第二十話〜静閑な世の武士〜
天禄四年四月二十五日、私は美月君と共に自宅の近所を訪れていた。なんでも昨夜、強盗放火があったそうで……
「……見事に焼け落ちたねぇ」
「周囲にも飛び火していたみたいですね。何軒か焼けてます」
この時期の火災だと、日本紀略に記載された事件のことだろう。史料には数百軒延焼とあったが、この分では誇張表現かなにかと考えるのが自然か。
「この屋敷は確か……満仲宅だったか」
「満仲、とはどなたでしょうか?」
「源満仲は清和源氏、つまり清和帝から分かれた源氏の血統で、多田源氏の開祖。4年前の安和の変で謀反を密告したうちの1人だ。彼の弟の子孫には夏目漱石がいるね」
弟の名前は満快といい、今回の放火事件でも真っ先に容疑者を捕らえたはずだ。実際にやったかどうかは知らないが。
満仲自身はこの頃は確か摂津国か何処かにいたはずなので、被害を受けていない。ただし、強盗集団に応戦していた官人が卒去したとかどうとか。
「ところで旦那様、この時代の武士ってどんな感じなのでしょうか?」
「おっ、面倒な話題いくねぇ。この時代、つまり平安中期においては所謂『武士』の黎明的な存在がいるだけだね。具体的には藤原秀郷とか、○○源氏とか」
彼らは厳密には「軍事貴族」と呼ばれ、武士の前段階であると言える。誕生の背景には、国家の持つ武力としての軍団制解体と、それに伴う国司への軍事動員権委譲にある。
そもそも軍団とは租税の一環で徴兵された百姓らによって構成されるものだが、平安初頭の間に健児制へ置き換えられている。これは精鋭1人を以て雑兵100人に値する武力としようとするもので、率直に言えば大幅な軍備の縮小である。そのため各地で警察権が機能しなくなる事例が多発し、武力暴動の頻度も増していった。
これによって、国司に現地の武勇者を動員できる権限を付与し積極的な鎮圧を認める制度改革が行われた。このときに名を馳せたのが藤原秀郷を始めとする没落貴族などであり、彼らが後の時代の「武士」の先祖である。例えば、関東地方の武士は大方が(真偽はともかく)秀郷の子孫を名乗っている。
暴動鎮圧に武士勢力を積極的に登用することは彼らの地位向上につながり、最終的に平氏が権力を持つことになるのだが、これはあと100年くらい後の話である。
「じゃあ結局、この時代ではどのような扱いを?」
「意訳するなら『どう足掻いても五位が限界、基本は六位以下の地下人風情が』ってところじゃない? 知らんけど」
「意訳が雑過ぎません?」
「はっきり言っちゃうと私の専門分野じゃないからねぇ、武士。専門にできるくらいの深さはあるし、下手に手出しすると怖いのよ」
学問的にも、物理的にも下手な手出しは禁物である。ネットのジョークでも「鎌倉武士は蛮族」とあるが、どの時代の武士も大概蛮族である(偏見)。鎌倉時代の家法『六波羅殿御家訓』には「キレたからって人殺すな(超訳)」とあるので、この時代でも起きないとは限らない。そもそも、人を怒らせてはいけない。これ大事。
「でも、旦那様もそのうち彼らと関わらざるを得ない機会が訪れるのでは?」
「……怖いなぁ……」
義「今回はFG○好きなら見たことのある人が多かったんじゃないかな。源満仲とか、藤原秀郷とか」
美「そんな人たちいましたっけ」
義「満仲はライコウさんの父親、秀郷は俵藤太の本名だね。つまり我々はサーヴァントになり得る」
美「なんの話ですか」




