第十九話〜南都の主〜
「……旦那様、ここが……?」
「間違いない。この寺こそが興福寺だ」
天禄3年。私達を出迎えたのは、実に大きく立派な興福寺南大門だった。平城京跡の左京部分に位置する大寺院、南都七大寺が一つであり大和国のほとんどの荘園を掌握する巨大勢力である。
「これはこれは義憲様、お待ちしておりましたぞ。尾張公様の菩提を弔いたいとか……」
「ええ、まさしく。して、貴方様は?」
「おお、申し遅れました。拙僧は本寺の別当、定昭と申します」
定昭。一昨年から興福寺別当18世に就任した僧侶で、確か今年から大覚寺別当を勤めていたはずだ。未来の出来事になるが、東寺や金峯山寺に金剛峯寺のトップも兼任するはず。去年には確か一乗院門跡を開山したか。
(旦那様、この人偉いんですか? 普通のお坊さんにしか……)
(下手したら私より金持ちだよこの人)
私も公卿入りこそ果たせたが、たかが四位である。一つの国の荘園をほぼ丸々握っているような巨大組織の長と比べるべくもない。この人の元々の血統は、2代前の左大臣──尤も、先代の藤原在衡は8ヶ月だけだったので実質先代である──故藤原師尹の息子である。私が怒りを買おうものなら消し飛びかねん。
「ときに義憲様、頼忠様はご一緒のはずでは?」
「それがですね、なんでも特別な儀式があるとかで、急に来れなくなったのですよ。こちら、伝言のお手紙です」
儀式というのは、藤氏長者の継承である。元々は実頼がやっていたものが薨去によって甥の伊尹に受け継がれたのだが、その伊尹がつい先日の十一月一日に亡くなったので、現状最年長の頼忠に回ってきたのだ。
「……なるほど、状況は把握致しました。では、拙僧が寺を御案内致しましょう」
「宜しくお願いします」
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(旦那様、おもちゃを見つけた5歳児の目になってますよ)
(今はなき堂宇が全て目の前にあるんだぞ!? 興奮せずにいられるものか!)
興福寺の伽藍はそのほぼ全てが治承四年に平重衡の焼き討ちで失われているため、現代で見ている建物や仏像はどうあがいても9割8分がこれ以降の復元である。
平安から残るものを以下に挙げる。東金堂の日光・月光菩薩像、木造四天王像、銅造仏頭(この時代はまだ山田寺の本尊だが)、西金堂の乾漆八部衆立像、乾漆十大弟子立像(うち4体は寺外に流出)、楽器の華原磐(銅羅のような打楽器)、北円堂の木心乾漆四天王立像(この時代は大安寺安置)、この時代の所在は不明だが木造地蔵菩薩立像(現代では仮講堂蔵、また光背と蓮華座は後世補作)、同じく銀造仏手(現代では国宝館蔵、残欠で原型不明)。
大分残っているように思うが、本来この寺に収められていた仏像はこの何十倍にも及ぶはずなのである。建物についてはその全てが再建であり、この時代の形を留めるのは最近復興された堂宇のみだ。
(南大門や回廊も明治期に解体され、奈良公園に吸収されてしまった。それらが今、この目の前に……!)
だが忘れてはいけない、今回の目的はお参りである。断じて修学旅行ではない。内なる好奇心を厳粛な心で捻じ伏せつつ、定昭に従って事を済ませる。
(…………実頼殿、貴方の御子息様は立派にやっておられます。私もなんとか、日々の仕事をこなしております。何卒安らかに……)
これらの壮大な伽藍群も、いつかは焼亡の憂き目に遭う。そう知っていて何も出来ぬ私のなんと無力なことか。
思うに、タイムスリップとは儚さの確認である。未来に起こる事を知りながら、それを防ぐ手段は与えられないのだ。この歯痒さを、私は今後も幾度となく経験するだろう。それこそ、傍観者たる私の宿命だから。
美「南都七大寺って、他にどこがあるんですか?」
義「東大寺、西大寺、元興寺、大安寺、薬師寺、法隆寺。地域的に外れてる法隆寺の代わりに唐招提寺を入れたり、西大寺の代わりにより由緒ある川原寺を入れたりもするね」
美「よく聞く『南都北嶺』というのは?」
義「この時代の強力な寺を示す言葉だね。南都が興福寺、北嶺が比叡山延暦寺。世俗的権勢を誇った興福寺に対して、延暦寺は仏教教学で世に秀でた寺院だ」




