蛮
なお、雄から雌に受け渡された<精莢>は、長ければ数年にわたって雌の体内で機能し続け、何度も受精が行われる。雌に発情の兆しが生じるたびに精莢は精子を提供することで発情を鎮静化させる効果もある。これによって他の雄から精莢の提供を受けないようにできるのだ。
つまり、自動的に交尾を行っているのと同じ効果を発揮し、そして雌は卵を宿し続ける。こうして、雄は自分の遺伝子を残す機会を増やすと。
もっとも、それでもなお一頭の雌が生む子で生き延びるのは、二頭から三頭くらいなので、他の雌にも同様の形で子を生んでもらい、可能性を上げる形にはなるが。
これで蛮の子が生まれ、成長し、やがてまた子を残すことになるかどうかは分からない。分からないが、少なくとも可能性が生じたのは事実だろう。
これがなければ、確実にゼロだったのだから。
もっとも、バドが記録を取り始める以前にも、蛮がすでに雌と交尾をしていた可能性もあるか。
そう考えれば、アベルは、蛮の……?
ただし、その憶測については、DNA検査でもしない限り本当に単なる憶測にすぎないが。とは言え、蛮が<道具>を使ったようにアベルが道具を使っていたのは、本当に蛮の真似をしただけなのだろうか……? という疑問も確かにある。
雌との交尾から数日が過ぎ、蛮はいつものように密林に佇んでいた。その体に数匹のチップ竜がたかり、彼の古くなった皮膚や体についた虫を食べていた。
その姿は、どこか、家の縁側で日向ぼっこをしている老人のような空気感もあったかもしれない。
しかし、次の瞬間、
「チッッ!!」
何かの気配を察したのか、チップ竜が飛び去って姿を消してしまう。同時に、蛮の体にも緊張が走り、表情が険しくなった。バドが見守る前で、身構える。
視線の先には、強い気配を発する影。すでに気付かれていることで、隠れるつもりも、不意をつくつもりもないようだ。
そこにいたのは、十代半ばくらいの印象がある血気盛んな少年。にも見える形を有した若いヒト蜘蛛だった。
アベルだ。アベルが蛮の前に立っていた。これまでは戦いを避けていたというのに、今は間違いなく、蛮に対して強い敵意を向けている。
もし、万が一、アベルが蛮の<息子>であったとしても、彼らには何の関係もない話だった。
『敵は殺す』
それだけがヒト蜘蛛の<常識>だった。自分自身以外はすべて、<敵>か<敵以外>かでしかないのだ。先日の雌のことさえ、発情しているタイミングで出会ったから<敵以外>かつ、本能に従って交尾に至っただけでしかない。何の思い入れもない。次に出会えば喰い殺す。
それだけだ。
ゆえに、目の前に現れたものが自身の血縁であるかどうかすら、ヒト蜘蛛には関係ない。
戦って、勝って、喰う。
勝てそうにないなら、その時は逃げる。
実にシンプルと言えるだろう。
人間のように、
『生んでやった恩を返せ』
など言わない。
『老後の面倒を見ろ』
などと口が裂けても言わない。
子供に自身の老後の面倒を見させようとするような動物は、地球人以外ならごく限られた例外的な存在だけだ。地球人の感性が動物としてはむしろ<例外>なのだ。
だから、アベルと蛮に血縁があってもなくても、そんなことはそれぞれの判断に何の影響も与えない。
成長したアベルは、
『今の自分なら眼前のヒト蜘蛛に勝てる』
と判断し、挑んできた。殺して、喰って、縄張りを奪うために。それがヒト蜘蛛の生態であるがゆえに。




