第二十八話〜京の顔〜
「……こりゃまた見事に……」
「瓦礫の山ですねぇ……」
「ねぇ……」
私が美月君を連れて野次馬していたのは、平安京の入り口、羅城門である。
尤もそれは過去の話。天元三年七月九日の今日、羅城門は倒壊したのである。
「でも旦那様、この門ってそんなに重要なのですか?」
「仮にもここは都だからねぇ。入京する外国使節とかに対する顔として必要だったのさ。まあ逆に言えばそれだけで、しかも9世紀末以降はその役目も無くなったし」
言わずもがな、菅丞相による遣唐使の発遣中止建議のことである。
ざっくりおさらいしよう。今まで不定期で唐に送っていた遣唐使──皇帝への正月のご挨拶と留学が目的である──だが、894年に遣唐使隊のトップに任命された道真が「唐も落ち目だし船旅危険だし、行かなくてよくね?」と中止を進言したのである。結果として中止され、以降行われなかったので事実上廃止された。これは即ち外交の途絶を意味し、また他に使節を送るような国もいなかったので外交儀礼は廃れたのである。
「まあ、あの台風なら崩れても仕方ありませんか。それにしては、人が多いような……」
「遺体いっぱいあったからねぇ。回収とかお祓いに追われてるんじゃない? 知らんけど」
人の来なくなった羅城門、風葬を旨とする庶民、二重門の二階部分。これらが示すのはつまり「風葬先としての羅城門」である。
そもそもこの時代に墓参りなる習慣はほとんどなく、葬送後の遺体を省みることは少ない。よって死者の遺体は特定の場所に放置──通常は鳥辺野や化野──され、死後の安寧を祈るのみである。そうであるから門の二階部分に遺体が放置され、それを気味悪がって人通りが少なくなり、また放置されやすくなるという循環が生まれる。もとより存在意義をほとんど喪失し、さらに荒廃も進んでいたものだから、京職なども修繕する気がなかった。
「……これ、再建するんですかね?」
「史実ではしてなかったし、今回もしないと思うよ。造る意味無いし」
悲しいかな、大建造物とは得てして示威目的の威信財である。故に時間と金と労働力が必要で、収税滞る今の朝廷では最早それだけの力を持ち合わせていない。あの藤原道長も法成寺建立に際して礎石を持って行ったらしいので、今の貴族に再建を考える者はいないだろう。
「……これが諸行無常ですか」
「君がそう思うならそうなんじゃない? 研究者によっては王朝国家体制論を提示するし、私は時代の流れを感じるだけだし。さあ、帰ろうか」
余談だが、かの文筆家芥川龍之介が記した『羅生門』は、この時期の少し前が舞台である。「城」でなく「生」なのは発音の違いからくる表記揺れの問題で、他にも「らせい」「らいしょう(頼庄、来生)」「らしょう(中世以降)」が確認される。正しい日本語問題に一石を投じるかも知れない。
美「平安京って、他に門を造らなかったのですか?」
義「一つ、金が無い。二つ、時間が無い。三つ、人が疲れる。四つ、必要が無い。羅城門って名前が固有名詞になってるのは、門が一つしか無かった証左さね」
美「ところで、そもそも羅城とは?」
義「都城において、市域を取り囲む城壁のこと。日本では造らなかったけど、中国には今でも明の時代の物が残ってたりするそうな」




