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第二十九話〜身身〜

 天元四年六月四日(981年7月7日)の夜分、元気な産声が上がった。しかも2人分…………2人?


「主様、無事お生まれになりました! 素晴らしいことに、男女の双子で御座います! 奥様も御健在!」


 まさかまさかの双子である。しかも男女。男子なら跡取りコース、女子なら入内コース──つまりどちらが生まれても嬉しかったのだが、2人生まれるとは思わなんだ。美月君含めて3人とも健在とは、この時代の医学力を考えると神懸かり的な奇跡と言えよう。

 出産場所は通常、妻方の実家などである。美月君の場合はそんなものはなかったのだが、頼忠の厚意によって左大臣雅信の屋敷である土御門(つちみかど)殿をお借りした。具体的な場所は忘れたが、大方殿舎の何処かを仕切って使っているだろう。


 非常識かもしれないことを承知で車を飛ばし、土御門殿へ参上する。先程まで読経やらお祓いをしていたのだろう僧侶や陰陽師らを脇目に進んでゆけば、重々しく封鎖された一帯が目に入った。そここそが産屋なのだろう。中は調度品や衣服に至るまで白一色で、ほぼ男子禁制だろう。

 そうこうしていると、今度は頼忠母(本名不明)がやって来た。この方には「(ほぞ)の緒切り」、すなわちへその緒を断つ儀式をやって頂く予定である。本来は出産者の母親が務めるので、このお願いは半分くらい対外的パフォーマンスである。

 これが終わると、次に「乳付(ちつけ)(子供に初めて乳を飲ませる儀、担当は我が家の新女房)」と「湯殿初(ゆどのはじめ)(産湯を使う儀式、我が家で雇った乳母が担当する)」が待っている。またこれらに並行して「散米(うちまき)(魔除けとして米を撒く儀)」「読書(とくしょ)(漢籍の目出度い文章を読み上げる儀)」「鳴弦(めいげん)(矢を番えずに弓を鳴らし、魔を追い払う儀)」が行われる。

 出産当日はここまでだが、この後にも3日目・5日目・7日目・9日目に「産養(うぶやしない)」と呼ばれる祝宴がある。家族や親戚、友人知人から衣服・食物・調度などの贈り物を受け取り、和歌や管弦の遊びが行われる。これに並行して「迴粥(めぐりがゆ)(邪気払いの一種で、問口(といくち)1人と言口(いいくち)7人で形式的な問答を行いつつ粥を回し飲みする)」と呼ばれる儀式が寝殿の南庭で行われる。他にも5日目には排出された胎盤などを壺に入れて人の通る場所に埋める「胞衣納(えなおさめ)」、誕生後初めて産毛を剃る「剃髪の祝い」、誕生後初めての外出で額に犬と書いて吉方へ行く「行始(ゆきはじめ)」、etc……


 ここまでを簡潔に言い表すなら、カオスの極みである。複雑にも程がある。


 *>────<*


「……旦那様、流石にこれは疲れませんか?」


「……赤ちゃん産んだ家の定めだよ。私だって仮にも公卿、下手な手抜きは出来ないよ」


 ついでに言えば、政治的な意味合いも兼ねている。あらゆる儀式において頼忠の助けを借りることにより、太政大臣頼忠の派閥に事実上組み込まれることになる。こうすることで本来なら弱小氏族だった野寺氏が藤原北家という後楯を得られるのだ。もとより他に手立てもないので、これが現状の最適解ではなかろうか?

 閑話休題。


「……後の儀式は、何でしたか……」


「ええと確か、生後50日目の『五十日(いか)の祝い』でしょ、100日目の『百日(ももか)の祝い』、満2歳手前くらいで『魚味始(まなはじめ)』。後は……」


「いえ、いえ、もう良いですもう十分です……」



 洋の東西を問わず古代世界において、出産とは大変な危険を伴うものである。それを経て誕生した子供でさえ、あっさりと死にかねない。ゆえに古代人たちは種々の祝いや儀式を行うことによって、赤子から妖魔邪鬼の類を退けたり魂を現世に引き留めたりしようとしたのであろう。何れも数ある説の一つだが、それだけ子が愛しいのだ。



【命名】


 男子:(幼名)輿舁(こしかき)、(諱予定)義実(よしざね)


 女子:(通称)東の君、(諱予定)憲子(けんし/のりこ)

美「なんですかあの名前」


義「幼名の輿舁は実頼殿の幼名『牛養うしかい』と対比させた。諱は僕の名前から1文字ずつ、義実は実頼殿から1字貰う。憲子はシンプルに」


美「現代人の名付け方とは何か違いますね」


義「この時代にあって、名前はただの記号じゃないからねぇ」

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