邦と同じことを感じている。

 それに気づき、目の前が白くなった。


 冬樹も父親を亡くしている。

 神社の消失を境に、多くの死が始まった。

 それを知ったのは先日だ。ここまで調査を進ませたのは冬樹に他ならない。


 視界が色を取り戻した。

 覚え続けた不安が、負い目が言葉となる。


「私のせいなのかな。」


 恐らく誰もがそう感じている。同時に、同じ負い目を抱えているのかもしれない。

「神社のこと調べたいって言ったから――」


「美邦は悪ぅないに!」

 だが自信を失ったようにまつ毛が下がる。


「きっと家出しただが。あんまものぉ考えん子だけん、迷子になって――寒くて震えよるに。そのうち警察に保護されると思う。」


 だな――と冬樹はうなづいた。

 中性的な声で芳賀も言う。

「大原さん――考えすぎだぁが。まだ、帰って来とらんとしか分かっとらんにぃ。」


「だいたい、神社のことに首を突っ込んだのは俺だで?」


 うん――と言い目を伏せる。

 その言葉こそ、安心できる逃避先だ。

 彼らもまた、自分の行動と由香の失踪は無関係だと信じたいのかもしれない。


 港へ目をやる。

 ――たとえ帰らずとも。

 どこかにいる。


 先日は、神社と怪死の関連性に期待した。

 今は、どちらかといえば切り離したい。でなければ、由香を巻き込んでしまったことになる――恋しい記憶を追い求めた結果、親しい人をまた失うことに。


 ふと思い出す。

 転校初日のことだ。

 この場所で、神社がなかったかと初めて尋ねたのだ。お祭りがあった気がする――と由香は答えていた。


 神嘗祭だろうか。

 神社から中通りを神輿が行幸する。実行委員会があったはずだ。町ぐるみで――大人たちが協力して行なっていた。

 ――それを由香が覚えていたなら。

 どうしても気にかかり、顔を上げた。


「幸子、由香の家って、どのあたり?」

「え?」


 えっと、と幸子は言い、手すりに近寄る。

 景色を指さした。

「中通りを南に行って、角を曲がって、」

 伊吹の一角――鞘川付近で指が止まる。

「あのあたりだけど。」


 指さされた先を見つめる。

 やはり平坂神社は近い。十年前まで神嘗祭があったなら、由香が覚えていた可能性は高いはずだ――その両親も。


 冬樹が目を細めた。

「大原さん――なにか気にかかるん?」

 うん、とうなづく。

「由香ね、お祭りがあった気がするって言ってたの――この場所で。ひょっとしたら、秋のお彼岸のお祭りかもしれない。」


「ほんに――?」

「うん――。」

 顔を上げる。「芳賀君の考えだと――町ぐるみで神社は隠されたんだよね? けど、あれだけ近いんだし、由香の両親も神社を知ってたと思う。でも――」


 次第に、自分の言葉に胸騒ぎを覚える。

 ――娘の失踪に親が加担するだろうか。

 では――。


 言わんとすることに気づいたらしく、反抗的な目を芳賀が向けた。


「いや――。実相寺さん、家出かもしらんが? 人為説は否定できん。それに、一部の人だけがやったとも考えられる。」


 その主張は強引すぎた。

 また、気にかかることはほかにもある。

「子供はみんなGPSつけてるんだよね?」


 気づいたように冬樹が息を吸う。

「だでな――。集団下校もさせとるに――町ぐるみで犯人なんてことあるか?」


 港へ目をやる。

 やはり――この町にはなにもない。

 しかし、連れ去る者がいる。


 芳賀が反論を試みた。

「けど――町ぐるみで隠すとなれば――」


「やめて!」


 振り返ると、厚いレンズの向こうで目が潤んでいた。


 風音の中、震える声が響く。

「そんなふうに言ったら――由香が帰ってこんやになるみたいだが。」


 いつもは見せない姿だ。

 胸が痛むと同時に後悔した。


 ごめん――と芳賀が口にする。

 美邦もまた頭を下げた。

「ごめん。」


 バルコニーの入口に目をやる。そこに、

 笹倉が立っていた。

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