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第十六話〜覚悟決す〜

 安和二年三月二十日(969年4月9日)、実頼はいつも通り屋敷へやってきた。位階は従一位(じゅいちい)で官職は関白太政大臣(だいじょうだいじん)、また冷泉帝が御悩(ごのう)の間は内覧も兼任する。位人臣を極める、まさに時の人である。


「今日の茶菓子は、まるで餅のようだの」


「はい、こちら『すあま』と申しまして、餅の親戚のようなもので御座います」


「ほう、そうかそうか……砂糖が入っておるな。良い甘さじゃ」


 上新粉と砂糖さえあれば作れる、らしい。我がメイドは多才である。

 数百年ほど未来の和菓子を提供したところで、腹の中に溜めていた疑問をぶつける。


「時に関白様。2年前、なぜ守平(もりひら)親王殿下を東宮としたのでしょうか?」


「なぜって……何の話じゃ?」


「確かに殿下は主上の同母弟では御座いますが、まだ元服さえしておりません。順当に選ぶのであれば、同じく同母弟であり且つ年長の為平(ためひら)親王殿下となるはずです」


 冷泉帝は容姿端麗なれども病弱であり、長期の在位は最初から望まれていなかった。そのため、践祚してすぐに東宮(皇太弟)が立てられることとなった。そこで、本来であれば選ばれるはずの人材が選ばれず、選ばれないとされた人材が選ばれたのである。


「これは私の想像が多分に入りますが、為平親王殿下の妃殿下は今の左大臣様の御息女で御座います。関白様、あなたは、左大臣様が外戚として振る舞うのを嫌がったのでは御座いませんか?」


 今の左大臣は、源高明(みなもとのたかあきら)である。醍醐帝の第10皇子であり、醍醐源氏という一流派を築いた。20年ほど前まで実頼の娘が妻で、つまり実頼から見れば娘婿に当たる人物でもある。


「娘婿殿であり且つ貴き身分ではありますが、藤原の名を背負う上では些か邪魔で御座いましょう。守平親王殿下なら、その心配はありません。──以上ですが、何か間違いなど御座いますか?」


 実頼の表情は呆気に取られていたが、暫くして破顔し、口を開いた。


「…………ほっほっほっ、何とも賢しい奴よ。それほどの頭を持っておるなら、この後の展開、判らぬはずもあるまいな?」


「これも予想ですが、恐らく次は左大臣様の排除に動くのでは? 何かしら理由を付けて大宰府にでも……」


「待て、皆まで言うな皆まで言うな。本気で予想するでないわ。……今の話、他に誰も聞いておらんな?」


「ええ、勿論で御座います」


「そうかそうか。……のう、一つ取引をしようではないか……」


 *>────<*


 同年三月二十六日(4月15日)。実頼は再びやってきた。今日はやけに手土産が多いように見える。


「関白様、例のお話聞きました。全て無事に済んだようで……」


「うむ。お主に看破された時は、さてどうしたものかと思うたがの」


 起きたことを簡潔に書くと、こうである。

 昨日、2人の地下(じげ)官人から密告があった。詳細は明かされていないが、これによって別の2人の官吏が検非違使にしょっ引かれた。その後もう1人追加でお縄となったのだが、本題はここからである。

 検非違使動員に先んじて開かれた公卿会議にあって「左大臣の源高明が関与していた」と結論付けられたのである。この会議に実頼は参加していないが、参加者の中に実頼の息子である頼忠(よりただ)斉敏(ただとし)がいる。何らかの圧力は掛かっていたと見て良いだろう。

 結局、源高明は大宰権帥(ごんのそち)として左遷されることが決まり、本日執行された。検非違使に屋敷を包囲され、半ば強引に流されたとのことである。

 以上一連の政変を、年号から「安和(あんな)の変」と呼ぶ。後世に残された文献では陰謀の流れは不明であったが、どうやら想像されていた通りのようである。


「先日言った通り、除目ではお主に良い席をやろう」


「……恐れ入ります」


「出世したと言うのに、随分と沈んだ顔じゃの。お主の性格を考えれば是非もなかろうか…………()()、こちらを見よ」


 いつの間に俯いていた顔を上げると、見たこともないような顔の実頼がそこにいた。普段は飄々とした太公望のような老人だが、改めてこう見ると政権中枢としての威厳が確かに備わっている。


「良いか。お主がどう思うておろうが、お主は既に政治の中におるのだ。お主も今年で29、そろそろ政争を無視は出来んぞ。今までお主が平和であったのは他でもなく儂の力、その儂も既に齢70を数えた。お主がずっと大切にしておる女房のためにも、今後を良く考えよ」


「…………」


「お主には、左中弁と蔵人頭を兼任してもらう予定じゃ。今まで以上に忙しいじゃろうし、敵も出来ることじゃろう。今のままでは、お主は何も出来んぞ?」


 厳格な父や祖父が説教をするかの如く、私は滔々と将来を説かれていた。実頼の言うことは時代錯誤にも思えるが、忘れるなかれ、此処は平安中期である。彼の言葉に誤謬は存在しない。



 実頼の言葉は、私に深々と刺さった。


 *>────<*


 日も落ち、(ふすま)を掛けて寝ようとする前に美月君に声を掛けた。


「……ねえ、美月君」


「はい旦那様、何かありましたか?」


「…………今日、関白様からお叱りを受けたんだ。いつも教授先生に言われていたようなことをね」


「ええ、どちらも聞いておりましたから」


「あら、聞いてたの。…………私は、この時代で上手くやれると思う?」


 胸中の不安を吐露すると、美月君は私の手を握り、優しい声で答えた。


「旦那様のことですから、きっと現代同様駄目かも知れません」


「ひどい」


「ですが、ご安心下さい。この私、高瀬美月が、いつまでも旦那様のお側にいますから」



 彼女のその優しい声は、私の不安を和らげるのに十分だった。

 そうだ、私は1人ではない。彼女さえいれば、どんなことだって出来る気がする。実頼の言ったことも尤もだが、私は最初の目標を捨てる気もない。

 いや、両立して見せよう。私と彼女が、何の憂いもなく暮らすために。

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